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民芸にはいろんな顔があります。 どの顔を思い浮かべながら話しを聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
バックナンバーは こちら から
インドのジャイプールで、操り人形を追いかけていたことがあった。
かなり古くから見慣れていた人形だったが、特注でより良いものを探すことになった。 そうして見直してみると、ラジャスタン人形といって、一見して同じようにみえても奥には奥があるもので、なるほどいい顔の人形もいるし衣装がよく似合った美女もいる。
「風の宮殿」といわれる、ピンク色のインド砂岩で出来たハーレムの界隈を歩き回ったが、最後にはインド商人との応対にくたびれてオート三輪に逃げ込んだ。 デリーから車でわずか六時間とはいえ、風景は砂漠地帯に変わり、この旧ラジャスタン王国の乾燥と暑熱には厳しいものがある。
高山、それにデザイナーの二人の女性はサンプルの人形を小わきに抱え、必死になってオート三輪のアームにつかまった。 なかなか危険な運転で前方から目が離せない。
ほっとして降りたところが、やはり昔の宮殿を改造したホテルであった。 子供たちの笑い声が聞こえた。 私たちの抱えていた人形を見て、十歳くらいの男の子が二人で私たちを見ながら踊り出した。それは見ようによっては実に失礼な踊りであった。
妙齢の女性たちを前にして、手を広げ、腰を連続して前につき出す露骨な性的所作で、子供のやることとは信じられない。 第三世界の子供たちには珍しい演技ではないが、受け取り方はそのときによって異なる。
生々しくて、本能的に目をそらしてしまう場面もある。 あるいは喧嘩を売っているような挑発と見えることもある。 猿の雌雄のあいだで儀式的に行われるマウンティング(相手の背に乗ることで性的所有権を誇示する)を体に触れずに示すようなものだ。
「こら!なにをしてるんだ!」
高山が怒鳴り、精いっぱい怒って見せた。 「ワンルピー、ワンルピー」とさけびながら子供たちはあっさり逃げていった。 元気のいい、原始的な子供たちだ。
「ここには、カトプトリワラ(人形遣いの一族)と呼ばれる人々がいたんですよ。宮廷や村々で、ムガール帝国時代のある武勇伝、あるいはそれ以前からの伝承の民話や人形遣いを興行して暮らしていた。 今でもホテルで公演したりお祭りで呼ばれてやっていますよ」
特に有名な物語は、アマルシングと、サラワットカーンが宮廷の中で戦った、いわばインド版「松の廊下事件」である。 高山によると、アマルシングと同じ地方出身の人形遣いが、アマルシングの語部の部族であるかのように、彼を英雄視して語っているっという。
「おや、ボス、なんか聞こえて来ましたよ。あれじゃないですか?」
私たちは夕食後の雑談をやめて食堂の外を見た。 芝生の庭先が明るくなり、ランプを灯したにわか劇場ができている。
太鼓やチャルメラのような楽器に誘われて芝生に座って舞台を見た。 布一枚で後ろを隠し、その上から両手で、それぞれ四本のひもで人形たちを操ってマハラジャ(王)マハラニ(王妃)、兵士、踊り子、道化師、蛇遣い、騎士、らくだ乗りを次々と登場させる。
太鼓をたたきながらの歌に伴って、人形遣いの物語が進行した。 話の筋が分からない。 頭の部分は木を粗削りに彫り、髪や目鼻や眉がくっきりと黒く描かれている。手足は布製だ。
やや眠たくなってきた時、音楽ががらりと替わって、激しい、そしてこっけいなようなリズムに替わった。
見るなり、高山も私たちも噴き出した。 マハラジャも踊り子も兵士も蛇遣いも、一斉に「あの所作」で跳んだりはねたりしている。
この元宮殿の外で子供たちがふざけて踊った所作、人類のもっとも挑発的で、失礼な踊りである。 生きている子供が踊った時には笑えなかったのに、人形がやるとどうしてこうもおかしいのか。
涙が出るほど笑いころげ、そして人形というものが少し分かったような気がした。
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
第一刷 一九九二年九月
民芸にはいろんな顔があります。
どの顔を思い浮かべながら話しを聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
バックナンバーは こちら から
世界民芸曼陀羅 インド編
12 ラジャスタン人形 ~ ユーモラスに挑発する操り人形 ~
インドのジャイプールで、操り人形を追いかけていたことがあった。
かなり古くから見慣れていた人形だったが、特注でより良いものを探すことになった。
そうして見直してみると、ラジャスタン人形といって、一見して同じようにみえても奥には奥があるもので、なるほどいい顔の人形もいるし衣装がよく似合った美女もいる。
「風の宮殿」といわれる、ピンク色のインド砂岩で出来たハーレムの界隈を歩き回ったが、最後にはインド商人との応対にくたびれてオート三輪に逃げ込んだ。
デリーから車でわずか六時間とはいえ、風景は砂漠地帯に変わり、この旧ラジャスタン王国の乾燥と暑熱には厳しいものがある。
高山、それにデザイナーの二人の女性はサンプルの人形を小わきに抱え、必死になってオート三輪のアームにつかまった。
なかなか危険な運転で前方から目が離せない。
ほっとして降りたところが、やはり昔の宮殿を改造したホテルであった。
子供たちの笑い声が聞こえた。
私たちの抱えていた人形を見て、十歳くらいの男の子が二人で私たちを見ながら踊り出した。それは見ようによっては実に失礼な踊りであった。
妙齢の女性たちを前にして、手を広げ、腰を連続して前につき出す露骨な性的所作で、子供のやることとは信じられない。
第三世界の子供たちには珍しい演技ではないが、受け取り方はそのときによって異なる。
生々しくて、本能的に目をそらしてしまう場面もある。
あるいは喧嘩を売っているような挑発と見えることもある。
猿の雌雄のあいだで儀式的に行われるマウンティング(相手の背に乗ることで性的所有権を誇示する)を体に触れずに示すようなものだ。
「こら!なにをしてるんだ!」
高山が怒鳴り、精いっぱい怒って見せた。
「ワンルピー、ワンルピー」とさけびながら子供たちはあっさり逃げていった。
元気のいい、原始的な子供たちだ。
「ここには、カトプトリワラ(人形遣いの一族)と呼ばれる人々がいたんですよ。宮廷や村々で、ムガール帝国時代のある武勇伝、あるいはそれ以前からの伝承の民話や人形遣いを興行して暮らしていた。
今でもホテルで公演したりお祭りで呼ばれてやっていますよ」
特に有名な物語は、アマルシングと、サラワットカーンが宮廷の中で戦った、いわばインド版「松の廊下事件」である。
高山によると、アマルシングと同じ地方出身の人形遣いが、アマルシングの語部の部族であるかのように、彼を英雄視して語っているっという。
「おや、ボス、なんか聞こえて来ましたよ。あれじゃないですか?」
私たちは夕食後の雑談をやめて食堂の外を見た。
芝生の庭先が明るくなり、ランプを灯したにわか劇場ができている。
太鼓やチャルメラのような楽器に誘われて芝生に座って舞台を見た。
布一枚で後ろを隠し、その上から両手で、それぞれ四本のひもで人形たちを操ってマハラジャ(王)マハラニ(王妃)、兵士、踊り子、道化師、蛇遣い、騎士、らくだ乗りを次々と登場させる。
太鼓をたたきながらの歌に伴って、人形遣いの物語が進行した。
話の筋が分からない。
頭の部分は木を粗削りに彫り、髪や目鼻や眉がくっきりと黒く描かれている。手足は布製だ。
やや眠たくなってきた時、音楽ががらりと替わって、激しい、そしてこっけいなようなリズムに替わった。
見るなり、高山も私たちも噴き出した。
マハラジャも踊り子も兵士も蛇遣いも、一斉に「あの所作」で跳んだりはねたりしている。
この元宮殿の外で子供たちがふざけて踊った所作、人類のもっとも挑発的で、失礼な踊りである。
生きている子供が踊った時には笑えなかったのに、人形がやるとどうしてこうもおかしいのか。
涙が出るほど笑いころげ、そして人形というものが少し分かったような気がした。
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
第一刷 一九九二年九月