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写真・文 須田郡司
初めまして、写真家・巨石ハンターの須田郡司です。 これから、「巨石ハンターの磐座探訪」というテーマでフォト・エッセイを連載させて頂きます。どうぞ、宜しくお願い致します。
ちなみに巨石ハンターという言葉は、たまたま世界石巡礼の取材旅行から帰ってきた2009年の春、読売新聞の記者の方から取材を受けました。その時、「巨石ハンター世界を巡る」というタイトルで記事を書いていただき、それ以来、この言葉を気に入り、使わせていただいています。
この30年近く、私は聖なる場所をライフワークとして、日本・世界各地の巨石を求めて訪ね歩いて来ました。 聖なる場所には、必ずといっていいほど、人間によって崇められ、信仰されてきた石や巨石が数多く存在します。日本人は、古くから神が降臨する石や巨石のことを磐座(イワクラ)、また石・岩そのものを神と捉えた石神(イシガミ)・岩神(イワガミ)などを大切に祀ってきました。そのような聖なる石と出会うと、自然と厳かな気持ちになることができたり、自然への畏怖心が湧き上ってくるのも不思議です。 イワクラやイシガミは、ある意味で自然(宇宙)と人間の関係をトランスパーソナル(超個的)な繋がりへと気づかせてくれる存在なのかもしれません。
私は「人と関わる石」に興味を持ち、2003年秋から三年計画で「日本石巡礼」という活動を行い、国内約1,000ケ所以上の石を訪ねてきました。2009年春から一年計画で、「世界石巡礼」という活動を行い、世界40カ国、百十数カ所の石を訪ねることができました。
これらの活動を通して感じた事は、石に対する人間の想いは、国境も人種もなく世界共通ではないかと思えた事です。 特に、その土地に住む先住民の方々の多くは巨石を大切にし、信仰されていました。 世界中の宗教もまた、聖なる石や巨石を拠り所としたものが多く、近くに宗教的な施設(寺院、教会、礼拝堂、修道院)を建造する事例をあちらこちらで見ることができます。
今回の連載は、日本の巨石信仰である磐座・石神などに注目し、紹介させていただきます。
2011.3.11、東日本大震災と福島原発事故が起きました。
その2ヵ月後の5月2日、私は宗教哲学者の鎌田東二さん(京都大学名誉教授)と仙台で合流し、東北被災地域の状況を見るため車で海岸線沿いを北上しました。 その被害状況は、言葉で伝えることが難しいくらい酷いものでした。途中、道は分断され、遠回りをしながらできるだけ海岸沿いに車を走らせました。私たちは寝袋を持参し車の中で泊まりながら4日間の旅を行ったのです。
それから、年に1回から2回、私たちは東北被災地域追跡調査を続けました。この12年間でトータル15回ほど足を運び、神社仏閣などの宗教施設、仮設住宅などを定点観測的に巡っては、地元の方々に耳を傾け続けてきたのです。
今回、大震災から12年目の節目を振り返る形で、東北で出会ったいくつかの磐座を紹介したいと思います。
2011年5月、仙台から海岸線沿いを車で北上しながら石巻市に入った時、その被害状況の惨さに驚きました。ある海岸沿いを走っていると一文字の虹が現れました。
車を停め周囲を歩くと瓦礫の中、鎌田さんはただ茫然と立ち尽くしていました。
釣石神社のご神体である釣石に近づくと、周囲の環境があまりにも変わっていたことに言葉を失いました。神社の社務所、その前に密集していた住居のすべてが10数メートルもの津波で流され、釣石の前には大きな池ができていたのです。
何度か通う中、釣石神社の岸浪宮司さんと出会い、色々なお話を聞くことができました。その後、釣石神社も復興し、今では東日本大震災の復興のシンボルとして釣石神社の訪れる方も多いと聞きます。
宮城県石巻市雄勝町は、津波の被害が大きく、海沿いにあった住宅は甚大な被害は受けました。 震災から2ヶ月後、石巻市役所雄勝支所の方から雄勝法印神楽の保存会の副会長の佐藤さんを紹介していただきました。
2011年4月23日、NPO法人東京自由大学主催の「シャーマニズムの未来~見えないモノの声を聴くワザ」というシンポジウムが中野で開催され、私もスタッフとして参加していました。その時、パネラーの一人、漫画家の岡野玲子さんから、震災によって大きなダメージを被った雄勝法印神楽を再び多くの人びとに知ってもらうために、復興への支援を求めていたのです。
雄勝法印神楽とは、羽黒派の修験者により伝えられ、山伏神楽の系統を継ぐとされる国の重要文化財です。佐藤さんは、津波で保存会の会長が行方不明となり、ほとんどの神楽の装束も海に流されたことなどを話されました。半壊のご自宅で、雄勝法印神楽のパンフレットを見せて頂いた時、最初の頁に石の写真が載っていました。
その石のことを尋ねると、その石は雄勝町の石峰山にある延喜式内社の石(いその)神社の磐座だというのです。石そのものがご神体の神社で、まさに磐座信仰そのものでした。 雄勝法印神楽をされる方々にとって、石神社はとても大切な聖地だったのです。
翌朝、私たちは石峰山へ登りました。約50分ほど山道を登ると、赤い鳥居が現れ、その奥に高さ9mほどの立石が鎮座していました。 石(いその)神社は、式内社として古くから信仰されていました。さらに、山頂近くには神籬(ひもろぎ)であるケヤキの木と、石が一体となる、まるで陰陽和合を象徴するかのような佇まいの石が現れました。まさに、日本の原風景であるアニミズムの世界を垣間見たように感じました。
気仙沼の大島は、東日本大震災では大津波に襲われ、海沿いで多くの家屋が流されました。 細長い島の東西から押し寄せた津波は中央部で衝突し、島は一時南北に分断されました。 大島にある式内社、大嶋神社(大島神社)は、大島の人達の心の拠り所の一つです。宮司さんに何度もお会いしながら、磐座をお参りさせていただきました。ご神体の磐座は、拝殿の中に祀られていました。
大島の最南端、龍舞崎(たつまいざき)は太平洋の荒波が打ち寄せる岩礁、洞窟などがあり、中でも「乙女窟(おとひめいわや)」は奇勝です。追跡調査では、必ず乙女窟をお参りしました。 私たちは、浜辺や洞窟などで、時には海水に入り禊をすることがあります。何年か前、この乙女窟の中で禊をした時のことです。突然、すごい波が洞窟に入り、体を海の中に持って行かれそうなったことがありました。
小袖海岸は日本最古の地層を有する断崖と岩礁が続く海岸で、その中でも奇岩「つりがね洞」は、魅力的な景観です。 つりがね洞という名称は、1896年(明治29年)の明治三陸地震による三陸大津波で崩壊する以前、洞穴の天井から釣り鐘の形をした岩がぶら下がっていたことにちなんでいます。現在は残った空洞がシンボルとなっていて、岩穴の奥には観音様のような立石が海中に立っています。
2011年の東日本大震災でも大きな津波に見舞われたものの、つりがね洞周辺の景観に大きな被害はなかったようです。
追跡調査で最後に行く石の聖地が蕪島(かぶしま)です。 種差海岸の最北に位置し、ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されてから101年目の蕪島。 もともとは完全な離島でしたが、昭和17年(1942年)には旧日本軍により埋め立て工事が行われ、現在のような陸続きの形になったようです。
ここはウミネコの繁殖の様子を間近で観察することができる国内唯一の場所で、毎年3月上旬頃になるとウミネコが飛来します。4月頃に産卵をはじめ、6月頃にはヒナがかえります。その数は3~4万羽にのぼり、島がウミネコに覆いつくされるほど。
頂に鎮座する「蕪嶋神社」は「蕪」と「株」が同じ読みであることから、株価と人望の「株」が上がるご利益があると言われています。
5月中旬には島に菜の花が咲き乱れます。 菜の花の黄色、蕪嶋神社の鳥居の赤、白いウミネコと青空のコントラストが美しい光景を見ることができます。蕪島に周囲には、いくつかのご神体としての巨石が鎮座し、注連縄が巻かれています。
古来より、さまざまな自然災害とともに生きてゆかなければならなかった日本列島の先人たちは、自然の声に耳を傾け、森羅万象あらゆるものに対して「畏れと祈り」の日々を過ごして来ました。
3.11東日本大震災を機会にして、私たちは、いかに自然の姿とかけ離れた生活をしてきたのか、思い知らされたように感じています。それは、日常生活の中で自然への感謝と畏れを忘れてしまったからかもしれません。
日本の磐座(イワクラ)は、自然への「畏れと祈り」を思い出させてくれる大切な場所だと思います。
須田郡司・鎌田東二 写真展 「東日本大震災の記録と巨石文化 」
会期:2023年5月2日(火)~7日(日) 9:30~17:00 入場無料 会場:宮城県立美術館 県民ギャラリー1 仙台市青葉区川内元支倉34-1
【トークイベント:①、② 共に参加費無料/先着20名様】
① 5月2日(火)14:00~16:30 「東日本大震災とケアのこころ」 鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)×須田郡司(巨石ハンター) ゲスト:谷山洋三(東北大学大学院文学研究科教授・宗教学・スピリチュアルケア)
② 5月7日(日)14:00~16:30 「東日本大震災と巨石のこころ~石の声を聴いて、山にいのちを返す」 鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)×須田郡司(巨石ハンター) ゲスト:山田政博(大倉山スタジオ株式会社相談役)
CDジャケットには、写真家でもある須田郡司さんが撮り下ろした巨石の写真を採用しております。
【日本の巨石 イワクラの世界/石の聲を聴け】
※岩座の店舗でも販売しております。 岩座のショップリストはこちら
写真家・巨石ハンター・石の語りべ。1962年、群馬県沼田市生まれ。沖縄在住。琉球大学法文学部史学科地理学専攻・写真専門学校卒業。雑誌カメラマンを経て独立。国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。日本石巡礼(2003~2006)、世界石巡礼(2009~2010)を行う。2004年より巨石文化の魅力を伝えるため「石の語りべ」講演活動を展開。「石の聖地」研究、巨石マップ制作、巨石ツアーのコーディネートを行なっている。ザ・ロックツアー「琉球の聖なる石を訪ねる」を主催。2020年、島根大学大学院人文社会科学研究科言語・社会文化専攻(文化人類学)修士課程修了。
写真・文 須田郡司
初めまして、写真家・巨石ハンターの須田郡司です。
これから、「巨石ハンターの磐座探訪」というテーマでフォト・エッセイを連載させて頂きます。どうぞ、宜しくお願い致します。
ちなみに巨石ハンターという言葉は、たまたま世界石巡礼の取材旅行から帰ってきた2009年の春、読売新聞の記者の方から取材を受けました。その時、「巨石ハンター世界を巡る」というタイトルで記事を書いていただき、それ以来、この言葉を気に入り、使わせていただいています。
この30年近く、私は聖なる場所をライフワークとして、日本・世界各地の巨石を求めて訪ね歩いて来ました。
聖なる場所には、必ずといっていいほど、人間によって崇められ、信仰されてきた石や巨石が数多く存在します。日本人は、古くから神が降臨する石や巨石のことを磐座(イワクラ)、また石・岩そのものを神と捉えた石神(イシガミ)・岩神(イワガミ)などを大切に祀ってきました。そのような聖なる石と出会うと、自然と厳かな気持ちになることができたり、自然への畏怖心が湧き上ってくるのも不思議です。
イワクラやイシガミは、ある意味で自然(宇宙)と人間の関係をトランスパーソナル(超個的)な繋がりへと気づかせてくれる存在なのかもしれません。
私は「人と関わる石」に興味を持ち、2003年秋から三年計画で「日本石巡礼」という活動を行い、国内約1,000ケ所以上の石を訪ねてきました。2009年春から一年計画で、「世界石巡礼」という活動を行い、世界40カ国、百十数カ所の石を訪ねることができました。
これらの活動を通して感じた事は、石に対する人間の想いは、国境も人種もなく世界共通ではないかと思えた事です。
特に、その土地に住む先住民の方々の多くは巨石を大切にし、信仰されていました。
世界中の宗教もまた、聖なる石や巨石を拠り所としたものが多く、近くに宗教的な施設(寺院、教会、礼拝堂、修道院)を建造する事例をあちらこちらで見ることができます。
今回の連載は、日本の巨石信仰である磐座・石神などに注目し、紹介させていただきます。
目次
3.11後に出会った東北の磐座
2011.3.11、東日本大震災と福島原発事故が起きました。
その2ヵ月後の5月2日、私は宗教哲学者の鎌田東二さん(京都大学名誉教授)と仙台で合流し、東北被災地域の状況を見るため車で海岸線沿いを北上しました。
その被害状況は、言葉で伝えることが難しいくらい酷いものでした。途中、道は分断され、遠回りをしながらできるだけ海岸沿いに車を走らせました。私たちは寝袋を持参し車の中で泊まりながら4日間の旅を行ったのです。
それから、年に1回から2回、私たちは東北被災地域追跡調査を続けました。この12年間でトータル15回ほど足を運び、神社仏閣などの宗教施設、仮設住宅などを定点観測的に巡っては、地元の方々に耳を傾け続けてきたのです。
今回、大震災から12年目の節目を振り返る形で、東北で出会ったいくつかの磐座を紹介したいと思います。
宮城県石巻市 釣石神社(つりいしじんじゃ)
2011年5月、仙台から海岸線沿いを車で北上しながら石巻市に入った時、その被害状況の惨さに驚きました。ある海岸沿いを走っていると一文字の虹が現れました。
車を停め周囲を歩くと瓦礫の中、鎌田さんはただ茫然と立ち尽くしていました。
釣石神社のご神体である釣石に近づくと、周囲の環境があまりにも変わっていたことに言葉を失いました。神社の社務所、その前に密集していた住居のすべてが10数メートルもの津波で流され、釣石の前には大きな池ができていたのです。
何度か通う中、釣石神社の岸浪宮司さんと出会い、色々なお話を聞くことができました。その後、釣石神社も復興し、今では東日本大震災の復興のシンボルとして釣石神社の訪れる方も多いと聞きます。
宮城県石巻市 石神社(いそのじんじゃ)
宮城県石巻市雄勝町は、津波の被害が大きく、海沿いにあった住宅は甚大な被害は受けました。
震災から2ヶ月後、石巻市役所雄勝支所の方から雄勝法印神楽の保存会の副会長の佐藤さんを紹介していただきました。
2011年4月23日、NPO法人東京自由大学主催の「シャーマニズムの未来~見えないモノの声を聴くワザ」というシンポジウムが中野で開催され、私もスタッフとして参加していました。その時、パネラーの一人、漫画家の岡野玲子さんから、震災によって大きなダメージを被った雄勝法印神楽を再び多くの人びとに知ってもらうために、復興への支援を求めていたのです。
雄勝法印神楽とは、羽黒派の修験者により伝えられ、山伏神楽の系統を継ぐとされる国の重要文化財です。佐藤さんは、津波で保存会の会長が行方不明となり、ほとんどの神楽の装束も海に流されたことなどを話されました。半壊のご自宅で、雄勝法印神楽のパンフレットを見せて頂いた時、最初の頁に石の写真が載っていました。
その石のことを尋ねると、その石は雄勝町の石峰山にある延喜式内社の石(いその)神社の磐座だというのです。石そのものがご神体の神社で、まさに磐座信仰そのものでした。
雄勝法印神楽をされる方々にとって、石神社はとても大切な聖地だったのです。
翌朝、私たちは石峰山へ登りました。約50分ほど山道を登ると、赤い鳥居が現れ、その奥に高さ9mほどの立石が鎮座していました。
石(いその)神社は、式内社として古くから信仰されていました。さらに、山頂近くには神籬(ひもろぎ)であるケヤキの木と、石が一体となる、まるで陰陽和合を象徴するかのような佇まいの石が現れました。まさに、日本の原風景であるアニミズムの世界を垣間見たように感じました。
宮城県気仙沼市 大嶋神社(おおしまじんじゃ)
気仙沼の大島は、東日本大震災では大津波に襲われ、海沿いで多くの家屋が流されました。
細長い島の東西から押し寄せた津波は中央部で衝突し、島は一時南北に分断されました。
大島にある式内社、大嶋神社(大島神社)は、大島の人達の心の拠り所の一つです。宮司さんに何度もお会いしながら、磐座をお参りさせていただきました。ご神体の磐座は、拝殿の中に祀られていました。
宮城県気仙沼市 乙女窟(おとひめいわや)
大島の最南端、龍舞崎(たつまいざき)は太平洋の荒波が打ち寄せる岩礁、洞窟などがあり、中でも「乙女窟(おとひめいわや)」は奇勝です。追跡調査では、必ず乙女窟をお参りしました。
私たちは、浜辺や洞窟などで、時には海水に入り禊をすることがあります。何年か前、この乙女窟の中で禊をした時のことです。突然、すごい波が洞窟に入り、体を海の中に持って行かれそうなったことがありました。
岩手県久慈市 つりがね洞
小袖海岸は日本最古の地層を有する断崖と岩礁が続く海岸で、その中でも奇岩「つりがね洞」は、魅力的な景観です。
つりがね洞という名称は、1896年(明治29年)の明治三陸地震による三陸大津波で崩壊する以前、洞穴の天井から釣り鐘の形をした岩がぶら下がっていたことにちなんでいます。現在は残った空洞がシンボルとなっていて、岩穴の奥には観音様のような立石が海中に立っています。
2011年の東日本大震災でも大きな津波に見舞われたものの、つりがね洞周辺の景観に大きな被害はなかったようです。
青森県八戸市 蕪島神社(かぶしまじんじゃ)
追跡調査で最後に行く石の聖地が蕪島(かぶしま)です。
種差海岸の最北に位置し、ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されてから101年目の蕪島。
もともとは完全な離島でしたが、昭和17年(1942年)には旧日本軍により埋め立て工事が行われ、現在のような陸続きの形になったようです。
ここはウミネコの繁殖の様子を間近で観察することができる国内唯一の場所で、毎年3月上旬頃になるとウミネコが飛来します。4月頃に産卵をはじめ、6月頃にはヒナがかえります。その数は3~4万羽にのぼり、島がウミネコに覆いつくされるほど。
頂に鎮座する「蕪嶋神社」は「蕪」と「株」が同じ読みであることから、株価と人望の「株」が上がるご利益があると言われています。
5月中旬には島に菜の花が咲き乱れます。
菜の花の黄色、蕪嶋神社の鳥居の赤、白いウミネコと青空のコントラストが美しい光景を見ることができます。蕪島に周囲には、いくつかのご神体としての巨石が鎮座し、注連縄が巻かれています。
おわりに
古来より、さまざまな自然災害とともに生きてゆかなければならなかった日本列島の先人たちは、自然の声に耳を傾け、森羅万象あらゆるものに対して「畏れと祈り」の日々を過ごして来ました。
3.11東日本大震災を機会にして、私たちは、いかに自然の姿とかけ離れた生活をしてきたのか、思い知らされたように感じています。それは、日常生活の中で自然への感謝と畏れを忘れてしまったからかもしれません。
日本の磐座(イワクラ)は、自然への「畏れと祈り」を思い出させてくれる大切な場所だと思います。
写真展のおしらせ
須田郡司・鎌田東二 写真展 「東日本大震災の記録と巨石文化 」
●宮城県会場
会期:2023年5月2日(火)~7日(日) 9:30~17:00 入場無料
会場:宮城県立美術館 県民ギャラリー1 仙台市青葉区川内元支倉34-1
【トークイベント:①、② 共に参加費無料/先着20名様】
① 5月2日(火)14:00~16:30
「東日本大震災とケアのこころ」
鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)×須田郡司(巨石ハンター)
ゲスト:谷山洋三(東北大学大学院文学研究科教授・宗教学・スピリチュアルケア)
② 5月7日(日)14:00~16:30
「東日本大震災と巨石のこころ~石の声を聴いて、山にいのちを返す」
鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)×須田郡司(巨石ハンター)
ゲスト:山田政博(大倉山スタジオ株式会社相談役)
~須田郡司さんの作品紹介~
①岩座店内で流れているBGMの「CDジャケット」
CDジャケットには、写真家でもある須田郡司さんが撮り下ろした巨石の写真を採用しております。
②巨石の写真集
【日本の巨石 イワクラの世界/石の聲を聴け】
※岩座の店舗でも販売しております。
岩座のショップリストはこちら
ライタープロフィール:須田郡司
写真家・巨石ハンター・石の語りべ。1962年、群馬県沼田市生まれ。沖縄在住。琉球大学法文学部史学科地理学専攻・写真専門学校卒業。雑誌カメラマンを経て独立。国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。日本石巡礼(2003~2006)、世界石巡礼(2009~2010)を行う。2004年より巨石文化の魅力を伝えるため「石の語りべ」講演活動を展開。「石の聖地」研究、巨石マップ制作、巨石ツアーのコーディネートを行なっている。ザ・ロックツアー「琉球の聖なる石を訪ねる」を主催。2020年、島根大学大学院人文社会科学研究科言語・社会文化専攻(文化人類学)修士課程修了。