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「歌舞伎と浮世絵には、どんな関係があるか知ってる?」と聞かれたとき、パッとすぐに答えが思いつく方はなかなかいないのではないでしょうか。どちらも江戸時代に花開いた文化であり、現代でも多くのファンがいますよね。実は、歌舞伎と浮世絵には、切手も切れない奥深い関係があったのです……!
そこで、このコラムでは、そんな歌舞伎と浮世絵の奥深い関係をひもといていきたいと思います。
歌舞伎について知りたいと思っている方や、歌舞伎を題材にした浮世絵を知りたい方などは、ぜひ最後まで読んで参考にしてみてくださいね。
浮世絵とは、「暮らし」「風俗」「流行」「旅の名所」などが反映された絵の総称であり、江戸時代前半の1670年(寛文10年)ごろから描かれるようになったといいます。
初期の浮世絵に大きく貢献した人物は「菱川師宣(ひしかわもろのぶ)」と「岩佐又兵衛(いわさまたべえ)」の2人です。菱川師宣は、大量生産が可能な浮世絵版画の発展に大きく貢献し、浮世絵の普及に尽力したことから、「元祖」として広く認識されています。
一方、岩佐又兵衛は、肉筆画(手書きの一点ものの絵)を書きました。で浮世絵を描いたことから、その始祖的な存在として評価されています。
江戸中期ごろには、多色摺の錦絵の誕生とともに、浮世絵は最盛期を迎えます。後ほどご紹介するような、人気絵師たちも多数登場。江戸後期からは、葛飾北斎に代表されるような風景画も確立していきました。
明治時代には、開国で西洋化した都市の様子が描かれるように。一度ブームはすぎてしまいますが、大正から昭和にかけては、浮世絵の復興を目指す動きが盛んになりました。
浮世絵の歴史がわかったところで、ここからは、歌舞伎と浮世絵の切っても切れない関係性をご紹介します。
歌舞伎の起源は、江戸時代がはじまったばかりの1603年(慶長8年)ごろ、出雲阿国(いずものおくに)という女性が京都で「かぶき踊り」を踊ったことだと言われています。「かぶき踊り」の由来は、奇抜な格好で奔放に振る舞う「傾き者(かぶきもの)」と呼ばれる者たちの、扮装やしぐさを取り入れたことが理由です。「傾き者」の「傾き」とは新奇や異様といった様子を指す言葉です。「かぶき踊り」は当初女性たちのあいだで広まりましたが、風紀を乱すという理由から、禁止されてしまいます。
その後、少年たちによって演じられた「若衆歌舞伎(わかしゅかぶき)」が人気に。こちらも禁止されてしまいましたが、成年男子による「野郎歌舞伎(やろうかぶき)」は興行を許されました。これが、元禄時代に本格的な演劇へと発展し、現代まで続いています。
浮世絵も歌舞伎も江戸時代に花開き盛んになった文化ですが、この2つの関係性が深くなるきっかけとなったのが、多色摺版画の技法の誕生による浮世絵の大衆化です。
特に、浮世絵のなかでも、歌舞伎役者を題材にした「役者絵」は、歌舞伎の人気をさらに高める役割を果たしました。役者絵は大きく分けて「全身姿(全身の舞台姿を描く)」「大首絵(役者の上半身を描く)」「大顔絵(役者の顔を強調し、大きく描く)」の3種類にわけられます。
描かれる内容としては、役者が舞台に立つ舞台姿、役者の日常の姿、見立姿(この役者にこの役を演じてほしいという希望を描いた絵)、死絵(亡くなった役者を偲ぶ絵)などが挙げられます。
歌舞伎役者を描いた役者絵や美人画が、ブロマイドのような形で庶民の間で大人気に。飛ぶように売れ、大衆のすみずみまで広がったのです。
歌舞伎役者が描かれた浮世絵は、歌舞伎を大衆に広めるメディアのような役割を担っていたことがわかりましたね。人気浮世絵師の流派には、「菱川派」「鳥居派」「歌川派」「勝川派」などがあるのですが、ここからは、人気を博した役者絵師をご紹介します。
天才浮世絵師とも呼ばれる東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)。彼の「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」は、突き出したあごや、下から睨みあげるような眼差しが特徴的です。顔や表情を誇張した描き方のため、役者やファンから嫌がられてしまったこともあるとか。
なお、彼は約10ヶ月という短い期間に多くの役者絵を制作したのですが、その後消息不明となった「謎の絵師」としても知られています。
浮世絵の名作「見返り美人図」で知られる菱川師宣。彼は木版画に重点を置き、浮世絵をひとつのジャンルとして確立させ、「浮世絵の祖」とも呼ばれています。艶やかで洗練された色彩とユニークな構図、繊細でありながら力強さもあるのが彼の作風の特徴です。
代表作である「歌舞伎図屏風」は、江戸時代の歌舞伎劇場とその周辺の様子を精緻に描いた絵画で、舞台上の熱演はもちろん、楽屋や芝居茶屋のにぎわいまで生き生きと表現されています。役者や観客、裏方など多彩な人物が細部まで丁寧に描かれており、当時の芝居文化の雰囲気を今に伝えています。なかでも菱川師宣による中村座の図は構図・描写に優れ、初期歌舞伎を視覚的に知ることのできる貴重な資料とされています。
鳥居清信(とりいきよのぶ)は、歌舞伎「市村座」の看板絵(芝居を紹介する目的の絵)を描き人気を博しました。また、力のこもったくびれた手足や筋肉の盛り上がりを表現する「ひょうたん足みみず描き」というユニークな画風も確立しました。
勝川春章(かつかわしゅんしょう)は、それまであまり描き分けられていなかった役者の顔や表情に着目。実際の役者に似せて描く「似顔絵」を生み出しました。これが大衆からも人気を博し、勝川春好(かつかわしゅんこう)や勝川春英(かつかわしゅんえい)といった弟子たちとともに、勝川派を確立させました。
役者の魅力を存分に描いた浮世絵を描き人気を博したのが歌川豊国(うたがわとよくに)でした。出世作となった「役者舞台之姿絵」や、大首絵で大ブームを引き起こしました。特に彼の透明感のある爽やかな画風は、ほかの絵師と一線を画していました。
人気浮世絵師たちの特徴がわかったところで、続いてここからは、役者絵に描かれた人気歌舞伎役者をチェックしていきましょう!
市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)は、歌舞伎における名跡(代々受け継がれていく名前)です。歴代の市川團十郎は歌舞伎役者の中でも特に人気が高く、浮世絵にも多く描かれました。たとえば、鳥居清倍(とりいきよます)によって描かれた「初代市川團十郎」は、1660年(万治3年)生まれの人物で、超人的な力で敵を倒す「荒事」(あらごと)という家芸を確立。また、紅・藍・墨で顔を彩った「隈取」(くまどり)のメイクを創始したことでも知られています。ほかにも、おおらかな芸風が特徴で、荒事だけでなく、女形など様々な役柄を演じ分け、江戸歌舞伎の第一人者としてその屋台骨を支えた「5代目市川團十郎」は、勝川春章や東洲斎写楽らによって描かれました。
5代目松本幸四郎も役者絵に描かれることの多かった人気役者です。江戸時代中期から後期にかけて活躍した人物で、鼻が高く、目力も強かったことから、非常に迫力があったといいます。葛飾北斎や歌川国貞、歌川豊国などが彼の姿を魅力的に描きました。
江戸時代に花開いた町人文化で、庶民のあいだで大ブームを引き起こした歌舞伎と浮世絵。しかし、禁止されたり、規制を受けたりといった厳しい時代もありました。
先ほどもご紹介したとおり、歌舞伎は元々女性たちによって広まりました。しかし、風紀を乱すという理由から幕府によって禁止されてしまいます。次に人気となった少年たちによる歌舞伎も、同じ理由で禁止に。
浮世絵も、幕府によって検閲や規制の対象となる事がありました。特に、幕府や政治を批判したもの、贅沢をうながすようなものは厳しく取り締まられました。天保の改革で出された「贅沢禁止令」により、歌舞伎役者を描いた役者絵も禁止されてしまいました。
絵師たちは、そんな厳しい規制や制限に負けずに制作活動を行っていました。役者を動物に例えたパロディ作品を制作したり、物語の舞台を過去の時代に設定したりするなどの規制をくぐる工夫をしていたのです。
たとえば、歌川国芳は役者を魚や猫に例えて描いていますし、歌川豊国は絵の中に「今昔」という言葉を添えて、「役者絵ではなく古事を描いたもの」として発表したりしていました。
新聞や写真に比べて、浮世絵は制作に時間がかかることから、明治時代には一時衰退してしまった浮世絵。歌舞伎も、第二次世界大戦後に、封建的な思想をあおり、民主化を妨げるという理由から上演禁止になったことがありました。
しかし、歌舞伎と浮世絵はどちらもジャポニスムを通じて海外で高く評価されたことで、日本国内でも再評価されるようになりました。歌舞伎は古典演劇として、浮世絵は芸術作品として、それぞれ異なる形で現代に受け継がれています。
ここからは、歌舞伎や浮世絵に興味がある方におすすめのアイテムをいくつかご紹介します!気になったものがあればぜひチェックしてみてくださいね♪
浮世絵をリデザインした日本風アロハシャツです。刺し子のようなテクスチャ感のある、コットンドビー生地を使用。人気のがしゃドクロや猫、鳳凰や兎など、柄展開も豊富です。モダンで大胆なデザインを思いっきり楽しんで♪
風呂敷をたすき掛けしたかのようなおしゃれなシルエットの新スタイルバッグ。デザインだけでなく、軽くて持ち運びに便利なポリエステル素材もうれしいポイントです。サイドにファスナー付きの小さなポケットが2つ付いているので、小銭入れや携帯などを入れるのにもぴったりです。
なお、「NIPPON ART-浮世絵ReDesignシリーズ-」の特集ページでアイテムの詳細が見られますので、ぜひ見てみてくださいね。
歌舞伎も浮世絵も、江戸に花開いた町人文化を代表するものですが、それぞれに豊かな歴史があることがわかりましたね。
浮世絵が歌舞伎役者のブロマイド的役割を果たし、絵師たちも人気になっていくなど、それぞれの特徴を活かしながら、お互いに良い相乗効果をもたらしていたことも、おもしろい発見だったのではないでしょうか。
最後にご紹介したアイテムなども身につけながら、歌舞伎と浮世絵の世界に親しんでみてはいかがでしょうか♪
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「歌舞伎と浮世絵には、どんな関係があるか知ってる?」と聞かれたとき、パッとすぐに答えが思いつく方はなかなかいないのではないでしょうか。どちらも江戸時代に花開いた文化であり、現代でも多くのファンがいますよね。実は、歌舞伎と浮世絵には、切手も切れない奥深い関係があったのです……!
そこで、このコラムでは、そんな歌舞伎と浮世絵の奥深い関係をひもといていきたいと思います。
歌舞伎について知りたいと思っている方や、歌舞伎を題材にした浮世絵を知りたい方などは、ぜひ最後まで読んで参考にしてみてくださいね。
目次
浮世絵ってなに?
浮世絵とは、「暮らし」「風俗」「流行」「旅の名所」などが反映された絵の総称であり、江戸時代前半の1670年(寛文10年)ごろから描かれるようになったといいます。
初期の浮世絵に大きく貢献した人物は「菱川師宣(ひしかわもろのぶ)」と「岩佐又兵衛(いわさまたべえ)」の2人です。
菱川師宣は、大量生産が可能な浮世絵版画の発展に大きく貢献し、浮世絵の普及に尽力したことから、「元祖」として広く認識されています。
一方、岩佐又兵衛は、肉筆画(手書きの一点ものの絵)を書きました。で浮世絵を描いたことから、その始祖的な存在として評価されています。
江戸中期ごろには、多色摺の錦絵の誕生とともに、浮世絵は最盛期を迎えます。後ほどご紹介するような、人気絵師たちも多数登場。江戸後期からは、葛飾北斎に代表されるような風景画も確立していきました。
明治時代には、開国で西洋化した都市の様子が描かれるように。一度ブームはすぎてしまいますが、大正から昭和にかけては、浮世絵の復興を目指す動きが盛んになりました。
歌舞伎と浮世絵の関係性を解説
浮世絵の歴史がわかったところで、ここからは、歌舞伎と浮世絵の切っても切れない関係性をご紹介します。
歌舞伎の起源と発展
歌舞伎の起源は、江戸時代がはじまったばかりの1603年(慶長8年)ごろ、出雲阿国(いずものおくに)という女性が京都で「かぶき踊り」を踊ったことだと言われています。「かぶき踊り」の由来は、奇抜な格好で奔放に振る舞う「傾き者(かぶきもの)」と呼ばれる者たちの、扮装やしぐさを取り入れたことが理由です。「傾き者」の「傾き」とは新奇や異様といった様子を指す言葉です。「かぶき踊り」は当初女性たちのあいだで広まりましたが、風紀を乱すという理由から、禁止されてしまいます。
その後、少年たちによって演じられた「若衆歌舞伎(わかしゅかぶき)」が人気に。こちらも禁止されてしまいましたが、成年男子による「野郎歌舞伎(やろうかぶき)」は興行を許されました。これが、元禄時代に本格的な演劇へと発展し、現代まで続いています。
浮世絵との関係性
浮世絵も歌舞伎も江戸時代に花開き盛んになった文化ですが、この2つの関係性が深くなるきっかけとなったのが、多色摺版画の技法の誕生による浮世絵の大衆化です。
特に、浮世絵のなかでも、歌舞伎役者を題材にした「役者絵」は、歌舞伎の人気をさらに高める役割を果たしました。役者絵は大きく分けて「全身姿(全身の舞台姿を描く)」「大首絵(役者の上半身を描く)」「大顔絵(役者の顔を強調し、大きく描く)」の3種類にわけられます。
描かれる内容としては、役者が舞台に立つ舞台姿、役者の日常の姿、見立姿(この役者にこの役を演じてほしいという希望を描いた絵)、死絵(亡くなった役者を偲ぶ絵)などが挙げられます。
歌舞伎役者を描いた役者絵や美人画が、ブロマイドのような形で庶民の間で大人気に。飛ぶように売れ、大衆のすみずみまで広がったのです。
人気を博した役者絵師たち
歌舞伎役者が描かれた浮世絵は、歌舞伎を大衆に広めるメディアのような役割を担っていたことがわかりましたね。人気浮世絵師の流派には、「菱川派」「鳥居派」「歌川派」「勝川派」などがあるのですが、ここからは、人気を博した役者絵師をご紹介します。
東洲斎写楽
天才浮世絵師とも呼ばれる東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)。彼の「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」は、突き出したあごや、下から睨みあげるような眼差しが特徴的です。顔や表情を誇張した描き方のため、役者やファンから嫌がられてしまったこともあるとか。
なお、彼は約10ヶ月という短い期間に多くの役者絵を制作したのですが、その後消息不明となった「謎の絵師」としても知られています。
菱川師宣
浮世絵の名作「見返り美人図」で知られる菱川師宣。彼は木版画に重点を置き、浮世絵をひとつのジャンルとして確立させ、「浮世絵の祖」とも呼ばれています。艶やかで洗練された色彩とユニークな構図、繊細でありながら力強さもあるのが彼の作風の特徴です。
代表作である「歌舞伎図屏風」は、江戸時代の歌舞伎劇場とその周辺の様子を精緻に描いた絵画で、舞台上の熱演はもちろん、楽屋や芝居茶屋のにぎわいまで生き生きと表現されています。役者や観客、裏方など多彩な人物が細部まで丁寧に描かれており、当時の芝居文化の雰囲気を今に伝えています。なかでも菱川師宣による中村座の図は構図・描写に優れ、初期歌舞伎を視覚的に知ることのできる貴重な資料とされています。
鳥居清信
鳥居清信(とりいきよのぶ)は、歌舞伎「市村座」の看板絵(芝居を紹介する目的の絵)を描き人気を博しました。また、力のこもったくびれた手足や筋肉の盛り上がりを表現する「ひょうたん足みみず描き」というユニークな画風も確立しました。
勝川春章
勝川春章(かつかわしゅんしょう)は、それまであまり描き分けられていなかった役者の顔や表情に着目。実際の役者に似せて描く「似顔絵」を生み出しました。これが大衆からも人気を博し、勝川春好(かつかわしゅんこう)や勝川春英(かつかわしゅんえい)といった弟子たちとともに、勝川派を確立させました。
歌川豊国
役者の魅力を存分に描いた浮世絵を描き人気を博したのが歌川豊国(うたがわとよくに)でした。出世作となった「役者舞台之姿絵」や、大首絵で大ブームを引き起こしました。特に彼の透明感のある爽やかな画風は、ほかの絵師と一線を画していました。
役者絵に描かれた歌舞伎の人気役者
人気浮世絵師たちの特徴がわかったところで、続いてここからは、役者絵に描かれた人気歌舞伎役者をチェックしていきましょう!
江戸の大スター 市川團十郎
市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)は、歌舞伎における名跡(代々受け継がれていく名前)です。歴代の市川團十郎は歌舞伎役者の中でも特に人気が高く、浮世絵にも多く描かれました。たとえば、鳥居清倍(とりいきよます)によって描かれた「初代市川團十郎」は、1660年(万治3年)生まれの人物で、超人的な力で敵を倒す「荒事」(あらごと)という家芸を確立。また、紅・藍・墨で顔を彩った「隈取」(くまどり)のメイクを創始したことでも知られています。ほかにも、おおらかな芸風が特徴で、荒事だけでなく、女形など様々な役柄を演じ分け、江戸歌舞伎の第一人者としてその屋台骨を支えた「5代目市川團十郎」は、勝川春章や東洲斎写楽らによって描かれました。
5代目松本幸四郎
5代目松本幸四郎も役者絵に描かれることの多かった人気役者です。江戸時代中期から後期にかけて活躍した人物で、鼻が高く、目力も強かったことから、非常に迫力があったといいます。葛飾北斎や歌川国貞、歌川豊国などが彼の姿を魅力的に描きました。
歌舞伎と浮世絵の規制について
江戸時代に花開いた町人文化で、庶民のあいだで大ブームを引き起こした歌舞伎と浮世絵。しかし、禁止されたり、規制を受けたりといった厳しい時代もありました。
歴史
先ほどもご紹介したとおり、歌舞伎は元々女性たちによって広まりました。しかし、風紀を乱すという理由から幕府によって禁止されてしまいます。次に人気となった少年たちによる歌舞伎も、同じ理由で禁止に。
浮世絵も、幕府によって検閲や規制の対象となる事がありました。特に、幕府や政治を批判したもの、贅沢をうながすようなものは厳しく取り締まられました。天保の改革で出された「贅沢禁止令」により、歌舞伎役者を描いた役者絵も禁止されてしまいました。
規制をくぐる工夫
絵師たちは、そんな厳しい規制や制限に負けずに制作活動を行っていました。役者を動物に例えたパロディ作品を制作したり、物語の舞台を過去の時代に設定したりするなどの規制をくぐる工夫をしていたのです。
たとえば、歌川国芳は役者を魚や猫に例えて描いていますし、歌川豊国は絵の中に「今昔」という言葉を添えて、「役者絵ではなく古事を描いたもの」として発表したりしていました。
浮世絵の復興と歌舞伎の再評価
新聞や写真に比べて、浮世絵は制作に時間がかかることから、明治時代には一時衰退してしまった浮世絵。歌舞伎も、第二次世界大戦後に、封建的な思想をあおり、民主化を妨げるという理由から上演禁止になったことがありました。
しかし、歌舞伎と浮世絵はどちらもジャポニスムを通じて海外で高く評価されたことで、日本国内でも再評価されるようになりました。歌舞伎は古典演劇として、浮世絵は芸術作品として、それぞれ異なる形で現代に受け継がれています。
倭物やカヤおすすめ商品ご紹介!
ここからは、歌舞伎や浮世絵に興味がある方におすすめのアイテムをいくつかご紹介します!気になったものがあればぜひチェックしてみてくださいね♪
倭の絵シャツ RD SHIBARAKU
浮世絵をリデザインした日本風アロハシャツです。刺し子のようなテクスチャ感のある、コットンドビー生地を使用。人気のがしゃドクロや猫、鳳凰や兎など、柄展開も豊富です。モダンで大胆なデザインを思いっきり楽しんで♪
浮世絵たすきBAG SHARAKU
風呂敷をたすき掛けしたかのようなおしゃれなシルエットの新スタイルバッグ。デザインだけでなく、軽くて持ち運びに便利なポリエステル素材もうれしいポイントです。サイドにファスナー付きの小さなポケットが2つ付いているので、小銭入れや携帯などを入れるのにもぴったりです。
なお、「NIPPON ART-浮世絵ReDesignシリーズ-」の特集ページでアイテムの詳細が見られますので、ぜひ見てみてくださいね。
歌舞伎と浮世絵の奥深い関係を楽しもう!
歌舞伎も浮世絵も、江戸に花開いた町人文化を代表するものですが、それぞれに豊かな歴史があることがわかりましたね。
浮世絵が歌舞伎役者のブロマイド的役割を果たし、絵師たちも人気になっていくなど、それぞれの特徴を活かしながら、お互いに良い相乗効果をもたらしていたことも、おもしろい発見だったのではないでしょうか。
最後にご紹介したアイテムなども身につけながら、歌舞伎と浮世絵の世界に親しんでみてはいかがでしょうか♪
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