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家紋は、家々に伝えられる日本伝統の「しるし」。 長い歴史の中、その時々で役目を変えながら今に伝わります。
特筆すべきは、限りなくシンプルで完成されたそのデザイン。 日本ならではともいえる、独特の美しさを持ちます。
この時代も、私たちのアイデンティティを表すものとして、暮らしの中に溶け込んでいますよ。 このシンプルな美しさに秘められた、奥深い家紋の世界へ、ようこそ!
「家紋」という言葉は聞いたことがあるし、家に伝わっているのも知っているけれど、何なのかはよくわからない。 そんな方もきっと多いはず。家紋について少しみてみましょう。
家紋は、先祖代々伝わる、いわばその家のシンボルマーク。 英語では「family crests」と訳され、その家の先祖が歩んできた歴史、そして私たちのアイデンティティを表すものともいえます。
特別なときに出す提灯、家の屋根瓦、お墓などに入った家紋を目にしたことがあるのではないでしょうか。
モチーフは古くから親しまれている身近な動植物や道具、また自然現象など。 ごくシンプルにデザインされ、主にモノクロで用いられます。
その種類は紋の原型だけで数百種類。 そして細かいデザインの違いを入れると3万ともそれ以上ともいわれ、今もなお増え続けているのです。
家紋は、その家系や由緒などを表す象徴ともいえるもの。 長い歴史の中で、私たちのご先祖さまが自分たちの家の証としたものです。
どの時代にどんな経緯で家紋を持ったのかは、まちまちでしょう。
ただそこには、共通して「子孫繁栄」や「長寿」、「勝利」「魔除け」といった、自分から後に続くものたちへの想い、祈りが込められているものも多くみられるのです。
よく、家紋は日本の紋章とも表現します。 ただヨーロッパにみられる紋章とは、少し性質が違うようです。
中世ヨーロッパ、戦いの際騎士が身につけたのは、頭から足の先まで全身を覆ういかめしい甲冑でした。 どれも似た姿で、それが誰であるのかはおろか、敵味方の判断もつかないため、持つ盾に個人を区別できる紋章を描いたのがはじまりだとされます。
2つの大きな違いとして、家に伝わるものと個人を特定するものであるということが挙げられます。 紋章にはルールがあり、「同一紋章の禁止」が鉄則。 継承者が生きている限り、たとえ親子間であっても同じ紋章は使えないことになっているのです。
個人所有であった紋章は、近代以降になると都市や学校、教会、ギルド(同業組合)などの組織にも所有が認められるようになります。 しだいに、ステイタスシンボルとしての役目も持ち合わせるようになるのです。
バラエティに富む家紋の中でも、とくに広く使われている有名なものは「日本5大家紋」や「日本10大家紋」と呼ばれています。
名字にちなんだ家紋や武家に愛された家紋など、古くから親しまれてきた植物を中心とした紋が並びます。
同じ紋でも、人々は工夫を凝らしてさまざまにアレンジを加え、数万種類ともいわれるデザインが生まれたのです。
その種類の豊富さが特徴でもある家紋。 モチーフには、それぞれどのような意味が込められているのでしょうか。
身近な植物を描いた、最も種類が多い紋。古くから日本人が愛でた花や信仰の対象となった植物などを、縁起を担いだり、実りや繁栄を象徴したりするものとして取り入れてきました。
原産地中国では、鳳凰が棲むという伝説のある嘉木、梧桐(あおぎり)。神聖なものとして天皇の紋に用いられその使用も制限された。蕾の数で「五三桐」「五七桐」などと呼ばれる。現在は、日本政府の紋にも。
平安時代はじめ、中国から伝わった菊は不老長寿の薬効があると珍重されてきた」。後鳥羽上皇好みの紋で、桐とならび皇室の紋として定着したとされる。日本のパスポートの表紙には、「十六葉八重表菊」が用いられる。
蔦性の落葉低木で、房となって垂れ下がるたおやかな花の美しさから、平安貴族に好まれた。繁殖力が強く寿命が長いことから、めでたい象徴として人気。藤原氏をはじめとする多くの公家・武家に用いられた。
古の時代、柏の葉は神への供物を盛るのに使われる神聖なものとされてきた。伊勢神宮や熱田神宮など、神職の紋として用いられる。秋に枯れた葉は、冬を越え新芽が出るまで落ちないことから、代々途切れることない子孫繁栄の象徴とも。
種類は少ないものの、身近な昆虫や鳥、また長寿を象徴するとされる動物、想像上の神獣まで、そのデザインはバラエティに富んでおり、見ているだけで楽しい紋が数多くあります。
気品ある美しい姿で、大きく羽を広げた姿が描かれることが多い。また「鶴は千年」といわれ長寿の象徴とも。両翼を丸く上まで広げた「鶴の丸」は、日本航空(JAL)の社章。
歴史が非常に古く、奈良時代から文様として取り入れられる。平安時代には、平家一門に多く用いられた。羽には細かな紋様が施され華やかさがあり、幼虫から蛹と姿を変えながら華麗に飛ぶさまから吉祥の意味が込められる。
伝説上の神獣で、中国皇帝のシンボルともされた。力強く、瑞祥の意味を持つとされる。天地を自由に行き交い、雨や雷を呼ぶとされ、水にまつわる意味も持つ。善女龍王が住むとされた神泉苑や、天龍寺などで用いられる。その鋭い爪や鱗のみがデザインされた紋も。
器物とは、暮らしや職業に用いるあらゆる道具や乗り物などのこと。建造紋は建物やその一部をデザイン化したものです。家紋として用いられるようになったのは、他に比べてだいぶ後だとされますが、器物紋は植物紋にも匹敵するほど種類が豊富です。
祝いの席で使われることも多く、その形から末広がりの縁起のよいもの、吉祥の紋として人気。広げた状態や、畳んだものを組み合わせたものまでバリエーションも豊富。扇を持つことは武士の身嗜みであるとして、尚武(しょうぶ)紋にも分類される。
元々は古代インドの伝説の王が持つ武器・秘宝であるとされた。仏教では、煩悩を打ち砕く象徴。強力な厄災除けの力があるとされ、菊の花を合わせたような天台宗輪宝紋は、天台宗総本山延暦寺の寺紋に用いられている。
昔の釘抜きは、菱形の座金と梃子(てこ)を組み合わせたもの。その座金を図案化。釘抜きは「苦を抜く」として縁起がよいものとされ、シンプルな形が戦の場で目立つことから、多くの武将に好んで用いられた。
伝統的に使われてきた文様をデザインしたり、単純な図形を組み合わせたりしたもの、また文字を図案化した文字紋などもあります。
池や沼などに自生する水草、ヒシの葉の形に由来する。正倉院所蔵の宝物などにもみられ、世界中の古代文明でもみられる原始的な文様。四つ菱は、武田家の家紋として有名なため、武田菱ともいわれる。大小の菱を組み合わせたり、花や蝶を絡めたりとバラエティ豊か。
鳥の巣を図案化したという説やバラ科の木瓜(ボケ)の断面を象ったという説、また御簾の上の装飾である「帽額」の文様に由来するという説がある。多くみられる日本5大家紋の一つ。
漢数字や名字を表す文字などを、輪の中に配したり、文字自体をデザイン化したりした紋。「一の文字」には、トップを取るという願いが込められたものも。戦国武将の直江兼続は「愛」の字紋を兜の前立に掲げたことで知られる。
自然現象を表す紋。古の時代からあらゆるものに神が宿るとしてきた日本では、自然現象も信仰の対象とされてきました。
闇夜を照らすその美しい姿は、古くから信仰の対象。満ち欠けする不思議な現象は、再生の象徴とも。三日月は弓を張ったように見えることから、武将にも好まれ用いられてきた。
四角や三角の渦巻きで表現されることが多い。稲光は稲の実りをもたらすとされ、豊かな実りの象徴とされる。歴史は非常に古く、古代中国にはすでに使われていたとも。
長い歴史を持つという家紋。いったいいつ、どのように生まれたのでしょうか。 時代によって少しずつ役目を変え、伝えられていくさまがよくわかります。
家紋の起源は、平安時代のはじめにまで遡ります。 平安貴族は草木や自然現象などを文様として落とし込み、好みの文様を自らの調度品や着物にあしらうようになります。 美しいデザインを装飾として暮らしに取り入れたことが、家紋のはじまりとなったのです。
好みの文様を長く使うことで、装飾であった文様は次第に身分や家系、階級を表すシンボルマークへと変わっていきます。
たとえば、平安貴族が利用した乗り物の牛車。この牛車に乗ることは、当時のステイタスシンボルでもありました。
やがて自分好みの文様、車紋を牛車に入れるようになります。 誰が乗る牛車であるか一目でわかるように、またその優美さを競い、力を誇示するものとして発展していったのです。
武家が力を持つ時代へと移り変わると、貴族に倣い家紋は武家にも浸透します。 そして戦乱の世で、さらにその役目を変えていきました。
戦いの場で敵味方を区別するため、武将たちはのぼりなどの旗指物に大きく家紋を描くようになります。混乱する戦いの場での目印としたのです。 どの武将がどんな活躍をしているかの判断材料にもなりました。
また、同じ家紋を用いていた親子や兄弟が敵味方に分かれて戦うようになると、同じ血統であっても違う家紋を用いるようになり、次第に家紋の種類も増えていきます。
主君から功績のあった家臣に家紋が下賜されたり、主君の許可を得て使用したりすることもありました。
豊臣秀吉が天下を統一すると、権力の象徴としての意味を持つようにもなった家紋は、使用を厳しく制限されるようになります。 皇室の菊紋、そして桐紋はその使用が固く禁じられたのです。
庶民の暮らしに活気がみえる江戸時代、家紋は広く庶民にも浸透することになります。
徳川家康は、将軍家と徳川御三家が使用する葵紋、また天皇家の菊紋、大名旗本と同じ家紋の使用については厳しい制限を設けました。 ただそれ以外に関しての庶民の家紋の使用は、大らかだったと伝わります。
武士の特権とされた名字帯刀(名字を名乗り、太刀をさすこと)は、庶民には禁じられていましたが、家紋の使用は自由。それが家紋ブームの追い風となりました。 名字を名乗ることを禁じられていた庶民にとって、家紋は自分を表す特別な「しるし」となったのです。
商家ではのれんなどに家紋や屋号を染め抜き、広告の代わりとし、ブランドアイデンティティとしての要素も持ちました。
また歌舞伎役者や遊女たちまでも、自分の紋、役柄の紋を持ったといいます。
家紋を専門に描く職人、紋上絵師(もんうわえし)も登場し、新たな家紋が次々に生み出され、家紋文化は一気に花ひらいたのです。
今の時代であっても、一目見ただけで「あれは!」と見覚えのある家紋が多くあります。
織田信長はいくつもの家紋を使い分けていたといわれます。 時の正親町天皇から拝領した「十六葉菊」、室町幕府15代将軍足利義昭から賜った「五三桐」、さらに「永楽通宝」「揚羽蝶」など、その数7つとも。
その中でも有名なのが「織田木瓜紋」。 「五つ瓜に唐花」に似ますが、それより中心の唐花がわずかにやせて、絶妙なバランスとなっているのが特徴です。
これは信長の父織田信秀が、主君であった尾張国の守護大名、斯波氏から下賜された紋だといわれています。
かの豊臣秀吉は、出世とともに4つの家紋を持ちました。 農民出身であった秀吉は名字を持ちませんでしたが、ねねと結婚するにあたり木下藤吉郎秀吉と名乗るようになります。
そこで秀吉は、ねねの家に伝わったとされる「沢瀉紋」(おもだかもん)を使うようになりました。 沢瀉はその葉の形が武具である鏃(やじり)に似ることから勝ち草として知られ、武士に好まれる紋。秀吉は、この家紋を養子として迎え入れた秀次や、子飼いの福島正則にも授けました。
そして、織田の家臣となり羽柴秀吉となった時代には、信長より「五三桐」が与えられ、さらに正親町天皇からは豊臣の氏とともに「五七桐」の紋を賜ります。
さらに天下統一後、はたらきのあった家臣たちに「五三桐」「五七桐」を与えるようになると、自らの権威を示すために独自の桐紋「太閤桐紋」を使用するようになりました。
江戸幕府を開いた徳川家康が、天下人となる前から一貫して用いた「三つ葉葵紋」。 「葵の御紋」として知られる紋です。 家康は天皇から菊紋や桐紋を下賜されることを辞退し、この紋を使用したといいます。 同じ「三つ葉葵紋」でも、将軍家と徳川御三家では茎の太さや葉脈のデザインが微妙に異なっています。
原型は京都の賀茂別雷神社、賀茂御祖神社の神紋「二葉葵」。 神聖な植物であるとされ、平安時代から祭祀に使われてきたフタバアオイがモチーフで、じつは三つ葉の葵は架空の植物です。
徳川の葵紋は、家臣に下賜されることもありませんでした。 庶民も家紋を持つことを許された江戸時代ですが、この葵紋は、無断使用や粗末に扱うことを禁じられ、破った者は厳しく罰せられたといいます。
一文銭を上下三枚ずつ並べた真田家の家紋。 六文銭は、死後に渡る三途の川の渡し賃を意味しています。
徳川と豊臣の戦いである大坂の役で、徳川方をあと一歩まで追い詰めたことで名高い真田信繁(幸村)。 死を覚悟して戦うその強い意志として、旗印に六文銭を描いたといわれています。
自分の家に代々伝わる家紋、じつははっきりとわからない、という方も多いかもしれません。そんな場合は、どのように調べたらよいのでしょうか。
一番手軽にできる方法として、まずはご両親や祖父母、親戚に聞いてみましょう。 ご実家に家紋入りの和服があったり、提灯があったりという方も多いかもしれません。
先祖代々受け継がれるお墓は、その家の歴史が刻まれている場所でもあります。家紋が入れられていることも多いはず。 水鉢の正面に入れられるのが一般的ですが、石塔や墓誌、花立に入れられていることもあります。
仏様とともに、先祖の位牌を祀るお仏壇などにも家紋が用いられている場合があります。 家紋が入れられることが一番多いのは、上部中央の台輪(だいわ)。また猫戸と呼ばれる、かつては分骨を納めるスペースだった部分に入れられることも。位牌に家紋が入れられていることもあります。
最終手段として考えられるのは、さまざまな家紋がモチーフごとずらりと並ぶ家紋図鑑。またインターネットで名字や家紋のモチーフをもとに検索することもできます。 便利な画像検索や家紋検索サイトを利用することも有効な方法です。
誰もが名字を持つことができ、戦のない今の時代、かつてのように家紋が大切な役目を担うことは少なくなってきました。
とはいえ、やはりそれぞれの家々に伝わる家紋はとても大切に守り継がれています。 先代から伝わる冠婚葬祭の和服に入れられていたり、お祭りに出される提灯に見られたり。
そして新たに、家紋をモチーフにしたアクセサリーや雑貨など、日本伝統の家紋をデザインとして取り入れた、今の時代ならではの楽しみ方も生まれています。
かのルイ・ヴィトンのアイコンともいえるモノグラム・キャンバスは、日本の家紋からインスピレーションを得たというのも有名です。
家紋を取り入れたさまざまなグッズを取り扱っております。
和装の要素をワンピースとして仕立てた品の漂うデザイン。 長寿の象徴、また神依る木とされる松の葉を、オリジナルの紋にデザインして背守りとしてあしらいました。 帯を合わせてカジュアルな和装を楽しんだり、ベルトでワンピース風に着こなしたり、羽織ものとしても。
菊や桔梗、桜といった、昔から日本で愛されてきた花を家紋風にデザイン。 繊細ながら華やかな印象を与える真鍮製で、動きに合わせて軽やかに揺れます。 天然石と大きなタッセルをあしらい、和装ばかりでなく、洋服にも合わせたくなるデザインに仕上げました。
いつでも持ち歩くスマホのケースに、家紋からインスパイアされたイラストを配しました。 モチーフは、古の時代人々が畏敬の念を抱いてきた雲や月、また御神酒を入れる瓶子、魔除けの力があるという鈴桐。 ケースの裏には、神社でご祈祷していただいたお守りシールも。
家紋は、古の時代から受け継がれ、今私たちに渡されているバトンのよう。
家紋を知ることは、普段あまり意識することのない私たちのルーツを辿り、アイデンティティを確かめることでもありそうです。
今もじつはあらゆるところに息づく家紋。 私たちの先祖がきっとそうしたように、この時代の私たちなりの家紋の楽しみ方を見つけ、その美しいデザインを愛でながら、次の世代へとバトンを渡していくというのはいかがですか?
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家紋は、家々に伝えられる日本伝統の「しるし」。
長い歴史の中、その時々で役目を変えながら今に伝わります。
特筆すべきは、限りなくシンプルで完成されたそのデザイン。
日本ならではともいえる、独特の美しさを持ちます。
この時代も、私たちのアイデンティティを表すものとして、暮らしの中に溶け込んでいますよ。
このシンプルな美しさに秘められた、奥深い家紋の世界へ、ようこそ!
目次
代々家に伝わる家紋とは?
「家紋」という言葉は聞いたことがあるし、家に伝わっているのも知っているけれど、何なのかはよくわからない。
そんな方もきっと多いはず。家紋について少しみてみましょう。
そもそも家紋ってなに?
家紋は、先祖代々伝わる、いわばその家のシンボルマーク。
英語では「family crests」と訳され、その家の先祖が歩んできた歴史、そして私たちのアイデンティティを表すものともいえます。
特別なときに出す提灯、家の屋根瓦、お墓などに入った家紋を目にしたことがあるのではないでしょうか。
モチーフは古くから親しまれている身近な動植物や道具、また自然現象など。
ごくシンプルにデザインされ、主にモノクロで用いられます。
その種類は紋の原型だけで数百種類。
そして細かいデザインの違いを入れると3万ともそれ以上ともいわれ、今もなお増え続けているのです。
家紋は何を意味している?
家紋は、その家系や由緒などを表す象徴ともいえるもの。
長い歴史の中で、私たちのご先祖さまが自分たちの家の証としたものです。
どの時代にどんな経緯で家紋を持ったのかは、まちまちでしょう。
ただそこには、共通して「子孫繁栄」や「長寿」、「勝利」「魔除け」といった、自分から後に続くものたちへの想い、祈りが込められているものも多くみられるのです。
家紋と紋章はどう違う?
よく、家紋は日本の紋章とも表現します。
ただヨーロッパにみられる紋章とは、少し性質が違うようです。
中世ヨーロッパ、戦いの際騎士が身につけたのは、頭から足の先まで全身を覆ういかめしい甲冑でした。
どれも似た姿で、それが誰であるのかはおろか、敵味方の判断もつかないため、持つ盾に個人を区別できる紋章を描いたのがはじまりだとされます。
2つの大きな違いとして、家に伝わるものと個人を特定するものであるということが挙げられます。
紋章にはルールがあり、「同一紋章の禁止」が鉄則。
継承者が生きている限り、たとえ親子間であっても同じ紋章は使えないことになっているのです。
個人所有であった紋章は、近代以降になると都市や学校、教会、ギルド(同業組合)などの組織にも所有が認められるようになります。
しだいに、ステイタスシンボルとしての役目も持ち合わせるようになるのです。
日本10大家紋とは?
バラエティに富む家紋の中でも、とくに広く使われている有名なものは「日本5大家紋」や「日本10大家紋」と呼ばれています。
名字にちなんだ家紋や武家に愛された家紋など、古くから親しまれてきた植物を中心とした紋が並びます。
同じ紋でも、人々は工夫を凝らしてさまざまにアレンジを加え、数万種類ともいわれるデザインが生まれたのです。
モチーフ別 家紋の種類と意味
その種類の豊富さが特徴でもある家紋。
モチーフには、それぞれどのような意味が込められているのでしょうか。
植物紋
身近な植物を描いた、最も種類が多い紋。古くから日本人が愛でた花や信仰の対象となった植物などを、縁起を担いだり、実りや繁栄を象徴したりするものとして取り入れてきました。
桐紋
原産地中国では、鳳凰が棲むという伝説のある嘉木、梧桐(あおぎり)。神聖なものとして天皇の紋に用いられその使用も制限された。蕾の数で「五三桐」「五七桐」などと呼ばれる。現在は、日本政府の紋にも。
菊紋
平安時代はじめ、中国から伝わった菊は不老長寿の薬効があると珍重されてきた」。後鳥羽上皇好みの紋で、桐とならび皇室の紋として定着したとされる。日本のパスポートの表紙には、「十六葉八重表菊」が用いられる。
藤紋
蔦性の落葉低木で、房となって垂れ下がるたおやかな花の美しさから、平安貴族に好まれた。繁殖力が強く寿命が長いことから、めでたい象徴として人気。藤原氏をはじめとする多くの公家・武家に用いられた。
柏紋
古の時代、柏の葉は神への供物を盛るのに使われる神聖なものとされてきた。伊勢神宮や熱田神宮など、神職の紋として用いられる。秋に枯れた葉は、冬を越え新芽が出るまで落ちないことから、代々途切れることない子孫繁栄の象徴とも。
動物紋
種類は少ないものの、身近な昆虫や鳥、また長寿を象徴するとされる動物、想像上の神獣まで、そのデザインはバラエティに富んでおり、見ているだけで楽しい紋が数多くあります。
鶴紋
気品ある美しい姿で、大きく羽を広げた姿が描かれることが多い。また「鶴は千年」といわれ長寿の象徴とも。両翼を丸く上まで広げた「鶴の丸」は、日本航空(JAL)の社章。
蝶紋
歴史が非常に古く、奈良時代から文様として取り入れられる。平安時代には、平家一門に多く用いられた。羽には細かな紋様が施され華やかさがあり、幼虫から蛹と姿を変えながら華麗に飛ぶさまから吉祥の意味が込められる。
龍紋
伝説上の神獣で、中国皇帝のシンボルともされた。力強く、瑞祥の意味を持つとされる。天地を自由に行き交い、雨や雷を呼ぶとされ、水にまつわる意味も持つ。善女龍王が住むとされた神泉苑や、天龍寺などで用いられる。その鋭い爪や鱗のみがデザインされた紋も。
器物・建造物紋
器物とは、暮らしや職業に用いるあらゆる道具や乗り物などのこと。建造紋は建物やその一部をデザイン化したものです。家紋として用いられるようになったのは、他に比べてだいぶ後だとされますが、器物紋は植物紋にも匹敵するほど種類が豊富です。
扇紋
祝いの席で使われることも多く、その形から末広がりの縁起のよいもの、吉祥の紋として人気。広げた状態や、畳んだものを組み合わせたものまでバリエーションも豊富。扇を持つことは武士の身嗜みであるとして、尚武(しょうぶ)紋にも分類される。
輪宝紋
元々は古代インドの伝説の王が持つ武器・秘宝であるとされた。仏教では、煩悩を打ち砕く象徴。強力な厄災除けの力があるとされ、菊の花を合わせたような天台宗輪宝紋は、天台宗総本山延暦寺の寺紋に用いられている。
釘抜き紋
昔の釘抜きは、菱形の座金と梃子(てこ)を組み合わせたもの。その座金を図案化。釘抜きは「苦を抜く」として縁起がよいものとされ、シンプルな形が戦の場で目立つことから、多くの武将に好んで用いられた。
文様・図案紋
伝統的に使われてきた文様をデザインしたり、単純な図形を組み合わせたりしたもの、また文字を図案化した文字紋などもあります。
池や沼などに自生する水草、ヒシの葉の形に由来する。正倉院所蔵の宝物などにもみられ、世界中の古代文明でもみられる原始的な文様。四つ菱は、武田家の家紋として有名なため、武田菱ともいわれる。大小の菱を組み合わせたり、花や蝶を絡めたりとバラエティ豊か。
木瓜紋
鳥の巣を図案化したという説やバラ科の木瓜(ボケ)の断面を象ったという説、また御簾の上の装飾である「帽額」の文様に由来するという説がある。多くみられる日本5大家紋の一つ。
文字紋
漢数字や名字を表す文字などを、輪の中に配したり、文字自体をデザイン化したりした紋。「一の文字」には、トップを取るという願いが込められたものも。戦国武将の直江兼続は「愛」の字紋を兜の前立に掲げたことで知られる。
自然紋
自然現象を表す紋。古の時代からあらゆるものに神が宿るとしてきた日本では、自然現象も信仰の対象とされてきました。
月紋
闇夜を照らすその美しい姿は、古くから信仰の対象。満ち欠けする不思議な現象は、再生の象徴とも。三日月は弓を張ったように見えることから、武将にも好まれ用いられてきた。
稲妻紋
四角や三角の渦巻きで表現されることが多い。稲光は稲の実りをもたらすとされ、豊かな実りの象徴とされる。歴史は非常に古く、古代中国にはすでに使われていたとも。
家紋の起源と歴史
長い歴史を持つという家紋。いったいいつ、どのように生まれたのでしょうか。
時代によって少しずつ役目を変え、伝えられていくさまがよくわかります。
平安貴族の雅な装飾として生まれる
家紋の起源は、平安時代のはじめにまで遡ります。
平安貴族は草木や自然現象などを文様として落とし込み、好みの文様を自らの調度品や着物にあしらうようになります。
美しいデザインを装飾として暮らしに取り入れたことが、家紋のはじまりとなったのです。
好みの文様を長く使うことで、装飾であった文様は次第に身分や家系、階級を表すシンボルマークへと変わっていきます。
たとえば、平安貴族が利用した乗り物の牛車。この牛車に乗ることは、当時のステイタスシンボルでもありました。
やがて自分好みの文様、車紋を牛車に入れるようになります。
誰が乗る牛車であるか一目でわかるように、またその優美さを競い、力を誇示するものとして発展していったのです。
武士の時代、戦いの目印に
武家が力を持つ時代へと移り変わると、貴族に倣い家紋は武家にも浸透します。
そして戦乱の世で、さらにその役目を変えていきました。
戦いの場で敵味方を区別するため、武将たちはのぼりなどの旗指物に大きく家紋を描くようになります。混乱する戦いの場での目印としたのです。
どの武将がどんな活躍をしているかの判断材料にもなりました。
また、同じ家紋を用いていた親子や兄弟が敵味方に分かれて戦うようになると、同じ血統であっても違う家紋を用いるようになり、次第に家紋の種類も増えていきます。
主君から功績のあった家臣に家紋が下賜されたり、主君の許可を得て使用したりすることもありました。
豊臣秀吉が天下を統一すると、権力の象徴としての意味を持つようにもなった家紋は、使用を厳しく制限されるようになります。
皇室の菊紋、そして桐紋はその使用が固く禁じられたのです。
江戸時代、庶民の間で栄えた家紋
庶民の暮らしに活気がみえる江戸時代、家紋は広く庶民にも浸透することになります。
徳川家康は、将軍家と徳川御三家が使用する葵紋、また天皇家の菊紋、大名旗本と同じ家紋の使用については厳しい制限を設けました。
ただそれ以外に関しての庶民の家紋の使用は、大らかだったと伝わります。
武士の特権とされた名字帯刀(名字を名乗り、太刀をさすこと)は、庶民には禁じられていましたが、家紋の使用は自由。それが家紋ブームの追い風となりました。
名字を名乗ることを禁じられていた庶民にとって、家紋は自分を表す特別な「しるし」となったのです。
商家ではのれんなどに家紋や屋号を染め抜き、広告の代わりとし、ブランドアイデンティティとしての要素も持ちました。
また歌舞伎役者や遊女たちまでも、自分の紋、役柄の紋を持ったといいます。
家紋を専門に描く職人、紋上絵師(もんうわえし)も登場し、新たな家紋が次々に生み出され、家紋文化は一気に花ひらいたのです。
有名な家紋とその由来
今の時代であっても、一目見ただけで「あれは!」と見覚えのある家紋が多くあります。
織田木瓜(織田信長)
織田信長はいくつもの家紋を使い分けていたといわれます。
時の正親町天皇から拝領した「十六葉菊」、室町幕府15代将軍足利義昭から賜った「五三桐」、さらに「永楽通宝」「揚羽蝶」など、その数7つとも。
その中でも有名なのが「織田木瓜紋」。
「五つ瓜に唐花」に似ますが、それより中心の唐花がわずかにやせて、絶妙なバランスとなっているのが特徴です。
これは信長の父織田信秀が、主君であった尾張国の守護大名、斯波氏から下賜された紋だといわれています。
五七桐(豊臣秀吉)
かの豊臣秀吉は、出世とともに4つの家紋を持ちました。
農民出身であった秀吉は名字を持ちませんでしたが、ねねと結婚するにあたり木下藤吉郎秀吉と名乗るようになります。
そこで秀吉は、ねねの家に伝わったとされる「沢瀉紋」(おもだかもん)を使うようになりました。
沢瀉はその葉の形が武具である鏃(やじり)に似ることから勝ち草として知られ、武士に好まれる紋。秀吉は、この家紋を養子として迎え入れた秀次や、子飼いの福島正則にも授けました。
そして、織田の家臣となり羽柴秀吉となった時代には、信長より「五三桐」が与えられ、さらに正親町天皇からは豊臣の氏とともに「五七桐」の紋を賜ります。
さらに天下統一後、はたらきのあった家臣たちに「五三桐」「五七桐」を与えるようになると、自らの権威を示すために独自の桐紋「太閤桐紋」を使用するようになりました。
三つ葉葵(徳川家康)
江戸幕府を開いた徳川家康が、天下人となる前から一貫して用いた「三つ葉葵紋」。
「葵の御紋」として知られる紋です。
家康は天皇から菊紋や桐紋を下賜されることを辞退し、この紋を使用したといいます。
同じ「三つ葉葵紋」でも、将軍家と徳川御三家では茎の太さや葉脈のデザインが微妙に異なっています。
原型は京都の賀茂別雷神社、賀茂御祖神社の神紋「二葉葵」。
神聖な植物であるとされ、平安時代から祭祀に使われてきたフタバアオイがモチーフで、じつは三つ葉の葵は架空の植物です。
徳川の葵紋は、家臣に下賜されることもありませんでした。
庶民も家紋を持つことを許された江戸時代ですが、この葵紋は、無断使用や粗末に扱うことを禁じられ、破った者は厳しく罰せられたといいます。
真田六文銭(真田氏)
一文銭を上下三枚ずつ並べた真田家の家紋。
六文銭は、死後に渡る三途の川の渡し賃を意味しています。
徳川と豊臣の戦いである大坂の役で、徳川方をあと一歩まで追い詰めたことで名高い真田信繁(幸村)。
死を覚悟して戦うその強い意志として、旗印に六文銭を描いたといわれています。
自分の家紋は?家紋の調べ方・見つけ方
自分の家に代々伝わる家紋、じつははっきりとわからない、という方も多いかもしれません。そんな場合は、どのように調べたらよいのでしょうか。
自分の親族に聞く
一番手軽にできる方法として、まずはご両親や祖父母、親戚に聞いてみましょう。
ご実家に家紋入りの和服があったり、提灯があったりという方も多いかもしれません。
墓石を調べる
先祖代々受け継がれるお墓は、その家の歴史が刻まれている場所でもあります。家紋が入れられていることも多いはず。
水鉢の正面に入れられるのが一般的ですが、石塔や墓誌、花立に入れられていることもあります。
仏壇を調べる
仏様とともに、先祖の位牌を祀るお仏壇などにも家紋が用いられている場合があります。
家紋が入れられることが一番多いのは、上部中央の台輪(だいわ)。また猫戸と呼ばれる、かつては分骨を納めるスペースだった部分に入れられることも。位牌に家紋が入れられていることもあります。
家紋図鑑やインターネットで検索する
最終手段として考えられるのは、さまざまな家紋がモチーフごとずらりと並ぶ家紋図鑑。またインターネットで名字や家紋のモチーフをもとに検索することもできます。
便利な画像検索や家紋検索サイトを利用することも有効な方法です。
現代における家紋とは?
誰もが名字を持つことができ、戦のない今の時代、かつてのように家紋が大切な役目を担うことは少なくなってきました。
とはいえ、やはりそれぞれの家々に伝わる家紋はとても大切に守り継がれています。
先代から伝わる冠婚葬祭の和服に入れられていたり、お祭りに出される提灯に見られたり。
そして新たに、家紋をモチーフにしたアクセサリーや雑貨など、日本伝統の家紋をデザインとして取り入れた、今の時代ならではの楽しみ方も生まれています。
かのルイ・ヴィトンのアイコンともいえるモノグラム・キャンバスは、日本の家紋からインスピレーションを得たというのも有名です。
家紋をモチーフにした商品紹介
家紋を取り入れたさまざまなグッズを取り扱っております。
和の狭衣ワンピース
和装の要素をワンピースとして仕立てた品の漂うデザイン。
長寿の象徴、また神依る木とされる松の葉を、オリジナルの紋にデザインして背守りとしてあしらいました。
帯を合わせてカジュアルな和装を楽しんだり、ベルトでワンピース風に着こなしたり、羽織ものとしても。
花家紋かんざし
菊や桔梗、桜といった、昔から日本で愛されてきた花を家紋風にデザイン。
繊細ながら華やかな印象を与える真鍮製で、動きに合わせて軽やかに揺れます。
天然石と大きなタッセルをあしらい、和装ばかりでなく、洋服にも合わせたくなるデザインに仕上げました。
iPhoneケース 衣雲柄
いつでも持ち歩くスマホのケースに、家紋からインスパイアされたイラストを配しました。
モチーフは、古の時代人々が畏敬の念を抱いてきた雲や月、また御神酒を入れる瓶子、魔除けの力があるという鈴桐。
ケースの裏には、神社でご祈祷していただいたお守りシールも。
その時代を映しつづける家紋
家紋は、古の時代から受け継がれ、今私たちに渡されているバトンのよう。
家紋を知ることは、普段あまり意識することのない私たちのルーツを辿り、アイデンティティを確かめることでもありそうです。
今もじつはあらゆるところに息づく家紋。
私たちの先祖がきっとそうしたように、この時代の私たちなりの家紋の楽しみ方を見つけ、その美しいデザインを愛でながら、次の世代へとバトンを渡していくというのはいかがですか?
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