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皆さんは日本三大珍味を御存じですか?キャビアなどの世界三大珍味はフランス料理やイタリア料理などによく使われるので、ご存じの方も多いと思いますが、日本三大珍味はあまり知られていないのではないでしょうか。そこで今回は、日本三大珍味の種類や歴史などについて詳しく解説していきましょう。
「珍味」とは、それぞれの国や地域ならではの珍しい食材や貴重な食材そのものや、珍しい食材を使った加工品などのことを指します。
日本でも昔から「珍味」と呼ばれる地域特有の食材が数多くありますが、その中の日本三大珍味とはいったいどんな食材なのでしょうか。
日本三大珍味といわれるものには諸説ありますが、農林水産省で紹介されているのは「ウニ」「からすみ」「このわた」です。正確には「越前の塩ウニ」「長崎のからすみ」「三河のこのわた」で、いずれも生の食材ではなく塩漬けなど加工した地域特有のものを指します。
この3つがいつごろから日本三大珍味と呼ばれるようになったのかは、はっきりと分かっていませんが、少なくとも江戸時代には「天下の珍味」として呼ばれていたようです。「天下の珍味」と呼ばれた理由は、いずれも特定の地域にしかなかった貴重で美味な食べ物で、江戸将軍家や京都御所に献上品として納められていたからだとされています。
日本三大珍味の「ウニ」とは、生ウニを原料として塩を混ぜ合わせペースト状にした「塩ウニ」のことを指しています。「塩ウニ」は「越前雲丹」とも呼ばれる福井県の特産品です。ここでは、「越前の塩ウニ」が日本三大珍味の1つになった由来や歴史について詳しく解説していきましょう。
福井県では大昔からウニが多く採れており、奈良時代から生ウニに塩を混ぜた「泥ウニ」と呼ばれる保存食があり、朝廷に献上されていました。しかし、日本三大珍味の「塩ウニ」は「泥ウニ」とは違うもので、江戸時代に福井藩の「天たつ」という海産物加工店で作られたものです。
「天たつ」独自の製法で作られた「塩ウニ」は100gの塩ウニを作るのに100個以上のウニを必要とするためとても高価で、徳川将軍家や朝廷などに献上されていました。そのため殿上人のみが食べられる珍味として有名になり、日本三大珍味の1つと称されるようになったのです。
塩ウニを作ったのは「天たつ」の三代目当主・天野五郎兵衛です。天野五郎兵衛は、当時の福井藩主・松平治好公から「戦時中でも持ち歩ける保存食を作って欲しい」という命を受け、「塩蔵法」という独自の製造方法を考案しました。天野五郎兵衛は「塩蔵法」を越前海岸一帯の漁師や海女に広めます。その後、「塩ウニ」は「越前雲丹」とも呼ばれる福井藩の特産品となり、漁師たちの年貢として福井藩松平家に納められるようになりました。松平家は、高価で美味な「塩ウニ」を将軍家や宮家、他藩への贈り物として献上するようになり、将軍家に献上される品々の中でも特に美味で希少であったため、日本三大珍味と称されるようになります。
「天たつ」は現在も福井県福井市に店舗を構えており、「塩ウニ」は現在でも特別な贈り物として人気の高い商品となっています。
「からすみ」とは、ボラの卵(卵巣)を塩漬けにして天日で干したもので「海のチーズ」とも呼ばれています。その形が唐(中国)の墨に似ていることから「唐墨(からすみ)」と呼ばれるようになりました。日本三大珍味の「からすみ」は長崎県の特産品として献上されていたものです。ここでは、長崎のからすみが日本三大珍味の1つになった由来や歴史について詳しく解説していきましょう。
「からすみ」は、安土桃山時代に中国から長崎に伝わったとされています。当時から珍味として重宝されていた「からすみ」は、関白となった豊臣秀吉にも献上され、とても気に入っていたといわれています。江戸時代に入り、長崎の野母崎(のもさき)で魚屋を営んでいた高野勇助氏が独自の製法で作る「野母からすみ」が徳川将軍家に献上されるようになり、「長崎のからすみ」は幕府御用達の珍味として有名になりました。このことから、「長崎のからすみ」は日本三大珍味と称されるようになったのです。
「からすみ」の歴史は古く、古代ギリシャやエジプトが発祥といわれています。その後イタリアやフランス、スペイントルコなどで作られるようになった「からすみ」は、中国にも伝わり、1620年代に中国から日本の長崎に伝わりました。
日本独自の「からすみ」を作ったのは、現在も長崎に店舗を構える「高野屋」の初代・高野勇助といわれています。高野氏は元々長崎の出島近くで魚屋を営んでいましたが、中国から伝わった「からすみ」に興味を持ち、「からすみ」を作り始めました。
中国から伝わった「からすみ」の原料はサワラの卵巣でしたが、長崎の野母崎付近の海でボラがたくさん獲れたことから、高野氏はボラの卵巣を原料とし、独自の味付けをした「野母のからすみ」を作り出します。高野氏が作った「野母のからすみ」はとても美味しく、当時の長崎奉行がとても良い品だとして幕府へ献上しました。徳川将軍家は「野母のからすみ」をとても気に入り、1712年(正徳2年)から1867年(慶応3年)までの期間、「長崎のからすみ」として将軍家に献上されることとなったのです。そのため「長崎のからすみ」は、日本三大珍味の1つや不老長寿の薬として珍重されたといわれています。
その後も、昭和初期まで宮内省に献上され、現在でも長崎市内にある「高野屋」で販売されています。
「このわた」とは、ナマコの腸を塩漬けし熟成させたいわゆる塩辛です。「このわた」という名前は、日本ではかつてナマコのことを「こ」と呼んでおり、その「わた(腸)」を加工したものであることから「このわた」と呼ばれるようになったといわれています。
日本三大珍味の「このわた」は、三河(現・愛知県)の特産品として献上されていたものです。ここでは、「三河のこのわた」が日本三大珍味の1つになった由来や歴史について詳しく解説していきましょう。
「このわた」は、大昔から日本で食べられていた保存食です。特に、三河・尾張(現・愛知県)や能登(現・石川県)の「このわた」は最高級品として、平安時代から朝廷や幕府に献上されていました。江戸時代に入ると、三河湾で作られる「このわた」は徳川将軍家御用達品に指定され、毎年将軍家に2回、京都御所に1回献上するのが定めとなっていて、明治の初めごろまでこの習慣が続いていたそうです。そのため、「三河のこのわた」は日本三大珍味の1つと称されるようになったといわれています。
「このわた」は、昔から能登半島や伊勢湾、三河湾などで作られていたといわれており、平安時代には能登国の特産品として公家に献上されたと史料に書き残されています。室町時代から戦国時代にかけては、当時能登国を治めていた畠山氏が、能登の水産物として足利将軍家や公卿などに献上していました。
江戸時代には、加賀藩や岡崎藩(三河)、尾張藩などの特産品として徳川将軍家や朝廷に献上され、初代加賀藩主・前田利家が「このわた」で将軍家の要人をもてなして株を上げたという逸話も残っています。それほどまでに貴重で美味しかった「このわた」は、現在でも石川県や愛知県、福井県、瀬戸内地方などで作られ、高級珍味として多くの人に愛されています。
日本には、三大珍味以外にも多くの珍味があります。ここでは、日本各地の珍味を紹介していきましょう。
「カンカイ(寒海)」とはタラの仲間の魚を干した北海道の珍味です。「カンカイ」は氷下魚(こまい)と呼ばれる魚の別名で、主に北海道で使われています。「カンカイ」という名前は、サハリンのギリヤーク語のカンカツが由来して呼ばれるようになったといわれています。また、秋から冬にかけての厳寒期の凍った海を割って漁獲されることが名前の由来となっているともいわれています。「カンカイ」は、一夜干しのものや氷点下の屋外で数日間干したものがあります。数日間干すものは、夜は寒さで凍り、昼間は太陽の熱でとけるという冷凍と解凍を何度も繰り返しながら干されるので、とても硬く味が凝縮されているのが特徴です。一夜干しの「カンカイ」は、そのまま食べたり焼いてからマヨネーズ醤油や一味唐辛子を付けて食べます。長く干した「カンカイ」はあまりにも硬いので、木槌で叩いて解したものを炙って食べるのが一般的です。
「カラストンビ」とは、イカやタコの口(くちばし)に当たる部分の呼び方で、干したり燻製にしたりした北海道の珍味です。イカやタコのの口(くちばし)部分が、カラスとトンビのくちばしに形や色が似ていることから「カラストンビ」と呼ばれるようになったといわれています。そのまま食べることもできますが少し大きくて硬いので、ハサミでカットして手でほぐしてから食べたり、炙って食べたりするのが一般的です。
「くちこ」とは、ナマコの卵巣を塩漬けして干して作られる高級な珍味です。能登地方の特産品として有名で、奈良時代から朝廷に献上されていました。細い糸のようなナマコの卵巣を三角形状に形を整えてから干されますが、その形は三味線のバチのようにも見えるため「バチコ」とも呼ばれています。軽く炙って食べるのが一般的です。
「カツオ菜」とは、福岡を中心に栽培されているアブラナ科の葉野菜で、高菜の近縁種です。旨みが多く含まれていて辛みが少ないのが特徴で、カツオの出汁が無くても十分美味しいという意味で名付けられたといわれています。「カツオ菜」は漢字で「勝男菜」と書かれ、福岡県では昔から縁起物として正月の雑煮に入れて食べる風習があります。
世界三大珍味とは、「キャビア」「トリュフ」「フォアグラ」の3つの食材を指します。「キャビア」はチョウザメの卵を塩漬けしたもの、「トリュフ」はヨーロッパ地方の地中深くに自生する香り高いキノコ、「フォアグラ」は肥大させたアヒルやガチョウなどの肝臓で、いずれもヨーロッパ地域で昔から高級食材として食べられており、珍味の中でも特に希少価値が高く味や風味が良いものとして、世界三大珍味と称されるようになりました。
世界三大珍味は、高級なフランス料理やイタリア料理などに使われてきましたが、近年では和食や中華料理、カジュアルなフランス料理やイタリア料理などにも使われているので、私たち日本人も食べる機会が増えてきています。
世界三大珍味について詳しくこちらをご覧ください。
「食べてビックリ!「世界三大珍味」をはじめ、世界の奇妙な食べ物を紹介」
日本には、太古の時代から珍味が食べられてきた歴史があります。
日本という国は、南北に長く海に囲まれており、山や平野などがある複雑な地形の島国であることや、四季がはっきり分かれていることなどから、特定の地域にしかない食材が使われたり地域特有の加工食品を作ったりしてきた独自に食文化を持つ国です。そのため、日本の珍味も地域に根ざした食材や食習慣の影響を大きく受けて発展してきました。
日本では限られた食材を保存するために、塩漬けや酢漬け、粕漬けなど漬け物や、米や大豆、魚介類、肉類などを発酵させた発酵食品などが発展し、これが「珍味」として重宝されるようになります。
また、中国から伝わった仏教文化の影響で奈良時代以降、食肉を禁忌とする食文化となったため、日本の「珍味」には魚介類や植物性食品の加工品が多くなったことや、山深い地域でひっそりと食べられてきたウサギや鹿などのジビエが「珍味」とされる文化も生み出されました。こうして生まれた日本の「珍味」は、希少価値が高く美味しいため、日本では貴族や武士などの限られた人たちへの献上品としてだけでなく、年中行事やお祭りなどの「ハレの日」の食べ物として受け継がれてきたのです。
日本の珍味には、希少性、特殊な調理法、そして地域に根差した食文化の歴史が反映されています。
日本三大珍味は、奈良時代や平安時代から作られてきた希少で美味しい保存食です。食材が海産物ばかりなのは、海に囲まれ食肉を制限されていた日本ならではといえます。また、日本の珍味は珍しい食材だけではなく昔から特定の地域でよく食べられていたものも多く、珍味は日本の歴史を今に伝える食文化の1つといえるのではないでしょうか。
珍味には塩気や匂いが強いものが多く、好き嫌いがはっきりと分かれてしまうものもありますが、たまにはお好きな珍味を美味しいお酒やご飯と一緒に味わってみてください。
日本発祥の食べ物ってどういう意味?▼
発酵食品とは?~体に優しい自然のちから~▼
皆さんは日本三大珍味を御存じですか?
キャビアなどの世界三大珍味はフランス料理やイタリア料理などによく使われるので、ご存じの方も多いと思いますが、日本三大珍味はあまり知られていないのではないでしょうか。
そこで今回は、日本三大珍味の種類や歴史などについて詳しく解説していきましょう。
目次
日本三大珍味とは
「珍味」とは、それぞれの国や地域ならではの珍しい食材や貴重な食材そのものや、珍しい食材を使った加工品などのことを指します。
日本でも昔から「珍味」と呼ばれる地域特有の食材が数多くありますが、その中の日本三大珍味とはいったいどんな食材なのでしょうか。
日本三大珍味の種類と歴史
日本三大珍味といわれるものには諸説ありますが、農林水産省で紹介されているのは「ウニ」「からすみ」「このわた」です。
正確には「越前の塩ウニ」「長崎のからすみ」「三河のこのわた」で、いずれも生の食材ではなく塩漬けなど加工した地域特有のものを指します。
この3つがいつごろから日本三大珍味と呼ばれるようになったのかは、はっきりと分かっていませんが、少なくとも江戸時代には「天下の珍味」として呼ばれていたようです。
「天下の珍味」と呼ばれた理由は、いずれも特定の地域にしかなかった貴重で美味な食べ物で、江戸将軍家や京都御所に献上品として納められていたからだとされています。
日本三大珍味「ウニ」
日本三大珍味の「ウニ」とは、生ウニを原料として塩を混ぜ合わせペースト状にした「塩ウニ」のことを指しています。
「塩ウニ」は「越前雲丹」とも呼ばれる福井県の特産品です。
ここでは、「越前の塩ウニ」が日本三大珍味の1つになった由来や歴史について詳しく解説していきましょう。
「ウニ」はなぜ日本三大珍味に?
福井県では大昔からウニが多く採れており、奈良時代から生ウニに塩を混ぜた「泥ウニ」と呼ばれる保存食があり、朝廷に献上されていました。
しかし、日本三大珍味の「塩ウニ」は「泥ウニ」とは違うもので、江戸時代に福井藩の「天たつ」という海産物加工店で作られたものです。
「天たつ」独自の製法で作られた「塩ウニ」は100gの塩ウニを作るのに100個以上のウニを必要とするためとても高価で、徳川将軍家や朝廷などに献上されていました。
そのため殿上人のみが食べられる珍味として有名になり、日本三大珍味の1つと称されるようになったのです。
「ウニ」の歴史
塩ウニを作ったのは「天たつ」の三代目当主・天野五郎兵衛です。
天野五郎兵衛は、当時の福井藩主・松平治好公から「戦時中でも持ち歩ける保存食を作って欲しい」という命を受け、「塩蔵法」という独自の製造方法を考案しました。
天野五郎兵衛は「塩蔵法」を越前海岸一帯の漁師や海女に広めます。
その後、「塩ウニ」は「越前雲丹」とも呼ばれる福井藩の特産品となり、漁師たちの年貢として福井藩松平家に納められるようになりました。
松平家は、高価で美味な「塩ウニ」を将軍家や宮家、他藩への贈り物として献上するようになり、将軍家に献上される品々の中でも特に美味で希少であったため、日本三大珍味と称されるようになります。
「天たつ」は現在も福井県福井市に店舗を構えており、「塩ウニ」は現在でも特別な贈り物として人気の高い商品となっています。
日本三大珍味「からすみ」
「からすみ」とは、ボラの卵(卵巣)を塩漬けにして天日で干したもので「海のチーズ」とも呼ばれています。
その形が唐(中国)の墨に似ていることから「唐墨(からすみ)」と呼ばれるようになりました。
日本三大珍味の「からすみ」は長崎県の特産品として献上されていたものです。
ここでは、長崎のからすみが日本三大珍味の1つになった由来や歴史について詳しく解説していきましょう。
なぜ「からすみ」が日本三大珍味に?
「からすみ」は、安土桃山時代に中国から長崎に伝わったとされています。
当時から珍味として重宝されていた「からすみ」は、関白となった豊臣秀吉にも献上され、とても気に入っていたといわれています。
江戸時代に入り、長崎の野母崎(のもさき)で魚屋を営んでいた高野勇助氏が独自の製法で作る「野母からすみ」が徳川将軍家に献上されるようになり、「長崎のからすみ」は幕府御用達の珍味として有名になりました。
このことから、「長崎のからすみ」は日本三大珍味と称されるようになったのです。
「からすみ」の歴史
「からすみ」の歴史は古く、古代ギリシャやエジプトが発祥といわれています。
その後イタリアやフランス、スペイントルコなどで作られるようになった「からすみ」は、中国にも伝わり、1620年代に中国から日本の長崎に伝わりました。
日本独自の「からすみ」を作ったのは、現在も長崎に店舗を構える「高野屋」の初代・高野勇助といわれています。
高野氏は元々長崎の出島近くで魚屋を営んでいましたが、中国から伝わった「からすみ」に興味を持ち、「からすみ」を作り始めました。
中国から伝わった「からすみ」の原料はサワラの卵巣でしたが、長崎の野母崎付近の海でボラがたくさん獲れたことから、高野氏はボラの卵巣を原料とし、独自の味付けをした「野母のからすみ」を作り出します。
高野氏が作った「野母のからすみ」はとても美味しく、当時の長崎奉行がとても良い品だとして幕府へ献上しました。
徳川将軍家は「野母のからすみ」をとても気に入り、1712年(正徳2年)から1867年(慶応3年)までの期間、「長崎のからすみ」として将軍家に献上されることとなったのです。
そのため「長崎のからすみ」は、日本三大珍味の1つや不老長寿の薬として珍重されたといわれています。
その後も、昭和初期まで宮内省に献上され、現在でも長崎市内にある「高野屋」で販売されています。
日本三大珍味「このわた」
「このわた」とは、ナマコの腸を塩漬けし熟成させたいわゆる塩辛です。
「このわた」という名前は、日本ではかつてナマコのことを「こ」と呼んでおり、その「わた(腸)」を加工したものであることから「このわた」と呼ばれるようになったといわれています。
日本三大珍味の「このわた」は、三河(現・愛知県)の特産品として献上されていたものです。
ここでは、「三河のこのわた」が日本三大珍味の1つになった由来や歴史について詳しく解説していきましょう。
なぜ「このわた」が日本三大珍味に?
「このわた」は、大昔から日本で食べられていた保存食です。
特に、三河・尾張(現・愛知県)や能登(現・石川県)の「このわた」は最高級品として、平安時代から朝廷や幕府に献上されていました。
江戸時代に入ると、三河湾で作られる「このわた」は徳川将軍家御用達品に指定され、毎年将軍家に2回、京都御所に1回献上するのが定めとなっていて、明治の初めごろまでこの習慣が続いていたそうです。
そのため、「三河のこのわた」は日本三大珍味の1つと称されるようになったといわれています。
「このわた」の歴史
「このわた」は、昔から能登半島や伊勢湾、三河湾などで作られていたといわれており、平安時代には能登国の特産品として公家に献上されたと史料に書き残されています。
室町時代から戦国時代にかけては、当時能登国を治めていた畠山氏が、能登の水産物として足利将軍家や公卿などに献上していました。
江戸時代には、加賀藩や岡崎藩(三河)、尾張藩などの特産品として徳川将軍家や朝廷に献上され、初代加賀藩主・前田利家が「このわた」で将軍家の要人をもてなして株を上げたという逸話も残っています。
それほどまでに貴重で美味しかった「このわた」は、現在でも石川県や愛知県、福井県、瀬戸内地方などで作られ、高級珍味として多くの人に愛されています。
いくつ知っている?その他の日本の珍味
日本には、三大珍味以外にも多くの珍味があります。
ここでは、日本各地の珍味を紹介していきましょう。
カンカイ(寒海)
「カンカイ(寒海)」とはタラの仲間の魚を干した北海道の珍味です。
「カンカイ」は氷下魚(こまい)と呼ばれる魚の別名で、主に北海道で使われています。
「カンカイ」という名前は、サハリンのギリヤーク語のカンカツが由来して呼ばれるようになったといわれています。
また、秋から冬にかけての厳寒期の凍った海を割って漁獲されることが名前の由来となっているともいわれています。
「カンカイ」は、一夜干しのものや氷点下の屋外で数日間干したものがあります。
数日間干すものは、夜は寒さで凍り、昼間は太陽の熱でとけるという冷凍と解凍を何度も繰り返しながら干されるので、とても硬く味が凝縮されているのが特徴です。
一夜干しの「カンカイ」は、そのまま食べたり焼いてからマヨネーズ醤油や一味唐辛子を付けて食べます。
長く干した「カンカイ」はあまりにも硬いので、木槌で叩いて解したものを炙って食べるのが一般的です。
カラストンビ
「カラストンビ」とは、イカやタコの口(くちばし)に当たる部分の呼び方で、干したり燻製にしたりした北海道の珍味です。
イカやタコのの口(くちばし)部分が、カラスとトンビのくちばしに形や色が似ていることから「カラストンビ」と呼ばれるようになったといわれています。
そのまま食べることもできますが少し大きくて硬いので、ハサミでカットして手でほぐしてから食べたり、炙って食べたりするのが一般的です。
くちこ
「くちこ」とは、ナマコの卵巣を塩漬けして干して作られる高級な珍味です。
能登地方の特産品として有名で、奈良時代から朝廷に献上されていました。
細い糸のようなナマコの卵巣を三角形状に形を整えてから干されますが、その形は三味線のバチのようにも見えるため「バチコ」とも呼ばれています。
軽く炙って食べるのが一般的です。
カツオ菜(勝男菜)
「カツオ菜」とは、福岡を中心に栽培されているアブラナ科の葉野菜で、高菜の近縁種です。
旨みが多く含まれていて辛みが少ないのが特徴で、カツオの出汁が無くても十分美味しいという意味で名付けられたといわれています。
「カツオ菜」は漢字で「勝男菜」と書かれ、福岡県では昔から縁起物として正月の雑煮に入れて食べる風習があります。
世界三大珍味とは
世界三大珍味とは、「キャビア」「トリュフ」「フォアグラ」の3つの食材を指します。
「キャビア」はチョウザメの卵を塩漬けしたもの、「トリュフ」はヨーロッパ地方の地中深くに自生する香り高いキノコ、「フォアグラ」は肥大させたアヒルやガチョウなどの肝臓で、いずれもヨーロッパ地域で昔から高級食材として食べられており、珍味の中でも特に希少価値が高く味や風味が良いものとして、世界三大珍味と称されるようになりました。
世界三大珍味は、高級なフランス料理やイタリア料理などに使われてきましたが、近年では和食や中華料理、カジュアルなフランス料理やイタリア料理などにも使われているので、私たち日本人も食べる機会が増えてきています。
世界三大珍味について詳しくこちらをご覧ください。
「食べてビックリ!「世界三大珍味」をはじめ、世界の奇妙な食べ物を紹介」
日本の「珍味」を食べる文化
日本には、太古の時代から珍味が食べられてきた歴史があります。
日本という国は、南北に長く海に囲まれており、山や平野などがある複雑な地形の島国であることや、四季がはっきり分かれていることなどから、特定の地域にしかない食材が使われたり地域特有の加工食品を作ったりしてきた独自に食文化を持つ国です。
そのため、日本の珍味も地域に根ざした食材や食習慣の影響を大きく受けて発展してきました。
日本では限られた食材を保存するために、塩漬けや酢漬け、粕漬けなど漬け物や、米や大豆、魚介類、肉類などを発酵させた発酵食品などが発展し、これが「珍味」として重宝されるようになります。
また、中国から伝わった仏教文化の影響で奈良時代以降、食肉を禁忌とする食文化となったため、日本の「珍味」には魚介類や植物性食品の加工品が多くなったことや、山深い地域でひっそりと食べられてきたウサギや鹿などのジビエが「珍味」とされる文化も生み出されました。
こうして生まれた日本の「珍味」は、希少価値が高く美味しいため、日本では貴族や武士などの限られた人たちへの献上品としてだけでなく、年中行事やお祭りなどの「ハレの日」の食べ物として受け継がれてきたのです。
日本の珍味には、希少性、特殊な調理法、そして地域に根差した食文化の歴史が反映されています。
日本三大珍味は日本の歴史を伝える食文化
日本三大珍味は、奈良時代や平安時代から作られてきた希少で美味しい保存食です。
食材が海産物ばかりなのは、海に囲まれ食肉を制限されていた日本ならではといえます。
また、日本の珍味は珍しい食材だけではなく昔から特定の地域でよく食べられていたものも多く、珍味は日本の歴史を今に伝える食文化の1つといえるのではないでしょうか。
珍味には塩気や匂いが強いものが多く、好き嫌いがはっきりと分かれてしまうものもありますが、たまにはお好きな珍味を美味しいお酒やご飯と一緒に味わってみてください。
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日本発祥の食べ物ってどういう意味?▼
発酵食品とは?~体に優しい自然のちから~▼