【神社百選】一言主神社

●御祭神
タケミカズチノカミ

●創 建
平城(へいぜい)天皇の代大同4 年(西暦809年)
〒303ー0045 茨城県常総市大塚戸町


そして奥に鎮まる本殿は「明神流れ作り」といい、壮麗(そうれい)な主屋根が長く左右に伸びた大屋根のうえに載り、今にも羽ばたくような勢いがある。境内の樹木の群れの古風なたたずまいもきっぱりしている。堂々たる古木が本殿の手前にもうしろにも大きな枝を伸ばす。ケヤキ、クス、ムク、スギが主役でいずれも数百年以上の樹齢のこずえの高い木ばかりだ。曲がりくねったスタジイの老木は焼けた中が空洞になっているが緑の若木を天に差し向けている。

陰暦十一月十三日、今の社殿のあるあたりに妖しい光が現れて、数夜のうちに雪の中に時ならぬ竹の子が生まれ、三つまたに分かれた珍しい竹に成長した。あまりに不思議なので村人が御祓(おはら)いをし、湯立ての神事をしてお伺いしたところ、一言主之神(ひとことぬしのかみ)が現れ、大和国葛城山(かつらぎやま)の東に居る神なり。この三又(みまた)の竹をもって永く契(ちぎ)りとせよといい、その地を神域として祀(まつ)るよう託宣(たくせん)が降りた。

人々はそこの数町の間を境内として立ち入りを禁じ社殿を祀(まつ)った。しかし「みまたの竹」は最近になって育たなくなりやがて姿を消す。今はこの伝説によって何かの縁で手に入れた「みまたの竹」を寄進する人々によって小さな博物館「霊竹殿」が出来て境内に集められているだけになった。また寄進されたそのうちの一本の竹が柵で囲われて無数のシデ(紙のイナズマ)で飾られている。根元から三本に分かれているがもう死んでいるという。

神代の昔、タケミカズチとフツヌシノカミがアマテラスオオミカミの命令で出雲の国に来てオオクニヌシノミコトに国土を譲るように交渉した時、オオクニヌシノミコトは釣りに行っていた長男のヒトコトヌシを探させ、意見を聞いたところ彼は一言「直ちに従い奉(たてまつ)るべし」とだけ言ってその場を離れたという。単純明快で迷いが無いので、後にその態度が賞された。

一言主はまた二言が無いということで言霊(ことだま)の神とも言われる。「悪事(まがごと)も一言。善事(よごと)も一言、言い放つ神」といわれ願い事も一つだけかなえてくれるという。日本古代では萬有に霊があるといわれ言語も同じく「言の葉には生命(いのち)が宿り、行(ぎょう)となって事をなす」という言霊信仰があった。良い言葉は良い結果を生み、悪い言葉は凶が事(まがごと)を起こすということだ。

この言霊信仰は日本の文化に深い痕跡を残す。万葉集に「そらみつヤマトの国は すめ神のうつくしき国 言霊の幸(さきは)ふ国と 語り継ぎ言い継がいけり」(山上憶良<やまのうえのおくら>)とあるように事と言が同じ意味だった時代があった。ほかに「敷島のヤマトの国は 言霊のさきはう国ぞ さきくありとぞ」(柿本人麻呂)という歌もある。

万葉集には言葉によって祈りを掛けたり、魔術をかけるような表現が多く残っており日本の詩歌の源となっている。

 進藤彦興著、   『詩でたどる日本神社百選』   から抜粋


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