トルコの民俗芸能~【Pray for Turkey】チャイハネとトルコの最初の接点~

今回の大地震において被災された方々に哀悼を心より捧げます。トルコにとって歴史的な大災害となる恐れもあり、国際的な支援は不可欠な情勢です。

商売を通して民俗文化(フォークロア)伝えていくという理念で活動しているアミナコレクションは、創業者である進藤幸彦がトルコで民俗調査をしていたことが創業の原点になっております。45年前に開業したエスニック雑貨店「チャイハネ」もトルコ語で寄合茶屋を意味する言葉です。(株式会社アミナコレクション代表より)

創業者である進藤幸彦は、1969年、トルコ政府給費生としてトルコ民俗芸能の調査留学のため、トルコに船で渡りました。
1984年5月に発行されたシルクロード舞踏館(機関紙)にそのときの手記が掲載されています。原点となったトルコ留学をご紹介します。

花嫁行列

花嫁行列
めったに写真に撮れない風景。男女の区別が生きていて花嫁側の歌舞は男に見せない。じゅうたんの向うで躍る女たち。花嫁の髪には飾りと赤いバラがつけられている。地中海岸 シリフケにて(文・撮影 進藤幸彦)

暖かい季節がやってくると、アナトリア高原の村々や、エーゲ海、黒海、地中海のトルコの村々では、日曜日ごとに「ダウル」(和太鼓と音がよく似た太鼓)と「ズルナ」(チャルメラとクラリネットの中間的楽器)の、人を誘いこむような演奏がきこえる。
どこかの村でかならず結婚式だ。

そして花嫁行列が出てくる風景ともなれば、タクシー、トラクター、トラックの上に親類縁者、村人、友人、そして友人のまた友人が満載され、彼らは狭い荷台に総立ちとなって、てんでに両手を高く指を鳴らし腰をゆすり、トラックのけたたましい警笛、その上で叩きつづけるダウルのリズム、ラク(アプサンに似たトルコ特有の酒)やシャラップ(ぶどう酒)に酔いしれ、歓声をあけながら、白いほこりを巻きあけて曲りくねった白壁の村の道を行く。

厳しい冬のアナトリア

厳しい冬のアナトリア
冬のカッパドキア

暖かい季節になって、ぼくがどんなに助かったかいいつくせない。舞 踊民俗の調査という研究は実際にナマの舞踊を見られないなら、ほとんど意味がない。
ところがトルコ族のような牧畜と小麦耕作を主とした民族では、舞踊は九割八分、結婚式に現れる。そして結婚式のシーズンは小麦の刈入れのすんだ夏・秋を冒頭にして、刈人れ前の春がつぎ、冬の間は見つけるのが困難である。

海岸地方なら三月、コウノトリがこの上なく優雅な交尾をローマ遺跡の柱の上で公開するようになるころ、もう結婚式を捜し出すのに苦労はいらない。
ぼくはまるで結婚式狂いのように、あそこの結婚式からこっちの結婚式へとめぐりあるき、ついには婚式のカメラ マンの役 を引受けて、調査をスムーズにする方法を見出した。

しかし、冬のアナトリアでの調査は苦しかった。 そのころ、 ぼくのトルコ語が未熟だ ったせいもある。左手にテープレコーダー、右のショルダーバッグに8ミリやカメラ、それにノートも辞書を投げこんで、村への長い一本道を登山グツで歩きだす。

行手の丘の上にちぢこまった集落は泥によごれた平家の集りで、その丘を孤立させ、荒々しいうねりを見せる無人のアナトリア高原は重たげに雪をはらんだ雲のひとり舞台。ぼくは気押されてぬかるみに立止ること がしばしばであった。

チャイハネで出会った青年たち

おまけに村々は貧しかった。
男たちは村のチャイハネ(茶店)で、冬の日なかをトランプやトルコチェスをやり、チャイ(紅茶)やオラレット(果実を入れた一種の飲み物)や濃いトルココーヒーを飲んで漫然と時を過ごしている。

花嫁行列
銅製のジェズベで淹れたトルココーヒー(非常に細かく挽いたコーヒー豆をろ過せずに作り、出されたコーヒーの中にかすが残ります。)

どの人が古い習俗を知っているかわかるまでは、このチャイハネが役に立った。一人で村に入ると、小学校かチャイハネを捜す。
黙ってチャイハネの戸をあけ、空いた席へまっすぐ歩いてすわりこむと、外国人の訪れることなどない村の人を驚かすのに十分で、ゲームの手がぴたりと止り、すべての目がぼくに向う。

黒いひげ、黒い瞳、なかには金髪もまじる。よれよれの鳥打帽と使い古した背広。
そしてぼくを救ってくれるのは、いつも青年たちだ。ちょっとほほえむと、すぐ二、三人が立ってくる。

「どこから?」
「ジャポン(日本)だって?」
青年たちの声に、わっと机の回りに人々が集まる。

村人たちはチャイを何杯もとってくれ、宿のことを心配し、村の案内までつとめてくれる。日露戦争や広島へと、ジャポンへの強い関心と人気はおとろえず、例外だったのはただ一人チャイハネの主人だ。

代金を支払う段になって、おごろうとする村の人といい争っていたとき、
「ジャポンもドイツと同じ帝国主義。トルコ人はいつも帝国主義に支払っているんだ。チャイまでおごることはない。奴に払わせろ。」
と顔を赤くした。村人たちは唖然として主人とぼくを見つめ、ぼくはトルコの村でどのくらい、反帝国主義があるのか知らなかったので不安に襲われ、言葉に窮した。青年たちはそのと きもぼくを救っ てくれた。

「トルコの民俗舞踊を愛してるんだ。トルコ人が調べなきゃいけないことをやってくれているんだ」
こうしてぼくはトルコのわびしい寒村で大切にされ、心の熱い友だちを得て、調査の糸口を見出すことができたのであった。

人間対人間の踊り

トルコには仮面をつけた舞踊がない。何者かへの礼拝の 儀礼として行われる舞踊は、ほとんどない。踊る者も見る者も、最大の関心事は人間の動き、律動的な下半身の動きとそのリズムである。

ホロン踊り上手の悩み
ビサンチン帝国と争ったころから伝わるという古都ブルサの躍りクルチ・カルカン(半月刀と盾)。ヨーロッパで数々の賞を得ている。(文・撮影:進藤幸彦)

二人が向いあい、多数が列や円を成して腕を組みあい、または一人が大勢の前にでる。彼らの舞踊構成は常に人間対人間である。そしてリズムの面白さに加えて、列の交錯や円の変形など空間構成の面白さが彼らをとらえる。
踊り手たちはそのとき独特のキラキラした目の光と徴笑を浮べ、「ヘイ、ヘイ・ヘエーイ」とかけ声をかけつつ踏込むのだ。その足はまるで並んだ駿馬の前足のように、繊細な動きをみせる。

結婚式の村の広場でズボンをほこりで白くして、真剣にバル(東アナトリアの踊り)のステップをふむ男たちも、奥地へ行く友を見送り、駅頭で涙ながらに組まれたハライ(中・東部アナトリアの踊り)の列も、ピクニックへ行く学生たちがバスにダブルカ(土壺の太鼓)を持ちこんで猛スビードの車内で踊ったチフテエテッリ(腰をゆする性的舞踊)も皆、人間の持つ生々しい情熱を露呈していた。黒海に近いある村で、この地方特有のホロン(全身を震わせる踊り) の踊り上手は、小学校の先生だった。

ホロン踊り上手の悩み

とうもろこしのパンが主食のその村には胃腸病が多く、彼もそのとき、片腹をおさえて調子が悪かった。
「民俗舞踊なんて、幸福で気分のいいとき、踊るもんだよ」
彼は顔をゆがめて笑ってみせた。
「世の中が変った ら、いくらでも踊 ってみせるさ」
彼はこの十年間に観光省が資金を援助して各地に誕生させた民俗舞踊チームや民俗舞踊祭をきらっていた。

トルコの民俗舞踊は日本の民俗芸能の持つような呪術性 ・宗教性をイスラム化によって一掃したが、ヨーロッパの民族舞踊で稀薄となった野性の迫力を持っている。

音符♪を思わせる姿をした踊り=ホロンのほか、アナトリアのいくつもの民俗舞踊チームが「悪魔の踊り」などと驚嘆されてヨーロッパのコンクールでよく優勝してくる。だから外資不足に悩むトルコ政府が観光資源と見なすわけだが、それは民族舞踊の何かを見失うことでもある。

ぼくは納得して帰りかけた。そのぼくの背をたたいて、彼は手早く教室のイスを片づけ、ケマン(トルコバイオリン)の早い旋律を口ずさんで、幻惑的なホロンのステップを始めてくれた。

バウスズ・テュルキエ(自主独立のトルコ)!

アンカラ城塞と首都アンカラの眺め
アンカラ城塞と首都アンカラの眺め

帰国後、新聞でアンカラの中東工科大学の学生が学内に塹壕を掘り、政府軍とゲリラ戦をして死者が出たという記事を見た。ぼくは冬のアンカラで開かれた、中東工科大学民俗クラブ主催の高校民俗舞踊大会を思い出した。トルコ全土から集った九つの高校の踊り手たちは観衆の歓呼の中で、次々にそれぞれの地方の踊りを披露し、ぼくは夢中になって記録 をとりつつ、それを参考 にして調査地を決めたのである。

大会の最後には、どこからともなく「バウスズ・テュルキエ(自主独立のトルコ)! バウスズ・テュルキエ!」の斉唱が始まり、会場いっぱいに波及する、熱気のこもった舞踊大会だった。プログラム巻頭に中東工科大学民俗クラブのR・ジハット ・クルチ君は次のように書いていた。

「世代から世代へ、社会存続の基礎になるものを今日に伝えてくれたのは民俗芸術である。何百年の歴史にもかかわらず、人々のセンスに、同じ情熱と、同じ素直さを与えてくれたのも民俗芸術である。ハライを踊り、テュルクを歌い、民族詩を詠んで、アナトリアの人民は情緒だけでなくその生活を表現している。欠乏と圧迫の苦痛に対し、世界の重苦しい連命に対し、アナトリアの人々は芸術で向いあったのだ。そして重苦しいこの世界との戦争の場において彼らのそばにつくために、われわれは彼らの使った式器・民俗芸術を、すなわち民族の知識を用いなければならない」

進藤幸彦
1984年5月 シルクロード舞踏館 創立3周年記念(改行や見出しなどを見やすく加えました。)

チャイハネのトルコ地震復興支援について 

チャイハネのトルコ地震復興支援について

チャイハネが行う2つの取り組み

【支援対象Tシャツの売上を全額寄付】

◇取り組みにご賛同いただいたコラボ企業/著名
株式会社横浜ビール/株式会社尾島商店/SUI INTERNATIONAL株式会社/HEM CORPORATION PVT. LTD./洋輔

【お客様とのダブル募金による寄付】

お客様と一緒にできる取り組みとして、お客様からの寄付金に加え、弊社からもその同額を寄付する「ダブル募金」を実施いたします。
この取り組みは、2023年2月11月(土)よりチャイハネ全店舗に配置する募金箱を通じてご参加いただけます。

チャイハネとは、地域の方々がふらっと集まれる、コミュニティを繋ぐ寄合茶屋を意味します。人と人が繋がって、必要な時には助け合う、という心が今こそ求められていると思います。
チャイハネはお客様と取り組む支援のあり方を検討していきます。ぜひ支援に参加していただき、資金とともに私たちなりの誠の気持ちが被災地に届けられればと思います。

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