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みなさんは、「ジェームズ・クック」という人物を知っていますか?「キャプテンクック」と呼ばれることもあるため、どちらかの名前を聞いたことがある、という方も多いのではないでしょうか。
このコラムでは、そんなジェームズ・クックに焦点を当ててご紹介していきたいと思います。そもそもどのような人生を送った人なのか、どんな航海をしたのか、ジェームズ・クックとハワイとの関わり、さらにジェームズ・クックと関係の深いマカヒキについてもわかりやすくていねいに解説します。
ハワイが好きな方、ジェームズ・クックに興味がある方、彼とハワイの関係について知りたい方などは、ぜひ最後まで読んで参考にしてみてくださいね。
名前こそ有名な「ジェームズ・クック」ですが、どのような人物で、どのような人生を歩んだのかについては詳しく知らない、という方も多いかもしれません。そこで、まずはジェームズ・クックの生い立ちや探検家としての航海についてチェックしていきましょう!
ジェームズ・クックは、1728年にイングランドのヨークシャーで生まれました。父は農業労働者でしたが、ジェームズ・クックが選んだキャリアは海に関わるものでした。10代のころ、石炭運搬の商戦船員として働き始めます。そして、1755年に英国海軍に水兵として志願し、そこで船員としての能力を認められ、1757年には航海長に就任。
その後、航海長として測量や海図の作成に尽力しました。彼の功績は、英国海軍本部や英国王立協会(科学に関する団体)にも認められました。そして、国から南方大陸探索の命を受けることになるのです。
こうして航海者・探検家となったクックは、生涯で3度の大きな航海を行いました。
1度目(1768~1771年)は、マゼラン海峡を抜けて太平洋に入り、タヒチで観測を行いました。さらに、ニュージーランドを探検し、北島と南島に海峡があることを発見(後にこの海峡はクック海峡と命名されています)。
2度目(1772~1775年)は、ニュージーランドやタヒチに加え、トンガ諸島、イースター島、マルケサス諸島、ニューヘブリデス諸島、ニューカレドニアといったポリネシア、メラネシアの島々を探検しました。
なお、3度目の航海でハワイを「発見」することになるのですが、それについては次の段落で詳しくご紹介します。
ここからは、ジェームズ・クックとハワイとの関わりについて深掘りしていきます。神のように崇められたり、対立をしたりと、そこには紆余曲折の歴史がありました。
ジェームズ・クックがハワイ諸島を「発見」したのは、1776年から行われた3度目の航海のときでした。使われた船は、クックを含む112人が乗ったレゾリューション号と、70人が乗ったディスカバリー号の2隻。
ニュージーランドとタヒチに立ち寄り、そこから北に向かったクック一行は、1778年1月18日にオアフ島、カウアイ島、ニイハウ島があることを確認します。当時、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国ではハワイ諸島の存在は知られていませんでした。そのため、イギリス側からすれば諸島に名前がなかったため、航海資金を援助していたサンドイッチ伯爵にちなんで「サンドイッチ諸島」と名付けました。
こうして、クックはハワイ諸島を「発見」した初めての西洋人となったのです。
1778年1月20日、クックはカウアイ島のワイメア沖にレゾリューション号を停めました。ここでは、カヌーによってクックたちに近づいてきたハワイの人々と物々交換をしたという記録も残っています。
その後、アラスカに向かおうとしますが、氷山によって動けず、クックたちはハワイで冬を越すことにします。このときに船を停めたのが、ケアラケクア湾でした。
そしてちょうどそのとき、ハワイでは「マカヒキ」という時期でした。豊穣の神である「ロノ」が白い布のようなものをたなびかせ、海の向こうからハワイを訪れるという神話が語り継がれていた地で、大きな白いマストをたなびかせながら訪れたクック一行…偶然の一致によりロノだと勘違いされたクックは、ハワイの人々から大歓迎を受けたのです。
この勘違いは、
など、さまざまな理由が奇跡的に重なって起きたものでした。
ハワイの人々から歓迎を受けたクック一行ですが、ケアラケクア湾から出航した直後、船が損傷したため、再び湾に戻ります。その時、事件は起こりました。
ハワイの人々は、「神の船が壊れるわけがない」と考え、クックがロノではないことを知るのです。そこで、ハワイの人々の態度は、歓迎ムードから大きく変わりました。
そして、悲劇が起こります。ハワイの人々が小艇を持ち去ろうとしたことなどがきっかけ(洋上の別のボートから船員のひとりがハワイ人を撃ち殺してしまったという説もあります)となり、小競り合いが発生。クックは銃で対抗したものの、結局殺されてしまいました。
ハワイの島民たちは、習慣にしたがって、クックの死体から肉をそぎ落とし、その骨を保存しました。その後、手など遺体の一部のみがイギリスに返されました。イギリスは、ほかの骨も返還するよう求めましたが、最後までそれは叶いませんでした。残りの遺骨は、未だにクックをロノだと信じている一部の冬眠によって隠されたといわれています。
なお、ケアラケクア湾の近くには、クックを記念する小さな碑があります。
ジェームズ・クックは、ハワイにさまざまなモノ・ことをもたらしました。
たとえば、クックたちが持っていた鉄や釘といった金属類は、ハワイの人々が大きく興味を示したと言います。これは、鉄や釘がハワイアンたちが行っていた「釣り」の道具として役立つからだと考えられています。
そのほか、クック一行からは、ヤギやイギリス種の豚、メロン・カボチャ・タマネギの種などがもたらされました。
残念ながら、クック一行がもたらしたものは、良いものばかりではありませんでした。麻疹や梅毒といった疫病も持ち込まれてしまい、免疫がなかったハワイアンたちは次々と病気にかかってしまいました。ハワイでは、30万人いた人口がクック一行が到着した数年後には5万人にまで減少してしまったという悲しい事実もあります。
このように、クックたちがハワイ諸島へやってきたということは、ポジティブな意味でも、ネガティブな意味でも大きな影響を与えたのです。
最後に、ジェームズ・クックの死とも関係のある、マカヒキについてご紹介します。またあわせて、マカヒキが始まるきっかけとなった神話についても見ていきましょう!
マカヒキとは、ハワイで古くから行われてきたお祭りのひとつです。
ハワイアンの四大神のひとつ、平和と豊穣の神・ロノを祀っていた期間(現在の暦では10月または1月から約4ヶ月間)であり、このときは戦いや激しい労働から解放され、年に一度のロノの到来を盛大に祝います。ハワイアンの新年のお祝いとも言われているお祭りです。
古くは、人々は戦いや労働から離れてスポーツやゲームに興じ、漁業や農業が行われる海や大地を休ませ、ハワイに生きるすべてのものが活力を与えられ、回復するシーズンでした。現代でもこのスピリットは受け継がれていますが、最近ではより現代的な祭りとなり、フェスティバル、美術展、教育的イベントなども行われています。
ロノ神は、雨や豊穣、癒し、愛、平和などを司る神様です。戦いの神「クー」、生命の神「カネ」、海の神「カナロア」とともにハワイの四大神に数えられます。
ハワイの神話・伝説にはロノ神にまつわるものがあります。
たとえば、マカヒキが始まるきっかけとなったカイキラニとの神話。
天上に住んでいたロノは、ハワイ島ワイピオ渓谷に住む美しいカイキラニに恋をし、妻としました。ケアラケクアで幸せに暮らしていた2人ですが、小さな誤解から、ロノは妻の浮気を疑います。そして、なんと彼女を撃ち殺してしまうのです。死の間際、浮気が彼の勘違いだったことを知ったロノ。
あまりの悲しさで、ロノは妻を記念してマカヒキの祭りを創設しました。そして、「いつか自分はハワイに戻ってくる」という言葉を残してカヌーでハワイを去ってしまったのです。これが、マカヒキ祭りがはじまるきっかけとなったのです。
ロノが登場する神話はほかにもあります。
昔々、ロノがまだ人間の酋長として暮らしていたときのお話です。彼の村を、癒しの神・カマカが通りかかりました。カマカは、ちょうどそのときケガをしていたロノを診察。薬草を使ってケガを直してくれました。
感銘を受けたロノは、カマカの弟子となり、あらゆる癒しの技術を学びました。時を経て分かれた2人。ロノは、ワイピオ渓谷に到着します。当時、酋長ミルは病気にかかっていました。
ロノはミルに対して、「ティーリーフで家を造り、外に行かず、覗きもしないこと。そうすれば回復する」といいました。しかし、ミルは言いつけをやぶってしまい、瀕死状態に。
なんとかロノはミルを助けましたが、その後も、「ティーリーフの家から出てはいけない」という言いつけを破ってしまったミル。最後は、海の大波にもまれて亡くなりました。
ロノはそのままワイピオ渓谷にとどまり、癒しを司る全カフナ(専門家・祈祷師)の祖となり、やがて癒しの神として崇められるようになったのです。
ジェームズ・クックの航海とハワイの「発見」は、とても興味深いものだったのではないでしょうか。歓迎ムードで迎えられたかと思いきや、対立に発展したという展開は、「マカヒキ」とも大きく関係があったことがわかりましたね。
ジェームズ・クックとハワイの関わりを知ることで、さらにハワイのことを深く理解できるはずです。このコラムをきっかけに、みなさんがよりハワイに興味を持つきっかけになればうれしいです!
偉大な神々、ハワイ四大神について▼
ロノの神話に登場したティーリーフとは?▼
みなさんは、「ジェームズ・クック」という人物を知っていますか?
「キャプテンクック」と呼ばれることもあるため、どちらかの名前を聞いたことがある、という方も多いのではないでしょうか。
このコラムでは、そんなジェームズ・クックに焦点を当ててご紹介していきたいと思います。
そもそもどのような人生を送った人なのか、どんな航海をしたのか、ジェームズ・クックとハワイとの関わり、さらにジェームズ・クックと関係の深いマカヒキについてもわかりやすくていねいに解説します。
ハワイが好きな方、ジェームズ・クックに興味がある方、彼とハワイの関係について知りたい方などは、ぜひ最後まで読んで参考にしてみてくださいね。
目次
ジェームズ・クックとは
名前こそ有名な「ジェームズ・クック」ですが、どのような人物で、どのような人生を歩んだのかについては詳しく知らない、という方も多いかもしれません。
そこで、まずはジェームズ・クックの生い立ちや探検家としての航海についてチェックしていきましょう!
生い立ち
ジェームズ・クックは、1728年にイングランドのヨークシャーで生まれました。
父は農業労働者でしたが、ジェームズ・クックが選んだキャリアは海に関わるものでした。
10代のころ、石炭運搬の商戦船員として働き始めます。そして、1755年に英国海軍に水兵として志願し、そこで船員としての能力を認められ、1757年には航海長に就任。
その後、航海長として測量や海図の作成に尽力しました。
彼の功績は、英国海軍本部や英国王立協会(科学に関する団体)にも認められました。
そして、国から南方大陸探索の命を受けることになるのです。
探検家として
こうして航海者・探検家となったクックは、生涯で3度の大きな航海を行いました。
1度目(1768~1771年)は、マゼラン海峡を抜けて太平洋に入り、タヒチで観測を行いました。
さらに、ニュージーランドを探検し、北島と南島に海峡があることを発見(後にこの海峡はクック海峡と命名されています)。
2度目(1772~1775年)は、ニュージーランドやタヒチに加え、トンガ諸島、イースター島、マルケサス諸島、ニューヘブリデス諸島、ニューカレドニアといったポリネシア、メラネシアの島々を探検しました。
なお、3度目の航海でハワイを「発見」することになるのですが、それについては次の段落で詳しくご紹介します。
ジェームズ・クックとハワイ
ここからは、ジェームズ・クックとハワイとの関わりについて深掘りしていきます。
神のように崇められたり、対立をしたりと、そこには紆余曲折の歴史がありました。
3度目の航海でハワイを発見
ジェームズ・クックがハワイ諸島を「発見」したのは、1776年から行われた3度目の航海のときでした。
使われた船は、クックを含む112人が乗ったレゾリューション号と、70人が乗ったディスカバリー号の2隻。
ニュージーランドとタヒチに立ち寄り、そこから北に向かったクック一行は、1778年1月18日にオアフ島、カウアイ島、ニイハウ島があることを確認します。
当時、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国ではハワイ諸島の存在は知られていませんでした。そのため、イギリス側からすれば諸島に名前がなかったため、航海資金を援助していたサンドイッチ伯爵にちなんで「サンドイッチ諸島」と名付けました。
こうして、クックはハワイ諸島を「発見」した初めての西洋人となったのです。
神と崇め迎え入れられる
1778年1月20日、クックはカウアイ島のワイメア沖にレゾリューション号を停めました。
ここでは、カヌーによってクックたちに近づいてきたハワイの人々と物々交換をしたという記録も残っています。
その後、アラスカに向かおうとしますが、氷山によって動けず、クックたちはハワイで冬を越すことにします。
このときに船を停めたのが、ケアラケクア湾でした。
そしてちょうどそのとき、ハワイでは「マカヒキ」という時期でした。
豊穣の神である「ロノ」が白い布のようなものをたなびかせ、海の向こうからハワイを訪れるという神話が語り継がれていた地で、大きな白いマストをたなびかせながら訪れたクック一行…
偶然の一致によりロノだと勘違いされたクックは、ハワイの人々から大歓迎を受けたのです。
この勘違いは、
など、さまざまな理由が奇跡的に重なって起きたものでした。
対立・悲しい最期
ハワイの人々から歓迎を受けたクック一行ですが、ケアラケクア湾から出航した直後、船が損傷したため、再び湾に戻ります。
その時、事件は起こりました。
ハワイの人々は、「神の船が壊れるわけがない」と考え、クックがロノではないことを知るのです。
そこで、ハワイの人々の態度は、歓迎ムードから大きく変わりました。
そして、悲劇が起こります。ハワイの人々が小艇を持ち去ろうとしたことなどがきっかけ(洋上の別のボートから船員のひとりがハワイ人を撃ち殺してしまったという説もあります)となり、小競り合いが発生。クックは銃で対抗したものの、結局殺されてしまいました。
ハワイの島民たちは、習慣にしたがって、クックの死体から肉をそぎ落とし、その骨を保存しました。
その後、手など遺体の一部のみがイギリスに返されました。イギリスは、ほかの骨も返還するよう求めましたが、最後までそれは叶いませんでした。
残りの遺骨は、未だにクックをロノだと信じている一部の冬眠によって隠されたといわれています。
なお、ケアラケクア湾の近くには、クックを記念する小さな碑があります。
ジェームズ・クックがハワイにもたらしたもの
ジェームズ・クックは、ハワイにさまざまなモノ・ことをもたらしました。
たとえば、クックたちが持っていた鉄や釘といった金属類は、ハワイの人々が大きく興味を示したと言います。
これは、鉄や釘がハワイアンたちが行っていた「釣り」の道具として役立つからだと考えられています。
そのほか、クック一行からは、ヤギやイギリス種の豚、メロン・カボチャ・タマネギの種などがもたらされました。
残念ながら、クック一行がもたらしたものは、良いものばかりではありませんでした。
麻疹や梅毒といった疫病も持ち込まれてしまい、免疫がなかったハワイアンたちは次々と病気にかかってしまいました。
ハワイでは、30万人いた人口がクック一行が到着した数年後には5万人にまで減少してしまったという悲しい事実もあります。
このように、クックたちがハワイ諸島へやってきたということは、ポジティブな意味でも、ネガティブな意味でも大きな影響を与えたのです。
マカヒキとは?
最後に、ジェームズ・クックの死とも関係のある、マカヒキについてご紹介します。
またあわせて、マカヒキが始まるきっかけとなった神話についても見ていきましょう!
ハワイ伝統のお祭り
マカヒキとは、ハワイで古くから行われてきたお祭りのひとつです。
ハワイアンの四大神のひとつ、平和と豊穣の神・ロノを祀っていた期間(現在の暦では10月または1月から約4ヶ月間)であり、このときは戦いや激しい労働から解放され、年に一度のロノの到来を盛大に祝います。ハワイアンの新年のお祝いとも言われているお祭りです。
古くは、人々は戦いや労働から離れてスポーツやゲームに興じ、漁業や農業が行われる海や大地を休ませ、ハワイに生きるすべてのものが活力を与えられ、回復するシーズンでした。
現代でもこのスピリットは受け継がれていますが、最近ではより現代的な祭りとなり、フェスティバル、美術展、教育的イベントなども行われています。
ロノ神とは?
ロノ神は、雨や豊穣、癒し、愛、平和などを司る神様です。
戦いの神「クー」、生命の神「カネ」、海の神「カナロア」とともにハワイの四大神に数えられます。
ハワイの神話・伝説にはロノ神にまつわるものがあります。
たとえば、マカヒキが始まるきっかけとなったカイキラニとの神話。
天上に住んでいたロノは、ハワイ島ワイピオ渓谷に住む美しいカイキラニに恋をし、妻としました。
ケアラケクアで幸せに暮らしていた2人ですが、小さな誤解から、ロノは妻の浮気を疑います。そして、なんと彼女を撃ち殺してしまうのです。
死の間際、浮気が彼の勘違いだったことを知ったロノ。
あまりの悲しさで、ロノは妻を記念してマカヒキの祭りを創設しました。
そして、「いつか自分はハワイに戻ってくる」という言葉を残してカヌーでハワイを去ってしまったのです。
これが、マカヒキ祭りがはじまるきっかけとなったのです。
ロノが癒しの神になった理由
ロノが登場する神話はほかにもあります。
昔々、ロノがまだ人間の酋長として暮らしていたときのお話です。
彼の村を、癒しの神・カマカが通りかかりました。カマカは、ちょうどそのときケガをしていたロノを診察。薬草を使ってケガを直してくれました。
感銘を受けたロノは、カマカの弟子となり、あらゆる癒しの技術を学びました。
時を経て分かれた2人。ロノは、ワイピオ渓谷に到着します。当時、酋長ミルは病気にかかっていました。
ロノはミルに対して、「ティーリーフで家を造り、外に行かず、覗きもしないこと。そうすれば回復する」といいました。
しかし、ミルは言いつけをやぶってしまい、瀕死状態に。
なんとかロノはミルを助けましたが、その後も、「ティーリーフの家から出てはいけない」という言いつけを破ってしまったミル。最後は、海の大波にもまれて亡くなりました。
ロノはそのままワイピオ渓谷にとどまり、癒しを司る全カフナ(専門家・祈祷師)の祖となり、やがて癒しの神として崇められるようになったのです。
ジェームズ・クックを知って、ハワイをより深く理解しよう
ジェームズ・クックの航海とハワイの「発見」は、とても興味深いものだったのではないでしょうか。
歓迎ムードで迎えられたかと思いきや、対立に発展したという展開は、「マカヒキ」とも大きく関係があったことがわかりましたね。
ジェームズ・クックとハワイの関わりを知ることで、さらにハワイのことを深く理解できるはずです。
このコラムをきっかけに、みなさんがよりハワイに興味を持つきっかけになればうれしいです!
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