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日本三大妖怪は鬼と天狗と河童です。 そのなかで河童は独特の位置づけです。鬼と天狗は人間を超えた能力があり、とても怖いイメージがあります。しかし河童は少し違うと思いませんか? もちろん妖怪なので怖い面はありますが、どことなくユーモラスです。
なぜそのように感じるのでしょうか? ここでは河童の強さや能力、あるいは好きなものや弱点、伝説などを紹介します。河童の正体を知れば、もっと河童が好きになるかも… なお、日本三大妖怪の鬼と天狗については、既にこのコラムで取り上げています。興味があれば、そちらもご覧下さい。
あなたは河童の姿を思い浮かべることができますか?
誰も見たことないはずなのに、多くの人たちが共通した認識を持っています。それはおそらく、頭のてっぺんに皿があり、口は鳥のくちばしのようで、手には水かきがあり、背中には亀の甲羅をしょっている姿でしょう。
体長は大きくなく、むしろ小柄です。人間の子供ぐらいの大きさです。それなのに人間の大人でも到底及ばないほどの力持ちでもあります。
河川、湖沼、池などの水辺に棲息していて、泳ぎも得意です。水とは切っても切れない関係があり、頭の皿にはいつもお水をたたえています。このお水が乾いてしまうと力がなくなるとも、死んでしまうとも言われています。
河童の特徴として、きゅうり好きである点も見逃せません。水と関係の深い河童は、水分をふんだんに含むきゅうりが大好きです。河童のきゅうり好きは寿司の名前にまで影響を及ぼしています。
巻き寿司の細巻きは数種類ありますが、寿司ネタによって名前が変わります。かんぴょう巻き、納豆巻き、鉄火巻き、新香巻きなどと並んで、かっぱ巻きも人気です。もちろん寿司ネタはきゅうりです。妖怪が語源のお寿司は珍しいですよね。
河童は子どもの化身という側面があるため、いたずら好きとしても有名です。相撲が大好きで、人間と相撲を取りたがります。相撲に勝つと相手の尻子玉(しりこだま)を抜く河童もいます。
尻子玉は人間のお尻のあたりにあるとされた架空の臓器です。実際には尻子玉は存在しません。しかし尻子玉があると考えられていた地域では、河童に尻子玉を抜かれると腑抜けになると言い伝えられています。
また、河童は川辺に近づいた馬を水中に引きずり込むいたずらもします。馬でさえも引きずり込む力を持っているのが河童なので本当は恐ろしい存在でもあります。これらの伝説は、不用意に水辺に行くと災難に遭うかもしれないので、気をつけさせるいましめのようです。
ユーモラスだったり、いたずら好きだったりする側面がある河童ですが、神様あるいは神様の使いと見られてもいます。 水辺にいる河童は、水難を起こすことも防ぐこともできる存在です。人々を水難に遭わせないようにする人知を超えた能力を有する「神」であり「妖怪」でもあるのです。
日本は水が豊かな国ですが、反面、水による事故や災害も多発します。そのような災が起こらないように河童に願いを託しています。
そんな河童とゆかりのあるお寺、神社を4つ紹介いたします。
かっぱ寺として知られています。江戸時代に行われた治水工事を隅田川の河童が手伝ったそうです。河童大明神が祭られていて、境内のいたる所に河童の像があります。
「河泊」は河童の別の呼び方の「河伯」が変じたものですので、まさに河童神社です。毎年7月には河泊祭りが行われます。
うきは市を流れる巨瀬川(こせがわ)流域は河童の棲息地として有名です。高橋神社では毎年9月に「かっぱ相撲」が行われてきました。子どもたちが背中に河童の甲羅を描き相撲を取る姿は河童さながらですね。
「おかっぱ様」と呼ばれ、木彫りの河童が御神体です。水難よけや安産にご利益があるとのことです。色麻町は町を上げて「河童のふるさと」をアピールしています。
この他にも、日本全国にはたくさんの河童ゆかりの神社仏閣があります。あなたの身近な場所にもあるかもしれませんね。 河童の好物がきゅうりであるのも、水神へのお供え物の定番がきゅうりだからです。水の神様の化身であることのひとつの証拠ですね。
河童は「河(かわ)の童(わらべ)」と書きます。つまり川に住む子どもという意味ですね。ここでは河童の由来と歴史を紹介しましょう。
河童伝説は日本全国にあります。その地方によって、呼び方や姿が少しずつ異なるようです。
河童は水辺に棲みますが、自然豊かな日本には、様々な環境の水辺があります。そこには水棲生物だけでなく、通常は陸で暮らす生物も水や餌を求めて集まります。それらの野生生物が河童の原型になりました。
カワウソ、ニホンザル、イタチ、タヌキ、キツネ、クマ、イノシシなどの哺乳類だけでなく、カメ、カエル、サンショウウオ、トカゲなどの爬虫類、両生類も水辺を訪れます。さらに鳥類も加わり、複合してその地域独特の妖怪が生み出されます。
なかでも江戸時代に文化の中心だった江戸では、江戸らしい動物たちによって河童像が作られました。カメ、ニホンザル、カエル、鳥などです。これらが組み合わさると、現代の私達が認識する河童に近くなります。すなわち、多くの人がイメージする河童は江戸型なのですね。
日本は四方を海で囲まれ、山間部の多い国です。さらに降水量も多く、たくさんの川や湖、池、沼あるいは湿地帯があり自然豊かな国です。山が急峻であるため、急流や滝も数多く存在します。
日本人の暮らしは、水と密接に関係しています。古代から水難事故も多いため、災害に遭わないようにと願う気持ちも強くありました。その願いが向かう先は水の神様です。そして、災害の原因としては妖怪が作り出されます。
水の神様として広く知られているのは龍神様です。日本全国の龍神伝説は水難と深い関わりがあります。その他にもヘビ、カエル、魚などが水の神様として祭られていますが、河童もそのひとつです。
河童は水難の原因となる妖怪であるとともに、それを止めてくれる神様としても信じられています。河童の本当の姿は水の神様と妖怪を併せ持つ存在と見ていいでしょう。
河童は「かわのわらべ」です。「わらべ」は「わらは」とも言い、「かわのわらは」が「かわわっぱ」になり、それがつづまって「かっぱ」になりました。
また、男の子を称して「太郎」とするため、河童を「河太郎(カワタロウ)」と呼ぶ地域もあります。江戸時代の関西では「河太郎」が主流だったようです。そしてさらに変形して「ガタロ」とも呼ばれていました。
青森県では河童のことを「メドチ」あるいは「メドツ」と呼ぶことがあります。使われている地域はかなり限定されているようですが、河童に相当する妖怪と言っていいでしょう。
河童伝説は日本各地に散見されます。ここではその中から代表的なふたつをご紹介します。
1つ目は岩手県遠野市に伝わる「遠野物語(とおのものがたり)」、もうひとつは熊本県相良村(さがらむら)のカッパ伝説が生まれた場所です。
「遠野物語」は民俗学者の柳田国男が編んだ説話集で、岩手県遠野地方の伝承などを集めています。その中の55話から59話には河童(遠野物語では「川童」と記載)に関するエピソードが記してあります。
58話は河童のいたずらに関する物語です。河童の棲む小烏瀬川(こがらせがわ)の姥子淵(おばこふち)の近くで馬曳きが馬を繋いでいたところ、河童が引きずりこもうとやって来ました。馬は驚き淵から離れ、逆に厩(うまや)まで河童を連れて来ました。村人に見つかった河童は、いたずらをしないように約束し棲家を相沢(あいざわ)の滝の淵に変えたとのことです。
また59話には「他の地域の河童の顔は青いと言うけれど、遠野の河童の顔は赤い。」と書かれています。遠野の河童は特別かもしれませんね。
なお「遠野物語」は現在は青空文庫で閲覧が可能です。
青空文庫「遠野物語」
熊本県球磨地方に位置する相良村には川辺川(かわべがわ)が流れています。この川辺川に河童が棲んでいたようです。
ある日、馬を川の中に引きずり込もうとした河童が逆に捕らえられてしまいました。可哀想に思った一人の女性が河童を逃がしてあげました。するとその日から、お礼のご馳走(魚などの食材)が毎晩届けられましたとさ…めでたしめでたし
このストーリーには後日譚があります。数年後のある日にご馳走が届けられなくなりました。河童が亡くなったのだろうということになり、お墓が作られました。相良村にはその時の河童のお墓が現在も残っています。
河童の正体、すなわち本当の姿はどのようなものなのでしょうか?こちらも諸説ありますが、有力説を紹介します。
平安時代のスーパースター、陰陽師安倍晴明(あべのせいめい、あべのはるあきら)は自分の召使として式神を操っていました。式神とは身の回りの仕事を手伝わせるための人形のことです。
この式神が変じたものが河童になったそうです。安倍晴明の他にも役小角(えんのおづの)の配下の護法童子が変じたとの説もあります。いずれにしても優れた能力を持つ、子どもの大きさのあやかしが正体です。
河童の本当の正体として、とても悲しい説があります。それが間引きされた人間の子供の水死体説です。
江戸時代は頻繁に間引きが行われていました。間引きする子どもは川に捨てました。その子は溺死し、水死体として発見されます。
水死体を発見されないようにするために、河童伝説が作られたということです。恐ろしい話ですよね。
恐ろしいイメージから始まった河童ですが、今ではユーモラスで愛すべきキャラクターです。河童のイメージは変化しています。
なぜそのように変化したのでしょうか? 河童には人間を超える能力があります。馬を川の中に引きずり込むほどのパワーも持っています。普通の人間では到底かないません。その反面、河童には弱点があります。頭頂部の皿が干上がれば、とたんにパワーが無くなります。しかも人間の子供と同じ程度の体格です。愛嬌があり、ユーモラスで愛らしいキャラクターとして通用します。
日本各地の河童の里でも、可愛らしいキャラクター像を打ち出してきています。さらに小島功画伯が担当した清酒黄桜のための河童の家族は、お茶の間で親しまれるキャラクターでした。
今ではゆるキャラブームもあり、河童をモチーフにした可愛らしいキャラクターがたくさん登場しています。
本当は怖いイメージもある河童。人に害をなす妖怪としてのイメージもたくさんありました。風水害や水難事故などの象徴でもあります。 しかし現代ではどちらかと言えばユーモラスで愛らしい存在です。河童が登場する慣用句も馴染み深いものが多くあります。その中から3つを紹介しましょう。
最後に、ヘアスタイルの「おかっぱ」について触れておきましょう。この言葉も河童に似ているところからのネーミングです。ボブカットと同じ意味で用いられ、子供だけでなく、大人の女性のヘアスタイルとしても人気を集めています。河童にはファッショナブルなイメージもあり面白いですね。
次回は、日本三大妖怪についての記事を更新予定なのでぜひ御覧くださいね。
天狗っていったい何者?▼
日本三大妖怪 のひとつ「天狗」とは?各地に伝わる天狗伝説もご紹介!
鬼ってどんな妖怪?由来や民間伝承ついて解説▼
鬼の正体とは!日本三大妖怪である鬼の種類を徹底解説
日本三大妖怪は鬼と天狗と河童です。
そのなかで河童は独特の位置づけです。鬼と天狗は人間を超えた能力があり、とても怖いイメージがあります。しかし河童は少し違うと思いませんか?
もちろん妖怪なので怖い面はありますが、どことなくユーモラスです。
なぜそのように感じるのでしょうか?
ここでは河童の強さや能力、あるいは好きなものや弱点、伝説などを紹介します。河童の正体を知れば、もっと河童が好きになるかも…
なお、日本三大妖怪の鬼と天狗については、既にこのコラムで取り上げています。興味があれば、そちらもご覧下さい。
目次
河童とはどんな存在か
あなたは河童の姿を思い浮かべることができますか?
誰も見たことないはずなのに、多くの人たちが共通した認識を持っています。それはおそらく、頭のてっぺんに皿があり、口は鳥のくちばしのようで、手には水かきがあり、背中には亀の甲羅をしょっている姿でしょう。
体長は大きくなく、むしろ小柄です。人間の子供ぐらいの大きさです。それなのに人間の大人でも到底及ばないほどの力持ちでもあります。
河川、湖沼、池などの水辺に棲息していて、泳ぎも得意です。水とは切っても切れない関係があり、頭の皿にはいつもお水をたたえています。このお水が乾いてしまうと力がなくなるとも、死んでしまうとも言われています。
河童はきゅうりが好物
河童の特徴として、きゅうり好きである点も見逃せません。水と関係の深い河童は、水分をふんだんに含むきゅうりが大好きです。河童のきゅうり好きは寿司の名前にまで影響を及ぼしています。
巻き寿司の細巻きは数種類ありますが、寿司ネタによって名前が変わります。かんぴょう巻き、納豆巻き、鉄火巻き、新香巻きなどと並んで、かっぱ巻きも人気です。もちろん寿司ネタはきゅうりです。妖怪が語源のお寿司は珍しいですよね。
河童はいたずら好き
河童は子どもの化身という側面があるため、いたずら好きとしても有名です。相撲が大好きで、人間と相撲を取りたがります。相撲に勝つと相手の尻子玉(しりこだま)を抜く河童もいます。
尻子玉は人間のお尻のあたりにあるとされた架空の臓器です。実際には尻子玉は存在しません。しかし尻子玉があると考えられていた地域では、河童に尻子玉を抜かれると腑抜けになると言い伝えられています。
また、河童は川辺に近づいた馬を水中に引きずり込むいたずらもします。馬でさえも引きずり込む力を持っているのが河童なので本当は恐ろしい存在でもあります。これらの伝説は、不用意に水辺に行くと災難に遭うかもしれないので、気をつけさせるいましめのようです。
河童は水の神様?
ユーモラスだったり、いたずら好きだったりする側面がある河童ですが、神様あるいは神様の使いと見られてもいます。
水辺にいる河童は、水難を起こすことも防ぐこともできる存在です。人々を水難に遭わせないようにする人知を超えた能力を有する「神」であり「妖怪」でもあるのです。
日本は水が豊かな国ですが、反面、水による事故や災害も多発します。そのような災が起こらないように河童に願いを託しています。
そんな河童とゆかりのあるお寺、神社を4つ紹介いたします。
●曹源寺(東京都台東区)
かっぱ寺として知られています。江戸時代に行われた治水工事を隅田川の河童が手伝ったそうです。河童大明神が祭られていて、境内のいたる所に河童の像があります。
●河泊神社(かはくじんじゃ:高知県南国市)
「河泊」は河童の別の呼び方の「河伯」が変じたものですので、まさに河童神社です。毎年7月には河泊祭りが行われます。
●高橋神社(福岡県うきは市)
うきは市を流れる巨瀬川(こせがわ)流域は河童の棲息地として有名です。高橋神社では毎年9月に「かっぱ相撲」が行われてきました。子どもたちが背中に河童の甲羅を描き相撲を取る姿は河童さながらですね。
●磯良神社(いそらじんじゃ:宮城県色麻町)
「おかっぱ様」と呼ばれ、木彫りの河童が御神体です。水難よけや安産にご利益があるとのことです。色麻町は町を上げて「河童のふるさと」をアピールしています。
この他にも、日本全国にはたくさんの河童ゆかりの神社仏閣があります。あなたの身近な場所にもあるかもしれませんね。
河童の好物がきゅうりであるのも、水神へのお供え物の定番がきゅうりだからです。水の神様の化身であることのひとつの証拠ですね。
河童の由来と歴史
河童は「河(かわ)の童(わらべ)」と書きます。つまり川に住む子どもという意味ですね。ここでは河童の由来と歴史を紹介しましょう。
現代に伝わる河童は「江戸型」
河童伝説は日本全国にあります。その地方によって、呼び方や姿が少しずつ異なるようです。
河童は水辺に棲みますが、自然豊かな日本には、様々な環境の水辺があります。そこには水棲生物だけでなく、通常は陸で暮らす生物も水や餌を求めて集まります。それらの野生生物が河童の原型になりました。
カワウソ、ニホンザル、イタチ、タヌキ、キツネ、クマ、イノシシなどの哺乳類だけでなく、カメ、カエル、サンショウウオ、トカゲなどの爬虫類、両生類も水辺を訪れます。さらに鳥類も加わり、複合してその地域独特の妖怪が生み出されます。
なかでも江戸時代に文化の中心だった江戸では、江戸らしい動物たちによって河童像が作られました。カメ、ニホンザル、カエル、鳥などです。これらが組み合わさると、現代の私達が認識する河童に近くなります。すなわち、多くの人がイメージする河童は江戸型なのですね。
古代から語り継がれる水の神・妖怪説
日本は四方を海で囲まれ、山間部の多い国です。さらに降水量も多く、たくさんの川や湖、池、沼あるいは湿地帯があり自然豊かな国です。山が急峻であるため、急流や滝も数多く存在します。
日本人の暮らしは、水と密接に関係しています。古代から水難事故も多いため、災害に遭わないようにと願う気持ちも強くありました。その願いが向かう先は水の神様です。そして、災害の原因としては妖怪が作り出されます。
水の神様として広く知られているのは龍神様です。日本全国の龍神伝説は水難と深い関わりがあります。その他にもヘビ、カエル、魚などが水の神様として祭られていますが、河童もそのひとつです。
河童は水難の原因となる妖怪であるとともに、それを止めてくれる神様としても信じられています。河童の本当の姿は水の神様と妖怪を併せ持つ存在と見ていいでしょう。
河童の名称
河童は「かわのわらべ」です。「わらべ」は「わらは」とも言い、「かわのわらは」が「かわわっぱ」になり、それがつづまって「かっぱ」になりました。
また、男の子を称して「太郎」とするため、河童を「河太郎(カワタロウ)」と呼ぶ地域もあります。江戸時代の関西では「河太郎」が主流だったようです。そしてさらに変形して「ガタロ」とも呼ばれていました。
青森県では河童のことを「メドチ」あるいは「メドツ」と呼ぶことがあります。使われている地域はかなり限定されているようですが、河童に相当する妖怪と言っていいでしょう。
河童が登場する日本各地の伝説
河童伝説は日本各地に散見されます。ここではその中から代表的なふたつをご紹介します。
1つ目は岩手県遠野市に伝わる「遠野物語(とおのものがたり)」、もうひとつは熊本県相良村(さがらむら)のカッパ伝説が生まれた場所です。
岩手県遠野市 「遠野物語」
「遠野物語」は民俗学者の柳田国男が編んだ説話集で、岩手県遠野地方の伝承などを集めています。その中の55話から59話には河童(遠野物語では「川童」と記載)に関するエピソードが記してあります。
58話は河童のいたずらに関する物語です。河童の棲む小烏瀬川(こがらせがわ)の姥子淵(おばこふち)の近くで馬曳きが馬を繋いでいたところ、河童が引きずりこもうとやって来ました。馬は驚き淵から離れ、逆に厩(うまや)まで河童を連れて来ました。村人に見つかった河童は、いたずらをしないように約束し棲家を相沢(あいざわ)の滝の淵に変えたとのことです。
また59話には「他の地域の河童の顔は青いと言うけれど、遠野の河童の顔は赤い。」と書かれています。遠野の河童は特別かもしれませんね。
なお「遠野物語」は現在は青空文庫で閲覧が可能です。
青空文庫「遠野物語」
熊本県相良村 河童伝説が生まれた場所
熊本県球磨地方に位置する相良村には川辺川(かわべがわ)が流れています。この川辺川に河童が棲んでいたようです。
ある日、馬を川の中に引きずり込もうとした河童が逆に捕らえられてしまいました。可哀想に思った一人の女性が河童を逃がしてあげました。するとその日から、お礼のご馳走(魚などの食材)が毎晩届けられましたとさ…めでたしめでたし
このストーリーには後日譚があります。数年後のある日にご馳走が届けられなくなりました。河童が亡くなったのだろうということになり、お墓が作られました。相良村にはその時の河童のお墓が現在も残っています。
河童の正体
河童の正体、すなわち本当の姿はどのようなものなのでしょうか?こちらも諸説ありますが、有力説を紹介します。
安倍晴明の式神説
平安時代のスーパースター、陰陽師安倍晴明(あべのせいめい、あべのはるあきら)は自分の召使として式神を操っていました。式神とは身の回りの仕事を手伝わせるための人形のことです。
この式神が変じたものが河童になったそうです。安倍晴明の他にも役小角(えんのおづの)の配下の護法童子が変じたとの説もあります。いずれにしても優れた能力を持つ、子どもの大きさのあやかしが正体です。
間引きされた人間の子供の水死体説
河童の本当の正体として、とても悲しい説があります。それが間引きされた人間の子供の水死体説です。
江戸時代は頻繁に間引きが行われていました。間引きする子どもは川に捨てました。その子は溺死し、水死体として発見されます。
水死体を発見されないようにするために、河童伝説が作られたということです。恐ろしい話ですよね。
河童のイメージの変化
恐ろしいイメージから始まった河童ですが、今ではユーモラスで愛すべきキャラクターです。河童のイメージは変化しています。
なぜそのように変化したのでしょうか?
河童には人間を超える能力があります。馬を川の中に引きずり込むほどのパワーも持っています。普通の人間では到底かないません。その反面、河童には弱点があります。頭頂部の皿が干上がれば、とたんにパワーが無くなります。しかも人間の子供と同じ程度の体格です。愛嬌があり、ユーモラスで愛らしいキャラクターとして通用します。
日本各地の河童の里でも、可愛らしいキャラクター像を打ち出してきています。さらに小島功画伯が担当した清酒黄桜のための河童の家族は、お茶の間で親しまれるキャラクターでした。
今ではゆるキャラブームもあり、河童をモチーフにした可愛らしいキャラクターがたくさん登場しています。
本当は怖い一面も!ユーモラスで愛らしい河童
本当は怖いイメージもある河童。人に害をなす妖怪としてのイメージもたくさんありました。風水害や水難事故などの象徴でもあります。
しかし現代ではどちらかと言えばユーモラスで愛らしい存在です。河童が登場する慣用句も馴染み深いものが多くあります。その中から3つを紹介しましょう。
最後に、ヘアスタイルの「おかっぱ」について触れておきましょう。この言葉も河童に似ているところからのネーミングです。ボブカットと同じ意味で用いられ、子供だけでなく、大人の女性のヘアスタイルとしても人気を集めています。河童にはファッショナブルなイメージもあり面白いですね。
次回は、日本三大妖怪についての記事を更新予定なのでぜひ御覧くださいね。
関連記事
天狗っていったい何者?▼
日本三大妖怪 のひとつ「天狗」とは?各地に伝わる天狗伝説もご紹介!
鬼ってどんな妖怪?由来や民間伝承ついて解説▼
鬼の正体とは!日本三大妖怪である鬼の種類を徹底解説