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アグラ城はムガル帝国の歴代皇帝が築いた壮麗な城塞であり、インドの世界遺産としても登録されています。 今回はアグラ城の歴史や見どころに加え、同じく有名なタージマハルとの関係も絡めて解説していきます。
白亜に輝くインドの世界遺産、タージマハルを望む場所に、もう一つの世界遺産である赤い城があるのをご存じでしょうか?
アグラ城とは、インド北部のアグラにあるムガル帝国時代の城塞です。 デリーから約204km南、ヤムナー川の岸を、全長約2.5kmに渡って高さ約21mの赤い城壁が囲んでいます。
そして城壁の中には、想像を絶する壮麗な宮殿群が建ち並んでいるのです。
16世紀~18世紀にかけて、インドを支配したのはムガル帝国でした。 ムガル帝国とは、チンギスハンとティムールの血を引くバーブルが1526年に興したイスラム王朝です。
歴代皇帝のなかでも大帝として知られる3代皇帝アクバルは、インドで勢力を拡大しました。 民族も文化も宗教も多様なインドを、いったいどうやって統治したのでしょうか? その秘密は、多様性に寛容な統治スタイルにあったといいます。
そしてアクバルはアグラの戦略的重要性を見出し、デリーから遷都したのです。
当時この場所には、「バダールガル」と呼ばれる11世紀頃の廃墟がありました。 アクバルは1565年から再建を始め、築かれたのが現在のアグラ城です。 完成までには8年の歳月を要し、従事した職人はなんと4000人以上!
アグラ城はその赤い外観から「赤い城」と呼ばれます。 どうしてこんなに赤い城にしたのでしょうか?
実はムガル帝国において、赤は皇帝の権威を象徴する色でした。 そのためアクバルは、この地方でよく採れる赤砂岩を使い、赤くなるように城を建造したのです。
アクバル以降、アグラ城は4代皇帝ジャハーンギール、5代皇帝シャージャハーンまで3代に渡る皇帝の居城となり、その間にも改修・増築が進みました。
赤い城の内側は、意外にも外観とは対照的な純白の世界が広がっています。 これらの城内の建物のほとんどは、5代皇帝シャージャハーンが白大理石を使って造営したのです。
アグラ城は要塞から壁に囲まれた都市へと変貌を遂げ、モスクやハーレム、庭園に彩られた壮大な宮殿群で、皇帝たちの栄華が繰り広げられたのです。
アグラ城はタージマハルにまつわる美しく悲しい伝説の舞台です。
アグラ城を最後に居城とした5代皇帝シャージャハーンは15歳のとき、この城で年に一度開催されていたミーナ・バザールで、12歳の少女アルジュマンド・バヌーと出会います。
その少女は5年後にシャージャハーンと結婚し、ムムターズ・マハルと呼ばれるようになります。 彼女は14人の子供を授かりますが、36歳の若さで帰らぬ人となってしまうのです。
悲嘆に暮れたシャージャハーンが最愛の人のために白大理石で建造した霊廟が、インドの至宝「タージマハル」なのです。
タージマハルには、皇帝の深い愛情とともに帝国の財政を傾けるほどの莫大な費用も注ぎ込まれました。
タージマハルを築いたシャージャハーンの卓越した芸術性は、アグラ城の内部にも溢れています。
しかしアグラ城は最終的にシャージャハーンの牢獄になりました。 ムムターズ・マハルとの間に生まれた息子によって、城に幽閉されるのです。 詳しくは後述の「 ムサンマン・ブルジュ 」の項目でご紹介します。
シャージャハーンを幽閉した6代皇帝アウラングゼーブはアグラ城に堀を築き、城は現在の姿になりました。 しかし彼は居城をデリーに移し、その死後にはムガル帝国も衰退していくのです。
その後もアグラ城は19世紀にはイギリスの基地となり、1857年のセポイの反乱で多くの建物が破壊されるなど、激動のインドの歴史の舞台であり続けました。
イスラム建築とヒンドゥー建築が融合した独特の建築様式と、そこで華開いた帝国の政治・文化の中心地としての歴史。 アグラ城は建築的価値と歴史的価値の両方を高く評価されています。
そして「現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠」という条件を満たして、1983年にユネスコの世界遺産に登録されたのです。
アグラ城の広大な敷地内は、壮麗な宮殿やモスク、庭園が並ぶ美の世界です。 赤砂岩と白大理石の巧みなコントラストは、目を見張る鮮やかさ! アグラ城の見どころをムガル帝国の栄華を彩るエピソードもまじえて紹介します。
アグラ城を訪れた旅行者がまず通るのが、壮麗なアマル・スィン門でしょう。 ここでチケットを購入して入城することになります。
赤砂岩の重厚な造りの門は、人が通る入り口が小さく見える巨大さ。 さらに門の背後にはそびえ立つ城壁が広がり、視界いっぱいに赤い建物が迫る光景はまるで異世界のようです。
通路は坂道になっているため(体力温存の意味も込め)、ゆっくり歩きながらの観光をおすすめします。
ジャハーンギール宮殿は、3代皇帝アクバルによって息子のジャハーンギールのために建造されました。 実は城内にただ一つ残された、貴重なアクバルの時代の建造物なのです。
左右対称で均整の取れた美しい宮殿は、ヒンドゥー建築とイスラム建築が混在する独特の様式です。 赤砂岩が基調の外壁に白大理石と金で精巧な装飾が施され、目を奪わずにはおきません。 内部にはさらに細緻な装飾の世界が広がり、思わず息をのむ美しさ!
奥にムガル様式のアングリー庭園が見える中庭や、用水路が施されたテラスの優雅な佇まいにも、大帝アクバルの時代の栄華を感じられるでしょう。
ムサンマン・ブルジュは、アグラ城のなかでも最もドラマチックな場所であり最大の見どころです。
ブルジュはアラビア語で「塔」。 ドバイのブルジュハリファが有名ですね。 ムサンマンは八角形を意味し、ムサンマン・ブルジュはその名のとおり八角形をしています。
そしてこの塔にはもう一つ、「囚われの塔」という呼び名もあるのです。
5代皇帝シャージャハーンは「壮麗王」と讃えられ、ムガル帝国の歴史でも芸術が頂点に達した時代をもたらした人物です。 しかし彼は一方で、権力を握るために兄弟や親族をも処刑する残忍な一面も持っていました。
そんなシャージャハーン自身も、晩年には子供たちによる後継者争いを引き起こし、勝ち抜いた息子のアウラングゼーブによってアグラ城に幽閉されるのです。 歴史の因果を感じさせるエピソードですね!
シャージャハーンがそこから出ることを許されず人生最後の約8年を過ごした場所こそ、ムサンマン・ブルジュなのです。
塔の中は白大理石で覆われ、草花模様の彫刻ときらびやかな宝石の数々で彩られています。 まさに白大理石を好んだシャージャハーンの美意識の結晶といえるでしょう。
ムサンマン・ブルジュ最大の魅力が、ヤムナー川の対岸に望むタージマハルの姿。 失意のシャージャハーンが、最愛の妃が眠るタージマハルを眺めて余生を過ごしたエピソードは、胸を打つ物語として語りつがれています。
シャージャハーンは黒い大理石で、タージマハルと対になる自分の墓所を造ろうと考えていたそうです。 実現していたら、言葉にできない美しさだったでしょうね!
しかしシャージャハーンが他界すると、資金は不足し、息子にも疎まれていたので、その遺体はタージマハルのムムターズ・マハルの棺の隣に安置されただけでした。
現在、シャージャハーンが幽閉されていた部屋には入れませんが、隣の部屋はタージマハルが見える絶好のフォトスポットで、撮影する観光客の姿が絶えません。
ディワーニ・アームは、一般市民が皇帝に直接陳情を行うことができた公謁殿です。 もとは木造でしたが、洗練された美意識を持つ5代皇帝シャージャハーンによって白大理石で建て替えられました。
民衆が皇帝の姿を目の当たりにする場所であり、さらに裁判所でもあったこの場所は、皇帝の権威と優美さを高める設計が施されています。
花びらのような装飾が施された高さ約7mのアーチがリズミカルに連なる広間は、荘厳さのなかに繊細な技の躍動が感じられる空間です。 中央にある大理石の玉座は、美しいアーチが皇帝の姿を優雅に演出する設計になっています。
ディワーニ・アームの前には、アングリー庭園と呼ばれるムガル様式の庭園が広がります。かつてはブドウが植えられていたそうです。
アングリー庭園を挟んでディワーニ・アームの反対側にあるのが、ディワーニ・カース。
ディワーニ・アームが一般市民向けの公謁殿だったのに対して、ディワーニ・カースは高官や外国の使節を迎える貴賓謁見の間でした。 こちらはより豪華な装飾に重きが置かれ、精巧な彫刻が見どころになっています。
カース・マハル(子供たちの寝殿)は、シャージャハーンが娘のロシャナーラとジャハナーラのために建てた、家族のための私的な宮殿です。 ムムターズ・マハルの生前には、シャージャハーンはここで家族と過ごしていました。
シャージャハーンらしい白大理石の建築で、優美なアーチや細緻な彫刻や象嵌細工で彩られています。 それだけでも思わずため息が出るような美しさですが、当時はさらに、金や宝石も散りばめられた豪華な寝殿だったようです。
またカース・マハルの隣にあるシーシュ・マハルは、なんとハーレムだった場所です。 「鏡の御殿」と呼ばれ、その名のとおり鏡で飾られていました。
インドの世界遺産アグラ城は、ムガル帝国の皇帝たちが築きあげた壮麗な要塞です。 赤砂岩と白大理石が奇跡的に調和した宮殿群は政治・文化の中心地となり、タージマハルにまつわる美しい物語の舞台にもなりました。
皆さんも珠玉の装飾に込められた栄華の歴史と深い愛情を感じに、アグラ城を訪れてはいかがでしょうか?
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アグラ城はムガル帝国の歴代皇帝が築いた壮麗な城塞であり、インドの世界遺産としても登録されています。
今回はアグラ城の歴史や見どころに加え、同じく有名なタージマハルとの関係も絡めて解説していきます。
目次
アグラ城って何?
白亜に輝くインドの世界遺産、タージマハルを望む場所に、もう一つの世界遺産である赤い城があるのをご存じでしょうか?
アグラ城とは、インド北部のアグラにあるムガル帝国時代の城塞です。
デリーから約204km南、ヤムナー川の岸を、全長約2.5kmに渡って高さ約21mの赤い城壁が囲んでいます。
そして城壁の中には、想像を絶する壮麗な宮殿群が建ち並んでいるのです。
建城に8年の歳月を要したアグラ城の歴史
16世紀~18世紀にかけて、インドを支配したのはムガル帝国でした。
ムガル帝国とは、チンギスハンとティムールの血を引くバーブルが1526年に興したイスラム王朝です。
歴代皇帝のなかでも大帝として知られる3代皇帝アクバルは、インドで勢力を拡大しました。
民族も文化も宗教も多様なインドを、いったいどうやって統治したのでしょうか?
その秘密は、多様性に寛容な統治スタイルにあったといいます。
そしてアクバルはアグラの戦略的重要性を見出し、デリーから遷都したのです。
当時この場所には、「バダールガル」と呼ばれる11世紀頃の廃墟がありました。
アクバルは1565年から再建を始め、築かれたのが現在のアグラ城です。
完成までには8年の歳月を要し、従事した職人はなんと4000人以上!
アグラ城はその赤い外観から「赤い城」と呼ばれます。
どうしてこんなに赤い城にしたのでしょうか?
アグラ城が赤い理由
実はムガル帝国において、赤は皇帝の権威を象徴する色でした。
そのためアクバルは、この地方でよく採れる赤砂岩を使い、赤くなるように城を建造したのです。
アクバル以降、アグラ城は4代皇帝ジャハーンギール、5代皇帝シャージャハーンまで3代に渡る皇帝の居城となり、その間にも改修・増築が進みました。
赤い城の内側は、意外にも外観とは対照的な純白の世界が広がっています。
これらの城内の建物のほとんどは、5代皇帝シャージャハーンが白大理石を使って造営したのです。
アグラ城は要塞から壁に囲まれた都市へと変貌を遂げ、モスクやハーレム、庭園に彩られた壮大な宮殿群で、皇帝たちの栄華が繰り広げられたのです。
タージマハルとの関係
アグラ城はタージマハルにまつわる美しく悲しい伝説の舞台です。
アグラ城を最後に居城とした5代皇帝シャージャハーンは15歳のとき、この城で年に一度開催されていたミーナ・バザールで、12歳の少女アルジュマンド・バヌーと出会います。
その少女は5年後にシャージャハーンと結婚し、ムムターズ・マハルと呼ばれるようになります。
彼女は14人の子供を授かりますが、36歳の若さで帰らぬ人となってしまうのです。
悲嘆に暮れたシャージャハーンが最愛の人のために白大理石で建造した霊廟が、インドの至宝「タージマハル」なのです。
タージマハルには、皇帝の深い愛情とともに帝国の財政を傾けるほどの莫大な費用も注ぎ込まれました。
タージマハルを築いたシャージャハーンの卓越した芸術性は、アグラ城の内部にも溢れています。
しかしアグラ城は最終的にシャージャハーンの牢獄になりました。
ムムターズ・マハルとの間に生まれた息子によって、城に幽閉されるのです。
詳しくは後述の「 ムサンマン・ブルジュ 」の項目でご紹介します。
アグラ城が世界遺産に登録された理由
シャージャハーンを幽閉した6代皇帝アウラングゼーブはアグラ城に堀を築き、城は現在の姿になりました。
しかし彼は居城をデリーに移し、その死後にはムガル帝国も衰退していくのです。
その後もアグラ城は19世紀にはイギリスの基地となり、1857年のセポイの反乱で多くの建物が破壊されるなど、激動のインドの歴史の舞台であり続けました。
イスラム建築とヒンドゥー建築が融合した独特の建築様式と、そこで華開いた帝国の政治・文化の中心地としての歴史。
アグラ城は建築的価値と歴史的価値の両方を高く評価されています。
そして「現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠」という条件を満たして、1983年にユネスコの世界遺産に登録されたのです。
アグラ城の見どころ
アグラ城の広大な敷地内は、壮麗な宮殿やモスク、庭園が並ぶ美の世界です。
赤砂岩と白大理石の巧みなコントラストは、目を見張る鮮やかさ!
アグラ城の見どころをムガル帝国の栄華を彩るエピソードもまじえて紹介します。
圧倒的な質量感!「アマル・スィン門」
アグラ城を訪れた旅行者がまず通るのが、壮麗なアマル・スィン門でしょう。
ここでチケットを購入して入城することになります。
赤砂岩の重厚な造りの門は、人が通る入り口が小さく見える巨大さ。
さらに門の背後にはそびえ立つ城壁が広がり、視界いっぱいに赤い建物が迫る光景はまるで異世界のようです。
通路は坂道になっているため(体力温存の意味も込め)、ゆっくり歩きながらの観光をおすすめします。
三代目皇帝が建てた「ジャハーンギール宮殿」
ジャハーンギール宮殿は、3代皇帝アクバルによって息子のジャハーンギールのために建造されました。
実は城内にただ一つ残された、貴重なアクバルの時代の建造物なのです。
左右対称で均整の取れた美しい宮殿は、ヒンドゥー建築とイスラム建築が混在する独特の様式です。
赤砂岩が基調の外壁に白大理石と金で精巧な装飾が施され、目を奪わずにはおきません。
内部にはさらに細緻な装飾の世界が広がり、思わず息をのむ美しさ!
奥にムガル様式のアングリー庭園が見える中庭や、用水路が施されたテラスの優雅な佇まいにも、大帝アクバルの時代の栄華を感じられるでしょう。
五代目皇帝が余生を過ごした「ムサンマン・ブルジュ」
ムサンマン・ブルジュは、アグラ城のなかでも最もドラマチックな場所であり最大の見どころです。
ブルジュはアラビア語で「塔」。
ドバイのブルジュハリファが有名ですね。
ムサンマンは八角形を意味し、ムサンマン・ブルジュはその名のとおり八角形をしています。
そしてこの塔にはもう一つ、「囚われの塔」という呼び名もあるのです。
息子に幽閉されたシャージャハーン
5代皇帝シャージャハーンは「壮麗王」と讃えられ、ムガル帝国の歴史でも芸術が頂点に達した時代をもたらした人物です。
しかし彼は一方で、権力を握るために兄弟や親族をも処刑する残忍な一面も持っていました。
そんなシャージャハーン自身も、晩年には子供たちによる後継者争いを引き起こし、勝ち抜いた息子のアウラングゼーブによってアグラ城に幽閉されるのです。
歴史の因果を感じさせるエピソードですね!
シャージャハーンがそこから出ることを許されず人生最後の約8年を過ごした場所こそ、ムサンマン・ブルジュなのです。
塔の中は白大理石で覆われ、草花模様の彫刻ときらびやかな宝石の数々で彩られています。
まさに白大理石を好んだシャージャハーンの美意識の結晶といえるでしょう。
シャージャハーンの最期
ムサンマン・ブルジュ最大の魅力が、ヤムナー川の対岸に望むタージマハルの姿。
失意のシャージャハーンが、最愛の妃が眠るタージマハルを眺めて余生を過ごしたエピソードは、胸を打つ物語として語りつがれています。
シャージャハーンは黒い大理石で、タージマハルと対になる自分の墓所を造ろうと考えていたそうです。
実現していたら、言葉にできない美しさだったでしょうね!
しかしシャージャハーンが他界すると、資金は不足し、息子にも疎まれていたので、その遺体はタージマハルのムムターズ・マハルの棺の隣に安置されただけでした。
現在、シャージャハーンが幽閉されていた部屋には入れませんが、隣の部屋はタージマハルが見える絶好のフォトスポットで、撮影する観光客の姿が絶えません。
裁判所としても機能「ディワーニ・アーム」
ディワーニ・アームは、一般市民が皇帝に直接陳情を行うことができた公謁殿です。
もとは木造でしたが、洗練された美意識を持つ5代皇帝シャージャハーンによって白大理石で建て替えられました。
民衆が皇帝の姿を目の当たりにする場所であり、さらに裁判所でもあったこの場所は、皇帝の権威と優美さを高める設計が施されています。
花びらのような装飾が施された高さ約7mのアーチがリズミカルに連なる広間は、荘厳さのなかに繊細な技の躍動が感じられる空間です。
中央にある大理石の玉座は、美しいアーチが皇帝の姿を優雅に演出する設計になっています。
ディワーニ・アームの前には、アングリー庭園と呼ばれるムガル様式の庭園が広がります。かつてはブドウが植えられていたそうです。
アングリー庭園を挟んでディワーニ・アームの反対側にあるのが、ディワーニ・カース。
ディワーニ・アームが一般市民向けの公謁殿だったのに対して、ディワーニ・カースは高官や外国の使節を迎える貴賓謁見の間でした。
こちらはより豪華な装飾に重きが置かれ、精巧な彫刻が見どころになっています。
子供たちの寝殿「カース・マハル」
カース・マハル(子供たちの寝殿)は、シャージャハーンが娘のロシャナーラとジャハナーラのために建てた、家族のための私的な宮殿です。
ムムターズ・マハルの生前には、シャージャハーンはここで家族と過ごしていました。
シャージャハーンらしい白大理石の建築で、優美なアーチや細緻な彫刻や象嵌細工で彩られています。
それだけでも思わずため息が出るような美しさですが、当時はさらに、金や宝石も散りばめられた豪華な寝殿だったようです。
またカース・マハルの隣にあるシーシュ・マハルは、なんとハーレムだった場所です。
「鏡の御殿」と呼ばれ、その名のとおり鏡で飾られていました。
赤と白の城に秘められた、ムガル帝国の記憶
インドの世界遺産アグラ城は、ムガル帝国の皇帝たちが築きあげた壮麗な要塞です。
赤砂岩と白大理石が奇跡的に調和した宮殿群は政治・文化の中心地となり、タージマハルにまつわる美しい物語の舞台にもなりました。
皆さんも珠玉の装飾に込められた栄華の歴史と深い愛情を感じに、アグラ城を訪れてはいかがでしょうか?
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白夜のある意外な国スコットランドでの白夜体験記
これを読めばあなたもラジャスタン通!▼
インド・ラジャスタン州の魅力