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アミナコレクションが最初に会社案内を創ったときから、表紙にブッダアイがあった。
しかもブッダアイの目に穴を開け、表紙から裏表紙まで貫通させている。これはコストがかかるが、どんな不況だろうと創業者はこの穴にこだわって抜き続けた。 「ブッダアイはお見通し」とでも言いたいのだろうか。
人生を賭けて創業し、「WALK WITH THE SUN」のような強い商売理念を掲げ、民俗文化を届けていくぞと張り切っていた創業者(ボス)が、単なるデザインの良さだけで自分の会社案内にブッダアイを選ぶはずがない。 精神的なもの、魂に関わるものとしてデザインを選んだはずだ。
ボスに何度か聞いてみたものの、精神に関わるものほど口にしたくない男だったので、ブッダアイを語ることはなかった。 なので、ここからは私の推し測るところではある。
ブッダアイの半眼に見つめられると、人間としての自分の浅はかさを、すべて見透かされているような感覚を受ける。
ブッダが説いた言葉に「中道」がある。 ――偏りなさるな、と。
たとえば「積極的に行動すべきだ」という言葉は、良い言葉として使われることが多い。 これは引っ込み思案の人には正しいが、出しゃばりな人はもうちょっと遠慮して消極的になったほうが良い場合もある。
つまり積極も消極も、場面によって両方必要である。
同じように、自信が必要なときもあれば、謙虚さが必要なときもある。 優しさが必要なときもあれば、厳しさが必要なときもある。 何事も状況に応じたバランスなのであり、どちらか一方が正しいという偏りは、囚われとなり、生命活動や調和を崩すきっかけになる。
どちらにも偏らず、「間の中の道』を行きなさい。 一方的な話は、逆に考えてバランスを取る。それが中道である。
誰かが悪いと思ったら、自分にも非があったかもと思う。 相手が悪いと思ったままでもいい。それでも「お互い様だ」と思えると調和が生まれる。
「嫌な仕事だな」と思ったら、その仕事の恩恵を受けている人のことを考えてみてバランスを取る。 嫌な仕事と思っていることを否定もしなくて良い。バランスを取ると調和が生まれる。
「チャンスだ!」と思ったら、リスクも考えて脇を締めてチャレンジする。 リスクがあってもチャンスがあるかもしれないと思って、恐れつつも前を向く。
「不幸だな」と思っても、その気持ちを引きずりつつ「幸せかも」と考えみる。 今日もご飯が食べることができたよね、とか。どこを境に幸・不幸なんだろうか?幸せだと言えるし、同時に、そうでもないとも言える。
「楽しくないな」と思いながらも、同時に楽しいと言えば楽しい。
人生に成熟していくって、そういう頭の認識にとらわれずに生きることなんだろう。 幸も不幸も、常に同時に存在しているから、一喜一憂するのでなく、一方的に偏らずとらわれず、ただただ生命の活動を繰り返すだけ。 頭を常に双方向にぐしゃっと引っ張ると、気が腹に降りていって調和に繋がる。そこに中道がある。
一方的な話は中道に反するのだ。 最近1番ひどかったのはコロナ騒ぎだ。
今もコロナが流行っているが、なぜあの頃は緊急事態と騒いでいたのだろうか。 インフルエンザより感染死亡率が低かったにもかかわらず、なぜあそこまでの対応だったのか。
自宅にこもっていれば、免疫は下がる。しかし、そうした疑問や反論をする人は「不謹慎だ」と言われ、口を塞がれた。社会は一方的な謹慎モードに入り、不自然な状態を3年も続けた。
私はこの社会騒乱による会社損害は受け止め対処しつつも、同時に「会社改革を行うチャンス」「出店のチャンス」と位置付けた。 中道の経営である。
ボスが会社を創業したのも、日本経済が世界に羽ばたいていた時。工業経済絶対主義のもとで、土に根付いた暮らしや大事とされてきた文化が一方的に壊れていっていた。
ブッダアイが見つめるものと、ボスが見つめていたのは、同じだったのだと思う。 一方的なメジャーストーリームを受け入れつつ、アンチとしてアミナコレクションは誕生した。 そこには中道の調和に繋がる意義がある。
これからもデジタルは加速し、AIが進化し、その影響で社会や生活や労働の合理化が進むだろう。 否定はしないが、そもそも合理化によって人間が幸せになっていくのか?失われていくものがないのか? 生命の営みに育まれてきた文化が、これからさらに必要になるのではないか。
超合理化社会もアンチと中和されて初めて調和に至る。
ブッダアイが、我々の活動を見つめている。
アミナコレクション創業者 進藤幸彦の次男坊。2010年に社長に就任。 1975年生まれ。自然と歴史と文化、それを巡る旅が好き。
アミナコレクションは2026年12月冬至に50周年を迎えます。▼
ブッダアイが描かれたチャイハネPart1の改装秘話▼
アミナコレクションが最初に会社案内を創ったときから、表紙にブッダアイがあった。
しかもブッダアイの目に穴を開け、表紙から裏表紙まで貫通させている。これはコストがかかるが、どんな不況だろうと創業者はこの穴にこだわって抜き続けた。
「ブッダアイはお見通し」とでも言いたいのだろうか。
人生を賭けて創業し、「WALK WITH THE SUN」のような強い商売理念を掲げ、民俗文化を届けていくぞと張り切っていた創業者(ボス)が、単なるデザインの良さだけで自分の会社案内にブッダアイを選ぶはずがない。
精神的なもの、魂に関わるものとしてデザインを選んだはずだ。
ボスに何度か聞いてみたものの、精神に関わるものほど口にしたくない男だったので、ブッダアイを語ることはなかった。
なので、ここからは私の推し測るところではある。
ブッダアイの半眼に見つめられると、人間としての自分の浅はかさを、すべて見透かされているような感覚を受ける。
ブッダが説いた言葉に「中道」がある。
――偏りなさるな、と。
たとえば「積極的に行動すべきだ」という言葉は、良い言葉として使われることが多い。
これは引っ込み思案の人には正しいが、出しゃばりな人はもうちょっと遠慮して消極的になったほうが良い場合もある。
つまり積極も消極も、場面によって両方必要である。
同じように、自信が必要なときもあれば、謙虚さが必要なときもある。
優しさが必要なときもあれば、厳しさが必要なときもある。
何事も状況に応じたバランスなのであり、どちらか一方が正しいという偏りは、囚われとなり、生命活動や調和を崩すきっかけになる。
どちらにも偏らず、「間の中の道』を行きなさい。
一方的な話は、逆に考えてバランスを取る。それが中道である。
誰かが悪いと思ったら、自分にも非があったかもと思う。
相手が悪いと思ったままでもいい。それでも「お互い様だ」と思えると調和が生まれる。
「嫌な仕事だな」と思ったら、その仕事の恩恵を受けている人のことを考えてみてバランスを取る。
嫌な仕事と思っていることを否定もしなくて良い。バランスを取ると調和が生まれる。
「チャンスだ!」と思ったら、リスクも考えて脇を締めてチャレンジする。
リスクがあってもチャンスがあるかもしれないと思って、恐れつつも前を向く。
「不幸だな」と思っても、その気持ちを引きずりつつ「幸せかも」と考えみる。
今日もご飯が食べることができたよね、とか。どこを境に幸・不幸なんだろうか?幸せだと言えるし、同時に、そうでもないとも言える。
「楽しくないな」と思いながらも、同時に楽しいと言えば楽しい。
人生に成熟していくって、そういう頭の認識にとらわれずに生きることなんだろう。
幸も不幸も、常に同時に存在しているから、一喜一憂するのでなく、一方的に偏らずとらわれず、ただただ生命の活動を繰り返すだけ。
頭を常に双方向にぐしゃっと引っ張ると、気が腹に降りていって調和に繋がる。そこに中道がある。
一方的な話は中道に反するのだ。
最近1番ひどかったのはコロナ騒ぎだ。
今もコロナが流行っているが、なぜあの頃は緊急事態と騒いでいたのだろうか。
インフルエンザより感染死亡率が低かったにもかかわらず、なぜあそこまでの対応だったのか。
自宅にこもっていれば、免疫は下がる。しかし、そうした疑問や反論をする人は「不謹慎だ」と言われ、口を塞がれた。社会は一方的な謹慎モードに入り、不自然な状態を3年も続けた。
私はこの社会騒乱による会社損害は受け止め対処しつつも、同時に「会社改革を行うチャンス」「出店のチャンス」と位置付けた。
中道の経営である。
ボスが会社を創業したのも、日本経済が世界に羽ばたいていた時。工業経済絶対主義のもとで、土に根付いた暮らしや大事とされてきた文化が一方的に壊れていっていた。
ブッダアイが見つめるものと、ボスが見つめていたのは、同じだったのだと思う。
一方的なメジャーストーリームを受け入れつつ、アンチとしてアミナコレクションは誕生した。
そこには中道の調和に繋がる意義がある。
これからもデジタルは加速し、AIが進化し、その影響で社会や生活や労働の合理化が進むだろう。
否定はしないが、そもそも合理化によって人間が幸せになっていくのか?失われていくものがないのか?
生命の営みに育まれてきた文化が、これからさらに必要になるのではないか。
超合理化社会もアンチと中和されて初めて調和に至る。
ブッダアイが、我々の活動を見つめている。
筆者プロフィール:進藤さわと
アミナコレクション創業者 進藤幸彦の次男坊。2010年に社長に就任。
1975年生まれ。自然と歴史と文化、それを巡る旅が好き。
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