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「日本の修道院に泊まりたい」そんな願いがついに叶いました。 修道院は堅苦しい?規制がいっぱい?それとも静がで落ち着く? 一泊二日、日本の修道院で過ごした日々を振り返ります。
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修道院の自室でまどろんでいると声がしました。 「よければお茶にしませんか?」
喜んで扉を開けます。案内されたリビングには、紅茶とお菓子が用意されていました。 シスター手作りの素朴なお菓子を想像していましたが、テーブルにはスーパーやコンビニでも見かけるお煎餅やビスケットが置かれていました。 どうやらこちらの修道院は、市販のお菓子もOKなようです。
「どうぞ、お好きなだけ」 お菓子を食べながら、シスターとお喋りをします。どうして修道院に泊まろうと思ったのか、毎日どんなスケジュールで生活しているか、仕事は何をしているのか…などなど。 修道院でシスターと話をしているのに、神様のお話は私が触れない限りでてきません。
「私たちも外に働きに出ているでしょ?金曜日の夜は動けなくなるくらい疲れているし、月曜日の朝はみんな〝仕事行きたくない~〟って言い合ってるんですよ」 そんな他愛無いお喋りが続きました。
「何も考えず、ゆっくり過ごして下さい」 最後にシスターはそう私に告げます。
「好きなだけ眠って、お風呂もゆっくり入ってね。何も気にしなくて良いからゆっくりしていって下さい」
私がお世話になった修道院は、2階建ての建物に6~8人のシスターが共同で生活をしていました。裕福な暮らしぶりが伺える地域に見合った立派な庭つきの戸建てです。
1階にはお風呂やトイレが2カ所ずつあり、私のように修道院での宿泊を希望する人向けの来客用の部屋が一つ、他に礼拝堂や神父様が使われるだろう書斎のような部屋もありました。
20畳はあるでしょうか?外国を思わせる広いキッチンにはオーブンや食糧庫もあり、調理をしながら庭を見渡せるよう壁一面に窓もしつらえてありました。食事をする専用のテーブルも広々としています。その隣りには広いリビングがあり共有のTVとPCが設置してありました。
全員が自室を持っていて、どこで過ごすかは自由。 修道院というと堅苦しい&窮屈なイメージを抱きがちですが、ルームシェアや大学生の学生寮と変わらない暮らしぶりです。
夕食の時間がやってきました。 今夜のメニューは、キーマカレーとサラダ。主食のカレーは食べられる量を自分でよそって席につくスタイルです。
清潔なキッチンクロスの上に食器が並びます。ピカピカなカトラリーや欠けのない白い食器を見ていると〝静かな暮らし、整った暮らし、清らかな暮らし〟そんな言葉が思い浮かんできます。残念ながら、普段の自分の生活とは180度違っていました。
その日、一緒に食事をするのは私を含めて3人でした。全員が席に着くと声がします。
「さぁ祈りましょう」
「慈しみに感謝してこの食事をいただきます―…」
食前の祈りが始まります。祈りの言葉を知らない私は、顔を伏せ耳を傾けることにします。
すると…
「今日は香月さんがいらっしゃっています。彼女と彼女の家族が健やかに過ごせますように」と突然シスターが私のために祈りを捧げてくれました。
誰かのために祈ることはあっても、祈られることは初めての体験。
「あなたが幸せであるように」と目の前で祈ってもらえるのは純粋に嬉しく、そして何だか恥ずかしくもありました。
野菜とスパイスがたっぷり入ったキーマカレーは、とても優しい味がしました。サラダもシャキッと歯ごたえを感じられるほど野菜が新鮮です。
聞けば、食事は当番制とのこと。基本はすべて自炊し、当番になった一人が全員分の食事を用意します。メニューは洋食でも純和食でも何でもOK。料理が苦手な人にもやっぱり順番が周ってくるそうで、「毎回、苦労している」と一人のシスターが話してくれました。 時間があえば一緒に食事を囲みますが、全員が働いているためバラバラになりがちだそうです。
温かい食事を口にしていると胸がいっぱいになりました。
「(外食以外で)誰かに食事を作ってもらったのは何年ぶりかな。」
温かい食事に、温かい会話。毎日こんな風に穏やかに暮らせたら、それだけで幸せな気がします。
「さぁ食後のお茶にしましょう」 促されるままリビングに行くと、紅茶と甘いお菓子が用意されていました。誰もが知る有名どころのチョコレートやクッキーが魔法のように次々と出てきます。
〝シスターって、こんなに甘いモノ食べていいんだ〟と驚きました。心のどこかに修道院生活=我慢や自制の構図があるため、驚かされることばかりです。 あれもこれも召し上がれと、3時のおやつの時以上に差し出されるお菓子の量に困惑していると一人のシスターが「最近では、食後のおやつの為に食事の量を減らしてるのよ」とチャーミングに教えてくれました。
おやつのためにご飯の量を減らす。自分の子どもがソレをした時、怒ったことを思い出しました。「ご飯をちゃんと食べなさい。ご飯食べない子はお菓子もなし」と。でもここは大人の世界。自分の采配で自分のことを決めています。
お喋りの後シスターは再び私に言います 「ゆっくりして下さいね。何も気にしなくて良いから」
夕食を食べてお風呂をいただき、自室に戻ったのは夜9時だったと思います。 夜の9時、日常であれば2人の子どもたちを寝かしつけるため奮闘している時刻です。嫌がる子に歯磨きをさせ、寝かしつけ、その後は食事の後片付けに明日の子どもたちの準備…一日の中で一番苛立つ忙しい時間。
でも今日は何もすべきことがありません。自分のことだけを考えていればいい幸せ。こんな早い時間から何をしよう、どうやって夜を過ごそうと思っていたのに、気が付いたら眠っていました。
静かな眠りの中に、音楽が入り込んできます。メロディーを奏でる女の人の声。男の人の低い声。立ったり座ったり、人が動く音。ゆっくり目覚めながら思い出していました。
「明日の朝6時にミサがあります。参加は自由ですから、どうぞゆっくり眠ってくださいね」
そっかミサの時間なんだ。参加するつもりだったのに、私は寝過ごしたんだ…。 シスターたちの歌う讃美歌が響きます。なんて清々しい朝。毎日こんな音色で目覚められたら良いのに…。ベッドの上で半分眠りながら、ミサの音を聞いていました。
女性だけの修道院だから、ミサの時は近くの神父さんが来て下さるのだと言っていました。やがて神父様が帰り支度をする音が聞こえてきます。気付いたら再び私は眠っていました。
再び目覚めたとき時計は8時半を回っていました。一体、何時間眠っていたのか。 ちょっとだけ恥ずかしい気持ちと共に、シスターが何度も私に口にした「ゆっくりしていって下さいね」という言葉を思い出していました。そっか、私疲れているんだ。
振り返れば日々、追い立てられる毎日。自分の体調や感情よりも家族や仕事が優先。 でも、それって自分自身が勝手に造り上げたもので、そんなこと本当はしてもしなくても良かったのだと気付きます。何も考えずのんびり暮らす中で、歪んでいたモノが正されていくようでした。 育児のあり方、夫婦のあり方、働くことの意味、勝手に色々制約をかけていたのは他でもない私自身だったようです。
身支度を整えて食卓へ行くと朝食が用意されていました。パンにヨーグルト、ジャムにバター。籠には新鮮なフルーツ。私が思い描いていた〝修道院らしい食事〟です。
「パンもヨーグルトも手作りなのよ」
「おかわりのパンも焼いてあげるから」
世話好きのシスターが次々と準備をしてくれ、人に世話をされる幸せを嚙み締めます。
「ゆっくり眠れた?」
「おかげさまで。自分でもビックリするほど眠ってしまいました」
「そう。何も気にしなくて良いから。ここではゆっくりしてね」
修道院に滞在する間、シスターは機会があるたび私に「何も気にしなくて良いから、ここではゆっくりしてね」と声掛けをしてくれました。 後に伺いましたが、この言葉は私がお世話になった修道院の奉仕の言葉の一つのようでした。 時にシスターは、戦争や地震で被災した場所に出かけていきます。そしてこの言葉を伝えるそうです。「ここは安全だから、何も気にしなくて良いから」と。
シスター曰くピンっと気が張った人は自分が疲弊していることにも気が付かない、だから何度も繰り返しその言葉を伝えるそうです。それでも心は固いまま。 だけどシスターたちに世話をされ〝ここは安全だ〟と心身が納得すると、涙したり愚痴を吐いたり、様々な反応が表れます。やがて泣くだけ泣いて心の棘を溶かした人は、また元気になって元の場所に戻っていくのだとか。
私の心の棘は「〇〇しなきゃ」でした。母親なんだから〇〇しなきゃ、子どもに〇〇させなきゃ、仕事なんだから〇〇しなきゃ。〝しなきゃ〟の嵐で素直な気持ちを見失っていました。 朝食を食べて自室で少しまどろんで、何も考えず空を見ていると、スーっと心の棘が溶けていくことに気が付きました。 まもなく帰宅の時間。私は修道院を出ていかなければなりません。この修道院を出たあとも現実は続きます。いつまでこの気持ちを保っていられるかは、私自身にかかっています。
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。 マイナーな国をメインに、世界中を旅する。 旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。 出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。 公式HP: Lucia Travel
「日本の修道院に泊まりたい」そんな願いがついに叶いました。
修道院は堅苦しい?規制がいっぱい?それとも静がで落ち着く?
一泊二日、日本の修道院で過ごした日々を振り返ります。
前回の記事は こちら
Lucia Travel連載一覧は こちら
目次
お茶にしませんか?
修道院の自室でまどろんでいると声がしました。
「よければお茶にしませんか?」
喜んで扉を開けます。案内されたリビングには、紅茶とお菓子が用意されていました。
シスター手作りの素朴なお菓子を想像していましたが、テーブルにはスーパーやコンビニでも見かけるお煎餅やビスケットが置かれていました。
どうやらこちらの修道院は、市販のお菓子もOKなようです。
「どうぞ、お好きなだけ」
お菓子を食べながら、シスターとお喋りをします。どうして修道院に泊まろうと思ったのか、毎日どんなスケジュールで生活しているか、仕事は何をしているのか…などなど。
修道院でシスターと話をしているのに、神様のお話は私が触れない限りでてきません。
「私たちも外に働きに出ているでしょ?金曜日の夜は動けなくなるくらい疲れているし、月曜日の朝はみんな〝仕事行きたくない~〟って言い合ってるんですよ」
そんな他愛無いお喋りが続きました。
「何も考えず、ゆっくり過ごして下さい」
最後にシスターはそう私に告げます。
「好きなだけ眠って、お風呂もゆっくり入ってね。何も気にしなくて良いからゆっくりしていって下さい」
まるでルームシェア 穏やかな共同生活
私がお世話になった修道院は、2階建ての建物に6~8人のシスターが共同で生活をしていました。裕福な暮らしぶりが伺える地域に見合った立派な庭つきの戸建てです。
1階にはお風呂やトイレが2カ所ずつあり、私のように修道院での宿泊を希望する人向けの来客用の部屋が一つ、他に礼拝堂や神父様が使われるだろう書斎のような部屋もありました。
20畳はあるでしょうか?外国を思わせる広いキッチンにはオーブンや食糧庫もあり、調理をしながら庭を見渡せるよう壁一面に窓もしつらえてありました。食事をする専用のテーブルも広々としています。その隣りには広いリビングがあり共有のTVとPCが設置してありました。
全員が自室を持っていて、どこで過ごすかは自由。
修道院というと堅苦しい&窮屈なイメージを抱きがちですが、ルームシェアや大学生の学生寮と変わらない暮らしぶりです。
あなたのために祈ります
夕食の時間がやってきました。
今夜のメニューは、キーマカレーとサラダ。主食のカレーは食べられる量を自分でよそって席につくスタイルです。
清潔なキッチンクロスの上に食器が並びます。ピカピカなカトラリーや欠けのない白い食器を見ていると〝静かな暮らし、整った暮らし、清らかな暮らし〟そんな言葉が思い浮かんできます。残念ながら、普段の自分の生活とは180度違っていました。
その日、一緒に食事をするのは私を含めて3人でした。全員が席に着くと声がします。
「さぁ祈りましょう」
「慈しみに感謝してこの食事をいただきます―…」
食前の祈りが始まります。祈りの言葉を知らない私は、顔を伏せ耳を傾けることにします。
すると…
「今日は香月さんがいらっしゃっています。彼女と彼女の家族が健やかに過ごせますように」と突然シスターが私のために祈りを捧げてくれました。
誰かのために祈ることはあっても、祈られることは初めての体験。
「あなたが幸せであるように」と目の前で祈ってもらえるのは純粋に嬉しく、そして何だか恥ずかしくもありました。
得意でも不得意でも食事係は当番制
野菜とスパイスがたっぷり入ったキーマカレーは、とても優しい味がしました。サラダもシャキッと歯ごたえを感じられるほど野菜が新鮮です。
聞けば、食事は当番制とのこと。基本はすべて自炊し、当番になった一人が全員分の食事を用意します。メニューは洋食でも純和食でも何でもOK。料理が苦手な人にもやっぱり順番が周ってくるそうで、「毎回、苦労している」と一人のシスターが話してくれました。
時間があえば一緒に食事を囲みますが、全員が働いているためバラバラになりがちだそうです。
温かい食事を口にしていると胸がいっぱいになりました。
「(外食以外で)誰かに食事を作ってもらったのは何年ぶりかな。」
温かい食事に、温かい会話。毎日こんな風に穏やかに暮らせたら、それだけで幸せな気がします。
食後にはおやつタイム
「さぁ食後のお茶にしましょう」
促されるままリビングに行くと、紅茶と甘いお菓子が用意されていました。誰もが知る有名どころのチョコレートやクッキーが魔法のように次々と出てきます。
〝シスターって、こんなに甘いモノ食べていいんだ〟と驚きました。心のどこかに修道院生活=我慢や自制の構図があるため、驚かされることばかりです。
あれもこれも召し上がれと、3時のおやつの時以上に差し出されるお菓子の量に困惑していると一人のシスターが「最近では、食後のおやつの為に食事の量を減らしてるのよ」とチャーミングに教えてくれました。
おやつのためにご飯の量を減らす。自分の子どもがソレをした時、怒ったことを思い出しました。「ご飯をちゃんと食べなさい。ご飯食べない子はお菓子もなし」と。でもここは大人の世界。自分の采配で自分のことを決めています。
お喋りの後シスターは再び私に言います
「ゆっくりして下さいね。何も気にしなくて良いから」
ミサの声で目覚める朝
夕食を食べてお風呂をいただき、自室に戻ったのは夜9時だったと思います。
夜の9時、日常であれば2人の子どもたちを寝かしつけるため奮闘している時刻です。嫌がる子に歯磨きをさせ、寝かしつけ、その後は食事の後片付けに明日の子どもたちの準備…一日の中で一番苛立つ忙しい時間。
でも今日は何もすべきことがありません。自分のことだけを考えていればいい幸せ。こんな早い時間から何をしよう、どうやって夜を過ごそうと思っていたのに、気が付いたら眠っていました。
静かな眠りの中に、音楽が入り込んできます。メロディーを奏でる女の人の声。男の人の低い声。立ったり座ったり、人が動く音。ゆっくり目覚めながら思い出していました。
「明日の朝6時にミサがあります。参加は自由ですから、どうぞゆっくり眠ってくださいね」
そっかミサの時間なんだ。参加するつもりだったのに、私は寝過ごしたんだ…。
シスターたちの歌う讃美歌が響きます。なんて清々しい朝。毎日こんな音色で目覚められたら良いのに…。ベッドの上で半分眠りながら、ミサの音を聞いていました。
女性だけの修道院だから、ミサの時は近くの神父さんが来て下さるのだと言っていました。やがて神父様が帰り支度をする音が聞こえてきます。気付いたら再び私は眠っていました。
〇〇しなきゃの思い込み
再び目覚めたとき時計は8時半を回っていました。一体、何時間眠っていたのか。
ちょっとだけ恥ずかしい気持ちと共に、シスターが何度も私に口にした「ゆっくりしていって下さいね」という言葉を思い出していました。そっか、私疲れているんだ。
振り返れば日々、追い立てられる毎日。自分の体調や感情よりも家族や仕事が優先。
でも、それって自分自身が勝手に造り上げたもので、そんなこと本当はしてもしなくても良かったのだと気付きます。何も考えずのんびり暮らす中で、歪んでいたモノが正されていくようでした。
育児のあり方、夫婦のあり方、働くことの意味、勝手に色々制約をかけていたのは他でもない私自身だったようです。
身支度を整えて食卓へ行くと朝食が用意されていました。パンにヨーグルト、ジャムにバター。籠には新鮮なフルーツ。私が思い描いていた〝修道院らしい食事〟です。
「パンもヨーグルトも手作りなのよ」
「おかわりのパンも焼いてあげるから」
世話好きのシスターが次々と準備をしてくれ、人に世話をされる幸せを嚙み締めます。
「ゆっくり眠れた?」
「おかげさまで。自分でもビックリするほど眠ってしまいました」
「そう。何も気にしなくて良いから。ここではゆっくりしてね」
魔法の言葉「ゆっくりしてね」
修道院に滞在する間、シスターは機会があるたび私に「何も気にしなくて良いから、ここではゆっくりしてね」と声掛けをしてくれました。
後に伺いましたが、この言葉は私がお世話になった修道院の奉仕の言葉の一つのようでした。
時にシスターは、戦争や地震で被災した場所に出かけていきます。そしてこの言葉を伝えるそうです。「ここは安全だから、何も気にしなくて良いから」と。
シスター曰くピンっと気が張った人は自分が疲弊していることにも気が付かない、だから何度も繰り返しその言葉を伝えるそうです。それでも心は固いまま。
だけどシスターたちに世話をされ〝ここは安全だ〟と心身が納得すると、涙したり愚痴を吐いたり、様々な反応が表れます。やがて泣くだけ泣いて心の棘を溶かした人は、また元気になって元の場所に戻っていくのだとか。
私の心の棘は「〇〇しなきゃ」でした。母親なんだから〇〇しなきゃ、子どもに〇〇させなきゃ、仕事なんだから〇〇しなきゃ。〝しなきゃ〟の嵐で素直な気持ちを見失っていました。
朝食を食べて自室で少しまどろんで、何も考えず空を見ていると、スーっと心の棘が溶けていくことに気が付きました。
まもなく帰宅の時間。私は修道院を出ていかなければなりません。この修道院を出たあとも現実は続きます。いつまでこの気持ちを保っていられるかは、私自身にかかっています。
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筆者プロフィール:R.香月(かつき)
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。
マイナーな国をメインに、世界中を旅する。
旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。
出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。
公式HP: Lucia Travel