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民芸にはいろんな顔があります。 どの顔を思い浮かべながら話しを聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
バックナンバーは こちら から
それは神隠しにあったような一瞬の出来事だった。 インド滞在のベテラン高山と旅行慣れしている私がふたりともにいて、しかも十分に気をつけていて、ものの見事にやられた。しかもそのことでは悪名高いオールドデリーの駅頭、朝六時のことであった。
私たちは染めの本場、ジャイプールにインド国鉄を利用して出発することになっていた。十分に持ち物に気をつけ、駅に寝込んでいる人たちやら、何がなしうろついている人たちやらをくぐりぬけて、自分たちの名簿の出ている車両にたどりつき荷物をのせた。
車内にはまだ数人しか客はいず、私と高山は小荷物を指定席においたうえ、スーツケースをおくスぺースを目で探した。高山が後部座席へ見に行き、私も後を少し追ったが思い直して席に戻った。 何か感じが変わっている。
「あれ、かばんは?」。 戻って来た高山が血相を変えた。 隣の席の窓際には、初老の上品なサリーを着た婦人が、窓を少し開けてホームに立つ息子らしい男と話している。通路には誰もいない。だれかすれちがったのがひとりぐらいいたかもしれない。
「やられた!」と、高山が叫んだ。かばんごと盗まれたのだ。 古い染めや織りの生地を買うために何百万かの日本円とドルがごっそり入っていた。もちろんパスポートやチケットも。
警察、大使館、航空会社とまわって関係書類をそろえ、そしてお金は駐在所から借りて、今度はバスでジャイプールに向かった。道々、私と高山はデリー駅に巣くう泥棒の一族が、思いもしない大収穫に今頃どんな祝宴をやっているやら想像しては、くやしがった。
ジャイプールはかつてのラジャスタン王国の都で、砂漠の中に位置しているとは言え、ピンクシティーの名に恥じない美しい都市だ。その郊外にサンガネルやバグルーの染色で名高い村々がある。
タクシーの車窓の外に、色とりどりの木綿のベッドカバーが大地に敷いて干してある。いわゆる千枚田の風景を見ていたら少し怒りが収まってきた。
「いろんな色があるのが、インドだからな。しかたないな」
バグルーへの途中でまっさらな生地を洗っているところを見た。 砧でたたいて柔らかくする。と思うと、道に掘った穴の中の汚い水に、その洗った生地を突っ込んで汚している。
「ハルダーという木の実の粉で下染めしているんですよ。泥のなかの成分と徴妙に作用して、良い染めが出来ると言われています」と高山が言った。
黄色く染まった布地は天日に干され、今度は木製の版(ブロック)で、赤や黒の草花模様をつけていく。赤は茶色に近い赤でアリザニンと木の樹脂から生まれ、黒は馬の蹄鉄と黒砂糖の液を煮込んで出てくる汁から生まれる。最後に、牛の糞尿をとかしこんだ水に浸して仕上げ、千枚田にして天日にさらし、水をかけて汚れをおとす。
だいたい、このバグルーのプリントは渋い、古典的な草花模様が多いが、サンガネルでは積極的に輸出用商品に力を入れ、化学染料まで使って、カラフルで大胆なインドの装飾を生地のうえに復元して見せた。
今はインディゴ・ブルーやモス・グリーンの生地も含めて、バグルーの古い味のあるベッドカバー等に人気が出ている。
それにしても、あの美しいブロックプリントの生地が、これほど汚れた水に浸され、たたかれ、仕上がっていくとは知らなかった。
「人間も同じですね」
私と高山は慰めあっていた。
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
第一刷 一九九二年九月
民芸にはいろんな顔があります。
どの顔を思い浮かべながら話しを聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
バックナンバーは こちら から
世界民芸曼陀羅 インド編
13 バグループリント ~ 泥水に浸されて際立つ色と模様 ~
それは神隠しにあったような一瞬の出来事だった。
インド滞在のベテラン高山と旅行慣れしている私がふたりともにいて、しかも十分に気をつけていて、ものの見事にやられた。しかもそのことでは悪名高いオールドデリーの駅頭、朝六時のことであった。
私たちは染めの本場、ジャイプールにインド国鉄を利用して出発することになっていた。十分に持ち物に気をつけ、駅に寝込んでいる人たちやら、何がなしうろついている人たちやらをくぐりぬけて、自分たちの名簿の出ている車両にたどりつき荷物をのせた。
車内にはまだ数人しか客はいず、私と高山は小荷物を指定席においたうえ、スーツケースをおくスぺースを目で探した。高山が後部座席へ見に行き、私も後を少し追ったが思い直して席に戻った。
何か感じが変わっている。
「あれ、かばんは?」。
戻って来た高山が血相を変えた。
隣の席の窓際には、初老の上品なサリーを着た婦人が、窓を少し開けてホームに立つ息子らしい男と話している。通路には誰もいない。だれかすれちがったのがひとりぐらいいたかもしれない。
「やられた!」と、高山が叫んだ。かばんごと盗まれたのだ。
古い染めや織りの生地を買うために何百万かの日本円とドルがごっそり入っていた。もちろんパスポートやチケットも。
警察、大使館、航空会社とまわって関係書類をそろえ、そしてお金は駐在所から借りて、今度はバスでジャイプールに向かった。道々、私と高山はデリー駅に巣くう泥棒の一族が、思いもしない大収穫に今頃どんな祝宴をやっているやら想像しては、くやしがった。
ジャイプールはかつてのラジャスタン王国の都で、砂漠の中に位置しているとは言え、ピンクシティーの名に恥じない美しい都市だ。その郊外にサンガネルやバグルーの染色で名高い村々がある。
タクシーの車窓の外に、色とりどりの木綿のベッドカバーが大地に敷いて干してある。いわゆる千枚田の風景を見ていたら少し怒りが収まってきた。
「いろんな色があるのが、インドだからな。しかたないな」
バグルーへの途中でまっさらな生地を洗っているところを見た。
砧でたたいて柔らかくする。と思うと、道に掘った穴の中の汚い水に、その洗った生地を突っ込んで汚している。
「ハルダーという木の実の粉で下染めしているんですよ。泥のなかの成分と徴妙に作用して、良い染めが出来ると言われています」と高山が言った。
黄色く染まった布地は天日に干され、今度は木製の版(ブロック)で、赤や黒の草花模様をつけていく。赤は茶色に近い赤でアリザニンと木の樹脂から生まれ、黒は馬の蹄鉄と黒砂糖の液を煮込んで出てくる汁から生まれる。最後に、牛の糞尿をとかしこんだ水に浸して仕上げ、千枚田にして天日にさらし、水をかけて汚れをおとす。
だいたい、このバグルーのプリントは渋い、古典的な草花模様が多いが、サンガネルでは積極的に輸出用商品に力を入れ、化学染料まで使って、カラフルで大胆なインドの装飾を生地のうえに復元して見せた。
今はインディゴ・ブルーやモス・グリーンの生地も含めて、バグルーの古い味のあるベッドカバー等に人気が出ている。
それにしても、あの美しいブロックプリントの生地が、これほど汚れた水に浸され、たたかれ、仕上がっていくとは知らなかった。
「人間も同じですね」
私と高山は慰めあっていた。
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
第一刷 一九九二年九月