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世界最高峰エベレスト。ヒマラヤの空を突き抜けるその頂は、「高い」という言葉だけでは言い尽くせない、圧倒的な存在感を放っています。その姿は、古くから人々の憧れであると同時に、近づきがたい畏れの対象でもありました。
「チョモランマ」や「サガルマータ」という異なる呼び名は、それぞれの土地で、この山がどのように見つめられてきたのかを物語っています。その由来をたどっていくと、「世界最高峰」という記録の奥に、はるか昔から息づいてきたもうひとつの姿が、浮かび上がってきます。
世界最高峰には、いくつかの名前があります。それぞれの名前がどこから生まれたのかを見ていきましょう。
この山を、イギリスでは「マウント・エベレスト(Mount Everest)」、チベットでは「チョモランマ(Qomolangma)」、ネパールでは「サガルマータ(Sagarmatha)」と呼びます。遠くからその高さを測った人々。ふもとで祈りを捧げた人々。国の象徴として見上げた人々。それぞれのまなざしが、異なる名前となって、この山に重なっているのです。
「エベレスト」という名前は、19世紀のイギリスに由来します。当時、インドを植民地としていたイギリスは、大規模な測量事業を進めていました。その過程でヒマラヤ山脈の奥にひときわ高い山が見つかり、当初は「第十五峰(Peak XV)」という番号で呼ばれていたのです。世界最高峰と確認されると、測量局長官アンドリュー・ウォーは、前任者サー・ジョージ・エベレストの名を与えることを提案します。こうして1865年、「マウント・エベレスト」という名が正式に定まりました。
しかし興味深いことに、ジョージ・エベレスト本人はこの命名に反対していました。現地の人々には発音しづらい、というのが理由です。さらに彼は、生涯でこの山を一度も見ることがなかったといわれています。
世界で最も高い山は、見たことのない人物の名を、本人の望まぬ形で背負うことになったのです。
一方、チベットに古くから伝わる名前が「チョモランマ」です。その意味は「世界の母」「大地の女神」「聖なる母神」などといわれ、この山を神として仰ぐ深い信仰が込められています。
ヒマラヤの高峰は古くから神々の住まう場所とされ、チョモランマもまた、人が軽々しく踏み入るべきでない聖域として敬われてきたのです。
この名前は、18世紀初頭の中国の地図にもすでに記されています。「エベレスト」と名づけられるより、およそ150年も前のことです。
中国語では「珠穆朗瑪峰(チョモランマ)」と書かれ、その名は今も山の神聖さを伝えています。
三つめの名前が、ネパールの公式名称「サガルマータ」です。「世界の頂」「天空の額」「大空の頭」などを意味するとされ、どの表現にも、天へ届くほどの高さへの畏敬がにじんでいます。この名前が広まったのは比較的新しく、1930年代に歴史家バブラム・アチャリヤによって紹介され、1960年代にネパール政府が正式名称として採用しました。
自国の言葉で世界最高峰を呼ぶことは、単なる名前の違いではなく、この山を自分たちの誇りとして引き受ける意思でもあります。アチャリヤは後に、「新しく名づけたのではなく、そこにあった名前を見つけただけだ」と語ったといわれています。
「ヒマラヤ」と「エベレスト」は、同じもののように思われることがありますが、実は指しているものは異なります。
ヒマラヤとは、インドと中国のあいだに約2,400キロメートルにわたって連なる巨大な山脈です。エベレストは、その中にそびえる一つの頂にすぎません。数え切れないほどの高峰の中で、もっとも高い山。それがエベレストなのです。
「ヒマラヤ」という言葉は、サンスクリット語で「雪の住処」を意味します。白く連なる峰々の姿を、そのまま表した名前です。その「雪の住処」の奥で、世界最高峰は、今日も変わらず空へ届いています。
名前の物語をたどったあとは、この山を取り巻く自然の姿に目を向けてみましょう。
エベレストの標高は、8,848.86メートル。ネパールと中国(チベット自治区)の国境に、ヒマラヤ山脈の最高峰としてそびえています。この数字が正式に定まったのは、意外にも最近のことです。2020年、ネパールと中国が共同で測量をおこない、両国の合意として発表されました。世界一高い山の正確な高さは、近年になってあらためて確定されたのです。
さらに驚くのは、この山が今も高くなり続けていることです。エベレストは、インド大陸をのせたプレートがユーラシア大陸のプレートに衝突することで生まれました。押し合う力は今も働き、山頂は毎年数ミリずつ、ゆっくりと空へ押し上げられています。
そしてもう一つ。かつてこの一帯は、海の底でした。山頂近くの岩からは、ウミユリや三葉虫など、大昔に海で暮らしていた生き物の化石が見つかっています。世界最高峰の頂に、はるか海の記憶が眠っているのです。
ヒマラヤ一帯で採れる化石は、装飾品としても親しまれてきました。化石になったサンゴを赤く染めたものは「山珊瑚」と呼ばれ、数珠や首飾り、腕輪などに用いられています。
かつて海にあったものが、山の暮らしを彩っている。そんな巡り合わせが、この土地にはあります。
ちなみに「世界一高い山」とは、海面からの高さで決まります。地球の中心からの距離で比べると、赤道近くにそびえるエクアドルのチンボラソ山が、もっとも遠い山になるのです。
これほど厳しい環境にも、懸命に息づく命があります。
ふもとから中腹にかけては、春になるとシャクナゲが咲き、ジュニパー(ネズ)の低木や高山草原が広がります。けれど標高を上げるにつれて緑はまばらになり、やがて岩と氷だけの世界へと変わっていくのです。
動物たちも、この高地ならではの顔ぶれです。切り立った斜面を軽々と駆けるバーラル(ブルーシープ)やヒマラヤタール、森の奥にひそむジャコウジカ。そして、姿を見ることが難しい「幻の動物」とも呼ばれるユキヒョウ。鮮やかな羽を持つヒマラヤモナルは、ネパールの国鳥として親しまれています。
標高によって、暮らす動物も植物もがらりと変わる。ひとつの山を登るだけで、まるで別の世界へと移り変わっていくかのようです。
しかし、頂上に近づくほど、エベレストは人間の力が及ばない厳しい領域へと姿を変えていきます。
標高8,000メートルを超える一帯は、「デスゾーン(死の地帯)」と呼ばれます。空気は薄く、酸素の量は地上のおよそ三分の一。強い風がやむことはなく、上空を流れるジェット気流が、容赦なく山頂を叩きます。気温は氷点下40度を下回ることもめずらしくありません。
さらに、雪崩や、氷河に走る深い裂け目「クレバス」が、登る者の行く手をふさぎます。ここでは、わずか一歩の判断が生死を分けることもあります。
美しくそびえる白い頂は、同時に、人の命をたやすく奪う極限の世界でもあるのです。
そんな悠久の山にも、時代の変化は忍び寄っています。
近年は地球温暖化の影響で、ヒマラヤ山脈の氷河が溶け続け、山の表情も少しずつ変わりはじめました。
もう一つ深刻なのが、ごみの問題です。世界中から登山者が集まるようになった結果、使われなくなった酸素ボンベやテントなどが、山に残されるようになりました。今では、ごみを回収する清掃登山や、自然を守るための取り組みも進められています。
世界最高峰を次の世代へ受け継いでいくために、いま、人と山との関わり方があらためて問われています。
エベレストは、測量によって「世界最高峰」として知られるようになりました。けれどこの山のふもとには、それよりはるか昔から続く、祈りの文化が息づいています。
チベットの人々にとって、チョモランマは登頂を目指すためだけの山ではありませんでした。そこは神々の領域であり、人が軽々しく足を踏み入れてよい場所ではなかったのです。
チベット仏教では、この山の頂に女神が住むと伝えられてきました。ミヨ・ランサンマと呼ばれるその女神は、惜しみなく恵みを与え、黄金の虎にまたがる姿で描かれてきました。
もともとは荒ぶる存在でしたが、仏の教えによって鎮められ、人々を守る神になったといわれています。
山のふもとや峠には、五色の祈祷旗「タルチョ」が張りめぐらされています。青・白・赤・緑・黄の五色は、天・風・火・水・地という自然の要素を表すといわれ、旗には経文が刷られているのです。
風になびくたびに経が唱えられ、祈りが世界へ広がると信じられてきました。また、旗の中央に馬が描かれたものは「ルンタ(風の馬)」と呼ばれ、その馬が風に乗って幸運を運んでくるとされています。
色とりどりの旗は、この山が今も信仰のなかにあることを、教えてくれます。
ヒマラヤに神聖さを見いだしたのは、チベットの人々だけではありません。インドの神話にも、この山脈は特別な存在として登場します。
古代インドでは、ヒマラヤは「ヒマヴァット」と呼ばれる山の王として神格化されてきました。その名は、サンスクリット語で「雪に覆われた者」を意味します。ヒマヴァットは、ガンジス川の女神ガンガーや、シヴァ神の妃パールヴァティーの父ともされます。ヒマラヤは、聖なる川の源であり、神々の家族へとつながる存在として語られてきたのです。
インドの人々にとって、ヒマラヤへ向かう旅は「ヤトラ」と呼ばれる巡礼でもありました。
高い山を目指すことは、記録への挑戦ではなく、神に近づくための道のりだったのです。
この山のふもとで、長く暮らしを営んできたのが、シェルパと呼ばれる人々です。
シェルパはヒマラヤ山脈の高地に暮らす民族で、薄い空気のなかでも力を発揮できる、すぐれた身体能力を持っています。近年の研究では、その力の背景に、低酸素の環境へ適応した遺伝的な特徴があることも明らかになってきました。
今日ではエベレスト登山に欠かせない存在として、ルートづくりや荷物の運搬、登山者の案内を担っています。
彼らにとって、この山はもともと「征服する対象」ではありませんでした。恵みと危険の両方をもたらす、敬意を払うべき神聖な場所です。
ふもとの村には仏教の僧院が点在し、毛の長いヤク(高地で暮らす牛の仲間)が荷を背負って坂道を行き交います。かつてチベットと結ばれた交易の道は、今では「エベレスト街道」と呼ばれ、世界中の旅人が歩いています。
登山隊がベースキャンプに入ると、必ず行われる儀式があります。「プジャ」と呼ばれる安全祈願です。僧を招き、山の神に登らせてもらう許しを願う。どれほど装備が進歩しても、この祈りが省かれることはありません。
そしてこの山には、もうひとつの住人の物語も伝わっています。雪男「イエティ」です。シェルパの人々のあいだでは、単なる未確認生物ではなく、自然の力そのものを映す存在として語り継がれてきました。
登る山であると同時に、祈る山でもある。エベレストという山の奥深さは、その両方を知って、はじめて見えてくるのかもしれません。
この山は、長いあいだ人々が山頂を目指す対象ではありませんでした。それが変わったのは、20世紀に入ってからのことです。世界最高峰は、いつしか人類にとって最大の目標のひとつになっていきました。
人類がはじめてエベレストの頂に立ったのは、1953年5月29日のことでした。成し遂げたのは、ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリーと、シェルパのテンジン・ノルゲイ。二人はネパール側から南東稜と呼ばれるルートをたどり、酸素ボンベを使いながら、少しずつ高度を上げていきました。
道のりは容易ではありません。氷河が崩れ落ちる氷瀑(アイスフォール)を越え、山頂の直前には切り立った岩壁が立ちはだかります。この難所は、のちに「ヒラリーステップ」と呼ばれるようになりました。
初登頂の知らせは世界を駆けめぐり、多くの人々を歓喜させます。人がたどり着ける場所の限界が、そのとき一つ塗り替えられたのです。
また、頂に立った二人のうち一人がシェルパだったことも、この登頂の大きな意味のひとつでした。
初登頂の後、エベレストは世界中の登山家にとって、挑戦の舞台となっていきます。日本人としてはじめてエベレストに登頂したのは、1970年の植村直己さんと松浦輝夫さんでした。その5年後には、田部井淳子さんが女性として世界ではじめての登頂を果たします。日本の登山史にとって、大きな節目となる出来事でした。
その後も挑戦は続き、野口健さんは1999年に七大陸最高峰の世界最年少登頂(当時)を達成。2013年には三浦雄一郎さんが80歳で頂に立ち、最高齢登頂の記録を打ち立てました。
技術の面で大きな転機となったのが「無酸素登頂」です。デスゾーンの酸素は非常に薄く、酸素ボンベなしでの登頂は極めて困難だと考えられていました。その常識を破ったのが、1978年のラインホルト・メスナーとペーター・ハーベラーです。二人は酸素ボンベを持たず、自らの肺だけで山頂に立ちました。
速さを競う挑戦も生まれました。標高差3,500メートル近くを一気に駆け上がる記録です。検証されている最速は、2003年にシェルパのラクパ・ゲルが打ち立てた10時間56分。翌2004年には8時間10分という記録も申請されましたが、山頂にいた証拠が足りないとして、公式には認められませんでした。
高さも、名前も、そして記録さえも、この山では簡単には定まらないのかもしれません。
かつて一部の探検家だけのものだったエベレストは、今では旅行会社が主催する「商業登山」によって、より多くの人に開かれた山になりました。
経験を積んだシェルパやガイドが同行し、固定ロープや酸素ボンベなどの支援体制が整えられ、世界最高峰を目指す道は以前より広がったのです。
けれど、その変化は影も生みました。登頂に適した晴天はわずかな日数に限られ、その日に登山者が集中します。山頂直下の細い雪道に、登山者の列ができることさえあるのです。薄い酸素のなかで待つ時間は、そのまま命の危険につながります。
また、エベレストには「虹の谷」と呼ばれる一帯があります。登山服をまとったまま、還ることのできなかった人々が眠る場所です。デスゾーンでは救助や遺体の搬送も容易ではなく、それは美しい名前とは裏腹に、この山の厳しさを物語る光景でもあります。
多くの人が世界最高峰を目指せるようになった一方で、山が背負う重みも増え続けています。
憧れの頂とどう向き合うのか。その問いは、今なお残されています。
では実際に、この山へ挑むには何が必要なのでしょうか。世界最高峰への道のりを、少しだけのぞいてみましょう。
エベレストに登れる時期は、限られています。天候が比較的落ち着くのは、春(4〜5月)と秋(9〜10月)のわずかな期間だけです。とりわけ多くの登山隊が集まるのが、風のゆるむ春とされています。
高さに体を慣らす「高所順応」も欠かせません。標高が上がるほど酸素は薄くなり、頭痛や吐き気をともなう高山病のリスクが高まります。登山者はベースキャンプと上部のキャンプを往復しながら、時間をかけて体を慣らしていくのです。
頂上へ向かう道は、大きく二つあります。ネパール側から登る「南ルート」と、チベット側から登る「北ルート」です。南ルートは、ヒラリーとテンジンが初登頂に使った歴史ある道で、現在も多くの登山者が選ぶルートです。北ルートは中国側から入る道で、それぞれ異なる難しさを持っています。
デスゾーンを越えるには、体ひとつではとても足りません。酸素ボンベ、アイゼンやピッケルといった装備、そしてシェルパやガイドの支えが欠かせません。
その準備には数百万円以上の費用がかかります。世界最高峰への挑戦は、体力や技術だけではなく、入念な準備によって成り立っているのです。
とはいえ、山頂を目指すことだけが、エベレストの楽しみ方ではありません。
ネパール側のふもとには、標高3,000〜5,500メートルほどの山腹を歩く「トレッキング」の道が整っています。上部では富士山(3,776メートル)を超える高さになりますが、無理のない日程で高山病に気をつけながら進めば、専門の登山家でなくとも、世界最高峰を間近に望むことができます。
エベレスト街道を歩き、シェルパの村に泊まり、朝の光に輝く白い峰を見上げる。山頂に立たなくても、この山の雄大さは、全身で感じられるのです。
エベレスト、チョモランマ、サガルマータ。ひとつの山が、これほど多くの名前と物語を抱えている場所は、そう多くはありません。
測量が見つけた世界最高峰であり、女神の住まう聖域であり、国の誇りでもある。そのどれもがこの山の姿であり、どれか一つだけでは語り尽くせません。
人々はこの山に、記録への憧れを重ね、祈りを捧げ、暮らしを紡いできました。厳しくそびえる白い頂は、近づく者を拒みながら、それでも人の心を引き寄せ続けています。
名前の由来を知ったあとでこの頂を見上げるとき、「世界一高い山」という言葉の奥に、はるかな時間と、無数のまなざしが見えてくるはずです。
世界最高峰エベレスト。ヒマラヤの空を突き抜けるその頂は、「高い」という言葉だけでは言い尽くせない、圧倒的な存在感を放っています。
その姿は、古くから人々の憧れであると同時に、近づきがたい畏れの対象でもありました。
「チョモランマ」や「サガルマータ」という異なる呼び名は、それぞれの土地で、この山がどのように見つめられてきたのかを物語っています。
その由来をたどっていくと、「世界最高峰」という記録の奥に、はるか昔から息づいてきたもうひとつの姿が、浮かび上がってきます。
目次
チョモランマとエベレストの違い
世界最高峰には、いくつかの名前があります。それぞれの名前がどこから生まれたのかを見ていきましょう。
名称の由来と文化的背景
この山を、イギリスでは「マウント・エベレスト(Mount Everest)」、チベットでは「チョモランマ(Qomolangma)」、ネパールでは「サガルマータ(Sagarmatha)」と呼びます。
遠くからその高さを測った人々。ふもとで祈りを捧げた人々。国の象徴として見上げた人々。
それぞれのまなざしが、異なる名前となって、この山に重なっているのです。
エベレスト
Public domain, via Wikimedia Commons
「エベレスト」という名前は、19世紀のイギリスに由来します。
当時、インドを植民地としていたイギリスは、大規模な測量事業を進めていました。その過程でヒマラヤ山脈の奥にひときわ高い山が見つかり、当初は「第十五峰(Peak XV)」という番号で呼ばれていたのです。
世界最高峰と確認されると、測量局長官アンドリュー・ウォーは、前任者サー・ジョージ・エベレストの名を与えることを提案します。こうして1865年、「マウント・エベレスト」という名が正式に定まりました。
しかし興味深いことに、ジョージ・エベレスト本人はこの命名に反対していました。現地の人々には発音しづらい、というのが理由です。さらに彼は、生涯でこの山を一度も見ることがなかったといわれています。
世界で最も高い山は、見たことのない人物の名を、本人の望まぬ形で背負うことになったのです。
チョモランマ
一方、チベットに古くから伝わる名前が「チョモランマ」です。
その意味は「世界の母」「大地の女神」「聖なる母神」などといわれ、この山を神として仰ぐ深い信仰が込められています。
ヒマラヤの高峰は古くから神々の住まう場所とされ、チョモランマもまた、人が軽々しく踏み入るべきでない聖域として敬われてきたのです。
この名前は、18世紀初頭の中国の地図にもすでに記されています。「エベレスト」と名づけられるより、およそ150年も前のことです。
中国語では「珠穆朗瑪峰(チョモランマ)」と書かれ、その名は今も山の神聖さを伝えています。
サガルマータ
三つめの名前が、ネパールの公式名称「サガルマータ」です。
「世界の頂」「天空の額」「大空の頭」などを意味するとされ、どの表現にも、天へ届くほどの高さへの畏敬がにじんでいます。
この名前が広まったのは比較的新しく、1930年代に歴史家バブラム・アチャリヤによって紹介され、1960年代にネパール政府が正式名称として採用しました。
自国の言葉で世界最高峰を呼ぶことは、単なる名前の違いではなく、この山を自分たちの誇りとして引き受ける意思でもあります。
アチャリヤは後に、「新しく名づけたのではなく、そこにあった名前を見つけただけだ」と語ったといわれています。
ヒマラヤとエベレスト
「ヒマラヤ」と「エベレスト」は、同じもののように思われることがありますが、実は指しているものは異なります。
ヒマラヤとは、インドと中国のあいだに約2,400キロメートルにわたって連なる巨大な山脈です。エベレストは、その中にそびえる一つの頂にすぎません。
数え切れないほどの高峰の中で、もっとも高い山。それがエベレストなのです。
「ヒマラヤ」という言葉は、サンスクリット語で「雪の住処」を意味します。白く連なる峰々の姿を、そのまま表した名前です。
その「雪の住処」の奥で、世界最高峰は、今日も変わらず空へ届いています。
世界最高峰に広がる自然環境
名前の物語をたどったあとは、この山を取り巻く自然の姿に目を向けてみましょう。
地理的特徴
エベレストの標高は、8,848.86メートル。ネパールと中国(チベット自治区)の国境に、ヒマラヤ山脈の最高峰としてそびえています。
この数字が正式に定まったのは、意外にも最近のことです。2020年、ネパールと中国が共同で測量をおこない、両国の合意として発表されました。世界一高い山の正確な高さは、近年になってあらためて確定されたのです。
さらに驚くのは、この山が今も高くなり続けていることです。エベレストは、インド大陸をのせたプレートがユーラシア大陸のプレートに衝突することで生まれました。押し合う力は今も働き、山頂は毎年数ミリずつ、ゆっくりと空へ押し上げられています。
そしてもう一つ。かつてこの一帯は、海の底でした。山頂近くの岩からは、ウミユリや三葉虫など、大昔に海で暮らしていた生き物の化石が見つかっています。世界最高峰の頂に、はるか海の記憶が眠っているのです。
ヒマラヤ一帯で採れる化石は、装飾品としても親しまれてきました。化石になったサンゴを赤く染めたものは「山珊瑚」と呼ばれ、数珠や首飾り、腕輪などに用いられています。
かつて海にあったものが、山の暮らしを彩っている。そんな巡り合わせが、この土地にはあります。
ちなみに「世界一高い山」とは、海面からの高さで決まります。地球の中心からの距離で比べると、赤道近くにそびえるエクアドルのチンボラソ山が、もっとも遠い山になるのです。
高山植物や動物
これほど厳しい環境にも、懸命に息づく命があります。
ふもとから中腹にかけては、春になるとシャクナゲが咲き、ジュニパー(ネズ)の低木や高山草原が広がります。けれど標高を上げるにつれて緑はまばらになり、やがて岩と氷だけの世界へと変わっていくのです。
動物たちも、この高地ならではの顔ぶれです。切り立った斜面を軽々と駆けるバーラル(ブルーシープ)やヒマラヤタール、森の奥にひそむジャコウジカ。そして、姿を見ることが難しい「幻の動物」とも呼ばれるユキヒョウ。鮮やかな羽を持つヒマラヤモナルは、ネパールの国鳥として親しまれています。
標高によって、暮らす動物も植物もがらりと変わる。ひとつの山を登るだけで、まるで別の世界へと移り変わっていくかのようです。
極限の気候
しかし、頂上に近づくほど、エベレストは人間の力が及ばない厳しい領域へと姿を変えていきます。
標高8,000メートルを超える一帯は、「デスゾーン(死の地帯)」と呼ばれます。空気は薄く、酸素の量は地上のおよそ三分の一。強い風がやむことはなく、上空を流れるジェット気流が、容赦なく山頂を叩きます。気温は氷点下40度を下回ることもめずらしくありません。
さらに、雪崩や、氷河に走る深い裂け目「クレバス」が、登る者の行く手をふさぎます。ここでは、わずか一歩の判断が生死を分けることもあります。
美しくそびえる白い頂は、同時に、人の命をたやすく奪う極限の世界でもあるのです。
変わりゆくエベレスト
そんな悠久の山にも、時代の変化は忍び寄っています。
近年は地球温暖化の影響で、ヒマラヤ山脈の氷河が溶け続け、山の表情も少しずつ変わりはじめました。
もう一つ深刻なのが、ごみの問題です。世界中から登山者が集まるようになった結果、使われなくなった酸素ボンベやテントなどが、山に残されるようになりました。
今では、ごみを回収する清掃登山や、自然を守るための取り組みも進められています。
世界最高峰を次の世代へ受け継いでいくために、いま、人と山との関わり方があらためて問われています。
世界最高峰に宿る信仰と文化
エベレストは、測量によって「世界最高峰」として知られるようになりました。けれどこの山のふもとには、それよりはるか昔から続く、祈りの文化が息づいています。
聖なる山としてのチョモランマ
チベットの人々にとって、チョモランマは登頂を目指すためだけの山ではありませんでした。そこは神々の領域であり、人が軽々しく足を踏み入れてよい場所ではなかったのです。
チベット仏教では、この山の頂に女神が住むと伝えられてきました。ミヨ・ランサンマと呼ばれるその女神は、惜しみなく恵みを与え、黄金の虎にまたがる姿で描かれてきました。
もともとは荒ぶる存在でしたが、仏の教えによって鎮められ、人々を守る神になったといわれています。
山のふもとや峠には、五色の祈祷旗「タルチョ」が張りめぐらされています。青・白・赤・緑・黄の五色は、天・風・火・水・地という自然の要素を表すといわれ、旗には経文が刷られているのです。
風になびくたびに経が唱えられ、祈りが世界へ広がると信じられてきました。また、旗の中央に馬が描かれたものは「ルンタ(風の馬)」と呼ばれ、その馬が風に乗って幸運を運んでくるとされています。
色とりどりの旗は、この山が今も信仰のなかにあることを、教えてくれます。
ヒマラヤ神話とインドの世界観
ヒマラヤに神聖さを見いだしたのは、チベットの人々だけではありません。インドの神話にも、この山脈は特別な存在として登場します。
古代インドでは、ヒマラヤは「ヒマヴァット」と呼ばれる山の王として神格化されてきました。その名は、サンスクリット語で「雪に覆われた者」を意味します。
ヒマヴァットは、ガンジス川の女神ガンガーや、シヴァ神の妃パールヴァティーの父ともされます。ヒマラヤは、聖なる川の源であり、神々の家族へとつながる存在として語られてきたのです。
インドの人々にとって、ヒマラヤへ向かう旅は「ヤトラ」と呼ばれる巡礼でもありました。
高い山を目指すことは、記録への挑戦ではなく、神に近づくための道のりだったのです。
山とともに暮らす人々
この山のふもとで、長く暮らしを営んできたのが、シェルパと呼ばれる人々です。
シェルパはヒマラヤ山脈の高地に暮らす民族で、薄い空気のなかでも力を発揮できる、すぐれた身体能力を持っています。近年の研究では、その力の背景に、低酸素の環境へ適応した遺伝的な特徴があることも明らかになってきました。
今日ではエベレスト登山に欠かせない存在として、ルートづくりや荷物の運搬、登山者の案内を担っています。
彼らにとって、この山はもともと「征服する対象」ではありませんでした。恵みと危険の両方をもたらす、敬意を払うべき神聖な場所です。
ふもとの村には仏教の僧院が点在し、毛の長いヤク(高地で暮らす牛の仲間)が荷を背負って坂道を行き交います。かつてチベットと結ばれた交易の道は、今では「エベレスト街道」と呼ばれ、世界中の旅人が歩いています。
登山隊がベースキャンプに入ると、必ず行われる儀式があります。「プジャ」と呼ばれる安全祈願です。僧を招き、山の神に登らせてもらう許しを願う。どれほど装備が進歩しても、この祈りが省かれることはありません。
そしてこの山には、もうひとつの住人の物語も伝わっています。雪男「イエティ」です。シェルパの人々のあいだでは、単なる未確認生物ではなく、自然の力そのものを映す存在として語り継がれてきました。
登る山であると同時に、祈る山でもある。エベレストという山の奥深さは、その両方を知って、はじめて見えてくるのかもしれません。
エベレスト登頂の歴史
この山は、長いあいだ人々が山頂を目指す対象ではありませんでした。それが変わったのは、20世紀に入ってからのことです。
世界最高峰は、いつしか人類にとって最大の目標のひとつになっていきました。
初登頂の歴史
CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
人類がはじめてエベレストの頂に立ったのは、1953年5月29日のことでした。
成し遂げたのは、ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリーと、シェルパのテンジン・ノルゲイ。二人はネパール側から南東稜と呼ばれるルートをたどり、酸素ボンベを使いながら、少しずつ高度を上げていきました。
道のりは容易ではありません。氷河が崩れ落ちる氷瀑(アイスフォール)を越え、山頂の直前には切り立った岩壁が立ちはだかります。この難所は、のちに「ヒラリーステップ」と呼ばれるようになりました。
初登頂の知らせは世界を駆けめぐり、多くの人々を歓喜させます。人がたどり着ける場所の限界が、そのとき一つ塗り替えられたのです。
また、頂に立った二人のうち一人がシェルパだったことも、この登頂の大きな意味のひとつでした。
登山技術の進歩と著名な登山家
初登頂の後、エベレストは世界中の登山家にとって、挑戦の舞台となっていきます。
日本人としてはじめてエベレストに登頂したのは、1970年の植村直己さんと松浦輝夫さんでした。その5年後には、田部井淳子さんが女性として世界ではじめての登頂を果たします。日本の登山史にとって、大きな節目となる出来事でした。
その後も挑戦は続き、野口健さんは1999年に七大陸最高峰の世界最年少登頂(当時)を達成。2013年には三浦雄一郎さんが80歳で頂に立ち、最高齢登頂の記録を打ち立てました。
技術の面で大きな転機となったのが「無酸素登頂」です。デスゾーンの酸素は非常に薄く、酸素ボンベなしでの登頂は極めて困難だと考えられていました。
その常識を破ったのが、1978年のラインホルト・メスナーとペーター・ハーベラーです。二人は酸素ボンベを持たず、自らの肺だけで山頂に立ちました。
速さを競う挑戦も生まれました。標高差3,500メートル近くを一気に駆け上がる記録です。
検証されている最速は、2003年にシェルパのラクパ・ゲルが打ち立てた10時間56分。翌2004年には8時間10分という記録も申請されましたが、山頂にいた証拠が足りないとして、公式には認められませんでした。
高さも、名前も、そして記録さえも、この山では簡単には定まらないのかもしれません。
商業登山がもたらした光と影
かつて一部の探検家だけのものだったエベレストは、今では旅行会社が主催する「商業登山」によって、より多くの人に開かれた山になりました。
経験を積んだシェルパやガイドが同行し、固定ロープや酸素ボンベなどの支援体制が整えられ、世界最高峰を目指す道は以前より広がったのです。
けれど、その変化は影も生みました。登頂に適した晴天はわずかな日数に限られ、その日に登山者が集中します。山頂直下の細い雪道に、登山者の列ができることさえあるのです。薄い酸素のなかで待つ時間は、そのまま命の危険につながります。
また、エベレストには「虹の谷」と呼ばれる一帯があります。
登山服をまとったまま、還ることのできなかった人々が眠る場所です。デスゾーンでは救助や遺体の搬送も容易ではなく、それは美しい名前とは裏腹に、この山の厳しさを物語る光景でもあります。
多くの人が世界最高峰を目指せるようになった一方で、山が背負う重みも増え続けています。
憧れの頂とどう向き合うのか。その問いは、今なお残されています。
エベレスト登山のルートと必要な装備
では実際に、この山へ挑むには何が必要なのでしょうか。
世界最高峰への道のりを、少しだけのぞいてみましょう。
ベストシーズンと高所順応
エベレストに登れる時期は、限られています。天候が比較的落ち着くのは、春(4〜5月)と秋(9〜10月)のわずかな期間だけです。とりわけ多くの登山隊が集まるのが、風のゆるむ春とされています。
高さに体を慣らす「高所順応」も欠かせません。標高が上がるほど酸素は薄くなり、頭痛や吐き気をともなう高山病のリスクが高まります。登山者はベースキャンプと上部のキャンプを往復しながら、時間をかけて体を慣らしていくのです。
主要な登山ルート
頂上へ向かう道は、大きく二つあります。ネパール側から登る「南ルート」と、チベット側から登る「北ルート」です。
南ルートは、ヒラリーとテンジンが初登頂に使った歴史ある道で、現在も多くの登山者が選ぶルートです。北ルートは中国側から入る道で、それぞれ異なる難しさを持っています。
登山に必要な装備と経験
デスゾーンを越えるには、体ひとつではとても足りません。酸素ボンベ、アイゼンやピッケルといった装備、そしてシェルパやガイドの支えが欠かせません。
その準備には数百万円以上の費用がかかります。世界最高峰への挑戦は、体力や技術だけではなく、入念な準備によって成り立っているのです。
トレッキング
とはいえ、山頂を目指すことだけが、エベレストの楽しみ方ではありません。
ネパール側のふもとには、標高3,000〜5,500メートルほどの山腹を歩く「トレッキング」の道が整っています。上部では富士山(3,776メートル)を超える高さになりますが、無理のない日程で高山病に気をつけながら進めば、専門の登山家でなくとも、世界最高峰を間近に望むことができます。
エベレスト街道を歩き、シェルパの村に泊まり、朝の光に輝く白い峰を見上げる。
山頂に立たなくても、この山の雄大さは、全身で感じられるのです。
世界最高峰が、人を惹きつけてやまない理由
エベレスト、チョモランマ、サガルマータ。ひとつの山が、これほど多くの名前と物語を抱えている場所は、そう多くはありません。
測量が見つけた世界最高峰であり、女神の住まう聖域であり、国の誇りでもある。そのどれもがこの山の姿であり、どれか一つだけでは語り尽くせません。
人々はこの山に、記録への憧れを重ね、祈りを捧げ、暮らしを紡いできました。厳しくそびえる白い頂は、近づく者を拒みながら、それでも人の心を引き寄せ続けています。
名前の由来を知ったあとでこの頂を見上げるとき、「世界一高い山」という言葉の奥に、はるかな時間と、無数のまなざしが見えてくるはずです。
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