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民芸にはいろんな顔があります。 どの顔を思い浮かべながら話しを聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
バックナンバーは こちら から
インドの民芸で、私を最も陶酔に誘うもの、それはミラーワークだ。
私たちの直営店でも、十五年以上もこのミラーワークの大きな赤い旗が、へんぽんとひるがえってる。 パキスタンに近い、グジャラート、ラジャスタン両州にまたがって、小さなミラーを縫い込んだ布や衣服が、女性たちによって作られている。
最初、ニューデリーのグジャラート出身の商人の家族の家で、それらの布を見せてもらった。 家の内部を飾り、同時に神への尊崇の気持ちを表す、「チャクラ」という四角いタピストリー、のれんのように飾れる「トーラン」。それにびっしりと刺繍されたミラー埋め込みのブラウスやスカート、手提げ、バッグ。
見ていくうちにいつの間にか熱くなって、のめりこんで一枚一枚めくっている自分に気がつく。 最後には選択の基準も忘れてしまい、もう一度見直さねばならなくなる。とりつかれたような気分だ。
ミラーといえば、日本の神社のご神体になっていることがよくある。 それが銅鏡だった昔から、光を反射し、ものを映しとる鏡は魔力と拮抗するパワーを持っていた。
のぞきこんでも何もないが、透明に明るい。 インドのミラーワークもおそらく魔よけの意味があったのだろう。
これらの州では砂漠が多く、羊飼いたちの村や非定住民の村では、女たちが嫁入りの支度として、または家族の一人一人のために、暇さえあれば刺繍の手を休めない。
彼女たちの家では家の壁面にも、家具にも浮き彫りがしてあって、ミラーが白い漆喰や粘土で埋め込まれ、夜にはランプの光を無数に反射して人々の気持ちを生き生きと明るくさせる。
私たちがグジャラート州の旧都、アーメダバードに行った時、不思議な光景を見た。 薄黄色の蝶の大群が帯状になって、道路の七、八メートルを北から南へ大移動していた。
しばらくあきれて眺めていたが、帯は無限に切れることなく、音もなくひらひら急いていた。パトリヤという蝶だそうだ。
「何か悪いことが起きなければ良いが。こんなの、初めて見ましたよ」
サンソンという同行した男によると、薄気味悪いようなこの蝶の大移動が、その日で七日も続いているという。
私たちはミラーワークをもっと見たいと、さらに西のカッチというところへ飛ぶつもりていたが、現地にはあまり在庫がないというニュースが入った。
しかたなくアーメダバードのコレクターのところで仕事を済ませたのだが、このところの異常気象でさまざまな影響が出ていた。
一九八六年を中心にグジャラート、ラジャスタン両州を襲った大干ばつは、村人たちが家宝のようにしてきたミラーワークを外部に放出させた。 花嫁になる前から準備して集められていたもの、古いものも皆、売られて行ったという。
「自然の荒廃が、伝統的な民芸を壊していった一つの例てすかね。どうりでこの頃、デリーでもグジャラートのミラーワークがあふれているんだ」と高山がうなった。
「いや、グジャラートの人たちはそれで少しは急場をしのげたんてす。民芸の技術をもつ人たちが生きながらえたんだから、それでいいんじゃないですか」
サンソンはそう反論した。
最近は、もっとシンプルなミラーワークの注文が増えている。 ファッションの一部にパーツとして取り入れるのが、なぜかドイツ人、イタリア人、日本人に好まれて、輸出も盛んになってきた。
そして次第に下請けとしてこちらの人たちにも仕事がまわり、雨の降らない農閑期も忙しくなってきている。
デリーに戻ってからも古いミラーワークを集めて回っていたのだが、一週間後に思わぬ惨事が起ぎた。 私たちも利用したインディアン・エアラインが、アーメダバードの空港近くで墜落し、大半の乗客が死亡したのである。
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
第一刷 一九九二年九月
民芸にはいろんな顔があります。
どの顔を思い浮かべながら話しを聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
バックナンバーは こちら から
世界民芸曼陀羅 インド編
12 ミラーワーク ~ 人々を陶酔に誘う魔性の鏡 ~
インドの民芸で、私を最も陶酔に誘うもの、それはミラーワークだ。
私たちの直営店でも、十五年以上もこのミラーワークの大きな赤い旗が、へんぽんとひるがえってる。
パキスタンに近い、グジャラート、ラジャスタン両州にまたがって、小さなミラーを縫い込んだ布や衣服が、女性たちによって作られている。
最初、ニューデリーのグジャラート出身の商人の家族の家で、それらの布を見せてもらった。
家の内部を飾り、同時に神への尊崇の気持ちを表す、「チャクラ」という四角いタピストリー、のれんのように飾れる「トーラン」。それにびっしりと刺繍されたミラー埋め込みのブラウスやスカート、手提げ、バッグ。
見ていくうちにいつの間にか熱くなって、のめりこんで一枚一枚めくっている自分に気がつく。
最後には選択の基準も忘れてしまい、もう一度見直さねばならなくなる。とりつかれたような気分だ。
ミラーといえば、日本の神社のご神体になっていることがよくある。
それが銅鏡だった昔から、光を反射し、ものを映しとる鏡は魔力と拮抗するパワーを持っていた。
のぞきこんでも何もないが、透明に明るい。
インドのミラーワークもおそらく魔よけの意味があったのだろう。
これらの州では砂漠が多く、羊飼いたちの村や非定住民の村では、女たちが嫁入りの支度として、または家族の一人一人のために、暇さえあれば刺繍の手を休めない。
彼女たちの家では家の壁面にも、家具にも浮き彫りがしてあって、ミラーが白い漆喰や粘土で埋め込まれ、夜にはランプの光を無数に反射して人々の気持ちを生き生きと明るくさせる。
私たちがグジャラート州の旧都、アーメダバードに行った時、不思議な光景を見た。
薄黄色の蝶の大群が帯状になって、道路の七、八メートルを北から南へ大移動していた。
しばらくあきれて眺めていたが、帯は無限に切れることなく、音もなくひらひら急いていた。パトリヤという蝶だそうだ。
「何か悪いことが起きなければ良いが。こんなの、初めて見ましたよ」
サンソンという同行した男によると、薄気味悪いようなこの蝶の大移動が、その日で七日も続いているという。
私たちはミラーワークをもっと見たいと、さらに西のカッチというところへ飛ぶつもりていたが、現地にはあまり在庫がないというニュースが入った。
しかたなくアーメダバードのコレクターのところで仕事を済ませたのだが、このところの異常気象でさまざまな影響が出ていた。
一九八六年を中心にグジャラート、ラジャスタン両州を襲った大干ばつは、村人たちが家宝のようにしてきたミラーワークを外部に放出させた。
花嫁になる前から準備して集められていたもの、古いものも皆、売られて行ったという。
「自然の荒廃が、伝統的な民芸を壊していった一つの例てすかね。どうりでこの頃、デリーでもグジャラートのミラーワークがあふれているんだ」と高山がうなった。
「いや、グジャラートの人たちはそれで少しは急場をしのげたんてす。民芸の技術をもつ人たちが生きながらえたんだから、それでいいんじゃないですか」
サンソンはそう反論した。
最近は、もっとシンプルなミラーワークの注文が増えている。
ファッションの一部にパーツとして取り入れるのが、なぜかドイツ人、イタリア人、日本人に好まれて、輸出も盛んになってきた。
そして次第に下請けとしてこちらの人たちにも仕事がまわり、雨の降らない農閑期も忙しくなってきている。
デリーに戻ってからも古いミラーワークを集めて回っていたのだが、一週間後に思わぬ惨事が起ぎた。
私たちも利用したインディアン・エアラインが、アーメダバードの空港近くで墜落し、大半の乗客が死亡したのである。
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
第一刷 一九九二年九月