日本の技術の結晶「地下足袋」

定着しているモノやコト。例えば、風呂敷や浴衣。これら和の物は、未来でも私たちの身近に定着していなければ意味がありません。
日本人のDNAを揺さぶる、新たな未来のカタチを追求するということは、まさに日本の原点回帰です。港町横濱で生まれた「倭物やカヤ」のフィルターを通し、新コンセプト「倭物classic LABO」として倭物文化の未来を研究していきます。

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今回は、地下足袋を深掘りしていきましょう。

~地下足袋の由来や歴史~
名前の由来は、「直に」地面を歩くという意味があり、「地下」は当て字です。地下足袋は、明治時代に郵便や人力車、農家、大工など“足”を使う人々によって愛用されていました。

形状は、足の指が親指とそれ以外で二股に分離しており、靴底がゴムでできている仕様です。まさに足袋と運動靴の良いとこどりの一品。軽くて柔軟性があり、活動性に優れています。

元々は、草履が原型で、明治時代にゴムが輸入されるようになってから、地下足袋として新しい靴の形に発展しました。最初は内陸部の林業を営む、限られた人々が用いており、後に、戦時中では、全国の兵士たちが好んで多用しました。

外国の兵士たちは革靴を履くのが一般的だったため、進駐のさなか、足が蒸れて水虫が悪化してしまい、命を落とすことも多々ありました。しかし、日本の兵士は地下足袋という通気性がよく、なおかつ丈夫な素材で足を守っていたため、比較的足のトラブルはなく過ごせました。

~海外から評価される機能性~
現在は、海外からも注目を集めているという地下足袋。足先の特徴的なデザインや、繊細な和柄、そしてなにより古来より証明されてきた履き心地のよさが、現在再評価されています。地下足袋の特徴は、地面にぴったりと足が接すること。そうすることで正しい姿勢を保ち、足本来の機能を発揮して歩くことができます。

ストレッチの役割を果たすなど、健康面でも注目されつつある履物、「地下足袋」。本体も軽量であることから、まるで素足で歩いているように楽々進みます。見た目の美しさも勿論ですが、何より、伝統に裏打ちされた抜群な機能性が、長く憧れられる秘訣。一度履けば、きっと何度も履きたくなるほど、心を鷲掴みにされるはずです。

~高砂産業×倭ものやカヤ 共同制作~
日本人が日本人のために生み出した地下足袋は、かつては国内製造が一般的でした。しかし、現在は、海外の技術者が多くなってきており、そのまま海外製造というケースも多々見られます。

そこで、「せっかくの日本の技術を継承してかなければ」と立ち上がり、国産にこだわり続ける企業がありました。それが、兵庫県高砂市の高砂産業。高砂産業は、1969年に設立された地下足袋製造・販売の老舗です。

日本の伝統技術継承と安定した高品質を第一に掲げており、全材料・加工が日本製、そして職人による手作りを徹底しています。生地は岡山、染色は京都、コハゼは大阪など、各地域が誇る匠の技を駆使する分業型で、最高の一品を仕上げているとのこと。

高砂産業は、多くのオリジナル商品を展開していますが、この度「倭物やカヤ」と共同制作してモダンかつどこかレトロな新しいデザインの地下足袋を完成させました。

縁起の良い雁や梅などの模様を足元に纏い、街中をそぞろ歩けば、きっと一日を晴れやかに過ごせることでしょう。

日本が誇る伝統技術「地下足袋」は、開発以来、世界中へ最高の履き心地を届けてきました。妥協を許さないモノづくりの秘訣は、日本人が鍵を握っているのではないでしょうか。

進化を続ける地下足袋の挑戦はこれからも続きます。


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