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みなさんは3月28日がシルクロードの日であることをご存じですか。 1900年のこの日、スウェーデンの地理学者のスヴェン・ヘディンがシルクロードの古代都市を発見したことに由来しています。
シルクロードは中学校・高校の社会の授業で聞いた方も多いのではないでしょうか。 今回は陸路ではなく、海のシルクロードの魅力ある歴史を紹介していきます。
シルクロードと呼ばれているルートは3つにあります。
ステップルート(陸路):北アジアの草原を中心に、中国北東部から東ヨーロッパまでを結ぶルート。
オアシスルート(陸路):中央アジアの乾燥地帯にあるオアシス都市を結び、東西を最短で結ぶルート。乾燥に強いラクダによる隊商(キャラヴァン)が主な輸送手段。
オアシスルートについて詳しくは こちら 。
海上ルート(海路): ※シルクロードは商人が他国に商品を届けたり、交易をしたりするときに通った道です。 以下で海上ルート(海のシルクロード)の歴史をみていきましょう。
海のシルクロードの歴史を大きく2つの時間に分けてみていきましょう。
1世紀ごろ、ギリシャ系商人が紅海やペルシャ湾を通り、インド洋に出ていくルートを作りました。 ルートを作ったはじめは主にインドと貿易をし、後々に東南アジアや中国まで広げていきました。 当時は正確な地図やコンパスがなく、一歩間違えば危険な船旅。ギリシャ系商人のルートを作る強い気持ちが感じられますね。
8世紀以降は、イスラム教を信仰する商人(ムスリム商人)が紅海、アラビア海を中心に活発な海上貿易活動が始めていきます。
11世紀以降は、中国の力が強くなり中国の商人が東南アジアからインド洋に進出し、ムスリム商人などと交易を始めていきました。
15世紀から17世紀にかけてはヨーロッパ人がアフリカやアジア、アメリカ大陸などへの大規模な航海がおこなわれました。 大航海時代の航海士としてはコロンブス、バスコ・ダ・ガマ、マゼランなどが有名です。 航海士らのおかげで航路が作られ、ヨーロッパ人はさまざまな場所に出かけ特産物を手に入れたり、植民地を広げていったりしました。
海のシルクロードではさまざまな人や物の動きがありました。 いったいどのような人たちが関わり、何が運ばれたのかみていきましょう。
海のシルクロードは大きくヨーロッパから東アジアまでを結ぶ海上ルートで、主に以下の人たちが交易で使っていました。
1世紀ごろ、ローマ帝国が地中海全体を支配していた時に海上貿易に従事していました。
海のシルクロードの経由地になっていた東アフリカにて交易をおこなっていました。
イスラム教を信仰し、紅海・ペルシャ海沿岸を中心に交易をおこなっていました。
1世紀ごろからヨーロッパやアジアの国と交易をし、香辛料や香料などを輸出していました。
独自の航海術で沿岸各地に国をつくり、国同士の間で海上貿易をさかんにおこなっていました。
東南アジアやインド、ヨーロッパなどを中心に交易をおこなっていました。
海のシルクロードでは商人たちによってどのようなものが運ばれていたのでしょうか。 以下が各地域から運ばれた主なものです。
インドや東南アジアからは主に香辛料や織物、象牙などが各地に運ばれました。
特に香辛料とても人気の高い商品でした。ヨーロッパでは冬前に家畜の肉を塩漬けにして保存食を作る習慣がありました。 塩漬け肉は食べる際、そのままだとにおいが強かったため、におい消しやパンチをきかせることができる香辛料は大変重宝されたそうです。 中でもコショウは人気が高く、中世ヨーロッパでは「コショウのように高価なもの」というように価値の高いものを例えるときに使われていました。
中国からは絹や香水、陶磁器などが各地に運ばれました。
特に絹は人気が高く、ムスリム商人が多く中国内に訪れていたようです。そんなムスリム商人らを中国人は「大食(タージー)」と呼んでいました。大食いや暴食という意味にあたるので、ムスリム商人がいかに中国の絹製品を買い込んでいたのかがわかりますね。
中国の白い陶磁器はヨーロッパ人から人気が高いものでした。船は重い陶磁器を大量に運ぶのに適していました。陶磁器が多くヨーロッパに船によって運ばれたため、航海ルートは「陶磁の道」と呼ばれていました。
中央アジアからはガラスなどの工芸品やスイカなどの果物、キリンなどの動物が運ばれました。 ウズベギスタンのシルクロードの要衝地として栄えたサマルカンド。ここで作られたガラスは品質が良く、高く評価されました。 中国では商人の鄭和(ていわ)がキリンを本国まで連れて帰り、当時の中国の皇帝(永楽帝)があまりの首の長さにとても驚いたそうです。
ヨーロッパからは皮製品や絵画、奴隷などが運ばれました。 奴隷は当時貴重な労働力として交易で商品として売買されていました。
海のシルクロードで使われていた船は各地域によってさまざまなです。 以下で航海時に使用された船の特徴を見ていきましょう。
アジアを中心にさまざまな地域でみられる木造の船です。 くぎなどの金属を使わず、木材を動物の腱や植物のツルなどで縫い合わせて作るのが特徴です。 金属が使われるようになってからも材料費をおさえるために長く使われていました。
ムスリム商人が使っていた大型の木造帆船です。 大きな三角形の帆を使うのが特徴で、インド洋の季節風を生かして広い範囲で交易をおこなっていました。
中国商人が使っていた木造の帆船です。 船には帆を張るための3本の柱があり、角形の帆を使うのが特徴で大型から中型のものが主流で使われていました。
海のシルクロードが使われていた当時は今のような頑丈な船、地図などがありませんでした。 商人たちはどのように航路をすすんでいたのでしょうか? 4つポイントに分けて見ていきましょう。
地域によって吹く方向が異なる風を季節風(東南アジアなどではモンスーン)といいます。 アラビア海では、6月から9月にかけて南西方向、10月から5月にかけて北西方向から風が吹きます。 古代ローマでは、季節風ことは当時の有名な天文学者の名前をとって「ヒッパルコスの風」というユニークな名前で呼ばれていたそうです。 商人たちは風の吹く方向を考え、帆を張りさまざまな土地へ交易をしに行ったのです。
風と並んで航海のときに大切にされたのが海流です。 海流に船をのせることで流れる方向に船を進めることができます。 もし流れる方向をまちがった場合は船があらぬ方向に進むことも… 実際、大航海時代に活躍したコロンブスは「カナリア海流」「北赤道海流」「メキシコ湾流」「北大西洋海流」の4つの海流を使い、ポルトガルとカリブ海を行き来しました。
航海では常に自分の位置と方位を知らなくてはいけません。 オセアニア地方で使われていた航海術は、星・星座・太陽・月など自然のものを利用したものでした。 ポリネシアンは、自分の島の真上を通過する星を「ゼニース ・スター」(天頂の星)と呼び、南北の方向を確認する目印にしていました。
大航海時代になると航海士らによって大陸や海の位置や大きさが伝えられるようになります。 情報を基に地図は書きかえられどんどん新しいものになっていきました。 ただ当時は印刷技術がそこまで発展しておらず、手書きが主流だったこともあり地図1枚あたりの値段はかなり高額なものでした。 地図が新しくなっていく一方、手書きで地図を書いていた人たちは大変だったことでしょう。 出来上がった地図をガラスの球体などに貼り付けたものが地球儀として使われました。
海のシルクロードを通った船の中には、海賊や悪天候によって目的地に着けずに沈没した船も多くあるのが事実です。 現在、さまざまな国が沈没船の引き上げ作業をおこなっています。 引き上げによって船がどこから来たものか、何の目的で航海したのかなどがわかります。 海底に眠っていたかつての交易の品々も引き上げられ、研究や博物館で展示されていて実際に見ることも可能です。 沈没船は歴史や交易商人たちの思いが残ったものと考えるととてもロマンチックですね。
陸路ではなく、海上につくられたシルクロード。 海を渡り、交易をおこないに出かけた人たちの思いは陸路とはまた違う魅力があります。 今もなお、沈没船の引き上げは続いています。 海の歴史に興味を持った方、もっと知りたいと思った方は参考書を手に取ってみたり、博物館などに一度足を運んでみたりしてはいかがでしょうか。 きっと海のシルクロードの歴史に魅了されるでしょう。
みなさんは3月28日がシルクロードの日であることをご存じですか。
1900年のこの日、スウェーデンの地理学者のスヴェン・ヘディンがシルクロードの古代都市を発見したことに由来しています。
シルクロードは中学校・高校の社会の授業で聞いた方も多いのではないでしょうか。
今回は陸路ではなく、海のシルクロードの魅力ある歴史を紹介していきます。
目次
海のシルクロードとは?
シルクロードと呼ばれているルートは3つにあります。
ステップルート(陸路):北アジアの草原を中心に、中国北東部から東ヨーロッパまでを結ぶルート。
オアシスルート(陸路):中央アジアの乾燥地帯にあるオアシス都市を結び、東西を最短で結ぶルート。乾燥に強いラクダによる隊商(キャラヴァン)が主な輸送手段。
オアシスルートについて詳しくは こちら 。
海上ルート(海路):
※シルクロードは商人が他国に商品を届けたり、交易をしたりするときに通った道です。
以下で海上ルート(海のシルクロード)の歴史をみていきましょう。
海のシルクロードの歴史
海のシルクロードの歴史を大きく2つの時間に分けてみていきましょう。
大航海時代前の様子
1世紀ごろ、ギリシャ系商人が紅海やペルシャ湾を通り、インド洋に出ていくルートを作りました。
ルートを作ったはじめは主にインドと貿易をし、後々に東南アジアや中国まで広げていきました。
当時は正確な地図やコンパスがなく、一歩間違えば危険な船旅。ギリシャ系商人のルートを作る強い気持ちが感じられますね。
8世紀以降は、イスラム教を信仰する商人(ムスリム商人)が紅海、アラビア海を中心に活発な海上貿易活動が始めていきます。
11世紀以降は、中国の力が強くなり中国の商人が東南アジアからインド洋に進出し、ムスリム商人などと交易を始めていきました。
大航海時代後の様子
15世紀から17世紀にかけてはヨーロッパ人がアフリカやアジア、アメリカ大陸などへの大規模な航海がおこなわれました。
大航海時代の航海士としてはコロンブス、バスコ・ダ・ガマ、マゼランなどが有名です。
航海士らのおかげで航路が作られ、ヨーロッパ人はさまざまな場所に出かけ特産物を手に入れたり、植民地を広げていったりしました。
海のシルクロードで運ばれたものと関わった人たち
海のシルクロードではさまざまな人や物の動きがありました。
いったいどのような人たちが関わり、何が運ばれたのかみていきましょう。
関わった人たち
海のシルクロードは大きくヨーロッパから東アジアまでを結ぶ海上ルートで、主に以下の人たちが交易で使っていました。
ギリシャやローマの商人
1世紀ごろ、ローマ帝国が地中海全体を支配していた時に海上貿易に従事していました。
東アフリカの商人
海のシルクロードの経由地になっていた東アフリカにて交易をおこなっていました。
ムスリム商人
イスラム教を信仰し、紅海・ペルシャ海沿岸を中心に交易をおこなっていました。
インドや東南アジアのタミル商人
1世紀ごろからヨーロッパやアジアの国と交易をし、香辛料や香料などを輸出していました。
東南アジアのオーストロネシア語族の船員たち
独自の航海術で沿岸各地に国をつくり、国同士の間で海上貿易をさかんにおこなっていました。
中国の商人
東南アジアやインド、ヨーロッパなどを中心に交易をおこなっていました。
運ばれたもの
海のシルクロードでは商人たちによってどのようなものが運ばれていたのでしょうか。
以下が各地域から運ばれた主なものです。
インドや東南アジア
インドや東南アジアからは主に香辛料や織物、象牙などが各地に運ばれました。
特に香辛料とても人気の高い商品でした。ヨーロッパでは冬前に家畜の肉を塩漬けにして保存食を作る習慣がありました。
塩漬け肉は食べる際、そのままだとにおいが強かったため、におい消しやパンチをきかせることができる香辛料は大変重宝されたそうです。
中でもコショウは人気が高く、中世ヨーロッパでは「コショウのように高価なもの」というように価値の高いものを例えるときに使われていました。
中国
中国からは絹や香水、陶磁器などが各地に運ばれました。
特に絹は人気が高く、ムスリム商人が多く中国内に訪れていたようです。そんなムスリム商人らを中国人は「大食(タージー)」と呼んでいました。大食いや暴食という意味にあたるので、ムスリム商人がいかに中国の絹製品を買い込んでいたのかがわかりますね。
中国の白い陶磁器はヨーロッパ人から人気が高いものでした。船は重い陶磁器を大量に運ぶのに適していました。陶磁器が多くヨーロッパに船によって運ばれたため、航海ルートは「陶磁の道」と呼ばれていました。
中央アジア
中央アジアからはガラスなどの工芸品やスイカなどの果物、キリンなどの動物が運ばれました。
ウズベギスタンのシルクロードの要衝地として栄えたサマルカンド。ここで作られたガラスは品質が良く、高く評価されました。
中国では商人の鄭和(ていわ)がキリンを本国まで連れて帰り、当時の中国の皇帝(永楽帝)があまりの首の長さにとても驚いたそうです。
ヨーロッパ
ヨーロッパからは皮製品や絵画、奴隷などが運ばれました。
奴隷は当時貴重な労働力として交易で商品として売買されていました。
航海時に使われていた船
海のシルクロードで使われていた船は各地域によってさまざまなです。
以下で航海時に使用された船の特徴を見ていきましょう。
縫合船
アジアを中心にさまざまな地域でみられる木造の船です。
くぎなどの金属を使わず、木材を動物の腱や植物のツルなどで縫い合わせて作るのが特徴です。
金属が使われるようになってからも材料費をおさえるために長く使われていました。
ダウ船
ムスリム商人が使っていた大型の木造帆船です。
大きな三角形の帆を使うのが特徴で、インド洋の季節風を生かして広い範囲で交易をおこなっていました。
ジャンク船
中国商人が使っていた木造の帆船です。
船には帆を張るための3本の柱があり、角形の帆を使うのが特徴で大型から中型のものが主流で使われていました。
航海術と自然環境の関わり
海のシルクロードが使われていた当時は今のような頑丈な船、地図などがありませんでした。
商人たちはどのように航路をすすんでいたのでしょうか?
4つポイントに分けて見ていきましょう。
季節風(モンスーン)
地域によって吹く方向が異なる風を季節風(東南アジアなどではモンスーン)といいます。
アラビア海では、6月から9月にかけて南西方向、10月から5月にかけて北西方向から風が吹きます。
古代ローマでは、季節風ことは当時の有名な天文学者の名前をとって「ヒッパルコスの風」というユニークな名前で呼ばれていたそうです。
商人たちは風の吹く方向を考え、帆を張りさまざまな土地へ交易をしに行ったのです。
海流
風と並んで航海のときに大切にされたのが海流です。
海流に船をのせることで流れる方向に船を進めることができます。
もし流れる方向をまちがった場合は船があらぬ方向に進むことも…
実際、大航海時代に活躍したコロンブスは「カナリア海流」「北赤道海流」「メキシコ湾流」「北大西洋海流」の4つの海流を使い、ポルトガルとカリブ海を行き来しました。
ポリネシアンの占星航海術
航海では常に自分の位置と方位を知らなくてはいけません。
オセアニア地方で使われていた航海術は、星・星座・太陽・月など自然のものを利用したものでした。
ポリネシアンは、自分の島の真上を通過する星を「ゼニース ・スター」(天頂の星)と呼び、南北の方向を確認する目印にしていました。
地図と地球儀
大航海時代になると航海士らによって大陸や海の位置や大きさが伝えられるようになります。
情報を基に地図は書きかえられどんどん新しいものになっていきました。
ただ当時は印刷技術がそこまで発展しておらず、手書きが主流だったこともあり地図1枚あたりの値段はかなり高額なものでした。
地図が新しくなっていく一方、手書きで地図を書いていた人たちは大変だったことでしょう。
出来上がった地図をガラスの球体などに貼り付けたものが地球儀として使われました。
海底に眠る沈没船
海のシルクロードを通った船の中には、海賊や悪天候によって目的地に着けずに沈没した船も多くあるのが事実です。
現在、さまざまな国が沈没船の引き上げ作業をおこなっています。
引き上げによって船がどこから来たものか、何の目的で航海したのかなどがわかります。
海底に眠っていたかつての交易の品々も引き上げられ、研究や博物館で展示されていて実際に見ることも可能です。
沈没船は歴史や交易商人たちの思いが残ったものと考えるととてもロマンチックですね。
ロマンあふれる海の歴史
陸路ではなく、海上につくられたシルクロード。
海を渡り、交易をおこないに出かけた人たちの思いは陸路とはまた違う魅力があります。
今もなお、沈没船の引き上げは続いています。
海の歴史に興味を持った方、もっと知りたいと思った方は参考書を手に取ってみたり、博物館などに一度足を運んでみたりしてはいかがでしょうか。
きっと海のシルクロードの歴史に魅了されるでしょう。