人気のキーワード
★隙間時間にコラムを読むならアプリがオススメ★
ハワイの伝統的な民俗舞踊「フラ」。 今でこそ世界中の人々に踊られ、愛されているフラですが、その歴史の背景は消して明るいものばかりではありませんでした。
ハワイの人々が大切に受け継ぎ、大切に守り抜いてきたもの。その歴史背景を知れば、フラのことがもっと好きになるはず。今回は、知られざるフラの歴史と、日本とハワイの深い関りについてご紹介いたします!
日本ではフラダンスと呼ばれることの方が多いですが、実は本場ハワイでは一般的にフラダンスではなく、フラと呼ばれ親しまれています。
なぜダンスが付かないのかというと、「フラ」とは、ハワイ語で「踊り」という意味なので、フラダンスを直訳すると「ダンスダンス」になってしまうからです。 訳が分かると、ハワイではフラと呼ばれている理由も納得ですね!
フラには大きく分けて「フラ・カヒコ」と「フラ・アウアナ」2つの種類が存在します。
「古典的な、はるか昔の」という意味を持つカヒコは、その言葉の通り古来ハワイから伝わる伝統的なフラの種類です。古くから伝わる神話や伝説、歴史などの要素を含む踊りで、古来ハワイでは神様に捧げる神聖な踊りとして表現されていました。
チャントという詩と打楽器のリズムに合わせて繰り広げられるカヒコは、非常に力強く、その昔は男性のみが踊ることができなかったとも言われています。
その一方でアウアナは、「古い形式から解き放たれた」や「新しいスタイル」という意味を持つ、現代風にアレンジされたフラです。神聖な踊りとされていたフラ・カヒコとは少し異なり、恋人を想う心や大漁の喜びをフラに込める要素があります。
ウクレレやギターに合わせてゆったりと踊るアウアナは、観光地などでもよく目にするフラで、多くの人が想像するフラはこのアウアナの方かもしれません。
ちなみに、フラと似た踊りで「タヒチアンダンス」というものがありますが、こちらはタヒチで生まれた踊りで、フラとは別のジャンルです。
大胆かつ情熱的な踊りが印象的なタヒチアンダンスはフラとはまた違った魅力が味わえます。気になる方は是非調べてみてくださいね。
フラについて正確な起源は未だ分かっていませんが、昔から語り継がれてきた神話や伝説にも登場するほど古くから存在していたと言われています。 それほど古くからハワイの人々の生活に寄り添い、大切に受け継がれてきたフラの歴史とは、いったいどのようなものなのでしょうか。
自然に神々が宿ると信じられていた古来ハワイでは、フラは自分が楽しむために踊るダンスではなく、神々に捧げる神聖な踊りとされていました。 まだ文字を持たなかった古来ハワイにおいて、動作に意味を持つフラが文字の代わりとなり、神々や人々と気持ちを交わすコミュニケーションツールとして大切に踊られてきたのです。
神々に感謝し信仰する気持ち、言葉では表現しきれないもどかしい気持ち、そして後世に伝え続けたい歴史や出来事までをもフラで表現し、今こうして現代まで受け継がれています。
現代では、耳や口が不自由な方にも親しまれ、施設などではフラのワークショップが開催されることもあるようです。 手話の要素を含むフラは、時には神聖で、時には心や気持ちの表現手段として、今も昔も変わらず人々の生活にそっと寄り沿っているのですね。
何世紀にも渡って受け継がれてきたフラですが、長い歴史の中、表舞台から姿を消した時期がありました。
18世紀後半、それまで孤島として独自の文化や歴史を築いてきたハワイが西洋文明に発見された時のことです。世界の各地で植民地を広げる西洋人がハワイにも流れ込み、キリスト教の宣教師によってフラが迫害され始めました。
「フラは野蛮でみだらな踊り」
その一方的に非難をした西洋人は、公の場でフラを踊ることも、フラの文化を教育することも禁じ、その後約54年もの長い間フラは表舞台から姿を消すこととなりました。
何度も復活を試みるもなかなか上手くいかない中、ハワイ王朝としての最後の王様カラカウア王は、西洋人が受け入れやすい形にフラの伝統を変化させ、ハワイの伝統を守ろうとします。
様々な方法でフラを守ろうとしたカラカウア王は、自身の即位式の際に公式の場でフラを披露し、このことがきっかけで正式にフラが解禁されました。
解禁されて良かったと思うと同時に驚くのが、54年もの長い間フラは表舞台から姿を消していたのにも関わらず、フラの伝統文化はハワイの一部の人々によって大切に守られていたことです。
消滅してもおかしくない状況下でフラがまた表舞台に立つことができたのは、カラカウア王をはじめ、フラを大切に思うハワイの人々の強い気持ちがあったからですね。
フラを救ったカラカウア王は、ハワイの人々から親しみと尊敬の意を込めて「メリー・モナーク」(陽気な王様)と呼ばれ、今も尚ハワイの人々から愛され続けています。
フラを復活させたことで有名なカラカウア王ですが、実は世界で初めて世界一周をした王様としても知られています。欧米の実業家が大勢ハワイにやってきて力を持つようになる中、外交関係を改善させることが目的だったようです。
アジア、ヨーロッパ諸国を約10カ月かけて廻ったそうですが、その間で日本へも来日されており、日本と連合を結ぶために、密かに姪のカイウラニ王女と山階宮定麿王(やましなのみやさだまろおう)との縁談話を明治天皇に持ちかけたという一説もあるんですよ。 日本との関係を構築し、ハワイに次々とやってくる白人(アメリカ人)に対抗したいと考えていたのだとか。
その縁談は丁重にお断りする流れになったようですが、この訪日をきっかけに日本とハワイは条約を締結し、移民が渡航できるようになりました。
この縁談が結ばれていたら、未来は大きく変わっていたかもしれませんね。
音楽に合わせてゆったりと、優雅に優美に踊るフラ。 ハワイの人々にとってフラはただのダンスではなく、ハワイの歴史と伝統そのものです。
こうした背景を知り、改めてフラを観たり踊ったりすると、これまでとは少し違った魅力が感じられるかもしれません。
日本でハワイを感じたいならここに行くべし!▼
【アロハテラス木更津】東京から一番近いハワイに行ってみた!
この記事が好きなあなたにおすすめ▼
フラで気持ちを表現する~ハンドモーションに込められた意味~
ハワイの伝統的な民俗舞踊「フラ」。
今でこそ世界中の人々に踊られ、愛されているフラですが、その歴史の背景は消して明るいものばかりではありませんでした。
ハワイの人々が大切に受け継ぎ、大切に守り抜いてきたもの。その歴史背景を知れば、フラのことがもっと好きになるはず。今回は、知られざるフラの歴史と、日本とハワイの深い関りについてご紹介いたします!
目次
フラとは?本場ハワイでは「フラダンス」とは呼ばない?
日本ではフラダンスと呼ばれることの方が多いですが、実は本場ハワイでは一般的にフラダンスではなく、フラと呼ばれ親しまれています。
なぜダンスが付かないのかというと、「フラ」とは、ハワイ語で「踊り」という意味なので、フラダンスを直訳すると「ダンスダンス」になってしまうからです。
訳が分かると、ハワイではフラと呼ばれている理由も納得ですね!
フラの種類は大きく分けて2つ
フラには大きく分けて「フラ・カヒコ」と「フラ・アウアナ」2つの種類が存在します。
フラ・カヒコ
「古典的な、はるか昔の」という意味を持つカヒコは、その言葉の通り古来ハワイから伝わる伝統的なフラの種類です。古くから伝わる神話や伝説、歴史などの要素を含む踊りで、古来ハワイでは神様に捧げる神聖な踊りとして表現されていました。
チャントという詩と打楽器のリズムに合わせて繰り広げられるカヒコは、非常に力強く、その昔は男性のみが踊ることができなかったとも言われています。
フラ・アウアナ
その一方でアウアナは、「古い形式から解き放たれた」や「新しいスタイル」という意味を持つ、現代風にアレンジされたフラです。神聖な踊りとされていたフラ・カヒコとは少し異なり、恋人を想う心や大漁の喜びをフラに込める要素があります。
ウクレレやギターに合わせてゆったりと踊るアウアナは、観光地などでもよく目にするフラで、多くの人が想像するフラはこのアウアナの方かもしれません。
「タヒチアンダンス」はフラではない
ちなみに、フラと似た踊りで「タヒチアンダンス」というものがありますが、こちらはタヒチで生まれた踊りで、フラとは別のジャンルです。
大胆かつ情熱的な踊りが印象的なタヒチアンダンスはフラとはまた違った魅力が味わえます。気になる方は是非調べてみてくださいね。
ハワイにおけるフラの歴史とは
フラについて正確な起源は未だ分かっていませんが、昔から語り継がれてきた神話や伝説にも登場するほど古くから存在していたと言われています。
それほど古くからハワイの人々の生活に寄り添い、大切に受け継がれてきたフラの歴史とは、いったいどのようなものなのでしょうか。
フラは大切なコミュニケーションツールだった
自然に神々が宿ると信じられていた古来ハワイでは、フラは自分が楽しむために踊るダンスではなく、神々に捧げる神聖な踊りとされていました。
まだ文字を持たなかった古来ハワイにおいて、動作に意味を持つフラが文字の代わりとなり、神々や人々と気持ちを交わすコミュニケーションツールとして大切に踊られてきたのです。
神々に感謝し信仰する気持ち、言葉では表現しきれないもどかしい気持ち、そして後世に伝え続けたい歴史や出来事までをもフラで表現し、今こうして現代まで受け継がれています。
現代では、耳や口が不自由な方にも親しまれ、施設などではフラのワークショップが開催されることもあるようです。
手話の要素を含むフラは、時には神聖で、時には心や気持ちの表現手段として、今も昔も変わらず人々の生活にそっと寄り沿っているのですね。
フラ消滅の危機を救ったハワイの人々とカラカウア王
何世紀にも渡って受け継がれてきたフラですが、長い歴史の中、表舞台から姿を消した時期がありました。
18世紀後半、それまで孤島として独自の文化や歴史を築いてきたハワイが西洋文明に発見された時のことです。世界の各地で植民地を広げる西洋人がハワイにも流れ込み、キリスト教の宣教師によってフラが迫害され始めました。
「フラは野蛮でみだらな踊り」
その一方的に非難をした西洋人は、公の場でフラを踊ることも、フラの文化を教育することも禁じ、その後約54年もの長い間フラは表舞台から姿を消すこととなりました。
何度も復活を試みるもなかなか上手くいかない中、ハワイ王朝としての最後の王様カラカウア王は、西洋人が受け入れやすい形にフラの伝統を変化させ、ハワイの伝統を守ろうとします。
様々な方法でフラを守ろうとしたカラカウア王は、自身の即位式の際に公式の場でフラを披露し、このことがきっかけで正式にフラが解禁されました。
解禁されて良かったと思うと同時に驚くのが、54年もの長い間フラは表舞台から姿を消していたのにも関わらず、フラの伝統文化はハワイの一部の人々によって大切に守られていたことです。
消滅してもおかしくない状況下でフラがまた表舞台に立つことができたのは、カラカウア王をはじめ、フラを大切に思うハワイの人々の強い気持ちがあったからですね。
フラを救ったカラカウア王は、ハワイの人々から親しみと尊敬の意を込めて「メリー・モナーク」(陽気な王様)と呼ばれ、今も尚ハワイの人々から愛され続けています。
実は日本とも深い関りがある?陽気な王様カラカウア王
フラを復活させたことで有名なカラカウア王ですが、実は世界で初めて世界一周をした王様としても知られています。欧米の実業家が大勢ハワイにやってきて力を持つようになる中、外交関係を改善させることが目的だったようです。
アジア、ヨーロッパ諸国を約10カ月かけて廻ったそうですが、その間で日本へも来日されており、日本と連合を結ぶために、密かに姪のカイウラニ王女と山階宮定麿王(やましなのみやさだまろおう)との縁談話を明治天皇に持ちかけたという一説もあるんですよ。
日本との関係を構築し、ハワイに次々とやってくる白人(アメリカ人)に対抗したいと考えていたのだとか。
その縁談は丁重にお断りする流れになったようですが、この訪日をきっかけに日本とハワイは条約を締結し、移民が渡航できるようになりました。
この縁談が結ばれていたら、未来は大きく変わっていたかもしれませんね。
フラとはハワイの歴史と伝統そのもの!
音楽に合わせてゆったりと、優雅に優美に踊るフラ。
ハワイの人々にとってフラはただのダンスではなく、ハワイの歴史と伝統そのものです。
こうした背景を知り、改めてフラを観たり踊ったりすると、これまでとは少し違った魅力が感じられるかもしれません。
日本でハワイを感じたいならここに行くべし!▼
【アロハテラス木更津】東京から一番近いハワイに行ってみた!
この記事が好きなあなたにおすすめ▼
フラで気持ちを表現する~ハンドモーションに込められた意味~