般若の面は怒りの途中段階?!面の種類と真の意味を解説

般若の面は怖いですよね。鬼の面としてとても有名です。この面はなぜ「般若」と呼ばれるのでしょうか?

般若はもともとは仏教用語で「智慧(ちえ)」を意味します。すなわち全ての物事や道理を見抜くことです。仏様の教えとしてはとても尊いもので、般若心経は人気があります。

一方で能面の般若はとても怖い存在です。般若とは一体、どのようなものなのでしょうか?

この記事では、般若の二つの意味について解説します。

「般若」とは何か

「般若」とは、もともと仏教に由来する言葉で、その意味は「智慧」を表しています。仏教の智慧ですから、仏様が授けた様々な教えのひとつです。

「般若」のお経

「般若」のお経

日本で最も人気のあるお経は「般若心経」でしょう。正式名は「般若波羅蜜多心経」(はんにゃはらみたしんぎょう)で、宗派を超えて広く用いられています。

「般若経」と呼ばれるお経のグループがあり、これは「般若」を説くものです。主な般若経典として、次のようなお経があります。

  • 「八千頌般若経」(はっせんじゅはんにゃきょう)
  • 「金剛般若経」(こんごうはんにゃきょう)
  • 「大般若波羅蜜多経」(だいはんにゃはらみったきょう)

「般若心経」も般若経グループのひとつです。「般若」は仏教では欠かせない教えなのですね。

能面の「般若」

能面の「般若」

能面の「般若」は嫉妬と怒りを表現した怨霊の面です。嫉妬や怒りは仏教の「般若」とはかけ離れています。

実のところ、仏教の教えと能面の般若とは無関係なので分けて考える必要があります。能面の語源をたどれば、仏教の「般若」に行き着くのですが、「智慧」のことではありません。

ただ鬼面のインパクトが強くて、現代では「般若」といえば鬼のイメージを抱く人のほうが多いようです。

仏教における「般若」本来の意味

ここでは仏教における「般若」すなわち「智慧」に関して、もう少し詳しく解説します。決して堅苦しく、難しいことはないので安心してお読み下さい。

「般若」は仏教用語パンニャーの音写

「般若」は仏教用語で、パーリ語の「paññā(パンニャー)」からきています。意味は「智慧」です。

仏教はインド発祥ですので、漢字はありません。それが中国に伝来した時に、その音を聞いて漢字を充てられました。このように外来語に漢字を当てることを「音写」といいます。

「パンニャー」を漢字で「般若」と表すのは納得しますよね。それが日本に伝来し「般若」が広く行き渡っています。

仏教系では、音写がそのまま日本語として使われている言葉が他にもたくさんあります。いくつか例を示しましょう。

「仏陀:Buddha(ブッダ)」

お釈迦様のことですね。ちなみに「釈迦:Śākya(シャーキヤ)」も音写です。

「阿弥陀:Amitābha(アミターバ)」

どんなに罪の重い人でも無条件で救うことのできるとてもありがたい存在です。「あみだくじ」の語源としてもしられています。

「阿修羅:asura(アスラ)」

戦いを好む悪神あるいは仏教の守護神など、善悪取り混ぜて強い神様として理解されています。通常は「あしゅら」と呼ばれていますね。

「涅槃:nirvāṇa(ニルヴァーナ)」

仏教で悟りの境地や、苦しみから解放された境地を表します。欧米でも人気のある言葉です。

仏教における「智慧(ちえ)」の意味

「般若」の意味は「智慧」で、すなわち全ての物事や道理を見抜くことです。一般的に使われる「知恵」とは、読みは同じですが意味は少し異なります。

「知恵」は、学習で身につけた、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力を表します。つまり後天的な知識です。
それに対し「智慧」は、迷いを離れ、物事の心理を正しく観る力のことで、生まれた時から持っている先天的なものです。

仏様の教えとしてはとても尊いもので最高峰と言ってもいいでしょう。仏教ではとても大切にされている概念で、様々な場面で般若が登場します。

このように「智慧」すなわち「般若」は、仏教においてとても重要視されているものです。

雑学

般若心経はその仏の智慧を説くお経

仏教で大切にされている考え方の「般若」を言葉にまとめたものが般若経グループです。中でも最も短く馴染み深いのが「般若心経」でしょう。

「お経は長い」と思われていますが、その中にあって般若心経はわずか276文字のお経です。
そこには仏の智慧すなわち「般若」が凝縮されて、説かれています。

「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」で始まり、「色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)」などが出てくるフレーズを聞いたことがある人も多いでしょう。

「ぎゃあてい ぎゃあてい はらぎゃあてい」も人気のフレーズです。

なお般若心経の文字数に関しては諸説ありますが、最もポピュラーな276文字説で紹介しました。

能面の「般若」とは

能面の般若の面は角が生えていていかにも恐ろしいものです。この面がなぜ「般若」と呼ばれるかを解説しましょう。

能や狂言に登場する般若面

般若の面は能だけでなく、狂言でも必要です。狂言で使う時には「狂言面」と呼ばれます。

この面は、角が生え、眉間を寄せ、目を見開き、口は裂け、上下に二本ずつの牙が見えていて、とても恐ろしいものです。頭頂部は左右に分けた髪が描かれていて、ここからわかるように女性を表しています。つまり、鬼女の面です。

嫉妬と怒りを表現した怨霊の面

般若の面をよく見てみると、顔の上半分すなわち目のあたりは悲しそうな表情をしています。試しに般若の面の口の部分を隠してみて下さい。悲しそうに見えませんか?

嫉妬と怒りを表現した怨霊の面

眉根を寄せていて、悲しげに見えます。

それに対して顔の下半分は怒りに満ち溢れています。口が裂け牙が見えると、いかにも恐ろしげです。

演者が顔を伏せると悲しげな目元が目立ちます。一方、顔を上げると口元が目立って見えます。般若の面は演者の顔の傾け方ひとつで、悲しみや怒りを表すことができるのです。

これは他の能面も同じで、顔を伏せることによって悲しみを表し、顔を上げることで喜びや怒りを表すことができます。無表情に見える能面の多くは口が少しだけ開いています。その面を見る角度で表情が現れるのです。

無表情な人を「能面のような」と表現することがあります。しかし能面は意外と表情が豊かなのです。

般若の面の名前の由来

般若の面は、以前は「鬼女の面」「女の生霊の面」などと呼ばれていたようです。それがいつの間にか「般若」と呼ばれるようになり、現代ではすっかり定着しています。
般若の面の名前の由来は諸説あります。

【能面作者名説】

能面を作る面打ち師で、特に鬼女の面が上手だったのが「般若坊(はんにゃぼう)」と言う名の僧だったという説です。彼の面は特に優れており「般若坊の鬼女の面」と呼ばれました。それが次第に簡略化され、ついには「般若」になりました。
しかし年代等の史料から、この説は多少無理があるようです。

【面を付けた登場人物の台詞説】

タイトルが『葵上』という能の演目があります。源氏物語を題材にした作品です。ここでは怨霊が主人公で鬼女の面をつけて登場します。この怨霊を退散させるために般若心経が唱えられるのです。これを聞き怨霊は「やらやら恐ろしの般若声や」との台詞を発します。
つまり「鬼女が般若を聞いて退散した」ことから、鬼女の面を「般若」と呼ぶようになったのです。
他にもいくつかの説はありますが、どれも決定版ではないようです。二番目に紹介した登場人物の台詞あたりが、信憑性があるかもしれません。

般若面が登場する能の演目

般若の面が登場する主な能の演目を紹介します。

【葵上】

葵上 葵上 月岡耕漁

源氏物語が題材の能の演目です。六条御息所が光源氏の正妻である葵上に嫉妬し、生霊となり表れます。女の嫉妬は女に向かうようです。

【道成寺】

修行僧に恋した女の怨霊が白拍子となり寺に現れます。こちらもかなわぬ恋の女の嫉妬と怒りが事件を起こします。

【黒塚】

旅の山伏一行が、ある女の家に宿を借りる話です。山伏たちに女の秘密が知られ、女は鬼女となります。そして山伏の祈りで消え去ります。
他にも、般若の面が登場する演目はありますが、いずれも女の怖さと悲しさが表現されたストーリーです。

「般若面」は種類が豊富!しかも成長段階だった?!

般若は生身の女性が変貌した姿であり、変貌の要因は嫉妬と怒りです。このふたつが増幅され見た目も変わっていきます。

ここでは、般若面が登場する能の演目から、なぜ鬼女が生まれるのかを説明します。そして、変貌の様子も解説しましょう。さらに般若面の種類や、般若を使ったもうひとつの言葉「般若湯」について解説します。

般若は怒りの進化の過程、その最終形態とは?

普通の女が嫉妬と怒りをつのらせ、般若に変貌します。しかし、これはまだ途中段階で、最終的には般若よりもさらに恐ろしい姿に変貌するのです。
ここでは、嫉妬と怒りに取り憑かれた女がどのように変わっていくのかを記します。

般若は怒りの進化の過程、その最終形態とは?
怒りの段階 呼び方 詳細
第0形態 増女(ぞうおんな)

所蔵:東京国立博物館

増女(ぞうおんな) 普通の女性です。田楽師増阿弥の創作で、色白で端正、品位があります。
第1形態 泥眼(でいがん)

所蔵:東京国立博物館

泥眼(でいがん) 目と歯に金泥を施します。女性の怒りが少しずつ沈殿していく様子を表しているようです。
第2形態 橋姫(はしひめ)

所蔵:公益社団法人 宝生会

橋姫(はしひめ) 目から下が赤くなり、髪が乱れています。怒りがますます増大しているようです。
第3形態 生成(なまなり)

所蔵:東京国立博物館

生成(なまなり) 短い角が表れます。般若になりきっていないため生成と呼ばれますが、まさに鬼の一歩手前です。
第4形態 般若(はんにゃ)

所蔵:東京国立博物館

般若(はんにゃ) 中成(ちゅうなり、なかなり)とも言います。怒りが収まらずに鬼女になり、長い角が生えています。悲しみと怒りに揺れる鬼女です。
第5形態 真蛇(しんじゃ)

所蔵:公益社団法人 宝生会

真蛇(しんじゃ) 本成(ほんなり)とも言います。怒りが頂点に達し、凶悪になった姿です。人間よりも蛇に近い顔つきをしています。

般若の種類にも注目を

能面の般若には品格によって、三種類に分けられます。その三種類は、能面の色による分類です。

般若の種類にも注目を

白般若

品格の高い般若です。『葵上』の六条御息所は白般若で表現されます。

赤般若

『道成寺』には赤般若が登場します。白般若と黒般若のちょうど中間の品格です。

黒般若

最も動物的な表情を持ちます。『黒塚』の鬼女は黒般若です。

般若湯と呼ばれる『湯』とは

般若を使った言葉として有名なのが「般若湯(はんにゃとう)」です。「この湯を飲めば智慧が湧く」のですね。

実は般若湯とは、僧の間で使ういわば隠語で、「お酒」を表します。仏教には「不飲酒戒」があり、飲酒は戒律で禁じられているのです。それでも飲みたいお酒のことを「般若湯」と呼び、隠れて飲んでいました。

この言葉は一般でも使われるようになり、今でもお酒のことを「般若湯」と呼ぶ人がいます。

「智慧」と「怒り」 般若の二つの顔

現代の日本において「般若」は「智慧」と「怒り」のふたつの側面を持つ言葉です。それぞれの出どころは違います。「智慧」は仏教からの言葉で、「怒り」は能の演目から来ています。

能面の般若は人間の感情を表し、仏教の般若はそれを乗り越える智慧を示しているようです。このふたつは一見すると正反対に思えるかもしれません。

しかし考えようによっては「怒り」は執着から生まれ、智慧によって克服されるものではないでしょうか?あながち正反対とも言い切れません。このように考えるのも「智慧」すなわち「般若」があるからでしょう。

現代社会でも、般若の智慧を活かし、冷静な判断力を持つことが重要ですね。


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