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金華山島は牡鹿半島から離れて東側にある。半島先端の、最寄の鮎川港の前には見えない。港の後ろの御番所公園に登るとすぐ真下に現れる。
聖武天皇が東大寺の大仏を建立しようとしていた時、奥州から吉報が入った。陸奥の山から金が出たというのである。 陸奥の守として派遣されていた百済の王(コニキシ)敬福が砂金を九百両分も天皇に献上した。天皇はおおいに喜び年号を天平勝宝と変えたぐらいだ。大伴家持も歌をうたってこのことを祝った。
すめらぎの 御世さかえんと あずまなる みちのく山に 黄金花咲く (大伴家持)
翌年その祝事にちなみ、牡鹿の連、宮麿らがあいはかって、国主に請願し金華山に金をつかさどる金山比古、金山比売神を祀る神社を創建した。これが金華山の黄金山神社で、この山は奥州に入ってくる船団からは真っ先に目に入ってくる牡鹿半島突先の円錐形の山なので「みちのく山」とよばれたらしい。
原始信仰も濃厚な山だったし、産金地もここだと思われたのも無理も無い。しかし実際に金の出た山はここではなく、隣の遠田郡の湧谷町の黄金山だったらしい。そこにも黄金山神社が有るのだ。
金華山は全て花崗岩の山で金が出る可能性は少ないという。しかしこの誤解は信仰にはあまり影響しなかった。今でも参拝者たちはかつて有数の良質の金を産出したお山と信じている人が多い。偶然同行した北九州の元石巻出身の六十代の女性もそう力説していた。彼女は年に三回参拝に来るという。黄金の神、金運の神として開運、商売繁盛のご利益があるという。
聖なる山という雰囲気はどこにも負けないぐらい殷々と漂っている。島の形態自体、玄界灘の孤島の御神体島、沖ノ島とそっくりである。 ただ高さが四百四十五mと沖ノ島の二百四十三mの倍近く、周囲も二十六キロと六倍以上ある。牡鹿半島から見ると日の出の上がる島、春先には濃霧に包まれる神秘的な島である。 御神体島の雰囲気は同じだ。桟橋で船を降り、左手に鳥居をくぐって山を登るのも似ている。
違うのは松の木だ。こちらは錚々と高い松がそびえている。台風の跡がある。倒木が根元から切られ、新たな若松が植えてある。鹿に食われないようにくるんである。平成十八年の低気圧が倒したという。
残念だがそれでも残った松林からも鳥居から神聖な雰囲気がうかがえる。 曲がりくねった道を上がると草山に出る。その草山は御神木の展示場のようで、まず「かやのき」の群。これは伽耶の木と書いて韓国の大伽耶山のなじみの樹か。それから大銀杏の群、もみの立派な柱状の木蔭。ブナ、くるみなどの見事な樹林が続く。ゆっくりと見届けながら歩いていける。
神社の右側に流れる清流は自然のままだが、川沿いの道はそのまま登山道になり、六十分で山頂の奥の宮オオワダツミ神社にいたる。また頂上から十分くらい下ると天柱石という立神が立っている。高さ八mくらい、原始の磐座と思われる。
社殿の大広間の前、境内の目立つところに松と楓の根元が一緒になった樹齢数百年の御神木がある。何度見ても不思議な樹である。時々神社に見かけるこういう奇妙な樹はどうやって生まれるのだろう。
東北大震災の時、震源が最も近かった島。この海峡の海は南北に真っ二つに裂け、一瞬海底が見えた。そして直後には両方向からの大津波が激突したという。その様子は避難した参拝客のカメラマンが撮影している。
進藤彦興著 『詩でたどる日本神社百選』から抜粋
金華山島は牡鹿半島から離れて東側にある。半島先端の、最寄の鮎川港の前には見えない。港の後ろの御番所公園に登るとすぐ真下に現れる。
聖武天皇が東大寺の大仏を建立しようとしていた時、奥州から吉報が入った。陸奥の山から金が出たというのである。
陸奥の守として派遣されていた百済の王(コニキシ)敬福が砂金を九百両分も天皇に献上した。天皇はおおいに喜び年号を天平勝宝と変えたぐらいだ。大伴家持も歌をうたってこのことを祝った。
すめらぎの 御世さかえんと
あずまなる みちのく山に
黄金花咲く
(大伴家持)
翌年その祝事にちなみ、牡鹿の連、宮麿らがあいはかって、国主に請願し金華山に金をつかさどる金山比古、金山比売神を祀る神社を創建した。これが金華山の黄金山神社で、この山は奥州に入ってくる船団からは真っ先に目に入ってくる牡鹿半島突先の円錐形の山なので「みちのく山」とよばれたらしい。
原始信仰も濃厚な山だったし、産金地もここだと思われたのも無理も無い。しかし実際に金の出た山はここではなく、隣の遠田郡の湧谷町の黄金山だったらしい。そこにも黄金山神社が有るのだ。
金華山は全て花崗岩の山で金が出る可能性は少ないという。しかしこの誤解は信仰にはあまり影響しなかった。今でも参拝者たちはかつて有数の良質の金を産出したお山と信じている人が多い。偶然同行した北九州の元石巻出身の六十代の女性もそう力説していた。彼女は年に三回参拝に来るという。黄金の神、金運の神として開運、商売繁盛のご利益があるという。
聖なる山という雰囲気はどこにも負けないぐらい殷々と漂っている。島の形態自体、玄界灘の孤島の御神体島、沖ノ島とそっくりである。
ただ高さが四百四十五mと沖ノ島の二百四十三mの倍近く、周囲も二十六キロと六倍以上ある。牡鹿半島から見ると日の出の上がる島、春先には濃霧に包まれる神秘的な島である。
御神体島の雰囲気は同じだ。桟橋で船を降り、左手に鳥居をくぐって山を登るのも似ている。
違うのは松の木だ。こちらは錚々と高い松がそびえている。台風の跡がある。倒木が根元から切られ、新たな若松が植えてある。鹿に食われないようにくるんである。平成十八年の低気圧が倒したという。
残念だがそれでも残った松林からも鳥居から神聖な雰囲気がうかがえる。
曲がりくねった道を上がると草山に出る。その草山は御神木の展示場のようで、まず「かやのき」の群。これは伽耶の木と書いて韓国の大伽耶山のなじみの樹か。それから大銀杏の群、もみの立派な柱状の木蔭。ブナ、くるみなどの見事な樹林が続く。ゆっくりと見届けながら歩いていける。
神社の右側に流れる清流は自然のままだが、川沿いの道はそのまま登山道になり、六十分で山頂の奥の宮オオワダツミ神社にいたる。また頂上から十分くらい下ると天柱石という立神が立っている。高さ八mくらい、原始の磐座と思われる。
社殿の大広間の前、境内の目立つところに松と楓の根元が一緒になった樹齢数百年の御神木がある。何度見ても不思議な樹である。時々神社に見かけるこういう奇妙な樹はどうやって生まれるのだろう。
東北大震災の時、震源が最も近かった島。この海峡の海は南北に真っ二つに裂け、一瞬海底が見えた。そして直後には両方向からの大津波が激突したという。その様子は避難した参拝客のカメラマンが撮影している。
進藤彦興著 『詩でたどる日本神社百選』から抜粋