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近年急にその名を目にする機会が多くなったギョベクリテペをご存じでしょうか?2018年に世界遺産に登録されたトルコの遺跡で、建造されたのはなんと約1万1600年前!
にわかに信じがたい数字ですが、この遺跡のすごさはそれだけではありません。ギョベクリテペの発掘により、人類の歴史は根底から再構築を迫られてしまったのです。
ギョベクリテペとはいったいどんな遺跡なのでしょうか?
ギョベクリテペとは、トルコの大部分があるアナトリア半島の南東部、ゲルムシュ山脈から発掘された旧石器時代の遺跡です。ギョベクリテペは現地の言葉で「太鼓腹の丘」を意味し、遺跡は地域の中心都市であるシャンルウルファの郊外にある標高約769mの丘に築かれています。
ギョベクリテペがいつ建造されたのかについては、放射性炭素年代測定によって驚愕の数字が示されています。それはなんと、紀元前9600年から紀元前8200年!建造が始まった時代が現在から約1万1600年前までさかのぼる、大規模建築群としては世界最古の遺跡です。
約1万1600年前の建造物群と聞くと、耳を疑う方も多いのではないでしょうか。なにしろその時代は氷河期が終わって間もなく、シベリアの一部ではマンモスが生息していました。日本はまだ縄文時代、世界でも狩猟採集生活を行っていた新石器時代です。
世界各地の有名な遺跡と比較してみると、
と、ギョベクリテペの圧倒的な古さがよく分かります。
世界最古のメソポタミア文明が歴史を記録し始めたのが、約5000年前と考えられています。ギョベクリテペはその時代から一気に7000年近くも遡る、驚異的な古さの建造物群なのです。
それではギョベクリテペは何のために建造されたのでしょうか?
遺跡の周辺から人々が生活していた形跡は見つかっておらず、居住を目的とした都市などの施設ではなさそうです。
一方、遺跡に立ち並ぶ壁や柱にはレリーフが刻まれ、周囲からは火を起こす道具や石の容器、置物、ビーズなどもみつかっています。まるで儀式を行う神殿のようですね!
こうしたことから、ギョベクリテペは世界最古の宗教施設だったのではないかと考えられているのです。
1963年、アメリカとトルコの共同調査によって遺跡が発見されました。
しかし当時この場所は耕作地で、地上に出ていた遺跡の上層部は石が壊されたり動かされたりして、全容が分からない状況でした。当時の調査隊は柱の上のブロックを発見したものの、それは墓標で、この場所は墓地だと考えたのです。こうして長い間、重要な遺跡とは認識されませんでした。
1994年、この地域を調査していたドイツの考古学者クラウス・シュミットは、農作業中に巨石を発見した農夫の話を聞きます。そして案内されたギョベクリテペでT字型の巨大な石柱を発掘したのです。
1995年から、シュミット率いるドイツ考古学研究所によって本格的な調査が開始されました。シュミットは2014年に他界しましたが、遺跡の発掘は現在も続けられ、さらなる発見が相次いでいます。
ギョベクリテペは、人類史の根本概念を一変させました。
従来の考古学では、文明は農耕によって始まり、宗教や神殿などの建築が発達するのはそのあとだと考えるのが定説でした。狩猟採取生活をしていた人類が定住農耕生活を始めた結果として社会が複雑化し、信仰が生まれ、神殿などの建築物を建設する技術や制度が発展したとされてきたのです。
ギョベクリテペは、その文明の発生順序をまったく無視しています。
ギョベクリテペを建造したのは、定住農耕生活より前の段階の狩猟採取生活をしていた人々です。しかも、最古の農耕が行われたとされる約1万1000年前より500年以上も前から建造され始めています。
となると人類は定説とは異なり、農耕を始める前から宗教を持ち、巨石建造物を建築する技術や社会を発展させていた可能性があるのです。
ギョベクリテペがあるメソポタミア北部は、人類が農耕を開始した地域とされます。文明の起源が、まさにその現場にある遺跡によって覆されようとしているのです。
ギョベクリテペは丘の上に築かれた囲い地の中に建造された遺跡です。現在に至るまで複数の囲い地が発掘され、それぞれの囲い地の中には、謎めいた奇妙な石柱が立ち並んでいました。そして、周囲にはまだ多数の囲い地が埋まっていると考えられているのです。
ギョベクリテペを象徴する、石灰岩で造られた謎のT字型石柱。一つの囲い地に8本前後のT字型の石柱が並び、遺跡全体では200本にも及ぶと考えられています。石柱の重さは10トン以上あり、特に大きなものでは高さ5.5m、重さはなんと50トンを超える巨大さです。
柱にはさまざまなレリーフが刻まれており、建築の一部ではなく記念碑のようなものだったと考えられます。
囲い地の中央にはひときわ大きな1対の柱が立っていて、囲い地全体を覆う屋根を支えていた可能性もありますが、はっきりしたことは不明です。
最近の発掘では、柱とは異なり建物の一部だと考えられる建築群も見つかっています。
石柱の表面には、キツネやイノシシといった動物たちのレリーフが多く刻まれています。
現在のギョベクリテペの周囲は荒野ですが、遺跡創建当時は多くの動物が暮らす豊かな土地で、人々は狩りをして生活していました。動物のレリーフは、狩りの成功を祈って彫られたのでしょう。
モチーフのなかには、腰布やベルトといった衣類や、デフォルメされた人の腕もありますが、なぜか完全な人間を描いたものはほとんどありません。実は、T字型の柱そのものが頭のない人の体を表しているとも考えられているのです。
なぜそんな不可解な描き方をするのかについては、神や先祖などの超自然的存在を描写しているのではないかとする説がありますが、真相は不明です。
発掘が始まったばかりであるにもかかわらず、ギョベクリテペは数多くの謎を投げかけています。遺跡を築いた人々と私たちの間には1万年以上の時間が横たわっており、簡単に理解できないのは当然といえるでしょう。ここで紹介するのは遺跡に眠る謎のごく一部かもしれませんが、ロマンを感じずにはいられません。
ギョベクリテペの建造には重さ10トン~50トンの石柱が使われています。これだけの大規模な建築には、数十人~数百人の人間が何年も関わった可能性があります。
また、石の切り出しや運搬、レリーフの彫刻には高度な技術が必要です。
まだ農耕も始まっていない狩猟採取の時代に、このような労働力と技術をどうやって手に入れたのでしょうか?
神殿などの大きな宗教施設のまわりには、通常、関係者をはじめとする人々の居住地ができます。日本でも、大きな寺社の近くには門前町が栄えますよね。
ところが、大きな宗教施設だったはずのギョベクリテペの周辺からは、住居や集落の痕跡がみつかっていないのです。
こうしたことから、人々が定住を始めたのちに宗教や神殿が発達したとする定説とはまったく異なる新説まで提唱されました。人々が宗教の中心地に集まったために定住が始まり、神殿を建てる労働者の食料を確保するために農耕が始まった可能性が出てきたのです。
さらに最近では、シャンルウルファ周辺からギョベクリテペと同じような規模でT字型の柱がある遺跡が相次いで見つかっています。ギョベクリテペやこれらの遺跡は、地域の狩猟採取民が定期的に情報交換する集会所だったのかもしれません。
ギョベクリテペは、時代の異なる複数の層に分かれています。これは何を意味するのでしょうか?
研究者は、遺跡が何度も埋められては新しく建造された痕跡だと考えています。遺跡はそれを繰り返し、最終的には建造から約1600年後の紀元前8000年頃に放棄されました。一説には、最終的に放棄された時も故意に埋め戻されたとされます。
狩猟採集民にとって、これほどの施設を建造するのは大工事だったでしょう。それなのになぜ完成した施設を大量の土砂で埋めたのか、その理由はまったくの謎です。
最近では、遺跡が埋まったのは故意によるものではなかったとする説も出てきており、さらなる研究から目が離せません。
ギョベクリテペでは頭蓋信仰が行われていたと考えられています。頭蓋信仰とは、死者の頭蓋骨を保存して崇拝する信仰です。
ギョベクリテペから発見された1万年~7000年前の3つの頭蓋骨の破片は、死後に加工されていました。火打石を使って、頭蓋骨に直線の溝を彫っていたのです。また、穴が開けられた破片もあって、首狩り族として知られるインドのナガ族との共通性を指摘する説もあります。
頭蓋信仰は世界的に珍しい信仰ではありませんが、ギョベクリテペから見つかった資料は極めて古い時代のもので、重要な発見です。
ギョベクリテペのT字型の柱やレリーフは、首から上を意図的に省略した人間を表すとも考えられ、頭蓋信仰との関連が議論されていますが、はっきりしたことは謎です。
世界最古の等身大の人物像とされる「ウルファマン」。ギョベクリテペに近いシャンルウルファの街で発掘された紀元前9000年頃の人物像です。
つぶらな瞳でしっかりと顔が表現されているのに、どういうわけか口だけがありません。メディアでは「宇宙からやってきて人類に英知を授けた生命体」と紹介されるなど、何かと話題を集めている謎の像です。
このように口のない像はギョベクリテペからも発見されており、当時のこの地域に共通の信仰形態があったと考えられます。
ギョベクリテペからは人を表していると思われる石像が複数出土していますが、なぜかその多くは口や頭部がない不完全な形で、しかも最初から意図的に作られていなかったと考えられるのです。これは超自然的存在を表しているのではないか、という説を先ほど紹介しましたが、まったく別の説もあります。
実は、不完全な人物像は生贄の代用として造られたかもしれないのです。これが正しければ、ギョベクリテペをはじめこの地域では人身御供が行われていたのでしょうか。
両手をお腹の上に置いた姿勢のものが多いことからモアイなどとの共通性を指摘する声もあり、口のない像の謎は当分解明されそうにありません、
2018年に世界遺産として登録されて以来、ギョベクリテペは観光地として急激に人気が高まっています。有名メディアも、次々にギョベクリテペを紹介するようになりました。今後さらに人気の観光地となっていくでしょう。
ギョベクリテペはトルコ南東部にあり、拠点となる地域の中心都市シャンルウルファから北東に約18㎞の場所です。
日本からアクセスする場合は、直行便でイスタンブールまで約12時間、イスタンブールからシャンルウルファまで国内線で1時間45分前後かかります。
シャンルウルファからギョベクリテペまでは、ローカルバスで1時間弱、タクシーやレンタカーなら約30分ほどです。遺跡入り口のビジターセンターから数分間マイクロバスに乗って、発掘現場に到着します。
自分で向かうのが不安な方は各旅行社が実施するツアーに参加するのも良いでしょう。人気観光地のイスタンブールやカッパドキアなどとセットのツアーも多く、移動についてはすべてお任せできる場合もあります。
世界遺産のギョベクリテペは、観光設備も充実しています。
遺跡の周りを一周する見学コースが設置されており、屋根に覆われた発掘現場を上から見学することができます。
遺跡入口のビジターセンターでは遺跡についてのイラストや映像も展示されており、遺跡への理解を深めてくれるでしょう。併設されているミュージアムショップも充実しています。
そしてギョベクリテペまで来たらぜひセットで訪れたいのが、シャンルウルファ市内にあるシャンルウルファ考古学博物館です。トルコでも最大級の博物館で、ギョベクリテペからの出土物を始め、ヒッタイトなどアナトリアの歴史を俯瞰できる展示が充実しています。間近に見るギョベクリテペの石柱の巨大さに圧倒されずにはいられないでしょう。
また地元のシャンルウルファで出土した世界最古の等身大の人物像「ウルファマン」も見逃せません。モザイク博物館なども併設されており、時間旅行に丸一日浸ることができます。
ギョベクリテペから約45kmの場所にあるカラハンテペも、ぜひ合わせて見学したい遺跡です。ギョベクリテペとほぼ同時代の遺跡で関連も深いと考えられ、個性的なレリーフや人物像が発掘されています。
近年トルコではインフレが激しく、遺跡の入場料が頻繁に変更される可能性があります。開館時間などの情報と合わせて最新情報をチェックするようにしましょう。
トルコではクレジットカード決済が進んでいます。ローカルバスなど市民生活に根差した場所では現金に対応してない場合もあり、カード決済の手段を準備しておくのがよいでしょう。一方で、クレジットカードに対応していない場所もあるので、最低限の現金も持っておくと安心です。
シャンルウルファ周辺は比較的安全ですが、トルコ南東部はシリア国境に近く、政治状況の影響を受けやすい地域です。情勢の変化に注意し、デモや集会には近づかないようにしましょう。
どの観光地にも共通しますが、スリや詐欺、偽ガイドには警戒が必要です。
タクシーによる不当な料金請求も横行しているので、利用する場合は事前に料金を確認するなどの対策をしましょう。可能であればホテル経由でタクシーを手配すると安心です。トルコで人気のBiTaxiなどのタクシーアプリを利用するのもよいでしょう。
建造年代の古さも、人類史に与えたインパクトも圧倒的なギョベクリテペ遺跡、いかがでしたか?多くの謎がありますが、遺跡の発掘はまだ序の口で、現在投げかけられている謎はまだ氷山の一角かもしれません。
世界遺産に登録され急速に注目されていますが、まだまだ観光地として人気が高まっていくでしょう。悠久の時間と謎が織りなす古代ロマンに浸りに、ギョベクリテペを訪れてみてはいかがでしょうか。
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近年急にその名を目にする機会が多くなったギョベクリテペをご存じでしょうか?
2018年に世界遺産に登録されたトルコの遺跡で、建造されたのはなんと約1万1600年前!
にわかに信じがたい数字ですが、この遺跡のすごさはそれだけではありません。ギョベクリテペの発掘により、人類の歴史は根底から再構築を迫られてしまったのです。
ギョベクリテペとはいったいどんな遺跡なのでしょうか?
目次
ギョベクリテペとは
ギョベクリテペとは、トルコの大部分があるアナトリア半島の南東部、ゲルムシュ山脈から発掘された旧石器時代の遺跡です。
ギョベクリテペは現地の言葉で「太鼓腹の丘」を意味し、遺跡は地域の中心都市であるシャンルウルファの郊外にある標高約769mの丘に築かれています。
世界最古の遺跡
ギョベクリテペがいつ建造されたのかについては、放射性炭素年代測定によって驚愕の数字が示されています。それはなんと、紀元前9600年から紀元前8200年!
建造が始まった時代が現在から約1万1600年前までさかのぼる、大規模建築群としては世界最古の遺跡です。
約1万1600年前の建造物群と聞くと、耳を疑う方も多いのではないでしょうか。
なにしろその時代は氷河期が終わって間もなく、シベリアの一部ではマンモスが生息していました。日本はまだ縄文時代、世界でも狩猟採集生活を行っていた新石器時代です。
世界各地の有名な遺跡と比較してみると、
と、ギョベクリテペの圧倒的な古さがよく分かります。
世界最古のメソポタミア文明が歴史を記録し始めたのが、約5000年前と考えられています。ギョベクリテペはその時代から一気に7000年近くも遡る、驚異的な古さの建造物群なのです。
ギョベクリテペの作られた目的
それではギョベクリテペは何のために建造されたのでしょうか?
遺跡の周辺から人々が生活していた形跡は見つかっておらず、居住を目的とした都市などの施設ではなさそうです。
一方、遺跡に立ち並ぶ壁や柱にはレリーフが刻まれ、周囲からは火を起こす道具や石の容器、置物、ビーズなどもみつかっています。まるで儀式を行う神殿のようですね!
こうしたことから、ギョベクリテペは世界最古の宗教施設だったのではないかと考えられているのです。
ギョベクリテペ発見の経緯
1963年、アメリカとトルコの共同調査によって遺跡が発見されました。
しかし当時この場所は耕作地で、地上に出ていた遺跡の上層部は石が壊されたり動かされたりして、全容が分からない状況でした。
当時の調査隊は柱の上のブロックを発見したものの、それは墓標で、この場所は墓地だと考えたのです。こうして長い間、重要な遺跡とは認識されませんでした。
1994年、この地域を調査していたドイツの考古学者クラウス・シュミットは、農作業中に巨石を発見した農夫の話を聞きます。そして案内されたギョベクリテペでT字型の巨大な石柱を発掘したのです。
1995年から、シュミット率いるドイツ考古学研究所によって本格的な調査が開始されました。
シュミットは2014年に他界しましたが、遺跡の発掘は現在も続けられ、さらなる発見が相次いでいます。
ギョベクリテペの考古学的意味
ギョベクリテペは、人類史の根本概念を一変させました。
従来の考古学では、文明は農耕によって始まり、宗教や神殿などの建築が発達するのはそのあとだと考えるのが定説でした。
狩猟採取生活をしていた人類が定住農耕生活を始めた結果として社会が複雑化し、信仰が生まれ、神殿などの建築物を建設する技術や制度が発展したとされてきたのです。
ギョベクリテペは、その文明の発生順序をまったく無視しています。
ギョベクリテペを建造したのは、定住農耕生活より前の段階の狩猟採取生活をしていた人々です。しかも、最古の農耕が行われたとされる約1万1000年前より500年以上も前から建造され始めています。
となると人類は定説とは異なり、農耕を始める前から宗教を持ち、巨石建造物を建築する技術や社会を発展させていた可能性があるのです。
ギョベクリテペがあるメソポタミア北部は、人類が農耕を開始した地域とされます。文明の起源が、まさにその現場にある遺跡によって覆されようとしているのです。
ギョベクリテペの構造
ギョベクリテペは丘の上に築かれた囲い地の中に建造された遺跡です。
現在に至るまで複数の囲い地が発掘され、それぞれの囲い地の中には、謎めいた奇妙な石柱が立ち並んでいました。そして、周囲にはまだ多数の囲い地が埋まっていると考えられているのです。
巨大な石柱と建築群
ギョベクリテペを象徴する、石灰岩で造られた謎のT字型石柱。一つの囲い地に8本前後のT字型の石柱が並び、遺跡全体では200本にも及ぶと考えられています。
石柱の重さは10トン以上あり、特に大きなものでは高さ5.5m、重さはなんと50トンを超える巨大さです。
柱にはさまざまなレリーフが刻まれており、建築の一部ではなく記念碑のようなものだったと考えられます。
囲い地の中央にはひときわ大きな1対の柱が立っていて、囲い地全体を覆う屋根を支えていた可能性もありますが、はっきりしたことは不明です。
最近の発掘では、柱とは異なり建物の一部だと考えられる建築群も見つかっています。
石柱に描かれているモチーフ達
石柱の表面には、キツネやイノシシといった動物たちのレリーフが多く刻まれています。
現在のギョベクリテペの周囲は荒野ですが、遺跡創建当時は多くの動物が暮らす豊かな土地で、人々は狩りをして生活していました。動物のレリーフは、狩りの成功を祈って彫られたのでしょう。
モチーフのなかには、腰布やベルトといった衣類や、デフォルメされた人の腕もありますが、なぜか完全な人間を描いたものはほとんどありません。実は、T字型の柱そのものが頭のない人の体を表しているとも考えられているのです。
なぜそんな不可解な描き方をするのかについては、神や先祖などの超自然的存在を描写しているのではないかとする説がありますが、真相は不明です。
ギョベクリテペの謎
発掘が始まったばかりであるにもかかわらず、ギョベクリテペは数多くの謎を投げかけています。遺跡を築いた人々と私たちの間には1万年以上の時間が横たわっており、簡単に理解できないのは当然といえるでしょう。
ここで紹介するのは遺跡に眠る謎のごく一部かもしれませんが、ロマンを感じずにはいられません。
多大な労働力と高度な技術
ギョベクリテペの建造には重さ10トン~50トンの石柱が使われています。これだけの大規模な建築には、数十人~数百人の人間が何年も関わった可能性があります。
また、石の切り出しや運搬、レリーフの彫刻には高度な技術が必要です。
まだ農耕も始まっていない狩猟採取の時代に、このような労働力と技術をどうやって手に入れたのでしょうか?
周辺に人が住んでいた痕跡が無い
神殿などの大きな宗教施設のまわりには、通常、関係者をはじめとする人々の居住地ができます。日本でも、大きな寺社の近くには門前町が栄えますよね。
ところが、大きな宗教施設だったはずのギョベクリテペの周辺からは、住居や集落の痕跡がみつかっていないのです。
こうしたことから、人々が定住を始めたのちに宗教や神殿が発達したとする定説とはまったく異なる新説まで提唱されました。
人々が宗教の中心地に集まったために定住が始まり、神殿を建てる労働者の食料を確保するために農耕が始まった可能性が出てきたのです。
さらに最近では、シャンルウルファ周辺からギョベクリテペと同じような規模でT字型の柱がある遺跡が相次いで見つかっています。
ギョベクリテペやこれらの遺跡は、地域の狩猟採取民が定期的に情報交換する集会所だったのかもしれません。
故意的に埋められている
ギョベクリテペは、時代の異なる複数の層に分かれています。これは何を意味するのでしょうか?
研究者は、遺跡が何度も埋められては新しく建造された痕跡だと考えています。
遺跡はそれを繰り返し、最終的には建造から約1600年後の紀元前8000年頃に放棄されました。一説には、最終的に放棄された時も故意に埋め戻されたとされます。
狩猟採集民にとって、これほどの施設を建造するのは大工事だったでしょう。それなのになぜ完成した施設を大量の土砂で埋めたのか、その理由はまったくの謎です。
最近では、遺跡が埋まったのは故意によるものではなかったとする説も出てきており、さらなる研究から目が離せません。
頭蓋信仰が行われていた
ギョベクリテペでは頭蓋信仰が行われていたと考えられています。頭蓋信仰とは、死者の頭蓋骨を保存して崇拝する信仰です。
ギョベクリテペから発見された1万年~7000年前の3つの頭蓋骨の破片は、死後に加工されていました。
火打石を使って、頭蓋骨に直線の溝を彫っていたのです。また、穴が開けられた破片もあって、首狩り族として知られるインドのナガ族との共通性を指摘する説もあります。
頭蓋信仰は世界的に珍しい信仰ではありませんが、ギョベクリテペから見つかった資料は極めて古い時代のもので、重要な発見です。
ギョベクリテペのT字型の柱やレリーフは、首から上を意図的に省略した人間を表すとも考えられ、頭蓋信仰との関連が議論されていますが、はっきりしたことは謎です。
口の無い人型の石像
世界最古の等身大の人物像とされる「ウルファマン」。ギョベクリテペに近いシャンルウルファの街で発掘された紀元前9000年頃の人物像です。
つぶらな瞳でしっかりと顔が表現されているのに、どういうわけか口だけがありません。メディアでは「宇宙からやってきて人類に英知を授けた生命体」と紹介されるなど、何かと話題を集めている謎の像です。
このように口のない像はギョベクリテペからも発見されており、当時のこの地域に共通の信仰形態があったと考えられます。
ギョベクリテペからは人を表していると思われる石像が複数出土していますが、なぜかその多くは口や頭部がない不完全な形で、しかも最初から意図的に作られていなかったと考えられるのです。これは超自然的存在を表しているのではないか、という説を先ほど紹介しましたが、まったく別の説もあります。
実は、不完全な人物像は生贄の代用として造られたかもしれないのです。これが正しければ、ギョベクリテペをはじめこの地域では人身御供が行われていたのでしょうか。
両手をお腹の上に置いた姿勢のものが多いことからモアイなどとの共通性を指摘する声もあり、口のない像の謎は当分解明されそうにありません、
ギョベクリテペの観光情報
2018年に世界遺産として登録されて以来、ギョベクリテペは観光地として急激に人気が高まっています。
有名メディアも、次々にギョベクリテペを紹介するようになりました。今後さらに人気の観光地となっていくでしょう。
ギョベクリテペへの行き方
ギョベクリテペはトルコ南東部にあり、拠点となる地域の中心都市シャンルウルファから北東に約18㎞の場所です。
日本からアクセスする場合は、直行便でイスタンブールまで約12時間、イスタンブールからシャンルウルファまで国内線で1時間45分前後かかります。
シャンルウルファからギョベクリテペまでは、ローカルバスで1時間弱、タクシーやレンタカーなら約30分ほどです。
遺跡入り口のビジターセンターから数分間マイクロバスに乗って、発掘現場に到着します。
自分で向かうのが不安な方は各旅行社が実施するツアーに参加するのも良いでしょう。
人気観光地のイスタンブールやカッパドキアなどとセットのツアーも多く、移動についてはすべてお任せできる場合もあります。
ギョベクリテペの見どころ
世界遺産のギョベクリテペは、観光設備も充実しています。
遺跡の周りを一周する見学コースが設置されており、屋根に覆われた発掘現場を上から見学することができます。
遺跡入口のビジターセンターでは遺跡についてのイラストや映像も展示されており、遺跡への理解を深めてくれるでしょう。併設されているミュージアムショップも充実しています。
そしてギョベクリテペまで来たらぜひセットで訪れたいのが、シャンルウルファ市内にあるシャンルウルファ考古学博物館です。
トルコでも最大級の博物館で、ギョベクリテペからの出土物を始め、ヒッタイトなどアナトリアの歴史を俯瞰できる展示が充実しています。間近に見るギョベクリテペの石柱の巨大さに圧倒されずにはいられないでしょう。
また地元のシャンルウルファで出土した世界最古の等身大の人物像「ウルファマン」も見逃せません。
モザイク博物館なども併設されており、時間旅行に丸一日浸ることができます。
ギョベクリテペから約45kmの場所にあるカラハンテペも、ぜひ合わせて見学したい遺跡です。
ギョベクリテペとほぼ同時代の遺跡で関連も深いと考えられ、個性的なレリーフや人物像が発掘されています。
観光する上での注意点
近年トルコではインフレが激しく、遺跡の入場料が頻繁に変更される可能性があります。開館時間などの情報と合わせて最新情報をチェックするようにしましょう。
トルコではクレジットカード決済が進んでいます。ローカルバスなど市民生活に根差した場所では現金に対応してない場合もあり、カード決済の手段を準備しておくのがよいでしょう。
一方で、クレジットカードに対応していない場所もあるので、最低限の現金も持っておくと安心です。
シャンルウルファ周辺は比較的安全ですが、トルコ南東部はシリア国境に近く、政治状況の影響を受けやすい地域です。情勢の変化に注意し、デモや集会には近づかないようにしましょう。
どの観光地にも共通しますが、スリや詐欺、偽ガイドには警戒が必要です。
タクシーによる不当な料金請求も横行しているので、利用する場合は事前に料金を確認するなどの対策をしましょう。可能であればホテル経由でタクシーを手配すると安心です。
トルコで人気のBiTaxiなどのタクシーアプリを利用するのもよいでしょう。
謎はまだ始まったばかり
建造年代の古さも、人類史に与えたインパクトも圧倒的なギョベクリテペ遺跡、いかがでしたか?
多くの謎がありますが、遺跡の発掘はまだ序の口で、現在投げかけられている謎はまだ氷山の一角かもしれません。
世界遺産に登録され急速に注目されていますが、まだまだ観光地として人気が高まっていくでしょう。
悠久の時間と謎が織りなす古代ロマンに浸りに、ギョベクリテペを訪れてみてはいかがでしょうか。
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いまだ解き明かされない謎に包まれたイギリスの世界遺産とは?▼
いったいなに!?イギリスの巨石「ストーンヘンジ」の謎
幻想的な美しさを放つウズベキスタンの世界遺産をご紹介▼
サマルカンド・ブルーが美しい世界遺産 | ウズベキスタンの青の都が紡いだ文化とは?