人気のキーワード
★隙間時間にコラムを読むならアプリがオススメ★
「人種のるつぼ」と言われるハワイでは、様々な人種や言語、生活様式が混ざり合い、ハワイ独自の文化を形成しています。
人口における人種の割合は、フィリピン、日本、中国、ベトナム、韓国などアジア系民族が約40%と最も多く、次にアメリカやヨーロッパからの白人が約20%、ネイティブハワイアンが約10%。突出して多い人種がいないことも、うまく共存できている要因なのかもしれません。
実際ハワイに行くと、どこへ行っても日本をルーツに持つ名前をたくさん目にしますよね。このことから日本からの移民も多かったことがうかがえます。
今回は、ハワイで見かける様々な名前について、ハワイにおける移民の歴史を振り返りながら、紐解いていこうと思います。
ハワイに住む移民たちは「いつ、どこから、何のために」ハワイへやって来たのでしょうか。時代を追って順番に見ていきましょう。
かつて無人島だったハワイ。今からさかのぼること約1,500年前、マルケサス諸島からポリネシア人がハワイ島にやってきたのが古代ハワイアンのルーツ。
彼らは天文学を利用した高度な航海知識を持つ海洋民族。食糧や住む場所を求め、ハワイにやってきたといわれています。
星や月、太陽の位置を頼りに、遥か遠く3,200km以上も離れたハワイまで、カヌーに乗って渡ってきたというのだから驚きです。
次にやって来たのはタヒチからの大規模な移住民でした。ポリネシア人が初めてハワイ島に到着してから約500年後のこと。当時ハワイには食料となるものがなかったことから、彼らは故郷から持ち込んだ植物や種を栽培し、暮らしていました。
これらの植物は、カヌーに乗ってやってきた「カヌープラント」と呼ばれています。タロイモ、パンの実、バナナは主食として、ククイやココヤシは燃料として、古くからハワイアンの暮らしを支えてきました。
マルケサス諸島からの最初の移民と、タヒチからの大規模移住民を合わせて「ネイティブハワイアン」と呼びます。彼らは自国の信仰や、厳しいカプ制度などを伝え、古代ハワイの基盤を築きました。
1778年探検家ジェームズクックのハワイ諸島発見によりハワイに転機が訪れます。 それまでは太平洋の孤島だったハワイは、西洋人の知るところとなりました。
ヨーロッパとアメリカの中間地点に位置するハワイは、貿易船の越冬や、食料補給のために好都合。西洋から多くの貿易船がハワイに訪れるようになったのです。
19世紀に入ると、ハワイはその立地を生かし、今度はアメリカの捕鯨船の補給地として繁栄。当時鯨油は貴重な燃料資源として取引されたため、捕鯨業はハワイの経済を支える産業へと発展しました。全盛期には400隻もの捕鯨船がハワイに寄港したとか。
その後1820年には、アメリカのボストンよりプロテスタント宣教師の一団がハワイ島に上陸。熱心な布教活動により、多くのハワイアンがキリスト教へ改宗しました。
このように18世紀後半から19世紀前半にかけてヨーロッパやアメリカから多くの人が訪れ、ハワイの西洋化が進んでいきました。
1859年石油が発見されると、捕鯨業の時代は終わりを告げます。20世紀になると砂糖・パイナップル農園がハワイ経済の中心となっていきました。
プランテーション(大規模農園)では多くの労働者が必要です。しかし皮肉にも、当時西洋人の往来が増えるにつれ彼らが持ち込んだ疫病によりハワイアンの人口は1/3〜1/4にまで激減。
ハワイでは農園の労働力を補うため、海外からの移民受け入れを決定。中国、ポルトガル、プエルトリコ、フィリピン、そして日本など、アジアを中心とした国々から多くの移民がやってきました。
移民政策の結果、ハワイの人口構成が多様化。彼らはそれぞれ自国の生活様式や食文化、言語や信仰など様々な文化を持ち込み、やがてハワイに根付いていきました。
この時代に農園の労働力としてアジア各国からやってきた移民が、後のハワイ文化の多様性に大きな影響を与えることになります。
苗字には先祖の歴史が刻まれています。苗字を知ることはその人のルーツを知ること。「人種のるつぼ」といわれるハワイでは実に様々な苗字が存在しているのです。
ポリネシアやタヒチにルーツを持つネイティブハワイアン。西洋化により、すべてのハワイアンが苗字を持つことを義務付けられました。
苗字を持っていなかった人は、名前(ファーストネーム)が苗字に変換されることもあったそうです。ではハワイアンの伝統的な苗字とその意味をいくつか挙げてみましょう。
日本では少し考えにくいのですが、ハワイアンの名前には様々な意味や思いが込められているそうです。
ハワイにはプランテーション時代の日系移民の子孫がたくさん暮らしています。「Yamamoto」「Tanaka」「Matsumoto」など、名前を見ると日本にルーツがあることがわかります。
例えば、ハワイの空の玄関口「ダニエル・K・イノウエ国際空港(旧ホノルル国際空港)」。日系初のアメリカ議員で「現在のハワイを作り上げた人物」とされるダニエル・ケン・イノウエ氏にちなんで付けられた名前です。
レインボーカラーのカラフルなかき氷でお馴染み、オアフ島ノースショアにある「マツモトシェーブアイス」。日系人のマツモトマモルさんが1951年にハレイワにて創業し、今ではハワイを代表する名物店となりました。
他にも、モロカイ島にある「カネミツベーカリー」は1935年日系人の兼光さんがオープンしたパン屋さん。人が少ないモロカイ島にもかかわらず、名物のモロカイブレッドを求めて、焼き上がりの夜10時頃には店に行列ができるほど大人気のお店です。
ミュージシャンでは、世界的ウクレレ奏者「ジェイク・シマブクロ」さんも日系5世。ハワイには沖縄からの移民も多く「島袋」「比嘉」などの沖縄ルーツの苗字を持つ方も多いのです。
ハワイに住んでいる日系人はアメリカ国籍。日本の苗字を持っているからといって日本人ではありません。では、もし日本人が日本の苗字を持つ日系アメリカ人と結婚した場合、名前はどうなるのでしょう?
例えば、日本人の明子さんが日系アメリカ人のジェイムズ タナカさんと結婚した場合。アメリカ(ハワイ)での正式表記は「Akiko Tanaka」、日本の戸籍謄本に登録する際は「タナカ 明子」となります。
つまりお相手のジェイムズ タナカさんの苗字「タナカ」はすでに英語化されているため、漢字の「田中」ではなく、カタカナ表記になるわけです。なんだかトリッキーですね。
ハワイは「人種のるつぼ」、実に様々な人種が暮らしています。 彼らが持ち込んだ故郷の生活様式や食文化などが互いにミックスされ、今の多様なハワイ文化を形づくっていると言っても過言ではありません。
そして、もう一つ彼らが残したのは「名前(苗字)」。名前を見ればその人のルーツが一目でわかります。ハワイの街で日本ルーツの名前のお店や有名スポットを目にすると、少し誇らしい気持ちになるのは私だけでしょうか?
「人種のるつぼ」と言われるハワイでは、様々な人種や言語、生活様式が混ざり合い、ハワイ独自の文化を形成しています。
人口における人種の割合は、フィリピン、日本、中国、ベトナム、韓国などアジア系民族が約40%と最も多く、次にアメリカやヨーロッパからの白人が約20%、ネイティブハワイアンが約10%。突出して多い人種がいないことも、うまく共存できている要因なのかもしれません。
実際ハワイに行くと、どこへ行っても日本をルーツに持つ名前をたくさん目にしますよね。このことから日本からの移民も多かったことがうかがえます。
今回は、ハワイで見かける様々な名前について、ハワイにおける移民の歴史を振り返りながら、紐解いていこうと思います。
目次
ハワイの移民文化と歴史
ハワイに住む移民たちは「いつ、どこから、何のために」ハワイへやって来たのでしょうか。時代を追って順番に見ていきましょう。
ポリネシア人がハワイへ(約1,500年前)
かつて無人島だったハワイ。今からさかのぼること約1,500年前、マルケサス諸島からポリネシア人がハワイ島にやってきたのが古代ハワイアンのルーツ。
彼らは天文学を利用した高度な航海知識を持つ海洋民族。食糧や住む場所を求め、ハワイにやってきたといわれています。
星や月、太陽の位置を頼りに、遥か遠く3,200km以上も離れたハワイまで、カヌーに乗って渡ってきたというのだから驚きです。
タヒチからの大規模移住(約1,000年前)
次にやって来たのはタヒチからの大規模な移住民でした。ポリネシア人が初めてハワイ島に到着してから約500年後のこと。当時ハワイには食料となるものがなかったことから、彼らは故郷から持ち込んだ植物や種を栽培し、暮らしていました。
これらの植物は、カヌーに乗ってやってきた「カヌープラント」と呼ばれています。タロイモ、パンの実、バナナは主食として、ククイやココヤシは燃料として、古くからハワイアンの暮らしを支えてきました。
マルケサス諸島からの最初の移民と、タヒチからの大規模移住民を合わせて「ネイティブハワイアン」と呼びます。彼らは自国の信仰や、厳しいカプ制度などを伝え、古代ハワイの基盤を築きました。
西洋からの移民【捕鯨時代】(18世紀後半~19世紀前半)
1778年探検家ジェームズクックのハワイ諸島発見によりハワイに転機が訪れます。
それまでは太平洋の孤島だったハワイは、西洋人の知るところとなりました。
ヨーロッパとアメリカの中間地点に位置するハワイは、貿易船の越冬や、食料補給のために好都合。西洋から多くの貿易船がハワイに訪れるようになったのです。
19世紀に入ると、ハワイはその立地を生かし、今度はアメリカの捕鯨船の補給地として繁栄。当時鯨油は貴重な燃料資源として取引されたため、捕鯨業はハワイの経済を支える産業へと発展しました。全盛期には400隻もの捕鯨船がハワイに寄港したとか。
その後1820年には、アメリカのボストンよりプロテスタント宣教師の一団がハワイ島に上陸。熱心な布教活動により、多くのハワイアンがキリスト教へ改宗しました。
このように18世紀後半から19世紀前半にかけてヨーロッパやアメリカから多くの人が訪れ、ハワイの西洋化が進んでいきました。
アジアからの移民【プランテーション時代】(19世紀後半~20世紀)
1859年石油が発見されると、捕鯨業の時代は終わりを告げます。20世紀になると砂糖・パイナップル農園がハワイ経済の中心となっていきました。
プランテーション(大規模農園)では多くの労働者が必要です。しかし皮肉にも、当時西洋人の往来が増えるにつれ彼らが持ち込んだ疫病によりハワイアンの人口は1/3〜1/4にまで激減。
ハワイでは農園の労働力を補うため、海外からの移民受け入れを決定。中国、ポルトガル、プエルトリコ、フィリピン、そして日本など、アジアを中心とした国々から多くの移民がやってきました。
移民政策の結果、ハワイの人口構成が多様化。彼らはそれぞれ自国の生活様式や食文化、言語や信仰など様々な文化を持ち込み、やがてハワイに根付いていきました。
この時代に農園の労働力としてアジア各国からやってきた移民が、後のハワイ文化の多様性に大きな影響を与えることになります。
ハワイにはどんな苗字がある?
苗字には先祖の歴史が刻まれています。苗字を知ることはその人のルーツを知ること。「人種のるつぼ」といわれるハワイでは実に様々な苗字が存在しているのです。
ハワイアンの伝統的な名前
ポリネシアやタヒチにルーツを持つネイティブハワイアン。西洋化により、すべてのハワイアンが苗字を持つことを義務付けられました。
苗字を持っていなかった人は、名前(ファーストネーム)が苗字に変換されることもあったそうです。ではハワイアンの伝統的な苗字とその意味をいくつか挙げてみましょう。
日本では少し考えにくいのですが、ハワイアンの名前には様々な意味や思いが込められているそうです。
日本にルーツのある名前
ハワイにはプランテーション時代の日系移民の子孫がたくさん暮らしています。「Yamamoto」「Tanaka」「Matsumoto」など、名前を見ると日本にルーツがあることがわかります。
例えば、ハワイの空の玄関口「ダニエル・K・イノウエ国際空港(旧ホノルル国際空港)」。日系初のアメリカ議員で「現在のハワイを作り上げた人物」とされるダニエル・ケン・イノウエ氏にちなんで付けられた名前です。
レインボーカラーのカラフルなかき氷でお馴染み、オアフ島ノースショアにある「マツモトシェーブアイス」。日系人のマツモトマモルさんが1951年にハレイワにて創業し、今ではハワイを代表する名物店となりました。
他にも、モロカイ島にある「カネミツベーカリー」は1935年日系人の兼光さんがオープンしたパン屋さん。人が少ないモロカイ島にもかかわらず、名物のモロカイブレッドを求めて、焼き上がりの夜10時頃には店に行列ができるほど大人気のお店です。
ミュージシャンでは、世界的ウクレレ奏者「ジェイク・シマブクロ」さんも日系5世。ハワイには沖縄からの移民も多く「島袋」「比嘉」などの沖縄ルーツの苗字を持つ方も多いのです。
日本名でもカタカナ表記?
ハワイに住んでいる日系人はアメリカ国籍。日本の苗字を持っているからといって日本人ではありません。では、もし日本人が日本の苗字を持つ日系アメリカ人と結婚した場合、名前はどうなるのでしょう?
例えば、日本人の明子さんが日系アメリカ人のジェイムズ タナカさんと結婚した場合。アメリカ(ハワイ)での正式表記は「Akiko Tanaka」、日本の戸籍謄本に登録する際は「タナカ 明子」となります。
つまりお相手のジェイムズ タナカさんの苗字「タナカ」はすでに英語化されているため、漢字の「田中」ではなく、カタカナ表記になるわけです。なんだかトリッキーですね。
名前を見ればルーツがわかる!
ハワイは「人種のるつぼ」、実に様々な人種が暮らしています。
彼らが持ち込んだ故郷の生活様式や食文化などが互いにミックスされ、今の多様なハワイ文化を形づくっていると言っても過言ではありません。
そして、もう一つ彼らが残したのは「名前(苗字)」。名前を見ればその人のルーツが一目でわかります。ハワイの街で日本ルーツの名前のお店や有名スポットを目にすると、少し誇らしい気持ちになるのは私だけでしょうか?