中国の世界遺産「兵馬俑」とは?秦の始皇帝陵に刻まれた歴史を辿る旅

中国の世界遺産と聞くと、どんなスポットが思い浮かびますか?
多くの人が、万里の長城や紫禁城、天壇など、歴代皇帝ゆかりの壮大な建造物を想像するのではないでしょうか。

地下に眠っていた8000体の兵士「兵馬俑」もまた、中国を代表する世界遺産です。
今回は、兵馬俑の発見秘話や観光情報を分かりやすく解説します。約2200年前の古代中国のロマンを感じる旅へ、一緒に出かけましょう!

中国における兵馬俑とは?

数千体の兵士がズラっと並ぶ圧巻の光景は、いつどのように作られたのでしょうか。

偶然の発見から世界遺産へ

兵馬俑は、1974年に中国陝西省西安市の郊外に位置する臨潼区で発見されました。発見者は、偶然その場所で井戸を掘っていた農民です。
最初に見つかったのは、泥の中から現れた陶製の兵士の頭部や胴体、そして青銅製の矢じり。その後の大規模な発掘調査で、兵馬俑が眠る巨大な地下空間の存在が明らかになったのです。

1987年には「秦始皇帝陵および兵馬俑坑」としてユネスコの世界遺産に登録され、中国を代表する観光地となりました。

兵馬俑はいつ作られたの?

兵馬俑は、紀元前3世紀、秦が初めて中国を統一した激動の時代に製造が始まりました。
始皇帝が即位した紀元前246年頃から建設が始まり、皇帝が亡くなった紀元前210年頃に中断されたとされています。
古代中国の歴史書『史記』によれば、陵墓の建設には延べ70万人以上が動員されたのだとか。
これは古代世界でも最大級の墓制建築であり、そのスケールの壮大さを物語っています。

なぜ作ったの?

兵馬俑は、秦の始皇帝陵の副葬坑の一部であり、皇帝が死後の世界でも自らの軍団を率いるために造られたと考えられています。

「死後の世界でも秦の始皇帝が軍団を従え、安泰に暮らせるように」という願いこそが、兵馬俑を創造する原動力でした。
古代中国では、死後の生活を現世の延長と捉え、日用品や財宝だけでなく、守護する兵士や馬まで墓に副葬したと言われています。かつて人を殉葬する習慣があった時代もありましたが、その後、代わりに陶製の兵士や馬を埋葬する方法が採用されたのです。

中国における兵馬俑

どうやって作られたの?

等身大の兵馬俑は、兵士の身長が約180cmから195cmにも及びます。
頭部、胴体、手足を別々に成形し、焼成後に組み立てて彩色するという高度な技術が用いられました。
衣装や甲冑、髪型、表情が一体ごとに異なり、それぞれに個性豊かな姿が確認できます。

発掘された当時の一部の兵馬俑には鮮やかな色が残っていましたが、彩色層は非常にもろくなっており空気に触れると剥がれ落ちてしまうため、保存作業を急いでいるそう。

秦の始皇帝とは?

秦の始皇帝(紀元前259年〜紀元前210年)は、中国史上初めて中原を統一した皇帝です。
度量衡や文字、車輪の幅を統一し、中央集権体制を確立。そして、万里の長城の基礎となる城壁建設や道路網整備など、大規模な国家事業を次々と推進するなど、その力は当時の世界でも比類ないものでした。

一方で、法家思想に基づく厳しい統治や、有名な焚書坑儒でも知られる存在です。
兵馬俑は、その絶大な権力と永遠の支配を象徴しているといえるでしょう。

兵馬俑の種類

兵馬俑坑は、実際の軍団の隊列を再現するように配置されています。

一号坑

一号坑

最初に発見された最大の俑坑。
約230メートル×62メートル、深さ5メートルの規模を誇り、約6000体もの兵士俑と馬俑が整然と並ぶ様子は圧巻です。
歩兵、弓兵、戦車兵など多様な兵種が確認でき、秦の軍隊の編成を知る重要な手がかりとなっています。

二号坑

一号坑の北側に位置する二号坑は、騎兵や弓兵を中心とした混成部隊で構成されています。
戦術的な布陣を再現しており、特に馬にまたがる騎兵俑は精巧な造りで、当時の戦術研究において貴重な資料です。

三号坑

軍団全体の指揮本部にあたると考えられている俑坑。
規模は小さいものの、指揮官や幕僚とされる俑が出土しており、軍団全体を統率する役割を担っていたと推測されています。

四号坑

四号坑は未完成のまま放棄されており、俑はほとんど存在しません。
始皇帝の急死によって造営が中止されたと考えられており、当時の歴史的状況を物語る重要な証拠となっています。

日本での展示で起きた大事件

1983年、大阪城公園で開催された「大阪城博覧会」で、兵馬俑が日本に初めて公開されました。
しかし、会期中に酒に酔った男性によって展示されていた一体が押し倒され、破損するという事件が発生しました。
この貴重な文化財の損傷は大きな衝撃を与え、日中両国の関係にも影響を与えかねない一大事となったのです。

さらにこの展示を見に中国共産党のナンバー2が訪れることになっており、残されたタイムリミットは4日のみ。中国側と日本側の専門家チームは昼夜を問わず修復に着手しました。
ひび割れた陶俑の頬や馬の脚部の破損部分を綿密に確認し、元の造形や彩色を可能な限り忠実に再現するため、古い写真資料や発掘報告書、現地残存の断片と突き合わせながら作業を進めました。

残念ながら期限までに修復は間に合いませんでしたが、その技術的正確さと作業速度は国際的にも称賛されたのです。
この修復プロジェクトは「けがの功名」と言われ、日中友好が深まる機会となりました。
この事件は、海外での文化財展示における安全管理の重要性を改めて認識させるきっかけとなりました。

兵馬俑の観光情報

ここからは、兵馬俑へのアクセス方法、訪れる際の注意点などを紹介します。

兵馬俑の観光情報

アクセス情報

兵馬俑博物館は西安市中心部から北東へ約35km離れた場所にあります。
市内からは観光バスやタクシーを利用でき、所要時間は約1時間です。地下鉄や鉄道駅からの案内も整備されており、旅行者にとって訪れやすい立地といえるでしょう。

料金・営業情報

入場料は季節や条件によって異なりますが、一般的には約120元前後です。
開館時間は午前8時30分から午後5時まで、最終入場は閉館の1時間前となっています。訪問前に公式サイトで最新情報を確認しておけば安心でしょう。

訪れる際の注意点とコツ

館内は広大で、すべてを見学するには2〜3時間かかります。快適に歩ける靴での訪問がおすすめです。また、作品保護のため展示室内でのフラッシュ撮影や俑への近距離での接触は禁止されています。

訪問者の口コミを見ると「朝7時に南大門を出発して、開館前に到着。そのおかげで、ゆったりと見学できました」という声があります。午前中の早い時間帯は比較的落ち着いて観覧できるようです。
また、「ガイドをお願いすると、情報量も多く勉強になりました」という口コミもあります。
歴史的背景を理解することで、より一層深い感動を得られるでしょう。

実物を見た訪問者の声

一生の思い出となる体験となった、訪問者の声を紹介します。

  • 写真やTVで見るのと現地で見るのは、迫力が大違い!
  • 横から見ると、最前列に多くの兵馬俑が並んでいて大迫力。一体一体じっくり見ていると、いつまでも飽きません!
  • 長年の夢だった中国の兵馬俑を訪れ、日本語ガイドを付けて存分に堪能できた!
【番外編】

世界の大量な〇〇

世界には「数の多さ」そのものが圧倒的な魅力となる場所があります。
無数の像や柱、塩の結晶など、膨大なスケールが織りなす風景は、人間の技術や自然の神秘を改めて実感させてくれます。

日本【三十三間堂】:千体の観音像が並ぶ圧巻の空間

京都にある三十三間堂には、千体以上の千手観音像が整然と並んでいます。
その圧巻の光景は、国内外の旅行者を魅了し続けています。

観音像は一体ごとに表情や姿が異なり、まるで人間の多様な心を映しているよう。
建物自体も約120メートルの長さを誇り、歴史的建築としても見応えがあります。年始には伝統行事「通し矢」が行われ、多くの参拝客で賑わいます。

インド【エローラ石窟】:岩山を掘り抜いた巨大寺院群

インド【エローラ石窟】:岩山を掘り抜いた巨大寺院群

エローラ石窟群のカイラーサナータ寺院は、巨大な岩山を掘り抜いて造られた寺院建築です。
30を超える石窟にはヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の寺院が並び、宗教的共存を象徴しています。

特にカイラーサナータ寺院は高さ30メートル、幅60メートルを誇り、ひとつの岩をくり抜いて作られた建築としては世界最大級です。
世界遺産にも登録されており、その圧倒的な迫力に息をのむことでしょう。

スペイン【メスキータ】―赤白アーチが織りなす礼拝空間

インド【エローラ石窟】:岩山を掘り抜いた巨大寺院群

コルドバにあるメスキータは、赤と白のアーチが連続する美しい礼拝堂です。
円柱が林立する内部空間は「円柱の森」と呼ばれ、独自の世界観を体感できます。

イスラム教の大モスクとして建設され、その後カトリック教会として改修されました。
現在も礼拝に使用されており、イスラムとキリスト教、二つの文化が融合する姿はスペインの多層的な歴史を象徴しています。

ボリビア【ウユニ塩湖】:天空を映す鏡の大地

ボリビア【ウユニ塩湖】:天空を映す鏡の大地

ウユニ塩湖は、自然が生み出す六角形の模様で有名です。
雨季には鏡のように空を映す絶景となり、多くの旅行者が訪れたい憧れの観光地。

標高約3600メートルに広がる塩の大地は、総面積1万平方キロメートル以上で、世界最大の塩湖です。
乾季には真っ白な塩原がどこまでも続き、幻想的な風景を堪能できます。

兵馬俑が語りかける古代中国の壮大な歴史

中国・西安に眠る秦始皇帝陵の副葬坑として発見された兵馬俑は、古代の権力と文化を現代に伝える貴重な世界遺産です。
等身大の兵士や馬は当時の軍団を忠実に再現しており、発掘の進展によって新たな発見が続いています。
博物館を訪れた人々は、歴史のスケールを実感し、世界の文化遺産への関心を広げることができるでしょう。

次の旅行先を考える際には、兵馬俑を中心に、世界各地の遺跡や建築を巡る旅を計画してみてはいかがでしょうか。


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