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初めてネパールに行ったのは1985年2月、もう40年近く前になります。
ヒマラヤを眺めながらの山歩き(トレッキング)を計画しカトマンズに降り立った時は19歳でした。 格安航空券のフライトは、現地に夜到着する便が多いです。私が乗ったバングラデシュ航空機は、その設定からさらに遅れてカトマンズに到着しました。
当時のカトマンズ国際空港は、せいぜいバスターミナル並みの規模でしかありません。 チェックイン時に預けていた荷物は自動のターンテーブルに出て来るのではなく、カートから人力で降ろされ、木製の固定テーブルに直接“ドンッ”と置かれ、持ち主が来るのを待っていました。
空港から外に出ると沢山の客引きが声をかけてきます。その中から、真面目で気弱そうなタイプを選び、カトマンズの夜道をボロボロのタクシーに揺られて安宿街を目指しました。
停電じゃないよね?と思う程に街が暗い…。当時も日本や東南アジアの街は、沢山の蛍光灯で不必要な程に照らされていましたが、南アジアの入り口カトマンズの街は、ぶら下がった裸電球、60ワットの灯りにぼんやりと浮かんで見えました。
フリークストリートという安宿街で宿探しを開始。 “本当にホットシャワー出るの?”と聞いた時に、“もちろん!”と爽やかな笑顔で応えてくれたオーナーの宿(一泊200円くらいだったかな?)に泊まる事にしました。部屋には裸電球がひとつだけぼんやりと…。 これが初ネパール初日の記憶です、その日からネパールとの長い付き合いが始まりました。
当時、カトマンズの安宿街の中心が、フリークストリートからタメル地区に移る頃でした。
そんなエリアには、安宿、安チケット屋、外貨両替屋、カーペット屋、チベット料理食堂などが並んでいます。そんなレギュラー陣の中、時々カラフルなコットンバッグ屋に出会う事がありました。
カラフルな太いコットンの糸でザックリと織られた布、現地の言葉でGheri(ゲーリ)と呼ぶそうです。その帯状の布が、小さな店内に所狭しと積まれているのが特徴です。カラフルなストライプ柄の大きなトイレットペーパーが100巻積まれていて壁が見えない状況を想像してもらうと良いと思います。
店内に客が2人も入れば一杯になり、3人目は外から覗き込む事になります。バッグの型見本がいくつか軒下にぶら下がっている程度で、基本は布問屋の様な店構え。店の奥には古いミシンが置かれています。
旅人は、バッグの形を選び、本体用の布、ポケット用、ベルト用など好きな色柄の組み合わせで布を選びます。 当時のゲリコットンは幅が狭いのが特徴で1.5インチ(3.75センチ=主にベルト用)、5インチ(12.5センチ=主にパスポートポーチ本体用)~15インチ(37.5センチ=バッグ本体用)位までの3~4チョイスのみ、その組み合わせで作るのが面白い。
今日注文するなら、明後日の夕方には出来てるよ!という簡単オーダーメイドシステムでした。自分だけのオリジナルバッグがイメージ通りに出来上がってくるか、ワクワクして待ちきれなかったのを覚えています。
私はその4年後にアミナコレクションに入社。現地の皆さんと一緒に商品作りをする立場になって33年、現在に至ります。
まずは、現地にある物の組み合わせからオリジナルの色、柄、形で商品を企画する様になりました。ネパールから世界中へ輸出される商品となり、求められる品質を実現する為に現地の生産ユニットも進化してきました。 専門的な染色設備で糸を染め、広いスペースに大きな織機を置いて幅の広い生地を織る事が一般的になりました。
そんな変化の中、現在でも木製の織機で、職人さんの手によって織られている事に変わりはありません。
2019.12月。久しぶりにネパールゲリコットンが織られている工房を訪問しました。 カトマンズ中心地から北へ10キロ位、バイクの後ろで揺られながら埃っぽい道をひたすら走って30分。田園風景の中にある小屋に到着しました。
中から音が聞こえてきます、木製の手織り機が奏でる音はリズミカルで耳にやさしく心地良いですね。
小屋の中には数台の織機、染めた糸を工程に合わせて小さく巻き直す器具、縦糸を張る工程の為の大きな装置が置かれています。 建物を含めて、ここにあるもの全てに手作り感が溢れています。
なぜこの工房は田園風景の中にポツンとあるのでしょう?
周りは農業を営む家ばかりです。農繁期には農作業の合間合間に、農閑期にはフルタイムで機織りをするのに都合が良いからです。 年間定番商品の生産であれば、農閑期である冬場、彼らが仕事を必要としていて生産キャパシティーが十分な時期に合わせられれば良いですね。 田植えの時期や収穫の時期にはあまり期待しない方が良いとも言えます。
何時までに織りあげないと!と言う様なノルマに追われているようには見えません。手織り機のリズムがタタンタタンと続いていて、ゆったりとした時間の流れを感じます。 何度目かのチャイブレイク後、夕方暗くなってくると作業終了、それぞれの家に帰っていきます。
ネパールの商品の多くがハンドメイドです。手織りだったり、手編みだったり、手漉き紙だったり。不揃いながらも柔らかくてほっこりした風合いになるのが魅力です。 作り手さんの手の温もりが伝わって来ますね。
ネパールのGheri(ゲーリ)Cottonについて書いてきました。
現地では誰もが知っているこの布の名前ですが、意味や由来を知る人がいません。 そもそも意味のあるネパール語ではないのです。
ネパールには多種多様な民族が生活を営んでいますが、どうやらチベット系由来ではないかというかという説を唱える人に出会いました。 初めてこの布を織って普及させたのがGheri(ゲーリ)さんというチベット系の女性だったという説です。
確かに80年代に私が出会ったバッグ屋さんは皆チベット系の民族でした。 チベットの女性が身に着ける民族衣装は、カラフルなウールのエプロンが印象的です。15センチ幅くらいの帯状の布を横に3枚並べて繋ぎ合わせて作られています。 素材は違っても共通点はありますね。
諸説あると思います、また機会があったらルーツを探ってみます。 もし、何か知っている人がいたら、是非その説を聞かせてください。
元バックパッカー・現商品本部長 1989入社 履歴書に書いた海外渡航歴が決め手で採用される。 その後、世界の生産地を駆け巡って33年。 そろそろ…またバックパッカーに戻りたいと思っている。
初めてネパールに行ったのは1985年2月、もう40年近く前になります。
ヒマラヤを眺めながらの山歩き(トレッキング)を計画しカトマンズに降り立った時は19歳でした。
格安航空券のフライトは、現地に夜到着する便が多いです。私が乗ったバングラデシュ航空機は、その設定からさらに遅れてカトマンズに到着しました。
当時のカトマンズ国際空港は、せいぜいバスターミナル並みの規模でしかありません。
チェックイン時に預けていた荷物は自動のターンテーブルに出て来るのではなく、カートから人力で降ろされ、木製の固定テーブルに直接“ドンッ”と置かれ、持ち主が来るのを待っていました。
空港から外に出ると沢山の客引きが声をかけてきます。その中から、真面目で気弱そうなタイプを選び、カトマンズの夜道をボロボロのタクシーに揺られて安宿街を目指しました。
停電じゃないよね?と思う程に街が暗い…。当時も日本や東南アジアの街は、沢山の蛍光灯で不必要な程に照らされていましたが、南アジアの入り口カトマンズの街は、ぶら下がった裸電球、60ワットの灯りにぼんやりと浮かんで見えました。
フリークストリートという安宿街で宿探しを開始。
“本当にホットシャワー出るの?”と聞いた時に、“もちろん!”と爽やかな笑顔で応えてくれたオーナーの宿(一泊200円くらいだったかな?)に泊まる事にしました。部屋には裸電球がひとつだけぼんやりと…。
これが初ネパール初日の記憶です、その日からネパールとの長い付き合いが始まりました。
当時、カトマンズの安宿街の中心が、フリークストリートからタメル地区に移る頃でした。
そんなエリアには、安宿、安チケット屋、外貨両替屋、カーペット屋、チベット料理食堂などが並んでいます。そんなレギュラー陣の中、時々カラフルなコットンバッグ屋に出会う事がありました。
カラフルな太いコットンの糸でザックリと織られた布、現地の言葉でGheri(ゲーリ)と呼ぶそうです。その帯状の布が、小さな店内に所狭しと積まれているのが特徴です。カラフルなストライプ柄の大きなトイレットペーパーが100巻積まれていて壁が見えない状況を想像してもらうと良いと思います。
店内に客が2人も入れば一杯になり、3人目は外から覗き込む事になります。バッグの型見本がいくつか軒下にぶら下がっている程度で、基本は布問屋の様な店構え。店の奥には古いミシンが置かれています。
旅人は、バッグの形を選び、本体用の布、ポケット用、ベルト用など好きな色柄の組み合わせで布を選びます。
当時のゲリコットンは幅が狭いのが特徴で1.5インチ(3.75センチ=主にベルト用)、5インチ(12.5センチ=主にパスポートポーチ本体用)~15インチ(37.5センチ=バッグ本体用)位までの3~4チョイスのみ、その組み合わせで作るのが面白い。
今日注文するなら、明後日の夕方には出来てるよ!という簡単オーダーメイドシステムでした。自分だけのオリジナルバッグがイメージ通りに出来上がってくるか、ワクワクして待ちきれなかったのを覚えています。
私はその4年後にアミナコレクションに入社。現地の皆さんと一緒に商品作りをする立場になって33年、現在に至ります。
まずは、現地にある物の組み合わせからオリジナルの色、柄、形で商品を企画する様になりました。ネパールから世界中へ輸出される商品となり、求められる品質を実現する為に現地の生産ユニットも進化してきました。
専門的な染色設備で糸を染め、広いスペースに大きな織機を置いて幅の広い生地を織る事が一般的になりました。
そんな変化の中、現在でも木製の織機で、職人さんの手によって織られている事に変わりはありません。
2019.12月。久しぶりにネパールゲリコットンが織られている工房を訪問しました。
カトマンズ中心地から北へ10キロ位、バイクの後ろで揺られながら埃っぽい道をひたすら走って30分。田園風景の中にある小屋に到着しました。
中から音が聞こえてきます、木製の手織り機が奏でる音はリズミカルで耳にやさしく心地良いですね。
小屋の中には数台の織機、染めた糸を工程に合わせて小さく巻き直す器具、縦糸を張る工程の為の大きな装置が置かれています。
建物を含めて、ここにあるもの全てに手作り感が溢れています。
なぜこの工房は田園風景の中にポツンとあるのでしょう?
周りは農業を営む家ばかりです。農繁期には農作業の合間合間に、農閑期にはフルタイムで機織りをするのに都合が良いからです。
年間定番商品の生産であれば、農閑期である冬場、彼らが仕事を必要としていて生産キャパシティーが十分な時期に合わせられれば良いですね。
田植えの時期や収穫の時期にはあまり期待しない方が良いとも言えます。
何時までに織りあげないと!と言う様なノルマに追われているようには見えません。手織り機のリズムがタタンタタンと続いていて、ゆったりとした時間の流れを感じます。
何度目かのチャイブレイク後、夕方暗くなってくると作業終了、それぞれの家に帰っていきます。
ネパールの商品の多くがハンドメイドです。手織りだったり、手編みだったり、手漉き紙だったり。不揃いながらも柔らかくてほっこりした風合いになるのが魅力です。
作り手さんの手の温もりが伝わって来ますね。
ネパールのGheri(ゲーリ)Cottonについて書いてきました。
現地では誰もが知っているこの布の名前ですが、意味や由来を知る人がいません。
そもそも意味のあるネパール語ではないのです。
ネパールには多種多様な民族が生活を営んでいますが、どうやらチベット系由来ではないかというかという説を唱える人に出会いました。
初めてこの布を織って普及させたのがGheri(ゲーリ)さんというチベット系の女性だったという説です。
確かに80年代に私が出会ったバッグ屋さんは皆チベット系の民族でした。
チベットの女性が身に着ける民族衣装は、カラフルなウールのエプロンが印象的です。15センチ幅くらいの帯状の布を横に3枚並べて繋ぎ合わせて作られています。
素材は違っても共通点はありますね。
諸説あると思います、また機会があったらルーツを探ってみます。
もし、何か知っている人がいたら、是非その説を聞かせてください。
筆者プロフィール:上原 伸郎(うえはら しんろー)
元バックパッカー・現商品本部長
1989入社
履歴書に書いた海外渡航歴が決め手で採用される。
その後、世界の生産地を駆け巡って33年。
そろそろ…またバックパッカーに戻りたいと思っている。