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ウズベキスタンの世界遺産サマルカンドは「青の都」と称され、その美しい古都を一目見ようと世界中から観光客が訪れます。
この記事ではシルクロードの要衝であったサマルカンドが辿ってきた栄華と衰退の歴史、思わず虜になってしまうような見どころや行き方などをご紹介します。 ぜひこの記事を参考に、サマルカンド・ブルーに魅せられる旅を楽しんでください!
エキゾチックな魅力あふれるサマルカンド・ブルーが印象的な世界遺産サマルカンド。まずは基本情報から見ていきましょう。
サマルカンドとは、中央アジアのウズベキスタンのなかでも東部に位置している古都で、シルクロードのほぼ中央にあります。
現在ではウズベキスタンを代表する観光都市として栄えており、国内外から多くの観光客が押し寄せる人気スポットです。
後ほど詳しくご紹介しますが、至るところでサマルカンド・ブルーと呼ばれる青を用いた建物やモスクが見られ、エキゾチックな幾何学模様も相まって見れば見るほど虜になる世界遺産です。
サマルカンドは、中国から中央アジア、西アジア、ヨーロッパまでを繋ぐ商通路「シルクロード」の要衝として、紀元前からソグド人と呼ばれる人々の都市として大いに栄えました。
サマルカンドの「サマル」は「人々が出会う」、「カンド」は「街」という意味を持ち、その名のとおりシルクロードを介して東西から多くの人々が行き交う文化交差路として重要な役割を果たしてきました。当時から美しいことで有名な都市でもあったのだとか。
8世紀になるとイスラム化が進んで強国のホラズム・シャー朝の首都になりますが、チンギス・ハンを筆頭とするモンゴル軍の侵攻で滅ぼされてしまいます。 サマルカンドも壊滅的な被害を受けますが、14世紀にティムールによって再びティムール朝の首都となると再興が進みました。サマルカンドの象徴的な青の建築の数々はこの時代に建てられたものになります。
もともとサマルカンドの街はアフラースィヤーブの丘にありましたが、現在のレギスタン広場へと移されたのもこの時です。 再興するにあたり、ティムールは帝国中から芸術家や職人たちを呼び寄せ、美しいモスクやマドラサを多数建設させました。ティムールが青を好んだことから、建築物には大量の青色のタイルが使用されたようです。
16世紀になりティムール朝が崩壊した頃には、海上航路が発達しシルクロードの重要性が低下したことも相まって、次第に衰退していきました。
繁栄と衰退を繰り返してきたサマルカンドは、現在でもティムール朝時代の建築物が多く残る美しい街として、多くの人々を惹きつける人気の観光スポットとなっています。
サマルカンドは2001年に世界文化遺産として登録され、正式な世界遺産名称は、「文化交差路 サマルカンド」といいます。
世界遺産登録の背景として、今でも14世紀のティムール朝時代のイスラム建築が多数残っていることと、その建築と街並みの美しさが挙げられます。600年以上も前の建築群がここまで良い状態で残っているのは非常に貴重ですよね。 これらの建築は地中海からインドにかけての各地のイスラム建築に大きな影響を与えたとされ、その文化的価値も評価されています。
また、シルクロードの物流の拠点として栄えたサマルカンドで東西から多くの人々が行き交ううちに、文化や伝統、宗教などが交差する場所になっていたことも、歴史的価値が高いと認められた理由のひとつです。
このコラムでも度々登場する「サマルカンド・ブルー」とは、一体どんなブルーなのでしょうか?
サマルカンド・ブルーというのは、ティムール朝時代にサマルカンドを再興する際、建物やモスクなどに積極的に使用された青色のタイルのことで、中国の陶磁器とペルシアの顔料が融合して誕生したものです。 なぜ青色がこんな大量に使用されたのかという理由としては、ティムールが青を好んだためと言われています。
ラピスラズリをはじめとするさまざまな青の建築物は非常に美しく、ぜひ一生で一度は訪れたいものです。
そもそもウズベキスタンがどんな国か、馴染みが少ない人もいるでしょう。
簡単に説明すると、ウズベキスタンは、北はカザフスタン、南はトルクメニスタンやアフガニスタン、東はタジキスタンとキルギスに囲まれた中央アジアの内陸国で、首都はタシケントです。面積は44万8,969平方キロメートルと日本よりひと回り大きいくらいで、2024年現在の人口は約3,570万人。
言語はウズベク語が主流ですが、ロシア語も一部使用されています。
通貨はスムで、2024年10月16日現在、1スム=0.012円で取引されています。 旅行時にスムへ両替する時は、まず日本で日本円を米ドルに換えておき、ウズベキスタンで米ドルをスムに換えるのが良いとされています。基本的にクレジットカードは使用できる場所が多いですが、屋台や市場など現金が必要な場所もあるので、スムを用意していた方が安心です。
また、ウズベキスタンではノンといわれるパンが主食として食べられていますが、米も料理に使われます。有名なのはプロフと呼ばれるピラフのような伝統料理。玉ネギや肉、ニンジン、ひよこ豆、レーズンなどが入っていて、家庭によって味や中身は異なります。 日本でもなじみ深いヨーグルトはウズベキスタンでもよく使用されており、チャッキーと呼ばれる塩味の水切りヨーグルトをスープやサラダに入れて食べられています。
またウズベキスタンの宗教はイスラム教スンニ派が多数を占めていますが、さまざまな宗教や宗派の人々が共存しており、宗教的に寛容な国だと言えるでしょう。
数々の建築物が立ち並ぶサマルカンドの中でおすすめの観光スポットをご紹介します。 青を基調とするモザイクタイルが壮麗な建物ばかりで、その美しさに圧倒されること間違いなしです!
サマルカンドの象徴とも言えるレギスタン広場は、ティムール朝時代の中心地だった場所です。 レギスタンには「砂地」という意味があり、この広場を取り囲むようにマドラサ(神学校)などの建物が建てられました。左がウルグベク・マドラサ、右がシェルドル・マドラサ、中央にはティリャー・コリーモスク・マドラサと呼ばれるマドラサが建っています。
ティムール朝時代のレギスタン広場は活気に満ちた場所で、多くの行商人たちが行き交いながらバザールが開かれており、経済や政治の中心地としても栄えていました。
建物の青と空の青が織りなす日中の美しい景色も必見ですが、夜のライトアップされた姿もまた幻想的なので、時間が許す限り観光してみてくださいね。
「王の墓」を意味するグーリ・アミール廟は、ティムールや、彼の子シャフルフとミランシャフ、孫のムハンマド・スルタンとウルグベク、そして師匠であったミール・サイード・バラカの霊廟です。
元々はティムールが溺愛していた孫のムハンマド・スルタンのために建てられたもので、ティムールのお墓は生まれ故郷のシャフリサブスに建設してありました。しかし遠征中にティムールが急死したため、サマルカンドの地に埋葬されることになったのだとか。
内部に入ると翡翠でできたティムールの墓石が目に入りますが、実際のお墓はその地下にあり、入ることはできません。
入口のイーワーンと呼ばれる天井がアーチ状になっているホールや、高さ約37mの2重ドームなど、壮麗で精緻な様はまさにイスラム建築の傑作。外装の青と淡青のタイルも美しく、ずっと眺めていられます。
グーリ・アミール廟はムガル帝国の建築にも大きな影響を与えたとされ、この後に建てられたインドのタージ・マハルやフマユーン廟などの原型にもなっているようです。
シャーヒ・ズィンダ廟群はペルシア語で「生ける王」という意味があり、ティムール王族たちの霊廟として知られています。しかし伝説によると、預言者ムハンマドの従兄弟クサム・イブン・アッバスの霊廟という説も。
彼はサマルカンドの地でイスラム教を広めた人物で、イスラム教徒にとってシャーヒ・ズィンダ廟群は重要な意味を持つ場所です。
洗練されたサマルカンド・ブルーのタイルが美しく、バランスの取れた構成は遠くから見るのもおすすめですよ。
ビービー・ハーヌム・モスクは、ティムールの最愛の妻ビビ・ハニームを称えて建設されたモスクです。遠くからでも目を引くビービー・ハーヌム・モスクは中央アジアのなかでは最大規模だったのだとか。
その大きさは約167m×約109mと巨大ですが、ティムールは多くの労働力を使って、なんと5年で完成させました。
近くで見るとモザイクタイルの精緻な造りにも驚かされるのでぜひ見てみてくださいね。
かつてサマルカンドには天文台があり、天文学者ウルグベクによって1428年~29年に建てられました。
天文台の跡しか残っていないのは、当時宗教的狂信者によって破壊されてしまったから。 記録によると天文台は直径約46m、高さ約30mの円形で3階建ての構造だったそう。
ここで驚くべき点は、観測に光学機器など一切使用されておらず、すべて肉眼で正確に行われていたということ。 角度を測定する際には巨大なゴニオメーターの垂直円が使用され、当時ウルグベク天文台は革新的な建物であったのと同時に、その技術の高さも見事なものでした。
現在は、天文台の基礎の部分と物体間の角度を測る六分儀の地下部分のみが残っていますが、見に行ったらぜひ当時に思いを馳せてみてくださいね。
レギスタン広場からビービー・ハーヌム・モスクがある北東の方へ進んでいくと荒廃した地が目に入ってきます。 現在の様子からは分かりませんが、その地はアフラシヤブの丘といい、紀元前500年から紀元後1220年にかけて都が置かれていた場所です。アフラシヤブという名は、シルクロード交易を長年担っていたソグド人の最初の王の名前から来ています。
今は面影すらありませんが、下には旧サマルカンドの遺跡が残っているとされ、調査が進んでいる最中です。 丘には発掘の跡が分かるレリーフが設置されています。その場所では高さ約2.7m×横約11mの巨大なフレスコ壁画が出土し、現在ではアフラシヤブ博物館で展示されています。
アフラシヤブの丘の近くにあるアフラシヤブ博物館は、サマルカンドの歴史が詰まった博物館です。アフラシヤブ遺跡で出土したフレスコ画だけでなく、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王時代の展示品まであります。
駐車場にはラクダとラクダに乗った行商のキャラバン像が展示されており、まるで当時のシルクロードのにぎわいが想像できるようです。
サマルカンド・ブルーで彩られた世界遺産、実際に見てみたくありませんか? 壮麗なモスクなどの建物は写真で見ても美しいですが、実際にサマルカンドの地に立って五感で感じれば、またひと味もふた味も違う貴重な体験になるはず。 行き方やおすすめコース、注意点などを紹介するので、訪れる際はぜひ参考にしてみてください。
日本からサマルカンドへの飛行機の直行便はなく、経由便を利用しなくてはいけません。 ウズベキスタンの首都タシケントへは東京からの直行便がありますが、運行数に限りがあるため、トルコや韓国の仁川(インチョン)を経由してタシケントを目指すのが一般的です。
タシケントへ着いたら、サマルカンドへ移動していきます。飛行機も出てはいますが乗り継ぎのタイミングが悪いので、バスかタクシー、列車のいずれかで行くと良いでしょう。
バスの場合は空港近くのバスターミナルから乗車し、約5時間かけてサマルカンドを目指します。料金は片道約300円(30000スム)と安いので、値段重視ならバスがおすすめ。
タクシーの場合も同じバスターミナルから利用できます。クレジット決済はできず、現金のみの支払いになるので注意しておきましょう。料金は約500円~(40000スム~)。 タクシーによってはぼったくられる可能性があるので、事前に料金を確認したり、比較したりしながら慎重に選びましょう。
列車だとサウス・タシュケント駅からサマルカンド行きが運行しています。所要時間は約2時間で料金は約900円(75000スム)です。高くはなりますが、その分早く着きます。
ご自身でサマルカンド観光の手配をするのに不安がある人は、旅行会社のツアーに申し込む方法もあります。ツアーにもよりますが、ほかの観光地が組み込んであったり、ホテルが選べたりするものもあるので、自分にあったツアーを比較して選びましょう。
見どころの多いサマルカンドは最低でも1泊して観光したいところ。 おすすめのコースは、まずレギスタン広場から。ゆっくり見てまわるなら2時間は見ておいたほうが良いでしょう。 その後ランチを食べて、グーリ・アミール廟を見学して1日目の終了です。 ホテルはサマルカンド周辺で予約しておきましょう。時間に余裕がある人は再びレギスタン広場へ行ってライトアップされた様子を見るのもおすすめです。
2日目の朝はシャーヒ・ズィンダ廟群から。写真映えするスポットでもあることから特に観光客が多く、写真を撮るだけでも時間がかかるので、ぜひ朝一番に行っておきたいところです。 その後はランチがてらシヨブ・バザールへ行きましょう。サマルカンド市民の台所的存在で、食料品はもちろんのこと、日用品やお土産も販売されています。
その後はティムール最愛の妻が眠るビービー・ハーヌム・モスクへ。 まだ時間が許すようであれば、ウルグベク天文台まで行って、遺構を実際に見てみるのもおすすめですよ。
サマルカンドの治安は総じて良いとされてはいますが、話しかけてくる人には注意しましょう。 悪徳な警備員が観光地へ入るための賄賂を要求してきたり、セクハラをされたりといった事例が報告されているので、女子1人や女子旅での旅行は十分注意してください。
また観光地やバザールなど混雑する場ではスリやひったくりも多くなるので、貴重品管理にも気を付けましょう。
サマルカンドのベストシーズンは4月上旬~5月下旬か8月中旬~10月下旬の春と秋の時期とされていますが、寒暖差が激しいのでカーディガンのように服装を調整できるものがあると便利ですよ。
サマルカンド・ブルーの装飾が美しいウズベキスタンの世界遺産サマルカンドについてご紹介しました。 建物をよく見てみると一概に青といってもさまざまな青が使用されており、見れば見るほど魅力が深まっていく場所です。
モスクや霊廟を見学するだけでなく、シルクロードの要衝だったサマルカンドの地で人々のどんな交易があったのか、当時に思いを馳せながら世界遺産を巡るとより濃密な時間を過ごせるかもしれません。
ウズベキスタンの世界遺産サマルカンドは「青の都」と称され、その美しい古都を一目見ようと世界中から観光客が訪れます。
この記事ではシルクロードの要衝であったサマルカンドが辿ってきた栄華と衰退の歴史、思わず虜になってしまうような見どころや行き方などをご紹介します。
ぜひこの記事を参考に、サマルカンド・ブルーに魅せられる旅を楽しんでください!
目次
世界遺産サマルカンドの基本情報
エキゾチックな魅力あふれるサマルカンド・ブルーが印象的な世界遺産サマルカンド。まずは基本情報から見ていきましょう。
サマルカンドとは?
サマルカンドとは、中央アジアのウズベキスタンのなかでも東部に位置している古都で、シルクロードのほぼ中央にあります。
現在ではウズベキスタンを代表する観光都市として栄えており、国内外から多くの観光客が押し寄せる人気スポットです。
後ほど詳しくご紹介しますが、至るところでサマルカンド・ブルーと呼ばれる青を用いた建物やモスクが見られ、エキゾチックな幾何学模様も相まって見れば見るほど虜になる世界遺産です。
サマルカンドの歴史
サマルカンドは、中国から中央アジア、西アジア、ヨーロッパまでを繋ぐ商通路「シルクロード」の要衝として、紀元前からソグド人と呼ばれる人々の都市として大いに栄えました。
サマルカンドの「サマル」は「人々が出会う」、「カンド」は「街」という意味を持ち、その名のとおりシルクロードを介して東西から多くの人々が行き交う文化交差路として重要な役割を果たしてきました。当時から美しいことで有名な都市でもあったのだとか。
8世紀になるとイスラム化が進んで強国のホラズム・シャー朝の首都になりますが、チンギス・ハンを筆頭とするモンゴル軍の侵攻で滅ぼされてしまいます。
サマルカンドも壊滅的な被害を受けますが、14世紀にティムールによって再びティムール朝の首都となると再興が進みました。サマルカンドの象徴的な青の建築の数々はこの時代に建てられたものになります。
もともとサマルカンドの街はアフラースィヤーブの丘にありましたが、現在のレギスタン広場へと移されたのもこの時です。
再興するにあたり、ティムールは帝国中から芸術家や職人たちを呼び寄せ、美しいモスクやマドラサを多数建設させました。ティムールが青を好んだことから、建築物には大量の青色のタイルが使用されたようです。
16世紀になりティムール朝が崩壊した頃には、海上航路が発達しシルクロードの重要性が低下したことも相まって、次第に衰退していきました。
繁栄と衰退を繰り返してきたサマルカンドは、現在でもティムール朝時代の建築物が多く残る美しい街として、多くの人々を惹きつける人気の観光スポットとなっています。
サマルカンドが世界遺産に登録された理由は?
サマルカンドは2001年に世界文化遺産として登録され、正式な世界遺産名称は、「文化交差路 サマルカンド」といいます。
世界遺産登録の背景として、今でも14世紀のティムール朝時代のイスラム建築が多数残っていることと、その建築と街並みの美しさが挙げられます。600年以上も前の建築群がここまで良い状態で残っているのは非常に貴重ですよね。
これらの建築は地中海からインドにかけての各地のイスラム建築に大きな影響を与えたとされ、その文化的価値も評価されています。
また、シルクロードの物流の拠点として栄えたサマルカンドで東西から多くの人々が行き交ううちに、文化や伝統、宗教などが交差する場所になっていたことも、歴史的価値が高いと認められた理由のひとつです。
サマルカンド・ブルーとは
このコラムでも度々登場する「サマルカンド・ブルー」とは、一体どんなブルーなのでしょうか?
サマルカンド・ブルーというのは、ティムール朝時代にサマルカンドを再興する際、建物やモスクなどに積極的に使用された青色のタイルのことで、中国の陶磁器とペルシアの顔料が融合して誕生したものです。
なぜ青色がこんな大量に使用されたのかという理由としては、ティムールが青を好んだためと言われています。
ラピスラズリをはじめとするさまざまな青の建築物は非常に美しく、ぜひ一生で一度は訪れたいものです。
ウズベキスタンはどんな国?
そもそもウズベキスタンがどんな国か、馴染みが少ない人もいるでしょう。
簡単に説明すると、ウズベキスタンは、北はカザフスタン、南はトルクメニスタンやアフガニスタン、東はタジキスタンとキルギスに囲まれた中央アジアの内陸国で、首都はタシケントです。面積は44万8,969平方キロメートルと日本よりひと回り大きいくらいで、2024年現在の人口は約3,570万人。
言語はウズベク語が主流ですが、ロシア語も一部使用されています。
通貨はスムで、2024年10月16日現在、1スム=0.012円で取引されています。
旅行時にスムへ両替する時は、まず日本で日本円を米ドルに換えておき、ウズベキスタンで米ドルをスムに換えるのが良いとされています。基本的にクレジットカードは使用できる場所が多いですが、屋台や市場など現金が必要な場所もあるので、スムを用意していた方が安心です。
また、ウズベキスタンではノンといわれるパンが主食として食べられていますが、米も料理に使われます。有名なのはプロフと呼ばれるピラフのような伝統料理。玉ネギや肉、ニンジン、ひよこ豆、レーズンなどが入っていて、家庭によって味や中身は異なります。
日本でもなじみ深いヨーグルトはウズベキスタンでもよく使用されており、チャッキーと呼ばれる塩味の水切りヨーグルトをスープやサラダに入れて食べられています。
またウズベキスタンの宗教はイスラム教スンニ派が多数を占めていますが、さまざまな宗教や宗派の人々が共存しており、宗教的に寛容な国だと言えるでしょう。
世界遺産サマルカンドの見どころ
数々の建築物が立ち並ぶサマルカンドの中でおすすめの観光スポットをご紹介します。
青を基調とするモザイクタイルが壮麗な建物ばかりで、その美しさに圧倒されること間違いなしです!
レギスタン広場
サマルカンドの象徴とも言えるレギスタン広場は、ティムール朝時代の中心地だった場所です。
レギスタンには「砂地」という意味があり、この広場を取り囲むようにマドラサ(神学校)などの建物が建てられました。左がウルグベク・マドラサ、右がシェルドル・マドラサ、中央にはティリャー・コリーモスク・マドラサと呼ばれるマドラサが建っています。
ティムール朝時代のレギスタン広場は活気に満ちた場所で、多くの行商人たちが行き交いながらバザールが開かれており、経済や政治の中心地としても栄えていました。
建物の青と空の青が織りなす日中の美しい景色も必見ですが、夜のライトアップされた姿もまた幻想的なので、時間が許す限り観光してみてくださいね。
グーリ・アミール廟
「王の墓」を意味するグーリ・アミール廟は、ティムールや、彼の子シャフルフとミランシャフ、孫のムハンマド・スルタンとウルグベク、そして師匠であったミール・サイード・バラカの霊廟です。
元々はティムールが溺愛していた孫のムハンマド・スルタンのために建てられたもので、ティムールのお墓は生まれ故郷のシャフリサブスに建設してありました。しかし遠征中にティムールが急死したため、サマルカンドの地に埋葬されることになったのだとか。
内部に入ると翡翠でできたティムールの墓石が目に入りますが、実際のお墓はその地下にあり、入ることはできません。
入口のイーワーンと呼ばれる天井がアーチ状になっているホールや、高さ約37mの2重ドームなど、壮麗で精緻な様はまさにイスラム建築の傑作。外装の青と淡青のタイルも美しく、ずっと眺めていられます。
グーリ・アミール廟はムガル帝国の建築にも大きな影響を与えたとされ、この後に建てられたインドのタージ・マハルやフマユーン廟などの原型にもなっているようです。
シャーヒ・ズィンダ廟群
シャーヒ・ズィンダ廟群はペルシア語で「生ける王」という意味があり、ティムール王族たちの霊廟として知られています。しかし伝説によると、預言者ムハンマドの従兄弟クサム・イブン・アッバスの霊廟という説も。
彼はサマルカンドの地でイスラム教を広めた人物で、イスラム教徒にとってシャーヒ・ズィンダ廟群は重要な意味を持つ場所です。
洗練されたサマルカンド・ブルーのタイルが美しく、バランスの取れた構成は遠くから見るのもおすすめですよ。
ビービー・ハーヌム・モスク
ビービー・ハーヌム・モスクは、ティムールの最愛の妻ビビ・ハニームを称えて建設されたモスクです。遠くからでも目を引くビービー・ハーヌム・モスクは中央アジアのなかでは最大規模だったのだとか。
その大きさは約167m×約109mと巨大ですが、ティムールは多くの労働力を使って、なんと5年で完成させました。
近くで見るとモザイクタイルの精緻な造りにも驚かされるのでぜひ見てみてくださいね。
ウルグベク天文台跡
かつてサマルカンドには天文台があり、天文学者ウルグベクによって1428年~29年に建てられました。
天文台の跡しか残っていないのは、当時宗教的狂信者によって破壊されてしまったから。
記録によると天文台は直径約46m、高さ約30mの円形で3階建ての構造だったそう。
ここで驚くべき点は、観測に光学機器など一切使用されておらず、すべて肉眼で正確に行われていたということ。
角度を測定する際には巨大なゴニオメーターの垂直円が使用され、当時ウルグベク天文台は革新的な建物であったのと同時に、その技術の高さも見事なものでした。
現在は、天文台の基礎の部分と物体間の角度を測る六分儀の地下部分のみが残っていますが、見に行ったらぜひ当時に思いを馳せてみてくださいね。
アフラシヤブの丘&アフラシヤブ博物館
レギスタン広場からビービー・ハーヌム・モスクがある北東の方へ進んでいくと荒廃した地が目に入ってきます。
現在の様子からは分かりませんが、その地はアフラシヤブの丘といい、紀元前500年から紀元後1220年にかけて都が置かれていた場所です。アフラシヤブという名は、シルクロード交易を長年担っていたソグド人の最初の王の名前から来ています。
今は面影すらありませんが、下には旧サマルカンドの遺跡が残っているとされ、調査が進んでいる最中です。
丘には発掘の跡が分かるレリーフが設置されています。その場所では高さ約2.7m×横約11mの巨大なフレスコ壁画が出土し、現在ではアフラシヤブ博物館で展示されています。
アフラシヤブの丘の近くにあるアフラシヤブ博物館は、サマルカンドの歴史が詰まった博物館です。アフラシヤブ遺跡で出土したフレスコ画だけでなく、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王時代の展示品まであります。
駐車場にはラクダとラクダに乗った行商のキャラバン像が展示されており、まるで当時のシルクロードのにぎわいが想像できるようです。
サマルカンドを旅しよう
サマルカンド・ブルーで彩られた世界遺産、実際に見てみたくありませんか?
壮麗なモスクなどの建物は写真で見ても美しいですが、実際にサマルカンドの地に立って五感で感じれば、またひと味もふた味も違う貴重な体験になるはず。
行き方やおすすめコース、注意点などを紹介するので、訪れる際はぜひ参考にしてみてください。
サマルカンドへの行き方
日本からサマルカンドへの飛行機の直行便はなく、経由便を利用しなくてはいけません。
ウズベキスタンの首都タシケントへは東京からの直行便がありますが、運行数に限りがあるため、トルコや韓国の仁川(インチョン)を経由してタシケントを目指すのが一般的です。
タシケントへ着いたら、サマルカンドへ移動していきます。飛行機も出てはいますが乗り継ぎのタイミングが悪いので、バスかタクシー、列車のいずれかで行くと良いでしょう。
バスの場合は空港近くのバスターミナルから乗車し、約5時間かけてサマルカンドを目指します。料金は片道約300円(30000スム)と安いので、値段重視ならバスがおすすめ。
タクシーの場合も同じバスターミナルから利用できます。クレジット決済はできず、現金のみの支払いになるので注意しておきましょう。料金は約500円~(40000スム~)。
タクシーによってはぼったくられる可能性があるので、事前に料金を確認したり、比較したりしながら慎重に選びましょう。
列車だとサウス・タシュケント駅からサマルカンド行きが運行しています。所要時間は約2時間で料金は約900円(75000スム)です。高くはなりますが、その分早く着きます。
ご自身でサマルカンド観光の手配をするのに不安がある人は、旅行会社のツアーに申し込む方法もあります。ツアーにもよりますが、ほかの観光地が組み込んであったり、ホテルが選べたりするものもあるので、自分にあったツアーを比較して選びましょう。
おすすめコース・所要時間
見どころの多いサマルカンドは最低でも1泊して観光したいところ。
おすすめのコースは、まずレギスタン広場から。ゆっくり見てまわるなら2時間は見ておいたほうが良いでしょう。
その後ランチを食べて、グーリ・アミール廟を見学して1日目の終了です。
ホテルはサマルカンド周辺で予約しておきましょう。時間に余裕がある人は再びレギスタン広場へ行ってライトアップされた様子を見るのもおすすめです。
2日目の朝はシャーヒ・ズィンダ廟群から。写真映えするスポットでもあることから特に観光客が多く、写真を撮るだけでも時間がかかるので、ぜひ朝一番に行っておきたいところです。
その後はランチがてらシヨブ・バザールへ行きましょう。サマルカンド市民の台所的存在で、食料品はもちろんのこと、日用品やお土産も販売されています。
その後はティムール最愛の妻が眠るビービー・ハーヌム・モスクへ。
まだ時間が許すようであれば、ウルグベク天文台まで行って、遺構を実際に見てみるのもおすすめですよ。
サマルカンド観光の注意点
サマルカンドの治安は総じて良いとされてはいますが、話しかけてくる人には注意しましょう。
悪徳な警備員が観光地へ入るための賄賂を要求してきたり、セクハラをされたりといった事例が報告されているので、女子1人や女子旅での旅行は十分注意してください。
また観光地やバザールなど混雑する場ではスリやひったくりも多くなるので、貴重品管理にも気を付けましょう。
サマルカンドのベストシーズンは4月上旬~5月下旬か8月中旬~10月下旬の春と秋の時期とされていますが、寒暖差が激しいのでカーディガンのように服装を調整できるものがあると便利ですよ。
世界遺産サマルカンドで心躍る青の旅を!
サマルカンド・ブルーの装飾が美しいウズベキスタンの世界遺産サマルカンドについてご紹介しました。
建物をよく見てみると一概に青といってもさまざまな青が使用されており、見れば見るほど魅力が深まっていく場所です。
モスクや霊廟を見学するだけでなく、シルクロードの要衝だったサマルカンドの地で人々のどんな交易があったのか、当時に思いを馳せながら世界遺産を巡るとより濃密な時間を過ごせるかもしれません。