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暮らしのあらゆるところ、あらゆる物事に、八百万の神が宿ると考えられてきた日本。 日本神話には、混沌とした中で天と地が分かれ、この国が生まれ、神々が生み出される物語が綴られています。
今回紹介するのは、そんな中で誕生した神様のひとり、シナツヒコ。風を司る神様です。
古の時代、人々は風が神様の吐息から生まれるのだと信じていました。 身近でありながら、人間にはどうすることもできない力を持つ風。
人々にとって、風の神シナツヒコは、一体どんな存在だったのでしょうか。 そして、現代を生きる私たちにとっての風、そして風の神様とは?
シナツヒコは、イザナギとイザナミの神生みの中で生まれた数多くの神々の一柱、風の神とされています。
神話の時代からこの国と共に歩んできた稲作にとって、風はとても大切なもの。
古の時代より、人々は農耕に適した穏やかな風が吹いてくれることに感謝し、作物を荒らすような嵐が吹かないことを祈りました。
シナツヒコという名前の「シ」は、古語で風を表わし、「ナ」は長いという意味。 「シナ」は「長い風」となります。「ツ」は助詞の働きをし、「ヒコ」は立派な男子を指しています。
また、「シナツ」は「科戸(シナト)」だという説があります。
この「科戸の風」は、大祓詞(オオハラエノコトバ)の中にも出てくる言葉。 大祓とは、半年ごとに心身についた穢れを祓うために、6月と12月、夏越の祓と年越の祓で奏上される祝詞をいいます。
「此く聞こし食してば 罪と云ふ罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲を 吹き放つことの如く」
お聞きくだされば、罪という罪はなくなるでしょう。まるで科戸の風が空の幾重にも重なる雲を吹き払うように
「科戸」は風の生まれるところ、また「科戸の風」は「いっさいの罪やけがれを吹き払う風」を意味するといいます。
『日本書記』では、シナツヒコは級長戸辺命(シナトベ)、とも記されています。
そもそも「辺」は、女性を表すとされ、シナトベは女の神様であるともいわれます。祀る神社によってはシナツヒコの姉や妻であるともいわれることも。
江戸時代の国学者、本居宣長は、『古事記伝』で賀茂真淵の説として、本来シナツヒコとシナトベは男女一対の神(双神 ナラビガミ)であり、その後同一の神とされるようになったと記しています。
「神風」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
ユーラシア大陸全域にまたがるほどの領土を誇った空前の大帝国、モンゴル帝国である元が、鎌倉時代、2度にわたって日本に攻め入りました。 有名な元寇、文永の役(1274)と弘安の役(1281)です。 その際に吹いた風のことを「神風」と呼びます。
文永の役では、2万数千人の元勢に対し日本はわずか3千の騎兵、また弘安の役では14万対6万5千で戦ったと伝わります。 さらに、まだ火薬が伝わっていない日本に対し、元は「てつほう」と呼ばれた爆薬や毒矢を使用した集団戦法でした。
そんななかで、元を退かせることができたのは、その時に吹いた暴風雨のためだと伝えられてきました。 この国を護ったのは、神のご神威で吹いた風「神風」であると信じられてきたのです。
じつは、文永の役で大きな被害を受けたことで、朝廷や幕府は、元の再びの襲来に対して入念な準備をしました。 戦法を変え、塁を築く。そして、全国各地の寺社に怨敵退散を祈祷させたといいます。
その際に勅使として伊勢神宮に派遣された大納言二条為氏は、当時内宮の末社であった風神社(ふうじんのやしろ)と外宮の末社風社(かぜのやしろ)に詣でました。
元を退けることができた結果、正応六年(1293年)、風の神のご神威でこの国が護られたとして、宮号が宣下されました。 それまで伊勢神宮内宮の末社だった風神社は、別宮「風日祈宮(かぜのみのみや)」となり、外宮の末社風社は、別宮「風宮(かぜのみや)」に昇格したのです。
植物が成長するために必要なのは、水、光、そして穏やかな風です。 米づくりでも、風は大きな役割を果たします。
同じ種類の苗が密集して植えられる水田では、稲の葉の周りに大気の層ができるため、空気の流れが悪い状態となっています。 それでは、稲の成長に必要な呼吸や光合成のための二酸化炭素の供給が滞ってしまいます。
そこで、ゆるやかな、さわさわと葉を揺らす程度の風が新しい空気を送り込む役目を果たしているのです。
また、カビや病害虫を呼ぶ湿気をやさしく拭き払い、蒸散を促すのも風。 そして暑い夏、地表近くのこもった熱を下げてくれるのも、水面をやさしく撫でる風の働きなのです。
風を司るシナツヒコは、生まれた時の記述のほかは、残念ながら記紀にその活躍などが記されていません。 『古事記』の神生みはどんどん生まれる神の中のひとりとして登場します。 『日本書紀』では、どんなふうに表されているのでしょう。
国生みを終えたイザナギとイザナミは、さらに神を生みます。
『古事記』では、大事忍男神(オオコトオシオノカミ)から始まる神生みの中で、風の神シナツヒコが生まれます。 その後、イザナギとイザナミはさらに木の神、山の神、野の神の自然神を生みました。
『日本書紀』で記されているのは、なんとも素敵なシナツヒコの誕生です。
イザナギとイザナミが共に大八洲国(オオヤシマ)を生んだ後、イザナギが言います。 「私たちが生んだ国は、いまだ朝霧に包まれていて、朝霧のよい香りが立ち込めている」。 そして、この国を覆っていた霧を吹き飛ばすため、息を吹いたのだといいます。
そうして、その息から生まれたのがシナトベ、シナツヒコです。
全国には風の神を祀る神社が数多くあります。
とくに米づくりが盛んな地域や、航海の安全を願う海の近くには、穏やかな風を願う人々に愛され続けている神社がありますよ。きっとみなさんのお近くにも。
伊勢神宮内宮、神楽殿の向かいの美しい木立を通るのが、風日祈宮への参道です。 その道を進むと、風日祈宮橋がかかる五十鈴川の支流島路川が流れています。 この風日祈宮橋を渡り、右手にあるのが風日祈宮です。
新緑の季節には、さまざまな黄緑のグラデーションが眩しいほど、秋には深い緑に赤や黄色が重なります。この橋は、伊勢神宮の中にいくつもあるパワースポットの一つ。
この風日祈宮は、もともと末社という、本社に付属する小神社でした。
それが、正宮の「わけみや」として格式の高い別宮となったのは、先ほども触れた「神風」を起こしこの国を護ったとされるシナツヒコとシナトベを祀るためです。
風日祈宮では、年に二度5月と8月に「風日祈(かざひのみ)祭」という祭事が行われ、幣帛、御蓑と御笠が奉られます。 大きな台風などによる災害がなく、穏やかな風が吹き、秋には豊かな実りがあるようにと祈ります。
伊勢は台風の被害が大きい場所。 かつては「日祈内人(ひのみのうちんど)」と呼ばれる特別な職掌が、旧暦の7・8月、二ヶ月にわたって朝夕祈願する神事が執り行われていたといいます。
【伊勢神宮 皇大神宮】
所在地:三重県伊勢市宇治館町1
この豊受大神宮は、衣食住をはじめ、暮らしに関わる農業や漁業などあらゆる産業の守り神です。
伊勢市の真ん中にもかかわらず、域内に一歩踏み入れると心洗われる静けさに包まれます。 巨木が並ぶ参道を進み、正宮へ。 正宮の前の御池にかかる亀石を渡り、左側にあるのが風宮です。
皇大神宮の風日祈宮と同じく、元寇の後、末社から外宮になって「風宮」となりました。 五穀豊穣や風の平安への祈りが捧げられてきましたが、加えて国の平安も祈られるようになりました。
【伊勢神宮 豊受大神宮】
所在地:三重県伊勢市豊川町279
奈良県の北西部、生駒郡にある龍田大社は、2100年もの長い歴史を持つ神社です。
主祭神は、天御柱大神と国御柱大神。別名、志那都比古神と志那都比売神です。
第十代崇神天皇のころ、国中で凶作や疫病が流行しました。 『延喜式』祝詞によると、そんな中、天皇の夢に神様が現れ、「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて…」というご神託を授けられたそうです。 そしてこの地が選ばれ、ご神託の通りに神社を造営すると、疫病は治り作物も豊かに実るようになったのだといいます。
飛鳥時代から、大阪と奈良を結ぶ山越えの街道だった龍田古道。 旅人はこの神社で旅の安全を祈りました。
【龍田大社】
所在地:奈良県生駒郡三郷町立野南1丁目29−1
夏を乗り切る知恵「風鈴」は、目に見えない恵みの「風」への感謝を 涼やかな音とともに、思い出させてくれます。
岩座では、自然への感謝をイメージした風鈴をご用意しています。
古来、日本では自然の恵みを享受し、感謝するという流れから、あらゆる自然物に神が宿るとする自然信仰が生まれたと考えられていました。 そんな神恩への感謝をデザインに起こした涼しげな風鈴です。
現代の私たちは、風がなぜ生まれるのかを知っています。 そして、その力がとても強大で恐ろしく、人間にはどうすることもできないということもわかっています。
ただ、暮らしのなか、何度となく思わず目を閉じてしまうような、 心地のよい風を感じることはありませんか。
立ち止まってしまっていた気持ちを、そっと後押しするような風 滞っていた空気を、さっと掃き清めるかのような風 慌ただしい毎日、季節の花の香りをやさしく運ぶ風
そんな風の向こうには、何だかわからないけれど「よきもの」の存在を感じます。 きっとそれが、現代の私たちにとっての神様という存在。
風の神様シナツヒコは、ふと気づくと、いつでもあなたのそばにいてくれるのです。
暮らしのあらゆるところ、あらゆる物事に、八百万の神が宿ると考えられてきた日本。
日本神話には、混沌とした中で天と地が分かれ、この国が生まれ、神々が生み出される物語が綴られています。
今回紹介するのは、そんな中で誕生した神様のひとり、シナツヒコ。風を司る神様です。
古の時代、人々は風が神様の吐息から生まれるのだと信じていました。
身近でありながら、人間にはどうすることもできない力を持つ風。
人々にとって、風の神シナツヒコは、一体どんな存在だったのでしょうか。
そして、現代を生きる私たちにとっての風、そして風の神様とは?
目次
シナツヒコとはどんな神様?
別宮風社、龍田大社、龍田神社、田無神社、島穴神社、風間神社、布宇神社、志那都彦神社など
シナツヒコは、イザナギとイザナミの神生みの中で生まれた数多くの神々の一柱、風の神とされています。
神話の時代からこの国と共に歩んできた稲作にとって、風はとても大切なもの。
古の時代より、人々は農耕に適した穏やかな風が吹いてくれることに感謝し、作物を荒らすような嵐が吹かないことを祈りました。
シナツヒコの名前の由来
シナツヒコという名前の「シ」は、古語で風を表わし、「ナ」は長いという意味。
「シナ」は「長い風」となります。「ツ」は助詞の働きをし、「ヒコ」は立派な男子を指しています。
また、「シナツ」は「科戸(シナト)」だという説があります。
この「科戸の風」は、大祓詞(オオハラエノコトバ)の中にも出てくる言葉。
大祓とは、半年ごとに心身についた穢れを祓うために、6月と12月、夏越の祓と年越の祓で奏上される祝詞をいいます。
「此く聞こし食してば 罪と云ふ罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲を 吹き放つことの如く」
お聞きくだされば、罪という罪はなくなるでしょう。まるで科戸の風が空の幾重にも重なる雲を吹き払うように
「科戸」は風の生まれるところ、また「科戸の風」は「いっさいの罪やけがれを吹き払う風」を意味するといいます。
級長戸辺命(シナトベ)という別名
『日本書記』では、シナツヒコは級長戸辺命(シナトベ)、とも記されています。
そもそも「辺」は、女性を表すとされ、シナトベは女の神様であるともいわれます。祀る神社によってはシナツヒコの姉や妻であるともいわれることも。
江戸時代の国学者、本居宣長は、『古事記伝』で賀茂真淵の説として、本来シナツヒコとシナトベは男女一対の神(双神 ナラビガミ)であり、その後同一の神とされるようになったと記しています。
神風のもとになった神様
「神風」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
ユーラシア大陸全域にまたがるほどの領土を誇った空前の大帝国、モンゴル帝国である元が、鎌倉時代、2度にわたって日本に攻め入りました。
有名な元寇、文永の役(1274)と弘安の役(1281)です。
その際に吹いた風のことを「神風」と呼びます。
文永の役では、2万数千人の元勢に対し日本はわずか3千の騎兵、また弘安の役では14万対6万5千で戦ったと伝わります。
さらに、まだ火薬が伝わっていない日本に対し、元は「てつほう」と呼ばれた爆薬や毒矢を使用した集団戦法でした。
そんななかで、元を退かせることができたのは、その時に吹いた暴風雨のためだと伝えられてきました。
この国を護ったのは、神のご神威で吹いた風「神風」であると信じられてきたのです。
じつは、文永の役で大きな被害を受けたことで、朝廷や幕府は、元の再びの襲来に対して入念な準備をしました。
戦法を変え、塁を築く。そして、全国各地の寺社に怨敵退散を祈祷させたといいます。
その際に勅使として伊勢神宮に派遣された大納言二条為氏は、当時内宮の末社であった風神社(ふうじんのやしろ)と外宮の末社風社(かぜのやしろ)に詣でました。
元を退けることができた結果、正応六年(1293年)、風の神のご神威でこの国が護られたとして、宮号が宣下されました。
それまで伊勢神宮内宮の末社だった風神社は、別宮「風日祈宮(かぜのみのみや)」となり、外宮の末社風社は、別宮「風宮(かぜのみや)」に昇格したのです。
米を育てる穏やかな風
植物が成長するために必要なのは、水、光、そして穏やかな風です。
米づくりでも、風は大きな役割を果たします。
同じ種類の苗が密集して植えられる水田では、稲の葉の周りに大気の層ができるため、空気の流れが悪い状態となっています。
それでは、稲の成長に必要な呼吸や光合成のための二酸化炭素の供給が滞ってしまいます。
そこで、ゆるやかな、さわさわと葉を揺らす程度の風が新しい空気を送り込む役目を果たしているのです。
また、カビや病害虫を呼ぶ湿気をやさしく拭き払い、蒸散を促すのも風。
そして暑い夏、地表近くのこもった熱を下げてくれるのも、水面をやさしく撫でる風の働きなのです。
シナツヒコに関する神話
風を司るシナツヒコは、生まれた時の記述のほかは、残念ながら記紀にその活躍などが記されていません。
『古事記』の神生みはどんどん生まれる神の中のひとりとして登場します。
『日本書紀』では、どんなふうに表されているのでしょう。
神々の誕生
国生みを終えたイザナギとイザナミは、さらに神を生みます。
『古事記』では、大事忍男神(オオコトオシオノカミ)から始まる神生みの中で、風の神シナツヒコが生まれます。
その後、イザナギとイザナミはさらに木の神、山の神、野の神の自然神を生みました。
『日本書紀』で記されているのは、なんとも素敵なシナツヒコの誕生です。
イザナギとイザナミが共に大八洲国(オオヤシマ)を生んだ後、イザナギが言います。
「私たちが生んだ国は、いまだ朝霧に包まれていて、朝霧のよい香りが立ち込めている」。
そして、この国を覆っていた霧を吹き飛ばすため、息を吹いたのだといいます。
そうして、その息から生まれたのがシナトベ、シナツヒコです。
シナツヒコをお祀りしている神社
全国には風の神を祀る神社が数多くあります。
とくに米づくりが盛んな地域や、航海の安全を願う海の近くには、穏やかな風を願う人々に愛され続けている神社がありますよ。きっとみなさんのお近くにも。
風日祈宮(かざひのみのみや)(伊勢神宮 皇大神宮の別宮)/三重県
伊勢神宮内宮、神楽殿の向かいの美しい木立を通るのが、風日祈宮への参道です。
その道を進むと、風日祈宮橋がかかる五十鈴川の支流島路川が流れています。
この風日祈宮橋を渡り、右手にあるのが風日祈宮です。
新緑の季節には、さまざまな黄緑のグラデーションが眩しいほど、秋には深い緑に赤や黄色が重なります。この橋は、伊勢神宮の中にいくつもあるパワースポットの一つ。
この風日祈宮は、もともと末社という、本社に付属する小神社でした。
それが、正宮の「わけみや」として格式の高い別宮となったのは、先ほども触れた「神風」を起こしこの国を護ったとされるシナツヒコとシナトベを祀るためです。
風日祈宮では、年に二度5月と8月に「風日祈(かざひのみ)祭」という祭事が行われ、幣帛、御蓑と御笠が奉られます。
大きな台風などによる災害がなく、穏やかな風が吹き、秋には豊かな実りがあるようにと祈ります。
伊勢は台風の被害が大きい場所。
かつては「日祈内人(ひのみのうちんど)」と呼ばれる特別な職掌が、旧暦の7・8月、二ヶ月にわたって朝夕祈願する神事が執り行われていたといいます。
【伊勢神宮 皇大神宮】
所在地:三重県伊勢市宇治館町1
風宮(かぜのみや)(伊勢神宮 豊受大神宮の別宮)/三重県
この豊受大神宮は、衣食住をはじめ、暮らしに関わる農業や漁業などあらゆる産業の守り神です。
伊勢市の真ん中にもかかわらず、域内に一歩踏み入れると心洗われる静けさに包まれます。
巨木が並ぶ参道を進み、正宮へ。
正宮の前の御池にかかる亀石を渡り、左側にあるのが風宮です。
皇大神宮の風日祈宮と同じく、元寇の後、末社から外宮になって「風宮」となりました。
五穀豊穣や風の平安への祈りが捧げられてきましたが、加えて国の平安も祈られるようになりました。
【伊勢神宮 豊受大神宮】
所在地:三重県伊勢市豊川町279
龍田大社/奈良県
奈良県の北西部、生駒郡にある龍田大社は、2100年もの長い歴史を持つ神社です。
主祭神は、天御柱大神と国御柱大神。別名、志那都比古神と志那都比売神です。
第十代崇神天皇のころ、国中で凶作や疫病が流行しました。
『延喜式』祝詞によると、そんな中、天皇の夢に神様が現れ、「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて…」というご神託を授けられたそうです。
そしてこの地が選ばれ、ご神託の通りに神社を造営すると、疫病は治り作物も豊かに実るようになったのだといいます。
飛鳥時代から、大阪と奈良を結ぶ山越えの街道だった龍田古道。
旅人はこの神社で旅の安全を祈りました。
【龍田大社】
所在地:奈良県生駒郡三郷町立野南1丁目29−1
身近に風を感じる
夏を乗り切る知恵「風鈴」は、目に見えない恵みの「風」への感謝を
涼やかな音とともに、思い出させてくれます。
岩座では、自然への感謝をイメージした風鈴をご用意しています。
•神恩風鈴
古来、日本では自然の恵みを享受し、感謝するという流れから、あらゆる自然物に神が宿るとする自然信仰が生まれたと考えられていました。
そんな神恩への感謝をデザインに起こした涼しげな風鈴です。
今を生きる私たちと風
現代の私たちは、風がなぜ生まれるのかを知っています。
そして、その力がとても強大で恐ろしく、人間にはどうすることもできないということもわかっています。
ただ、暮らしのなか、何度となく思わず目を閉じてしまうような、
心地のよい風を感じることはありませんか。
立ち止まってしまっていた気持ちを、そっと後押しするような風
滞っていた空気を、さっと掃き清めるかのような風
慌ただしい毎日、季節の花の香りをやさしく運ぶ風
そんな風の向こうには、何だかわからないけれど「よきもの」の存在を感じます。
きっとそれが、現代の私たちにとっての神様という存在。
風の神様シナツヒコは、ふと気づくと、いつでもあなたのそばにいてくれるのです。