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オアフ島から、わずか南東へ40km。ホノルルから飛行機で約30分の距離でありながら、観光地化されることなく手つかずの自然が残る島。
美しいビーチが広がり、素朴で心地のよい島は、別名「フレンドリーアイランド(友情の島)」と呼ばれています。
島民の半分以上がネイティブハワイアンの血をひいており、今もハワイの伝統文化が大切に守られています。古き良きハワイが息づいている…。今回は、そんなモロカイ島の魅力についてお届けしたいと思います。
▶ハワイの島 連載一覧はこちらから
ハワイ諸島で5番目に大きい島。東西に61km、南北に16kmと細長い形をしています。人口は約7,500人、島には信号がひとつもなくとてものどかな島です。
平均気温は約23℃と一年中過ごしやすい気候。島の東部は山岳地帯で比較的雨が多く、西部はなだらかで乾燥したエリアが広がっています。【島の花】はククイ、【島の色】は緑です。※
※ハワイの島の花について詳しく知りたい方は、こちらも合わせてご覧ください▼ 「島の花」「島の色」を知れば、ハワイがもっと好きになる!?
緑豊かな東部エリアには見どころもたくさん! 南東の海岸沿いにはハワイ最長のサンゴ礁(45㎞)が広がり、ダミアン神父が建てたセント・ジョセフ教会や、島で最も古いカルアアハ教会などの史跡も残っています。
イーストエンドにはモロカイ島の秘境「ハラヴァ渓谷」。途中、クミミ・ビーチやハラヴァ・ビーチなど静かで美しい砂浜に立ち寄ってみるのもおすすめです。
島の西海岸には、ハワイ最大級の白砂ビーチ「パポハク・ビーチ」が約5kmにわたって続いています。ここのサンセットは必見! 観光客も少なく、絶景を独り占めするのも夢ではありません。
カルアコイ・ロードを西へ向かうと、運が良ければ野生のアクシスジカに会えるかも? 斑点模様の美しいシカは、1860年代にカメハメハ5世に送られたものです。
島の中央エリアには、モロカイ空港をはじめ、島の中心地「カウナカカイ」があります。世界最大のマカダミアナッツ農園やコーヒー農園では試食もできますよ。
島の北端からは、陸の孤島「カラウパパ半島」が望めます。世界で最も高い海食崖が広がる絶景ですが、ここにはかつてハンセン病患者が隔離されていたという悲しい歴史があります。
島の北端に位置するカラウパパ半島。「カラウパパ=平らな葉っぱ」の意味があり、背後を断崖絶壁で囲まれていますが、海に張り出した半島部分は、その名通り平らな葉っぱのような形をしています。
周囲と断絶されたこの半島は、ハンセン病患者が隔離された場所。彼らに寄り添い、その生涯を捧げたダミアン神父と、彼の遺志を継いだ修道女、マリアンヌ・コープの功績をたたえ、1980年「カラウパパ国立歴史公園」となり、当時の施設が保存されています。
モロカイ空港から車で南東へ約15分。モロカイ島最大の町「カウナカカイ」には、島の全人口の約半分が暮しています。
ハワイ語で「カウナカカイ=砂浜の桟橋」。かつてパイナップルの積み出しのため活気を見せた港には、その名通り全長800mの桟橋があり、今も観光フェリーが発着しています。
また「カネミツベーカリー」のパンはモロカイ唯一の名物です。お店自慢のモロカイ・ブレッドは、ワイキキの有名ホテルでも提供されるほど。パンが焼き上がる時間になると、夜10時ごろにもかかわらずたくさんのお客さんが行列をつくります。
「ハラヴァ渓谷」は島の東端にある秘境です。650年頃にやってきた古代ポリネシア人が最初に定住した場所。今もその末裔がタロイモを栽培し豊かな自然の恵みの中で暮らしています。
渓谷の一番奥には、赤いトカゲの伝説がある「モオウラ滝」があります。「ハラヴァ=曲線状」の意味。「ハラヴァ湾」の美しい海岸線を指しているのでしょうか?
カウナカカイの海岸沿いにあるココナッツの木の群生地。モロカイ島を代表する自然のランドマークです。
1860年代にカメハメハ5世のために植えられたココナッツの木は約1,000本。今は数百本と数は減りましたが、それでも空高く生い茂る姿は圧巻!夕暮れ時が美しく、サンセットの名所としても知られています。(ココナッツの実が落ちてくるので、頭上注意!)
モロカイ島を語る上で、忘れてはならないのは、ハンセン病患者の隔離地区があったこと。悲しい歴史の中で希望の光だった「ダミアン神父」とはどんな人だったのでしょうか?
ダミアン神父(本名:ジョセフ・デ・ブーステル)は1840年にベルギーで生まれました。19歳で神職に就き、24歳で宣教師としてハワイへ…。ハワイ島での布教活動を経て、33歳の時モロカイ島へやってきました。
自らハンセン病患者たちの傷の手当をし、共に家や学校を建て、水道を引くなどハンセン病患者のために尽力しましたが、1889年49歳の時、自らもハンセン病に感染し命を落とすことになります。
宣教師グループとしてカラウパパを訪れたダミアン神父は衝撃を受けます。当時島には、医者や看護師もおらず、食べ物も最低限支給されるだけ。
病におかされ、家族と引き裂かれ連れてこられた患者たちは、ただ放置され死ぬのを待つだけの悲惨な状況だったのです。
この現状を見かねたダミアン神父は、1873年自ら志願し、宣教師として単身モロカイ島へ赴任してきました。
ハンセン病は「らい病」とも言われ、当時は治療薬もなく不治の病とされていました。多くのハワイアンたちが命を落としたといわれています。
病気が進行すると顔や手足などが変形し容姿がくずれて死に至ることから、怖れられ隔離政策がとられてきました。しかし現在では治療法が確立され、完治する病気です。
ハンセン病患者のために生涯を捧げたダミアン神父は「モロカイ島の英雄」。自らが建てた教会の横には今でも彼の銅像がひっそりと島を見守っています。
カラウパパの診療所には、1866~1969年の間に延べ約8,000人もの患者が収容されていました。隔離政策が解除された今でも、10名ほどのハンセン病患者が暮らしているそうです。
フラの起源については諸説ありますが、「モロカイ島が発祥」とする説があります。女神ラカが、モロカイ島のマウナロア山頂にあるプウ・ナナの丘、カアナでフラを生み出したのが始まりとする説です。
女神ラカは、森の女神でもあり、歓びや生命の源。またフラの女神としてもっとも多くのフラダンサーに支持されています。
伝説では、 「モロカイ島で、代々フラを踊る一族の一人として生まれたラカは、幼いころからフラの名手。フラは一族だけがカアナで踊ることを許されていましたが、ラカがモロカイ島を出て他の島々へとフラを広めていった。」とされています。
「カ・フラ・ピコ」はハワイアンによるハワイアンのためのフラの祭典です。毎年5月の第2金・土・日の3日間開催されます。フラや歌だけでなく、その年のテーマに沿った講義や、神聖なカアナの地へのフィールドトリップなどが行われます。
「カ・フラ・ピコ」は観光客もウェルカムですが、派手なパフォーマンスを披露する目的ではないので、素朴で美しい本来のフラのスピリッツを堪能しましょう。
モロカイ島の風景を「白い肌の女性」に例えた曲。爽やかなメロディが魅力。
思わず踊りだしたくなるようなビート。モロカイ島の地名がたくさん出てきます。
ヒヒヴァイとは淡水貝。山や滝、風などモロカイ島の自然を歌った曲。
モロカイ島の美しさやモロカイ島を愛する気持ちを歌ったハワイ民謡。
曲名はモロカイ島に棲む女神ヒナを指しています。ハワイのトラディショナルソング。
観光地化されることなく、古き良きハワイが残る島「モロカイ島」。フラの発祥地として愛される一方、かつてハンセン病患者の隔離エリアがあったことでも知られています。
島にはにぎやかな場所はありませんが、世界で最も高い海食崖が広がり、ハワイで一番長いビーチ、ハワイ最長のサンゴ礁など、手つかずの自然があふれています。
素朴で穏やかなハワイに出会いたくなったら…ぜひモロカイ島へ。
オアフ島から、わずか南東へ40km。ホノルルから飛行機で約30分の距離でありながら、観光地化されることなく手つかずの自然が残る島。
美しいビーチが広がり、素朴で心地のよい島は、別名「フレンドリーアイランド(友情の島)」と呼ばれています。
島民の半分以上がネイティブハワイアンの血をひいており、今もハワイの伝統文化が大切に守られています。古き良きハワイが息づいている…。
今回は、そんなモロカイ島の魅力についてお届けしたいと思います。
▶ハワイの島 連載一覧はこちらから
目次
モロカイ島とはどんな島?
ハワイ諸島で5番目に大きい島。東西に61km、南北に16kmと細長い形をしています。人口は約7,500人、島には信号がひとつもなくとてものどかな島です。
平均気温は約23℃と一年中過ごしやすい気候。島の東部は山岳地帯で比較的雨が多く、西部はなだらかで乾燥したエリアが広がっています。【島の花】はククイ、【島の色】は緑です。※
※ハワイの島の花について詳しく知りたい方は、こちらも合わせてご覧ください▼
「島の花」「島の色」を知れば、ハワイがもっと好きになる!?
モロカイ島のエリア
イースト・モロカイ
緑豊かな東部エリアには見どころもたくさん! 南東の海岸沿いにはハワイ最長のサンゴ礁(45㎞)が広がり、ダミアン神父が建てたセント・ジョセフ教会や、島で最も古いカルアアハ教会などの史跡も残っています。
イーストエンドにはモロカイ島の秘境「ハラヴァ渓谷」。途中、クミミ・ビーチやハラヴァ・ビーチなど静かで美しい砂浜に立ち寄ってみるのもおすすめです。
ウエスト・モロカイ
島の西海岸には、ハワイ最大級の白砂ビーチ「パポハク・ビーチ」が約5kmにわたって続いています。ここのサンセットは必見! 観光客も少なく、絶景を独り占めするのも夢ではありません。
カルアコイ・ロードを西へ向かうと、運が良ければ野生のアクシスジカに会えるかも? 斑点模様の美しいシカは、1860年代にカメハメハ5世に送られたものです。
セントラル
島の中央エリアには、モロカイ空港をはじめ、島の中心地「カウナカカイ」があります。世界最大のマカダミアナッツ農園やコーヒー農園では試食もできますよ。
島の北端からは、陸の孤島「カラウパパ半島」が望めます。世界で最も高い海食崖が広がる絶景ですが、ここにはかつてハンセン病患者が隔離されていたという悲しい歴史があります。
モロカイ島の見どころ
カラウパパ国立歴史公園
島の北端に位置するカラウパパ半島。「カラウパパ=平らな葉っぱ」の意味があり、背後を断崖絶壁で囲まれていますが、海に張り出した半島部分は、その名通り平らな葉っぱのような形をしています。
周囲と断絶されたこの半島は、ハンセン病患者が隔離された場所。彼らに寄り添い、その生涯を捧げたダミアン神父と、彼の遺志を継いだ修道女、マリアンヌ・コープの功績をたたえ、1980年「カラウパパ国立歴史公園」となり、当時の施設が保存されています。
カウナカカイ
モロカイ空港から車で南東へ約15分。モロカイ島最大の町「カウナカカイ」には、島の全人口の約半分が暮しています。
ハワイ語で「カウナカカイ=砂浜の桟橋」。かつてパイナップルの積み出しのため活気を見せた港には、その名通り全長800mの桟橋があり、今も観光フェリーが発着しています。
また「カネミツベーカリー」のパンはモロカイ唯一の名物です。お店自慢のモロカイ・ブレッドは、ワイキキの有名ホテルでも提供されるほど。パンが焼き上がる時間になると、夜10時ごろにもかかわらずたくさんのお客さんが行列をつくります。
ハラヴァ渓谷
「ハラヴァ渓谷」は島の東端にある秘境です。650年頃にやってきた古代ポリネシア人が最初に定住した場所。今もその末裔がタロイモを栽培し豊かな自然の恵みの中で暮らしています。
渓谷の一番奥には、赤いトカゲの伝説がある「モオウラ滝」があります。「ハラヴァ=曲線状」の意味。「ハラヴァ湾」の美しい海岸線を指しているのでしょうか?
カプアイワ ココナッツグローブ
カウナカカイの海岸沿いにあるココナッツの木の群生地。モロカイ島を代表する自然のランドマークです。
1860年代にカメハメハ5世のために植えられたココナッツの木は約1,000本。今は数百本と数は減りましたが、それでも空高く生い茂る姿は圧巻!夕暮れ時が美しく、サンセットの名所としても知られています。(ココナッツの実が落ちてくるので、頭上注意!)
カラウパパの悲しい歴史とダミアン神父
モロカイ島を語る上で、忘れてはならないのは、ハンセン病患者の隔離地区があったこと。悲しい歴史の中で希望の光だった「ダミアン神父」とはどんな人だったのでしょうか?
ダミアン神父の軌跡
ダミアン神父(本名:ジョセフ・デ・ブーステル)は1840年にベルギーで生まれました。19歳で神職に就き、24歳で宣教師としてハワイへ…。ハワイ島での布教活動を経て、33歳の時モロカイ島へやってきました。
自らハンセン病患者たちの傷の手当をし、共に家や学校を建て、水道を引くなどハンセン病患者のために尽力しましたが、1889年49歳の時、自らもハンセン病に感染し命を落とすことになります。
モロカイ島にきた理由
宣教師グループとしてカラウパパを訪れたダミアン神父は衝撃を受けます。当時島には、医者や看護師もおらず、食べ物も最低限支給されるだけ。
病におかされ、家族と引き裂かれ連れてこられた患者たちは、ただ放置され死ぬのを待つだけの悲惨な状況だったのです。
この現状を見かねたダミアン神父は、1873年自ら志願し、宣教師として単身モロカイ島へ赴任してきました。
ハンセン病について
ハンセン病は「らい病」とも言われ、当時は治療薬もなく不治の病とされていました。多くのハワイアンたちが命を落としたといわれています。
病気が進行すると顔や手足などが変形し容姿がくずれて死に至ることから、怖れられ隔離政策がとられてきました。しかし現在では治療法が確立され、完治する病気です。
カラウパパの現在
ハンセン病患者のために生涯を捧げたダミアン神父は「モロカイ島の英雄」。自らが建てた教会の横には今でも彼の銅像がひっそりと島を見守っています。
カラウパパの診療所には、1866~1969年の間に延べ約8,000人もの患者が収容されていました。隔離政策が解除された今でも、10名ほどのハンセン病患者が暮らしているそうです。
フラ発祥の地モロカイ島
フラのモロカイ島発祥説
フラの起源については諸説ありますが、「モロカイ島が発祥」とする説があります。
女神ラカが、モロカイ島のマウナロア山頂にあるプウ・ナナの丘、カアナでフラを生み出したのが始まりとする説です。
女神ラカについて
女神ラカは、森の女神でもあり、歓びや生命の源。またフラの女神としてもっとも多くのフラダンサーに支持されています。
伝説では、
「モロカイ島で、代々フラを踊る一族の一人として生まれたラカは、幼いころからフラの名手。フラは一族だけがカアナで踊ることを許されていましたが、ラカがモロカイ島を出て他の島々へとフラを広めていった。」とされています。
「カ・フラ・ピコ」について
「カ・フラ・ピコ」はハワイアンによるハワイアンのためのフラの祭典です。毎年5月の第2金・土・日の3日間開催されます。フラや歌だけでなく、その年のテーマに沿った講義や、神聖なカアナの地へのフィールドトリップなどが行われます。
「カ・フラ・ピコ」は観光客もウェルカムですが、派手なパフォーマンスを披露する目的ではないので、素朴で美しい本来のフラのスピリッツを堪能しましょう。
モロカイ島を歌った曲
※曲名/アーティスト①Wahine 'Ilikea(ワヒネ・イリケア)/Ka'au Crater Boys
モロカイ島の風景を「白い肌の女性」に例えた曲。爽やかなメロディが魅力。
②Molokaʻi Jam(モロカイ・ジャム)/Kekuhi & Kaumakaiwa
思わず踊りだしたくなるようなビート。モロカイ島の地名がたくさん出てきます。
③E Hihiwai(エ・ヒヒヴァイ)/Patrick Landeza
ヒヒヴァイとは淡水貝。山や滝、風などモロカイ島の自然を歌った曲。
④Aina O Molokai(アイナ・オ・モロカイ)/Kai Davis
モロカイ島の美しさやモロカイ島を愛する気持ちを歌ったハワイ民謡。
⑤Ua Nani Molokaʻi(ウア・ナニ・モロカイ)/Kuana Torres Kahele
曲名はモロカイ島に棲む女神ヒナを指しています。ハワイのトラディショナルソング。
モロカイ島まとめ
観光地化されることなく、古き良きハワイが残る島「モロカイ島」。フラの発祥地として愛される一方、かつてハンセン病患者の隔離エリアがあったことでも知られています。
島にはにぎやかな場所はありませんが、世界で最も高い海食崖が広がり、ハワイで一番長いビーチ、ハワイ最長のサンゴ礁など、手つかずの自然があふれています。
素朴で穏やかなハワイに出会いたくなったら…ぜひモロカイ島へ。
▶ハワイの島 連載一覧はこちらから