カザフスタンのモスクを訪問|イスラム教の祈りの場で過ごした特別な時間

午前5時。まだ夜が明けきらないカザフスタンの街を歩き、モスクへ向かいました。
宗教も言葉も異なる私がそこで見つけたのは、人との不思議なつながりと心地よい距離感でした。

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夜明け前のアマルトイの街を歩く

午前4時30分。スマホのアラームが鳴ると同時に目が覚めました。
眠いけれど、朝5時から開いているモスクに行くためには、すぐにでも出発しなければなりません。

宿の重い扉を開けると、外はまだ夜明け前でした。

目の前の公園には、静寂に包まれたブロンズ像が一つ。馬にまたがった男性の名は、「アマンゲルディ・イ」。カザフスタンを代表する革命家です。
小学生でも知っている有名人ですが、不勉強な私は公園の像を見て、初めてその名を知りました。

うっすらと霧が立ち込める公園は、神話の世界のように神秘的でつい見とれてしまいます。
大きな音を立てて車が停止しました。本来の目的を思い出した私は、踵を返して石畳の道を足早に歩き始めます。

少し雨が降っていました。雨具を忘れたことに気付きましたが、冬のアルマトイは大抵雪か雨が降っているので、それほど気になりません。

夜明け前の街は、とても静かです。
シャッターの下りた店、誰もいない横断歩道、車もいないのに規則的に変わる信号…。
市一番の繁華街だというのに、ここには、ゴミも落書きも酔っ払いもホームレスもいません。
だから、怖さは全く感じませんでした。

夜明け前のアマルトイの街を歩く

装飾のない祈りの部屋

宿から30分ほど歩いてモスクに到着しました。開館に合わせ午前5時に到着する予定が、20分も遅刻してしまいました。宿を出た時は真っ暗だった空の色も、白み始めています。

女性専用の部屋へ通じる、モスクの重い扉を開けます。
靴を脱いで部屋にあがると、中は真っ暗でした。開館すれば灯りもつくと思っていた私は軽いショックを受けます。暗がりの部屋には既に2人の女性がいました。

1人目は20歳そこそこの若い女性で、暗がりの中で熱心にコーランを読んでいます。
一体、何時からここにいるのでしょうか。没頭するその姿には感銘を受けました。
2人目は60代前後。彼女は何をするでもなく、ただうつむいて座っていました。
そして、最初は気付きませんでしたが、部屋の後ろに3人目がいました。
その女性は、隅の方で完全に体を横たえて眠っていました。離れて立つ私の耳にいびきが届くほどです。

モスクは通常、唐草模様を駆使した装飾やアーチなどで彩られていますが、私が入った女性用の小部屋は、見事に何もない場所でした。
立派な分厚い絨毯こそ敷かれていますが、外の光を取り入れる高窓の周辺に少し装飾がある以外は特徴がありません。イスラムの美が目当てだったので、正直落胆しました。

装飾のない祈りの部屋

早朝に集まる多くの信者

誰の邪魔もしたくなかったので、全員から離れた位置にひっそりと座りました。
心と体を沈めて静寂に身を任せます。イスラム教徒だった元夫のお祈りの場面を思い出します。私の手は自然とイスラム教徒の祈りの手の位置におさまりました。

静寂に耳を傾け、仄暗い部屋で見知らぬ者が4人いる巡り合わせや、装飾なき神の空間について思いを巡らせました。
やがて、狭い空間に若い女性のコーランをめくる音が響いてきました。コーランをひっそりと読んでいるようで、時折囁き声が聞こえてきました。

扉が開いて、新しい人が入ってきました。
座り込んでいた60代の女性と知り合いだったようで、脇目もふらず隣りに座ると、世間話をし始めました。

再び扉が開きます。
新しい誰かが入ってきました。私の斜め前に座ったその人は、ヒジャブを巻き直したり、スカートをひっぱったりして身なりを正した後、コーランを開きました。でも眠気には勝てなかったようで、途中で船を漕ぎだしました。

しばらくしてまた扉が開きました。恐る恐る開かれる扉の様子が不思議で見つめていると、チラリと中を確認した女性が入ることなく扉を閉めました。5分後、同じ女性が2人連れで入ってきました。

まだ6時前だというのに熱心な信者のなんと多いことか。

祈りながら泣くのも自由

感心していると、すすり泣きが聞こえてきました。周囲を見渡すと、コーランを詠唱している若い女性が泣いていました。何か辛いことがあってのことなのでしょうか。それとも、感極まってのことなのでしょうか。

私が勉強したキリスト教では、祈りの最中の涙は歓迎されました。泣くことはとても神聖で、癒しや浄化に繋がる尊い行為です。
「辛いことがあった時は、教会で泣くといいよ。泣くことは魂の癒しになるから」私の師だった人が教えてくれた言葉が甦りました。イスラム教でも同じなのでしょうか。

声を殺して泣いている女性の周りには、同じ言葉を話す女性が何人もいましたが、誰も声をかけたり、慰めたり、指を差してはいませんでした。
みんな自分と自分の周りのことに夢中で他人を気にしていません。
若い女性が祈りの途中で泣いても、非ムスリムのアジア人の私が混ざっていても、誰も咎めたりしません。

「これがもしアメリカの教会だったら大げさに抱き合ったり、背中をさすったり、みんなで気持ちをシェアしたりするのかな」なんて思いながら、改めて私はさっぱりしたイスラム独特の放置主義が好きだし自分の性に合っていると確信しました。

だから、ただ思いました。神の御前で流す涙は、こんなにも清いものなのかと。

一緒に過ごした時間

6時を過ぎると扉が開く頻度が増え、目を凝らさないと見えなかった部屋も随分明るくなりました。

部屋の後ろで眠っていた女性がむくりと起きて、お祈りの準備をし始めました。私が来た時に1人でうつむいて座っていた女性の周りには、6人ほどの小さな人だかりができており、楽しげな声が響いていました。

グループの中で一番明るい色のヒジャブを身に着けた女性が、部屋の端から長テーブルのような物を運び出し、そこにコーランを置きました。他の女性も彼女に続きます。テーブルの位置を決めかねているようで、お喋りの間に何度もやり直しをしていました。勉強会の準備でしょうか。

真剣に祈っている人、お喋りをしている人、半々ではありますが、徐々に部屋の中が騒がしくなってきます。

異端者の私はそろそろ部屋を出ようかと思ったところで、隣にいた女性と目が合いました。
最初彼女は、私が正式なムスリムの格好をしていないことに一瞬驚いたような顔をしていました。でも、30分近く空間を共有したからでしょうか、私たちの間には目に見えない繋がりが生まれていたような気がしました。
祈りの途中ふと目が合うと互いに笑顔になりましたし、礼拝前に私が退出すると彼女は少し残念そうな顔を見せてくれた気さえしました。

扉を開けると外はすっかり明るくなっていました。扉を出てすぐ、年配の女性が挨拶をしてくれました。

「おはよう。良い一日を」

私も片言の言葉で返します。

手元の時計は午前6時30分を指そうとしていました。
わずか1時間の滞在でしたが、何にも代えがたい貴重な経験をした気がします。

R.香月(かつき)プロフィール画像

筆者プロフィール:R.香月(かつき)

大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。
マイナーな国をメインに、世界中を旅する。
旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。
出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。
公式HP:Lucia Travel


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