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皆さんは『スーベニアジャケット』をご存知ですか?日本では『スカジャン』と呼ばれることの方が多いですが、ヴィンテージものには凄い値打ちがあり、芸能人で愛用している人もチラホラと見受けられます。
今回は、日本発祥の『スーベニアジャケット』について、その歴史や特徴・種類などを豆知識も交えながら紹介します。最後まで、おつきあいくださいね!
『スーベニアジャケット』を日本語に訳すと『お土産の上着』という感じでしょうか。
第二次世界大戦後、日本は敗戦国としてアメリカ軍に占領されます。大勢のアメリカ兵が日本に駐留していましたが、彼らがアメリカに戻るとき、家族へのお土産や自分用として『スーベニアジャケット』を購入し、帰国していきました。
最初は、着物や陶磁器・日本人形などの伝統工芸品をお土産にしていましたが、あまり実用的ではなく、商魂たくましい日本人が、アメリカ兵が好むオリエンタルな柄をジャケットに刺繍した商品が、彼らの目に留まるようになります。
これが大ヒットして、日本国内にある基地だけではなく、海外にあるアメリカ軍基地の売店にも日本製の『スーベニアジャケット』が納入されるようになり、やがて横須賀基地周辺では日本人むけにも販売されるようになりました。
『スカジャン』は元々『スーベニアジャケット』や『ジャパンジャケット』と呼ばれていました。日本に駐留していたアメリカ兵のお土産ですから、そうなりますね。
東京に東洋エンタープライズ(当時は港商商会)という会社があり、アメリカ兵の土産物需要を見込み、ジャケットの前後に大胆な和装刺繍を施した商品を販売したところ、刺繍の日本的・東洋的な雰囲気が大ウケして人気商品になりました。
また、アメリカ兵が自分のジャケットに刺繍を入れて欲しいと、刺繍職人のところに直接持ち込んでくることも多かったようです。
ここまで読んで『スカジャン』なのに『ジャケット』?もしかしたら、混乱されている人がいるかも知れません。日本では『ジャケット』といえば襟のある背広に近い上着で『ジャンパー』はラフな防寒着というイメージがあります。なので『スカジャン』を『ジャケット』ということに違和感を覚える人も多いでしょう。
実は『ジャンパー』は和製英語で、日本でしか通用しません。私たちが『ジャンパー』だと思うものは、アメリカでは『ジャケット』だという認識なのです。そういうことなので、このコラムでは『ジャケット』という表現を使用しています。
日本で『スカジャン』と呼ばれるようになったのは、1960年代に入ってからのことです。このころ『スーベニアジャケット』は、アメリカにあこがれる若者のあいだで流行のファッションになっていました。
日本の若者たちは、アメリカ軍基地のある横須賀まで足を運び、アメリカ兵相手に商売をしていた通称『ドブ板通り商店街』で『スーベニアジャケット』を入手しています。そういう経緯があり『スーベニアジャケット』は『横須賀ジャンパー』を略して『スカジャン』と呼ばれるようになったということです。
因みに、もう一つ説があって、刺繍の柄にスカイドラゴンがデザインされていることが多かったので、スカイドラゴンジャンパーを略して『スカジャン』になったという説もあります。
ドブ板通り商店街とは、横須賀市にある全長約300mの商店街です。かつては、日本海軍横須賀基地の門前町として栄え、終戦後は進駐してきたアメリカ軍兵士を相手にした土産物店・飲食店・洋服店が立ち並ぶ歓楽街になりました。現在は、日本人の若者むけにアパレルショップやミリタリーショップなどが営業しています。神奈川県内でも、有名な商店街です。
第二次世界大戦前には、商店街の中央にドブ川が流れていて、ドブ川に鉄板で蓋をしたことから『ドブ板通り』と呼ばれるようになりました。現在は、ドブ川も鉄板もありません。
日本は第二次世界大戦に敗北し、敵対していた連合国軍に占領されます。
形式的に連合国軍は49カ国ありましたが、実質的にはアメリカ軍による単独占領でした。アメリカ軍は、ポツダム宣言を執行するため、日本の武装解除と民主化政策を推し進め、1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効して主権が回復するまで、日本には自国の統治権や外交権がありませんでした。この期間中、日本に駐留していたアメリカ軍を進駐軍と呼んでいます。
『スカジャン』に似ているものとして『ベトジャン』があります。『ベトジャン』は『スカジャン』が派生したもので『スーベニアジャケット』の一種です。ベトナム戦争が終結した際、撤収するアメリカ軍の兵士たちが『スカジャン』と同じ感覚でお土産にしたものですね。
『スカジャン』との違いは、ベトナムの刺繍が和装刺繍に比べると緻密さに欠け、緩いというか、幼いというか、微妙な感じであることと、戦争中に使用していたパラシュートや寝袋がジャンパーの生地として転用されているものが多いということです。
黒色で襟つきのものが多く、刺繍の柄はベトナムの地図や福禄寿の『福』という漢字が多用されているのが特徴だといわれています。
念のため、ここで『スーベニアジャケット』と『スカジャン・ベトジャン』の関係について整理しておきましょう。『スーベニアジャケット』の中に『スカジャン・ベトジャン』があり『スカジャン』が兄貴分です。そのため『スカジャン・ベトジャン』ともに、本来は『スーベニアジャケット』ということになります。『スカジャン・ベトジャン』は、個別の愛称というイメージでしょうか。
『スカジャン』は横振りミシンで『ベトジャン』は手縫いで刺繍されています。刺繍はジャンパーの前後に施されますが、後側(背中側)をA面、前側をB面と呼んでいます。
『スーベニアジャケット』の素材については『サテン』と『ベロア(別珍)』の二種類の生地が主流で、防寒性を高めたいときには、キルティングが使われることもありました。
『サテン』は、レーヨン・アセテート・ポリエステルなどの化学繊維がほとんどで、稀にシルクが使われるときもあるようです。『別珍』は、比較的毛足の短いパイル織物の一種で、綿ビロードとも呼ばれています。
キルティングは、中綿のズレ落ちを防ぐために使用された苦肉の策ではあるものの、デザインのアクセントにもなっています。
アメリカ軍の兵士たちのあいだでは、所属している部隊のワッペンを軍服に縫いつけたり、刺繍したりする習慣がありました。戦闘機などにも、髑髏マークが描かれたりしていますが、同じような感覚です。
そこで、アメリカ兵に好評な鷲・虎・龍・富士山や国名・地名などオリエンタルな柄を派手に刺繍し、ジャケットを装飾しようということになりました。
では、施された刺繍は、どのような理由で好評だったのでしょうか?個別に見てみましょう。
鷲は、アメリカの国鳥です。誰もが勇ましいと思っている鳥で、軍人のイメージとしても最適でした。
虎は、日本には生息していないものの東洋の猛獣というイメージがあり、日本人だけでなくアメリカ人にも人気がありました。
龍は、空想上の生き物ですが、インパクトのあるデザインとバリエーションの豊富さから、非常に好まれたということです。
日本の象徴である富士山や日本庭園、芸者なども日本をイメージさせるデザインとして人気でした。国名のJAPANと組み合わせて背面に刺繍されることが多かったということです。
日本各地の基地に納入されていた『スーベニアジャケット』は、世界各地のアメリカ軍基地にも納入されるようになり、ありとあらゆるところでご当地化しました。基地がある場所の国名・地名が、絵柄と一緒に入れられています。
『スーベニアジャケット』に、アメリカ兵たちが喜ぶ和装刺繍を精密に行えたのは、使用しているミシンが『横振りミシン』という特殊なミシンだったからです。
『横振りミシン』は針が前後ではなく左右に動き、熟練の職人でなければ操作することができないミシンでした。
日本人が培ってきた伝統の息づかいを感じとり、現代のライフスタイルに活かすご提案をつづけている倭物やカヤ。現在、伝統といわれているものも、かつては革新的に生み出されたものでした。倭物やカヤは、作り手とともに生み出した逸品を皆様にお届けしています!
浮世絵から飛び出してきたかのような大胆な虎・うさぎ・獅子がジャケットの前後にそれぞれ刺繍されている『浮世絵スーベニアジャケット』商品です。
ここまで『スーベニアジャケット』について説明してきました。『スーベニアジャケット』の魅力は、なんといっても見事な刺繍の一言に尽きると思います。そこで、日本の刺繍について、概略を確認しておきましょう。
日本の刺繍は、5世紀の初めごろ、インドから中国を経由して伝えられた『繍仏(しゅうぶつ)』が起源だといわれています。『繍仏』とは、仏画を刺繍で表現する技法で、推古天皇の時代に盛んに作られていました。また、奈良時代から平安時代にかけて中国に派遣されていた遣唐使が、中国から多くの刺繍を持ち帰り、日本における刺繍の発展に貢献したということです。
日本の刺繍は、生産地によって呼び方が異なります。代表的な刺繍は、京都では京繍(きょうぬい)、金沢では加賀繍(かがぬい)、東京では江戸繍(えどぬい)や江戸刺繍と呼ばれていて、どれも見た目の豪華さや緻密さを追求しています。代表的なものは、着物や帯・日本人形などです。
また、京繍と加賀繍については、経済産業省が認定する伝統工芸に指定されています。
それらに対し、刺し子と呼ばれる種類もあります。刺し子は、装飾性は求めず、糸で縫うことにより着物や生地の耐久性や保温性を高めることを目的にしていて、東北地方に多いということです。装飾性を求めてはいないものの、幾何学的な模様になることが多く、結果的に実用性と美しさを兼ね備えているといわれています。
刺繍の歴史は古く、正確な起源は不明なのですが、エジプトのピラミッドからも刺繍された布が発見されているので、相当なものですね。世界へ多様性をもって広がっていくにあたり、インド・中国・ヨーロッパの国々が大きな役割を果たしたといわれています。ここでは、中国とヨーロッパの刺繍について、概略を紹介しておきましょう。
中国の刺繍は、刺繍におけるルーツの一つとされていて、約3000年の歴史があるということです。元々は、君主や高位高官の衣服に身分を表わすために施されたようですが、次第に工芸品・美術品・日用品としても活躍の幅を広げていきます。
日本でも放送された中国の宮廷時代劇『瓔珞(えいらく)』では、刺繍女官だったヒロインが紆余曲折を経て皇帝の妃になりますが、刺繍をする専門の部署があり、宮中の需要に対応するため大勢の刺繍女官が働いていました。ドラマなので美化されている部分もあると思いますが、中国における刺繍の立ち位置が理解できる番組です。
その中国には、四大刺繍と呼ばれているものがあります。蘇州の『蘇繍(そしゅう)』・広州の『粤繍(えつしゅう)』・湖南の『湘繍(しょうしゅう)』・四川の『蜀繍(しょくしゅう)』です。
中でも『蘇繍』は最も古い歴史をもっていて、宋王朝・明王朝・清王朝と時代を経るに従って広く普及し、最大の特長は両面に刺繍を施すため、表からも裏からも糸の結び目が見えないようになっています。緻密で品のよい仕上がりは『東方の真珠』として有名です。
ヨーロッパにおける刺繍の位置づけは、文化・芸術です。エジプトからイタリアに伝わった刺繍は、イタリアからヨーロッパ各地に広がっていきます。
最初は、中国と同様に身分の高い人たちの衣服に刺繍が施され、キリスト教の教会でも儀式などの雰囲気作りに華麗な刺繍が重宝されるようになりました。
ヨーロッパにおける刺繡の代表格は『フランス刺繍』でしょう。『刺繍』は、フランス女性のたしなみとされ、刺繍の基本とされています。17世紀になると、刺繍は衣服だけでなく、宮廷などの豪華絢爛な装飾品としての役割も担うようになりました。あのベルサイユ宮殿も、数多くの刺繍で飾られています。
18世紀になり、ヨーロッパ各国における王政が衰退していくと、宮廷を装飾するような豪華な刺繍は衰え、一般市民のあいだに簡素な刺繍が普及しました。
やがて、刺繍は各国の民族衣装にも施されるようになります。アルプスの少女ハイジが着ていた『ディアンドル』という民族衣装に使われる『スイス刺繍』やノルウェーの『ハーダンガー刺繍』が代表例です。
日本では『スカジャン』と呼ばれる『スーベニアジャケット』は、アメリカ兵には大好評でしたが、あまりにも刺繍が勇まし過ぎて、日本では評価する人が少ない時期もありました。現在は、価値観が多様化し、日本でもしっかりと評価され、ヴィンテージものには数十万円の値段が提示されることも珍しくありません。始めに外国人が評価し、国内で追認されるという典型的なパターンの一つですね。
日本発祥の洋服『スーベニアジャケット』そして、素晴らしい刺繍の技術、日本が世界に誇れるものは、まだまだありそうです。倭物やカヤは、そういう情報をこれからも発信していきます。
皆さんは『スーベニアジャケット』をご存知ですか?
日本では『スカジャン』と呼ばれることの方が多いですが、ヴィンテージものには凄い値打ちがあり、芸能人で愛用している人もチラホラと見受けられます。
今回は、日本発祥の『スーベニアジャケット』について、その歴史や特徴・種類などを豆知識も交えながら紹介します。
最後まで、おつきあいくださいね!
目次
日本発祥の洋服『スーベニアジャケット』
『スーベニアジャケット』を日本語に訳すと『お土産の上着』という感じでしょうか。
第二次世界大戦後、日本は敗戦国としてアメリカ軍に占領されます。
大勢のアメリカ兵が日本に駐留していましたが、彼らがアメリカに戻るとき、家族へのお土産や自分用として『スーベニアジャケット』を購入し、帰国していきました。
最初は、着物や陶磁器・日本人形などの伝統工芸品をお土産にしていましたが、あまり実用的ではなく、商魂たくましい日本人が、アメリカ兵が好むオリエンタルな柄をジャケットに刺繍した商品が、彼らの目に留まるようになります。
これが大ヒットして、日本国内にある基地だけではなく、海外にあるアメリカ軍基地の売店にも日本製の『スーベニアジャケット』が納入されるようになり、やがて横須賀基地周辺では日本人むけにも販売されるようになりました。
『スーベニアジャケット』の誕生
『スカジャン』は元々『スーベニアジャケット』や『ジャパンジャケット』と呼ばれていました。
日本に駐留していたアメリカ兵のお土産ですから、そうなりますね。
東京に東洋エンタープライズ(当時は港商商会)という会社があり、アメリカ兵の土産物需要を見込み、ジャケットの前後に大胆な和装刺繍を施した商品を販売したところ、刺繍の日本的・東洋的な雰囲気が大ウケして人気商品になりました。
また、アメリカ兵が自分のジャケットに刺繍を入れて欲しいと、刺繍職人のところに直接持ち込んでくることも多かったようです。
スカジャン豆知識【ジャケットとジャンパー】
ここまで読んで『スカジャン』なのに『ジャケット』?
もしかしたら、混乱されている人がいるかも知れません。
日本では『ジャケット』といえば襟のある背広に近い上着で『ジャンパー』はラフな防寒着というイメージがあります。
なので『スカジャン』を『ジャケット』ということに違和感を覚える人も多いでしょう。
実は『ジャンパー』は和製英語で、日本でしか通用しません。
私たちが『ジャンパー』だと思うものは、アメリカでは『ジャケット』だという認識なのです。
そういうことなので、このコラムでは『ジャケット』という表現を使用しています。
お馴染みの『スカジャン』と呼ばれるように
日本で『スカジャン』と呼ばれるようになったのは、1960年代に入ってからのことです。
このころ『スーベニアジャケット』は、アメリカにあこがれる若者のあいだで流行のファッションになっていました。
日本の若者たちは、アメリカ軍基地のある横須賀まで足を運び、アメリカ兵相手に商売をしていた通称『ドブ板通り商店街』で『スーベニアジャケット』を入手しています。
そういう経緯があり『スーベニアジャケット』は『横須賀ジャンパー』を略して『スカジャン』と呼ばれるようになったということです。
因みに、もう一つ説があって、刺繍の柄にスカイドラゴンがデザインされていることが多かったので、スカイドラゴンジャンパーを略して『スカジャン』になったという説もあります。
スカジャン豆知識【ドブ板通り商店街とは】
ドブ板通り商店街とは、横須賀市にある全長約300mの商店街です。
かつては、日本海軍横須賀基地の門前町として栄え、終戦後は進駐してきたアメリカ軍兵士を相手にした土産物店・飲食店・洋服店が立ち並ぶ歓楽街になりました。
現在は、日本人の若者むけにアパレルショップやミリタリーショップなどが営業しています。
神奈川県内でも、有名な商店街です。
第二次世界大戦前には、商店街の中央にドブ川が流れていて、ドブ川に鉄板で蓋をしたことから『ドブ板通り』と呼ばれるようになりました。
現在は、ドブ川も鉄板もありません。
スカジャン豆知識【進駐軍とは】
日本は第二次世界大戦に敗北し、敵対していた連合国軍に占領されます。
形式的に連合国軍は49カ国ありましたが、実質的にはアメリカ軍による単独占領でした。
アメリカ軍は、ポツダム宣言を執行するため、日本の武装解除と民主化政策を推し進め、1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効して主権が回復するまで、日本には自国の統治権や外交権がありませんでした。
この期間中、日本に駐留していたアメリカ軍を進駐軍と呼んでいます。
『スカジャン』の弟分『ベトジャン』とは?
『スカジャン』に似ているものとして『ベトジャン』があります。
『ベトジャン』は『スカジャン』が派生したもので『スーベニアジャケット』の一種です。
ベトナム戦争が終結した際、撤収するアメリカ軍の兵士たちが『スカジャン』と同じ感覚でお土産にしたものですね。
『スカジャン』との違いは、ベトナムの刺繍が和装刺繍に比べると緻密さに欠け、緩いというか、幼いというか、微妙な感じであることと、戦争中に使用していたパラシュートや寝袋がジャンパーの生地として転用されているものが多いということです。
黒色で襟つきのものが多く、刺繍の柄はベトナムの地図や福禄寿の『福』という漢字が多用されているのが特徴だといわれています。
スカジャン豆知識【三者の関係性】
念のため、ここで『スーベニアジャケット』と『スカジャン・ベトジャン』の関係について整理しておきましょう。
『スーベニアジャケット』の中に『スカジャン・ベトジャン』があり『スカジャン』が兄貴分です。
そのため『スカジャン・ベトジャン』ともに、本来は『スーベニアジャケット』ということになります。
『スカジャン・ベトジャン』は、個別の愛称というイメージでしょうか。
『スカジャン』は横振りミシンで『ベトジャン』は手縫いで刺繍されています。
刺繍はジャンパーの前後に施されますが、後側(背中側)をA面、前側をB面と呼んでいます。
『スーベニアジャケット』の素材
『スーベニアジャケット』の素材については『サテン』と『ベロア(別珍)』の二種類の生地が主流で、防寒性を高めたいときには、キルティングが使われることもありました。
『サテン』は、レーヨン・アセテート・ポリエステルなどの化学繊維がほとんどで、稀にシルクが使われるときもあるようです。
『別珍』は、比較的毛足の短いパイル織物の一種で、綿ビロードとも呼ばれています。
キルティングは、中綿のズレ落ちを防ぐために使用された苦肉の策ではあるものの、デザインのアクセントにもなっています。
『スーベニアジャケット』に刺繍される代表的な柄
アメリカ軍の兵士たちのあいだでは、所属している部隊のワッペンを軍服に縫いつけたり、刺繍したりする習慣がありました。
戦闘機などにも、髑髏マークが描かれたりしていますが、同じような感覚です。
そこで、アメリカ兵に好評な鷲・虎・龍・富士山や国名・地名などオリエンタルな柄を派手に刺繍し、ジャケットを装飾しようということになりました。
では、施された刺繍は、どのような理由で好評だったのでしょうか?
個別に見てみましょう。
鷲
鷲は、アメリカの国鳥です。
誰もが勇ましいと思っている鳥で、軍人のイメージとしても最適でした。
虎
虎は、日本には生息していないものの東洋の猛獣というイメージがあり、日本人だけでなくアメリカ人にも人気がありました。
龍
龍は、空想上の生き物ですが、インパクトのあるデザインとバリエーションの豊富さから、非常に好まれたということです。
富士山・JAPAN
日本の象徴である富士山や日本庭園、芸者なども日本をイメージさせるデザインとして人気でした。
国名のJAPANと組み合わせて背面に刺繍されることが多かったということです。
地名
日本各地の基地に納入されていた『スーベニアジャケット』は、世界各地のアメリカ軍基地にも納入されるようになり、ありとあらゆるところでご当地化しました。
基地がある場所の国名・地名が、絵柄と一緒に入れられています。
『スーベニアジャケット』刺繍の切り札は『横振りミシン』
『スーベニアジャケット』に、アメリカ兵たちが喜ぶ和装刺繍を精密に行えたのは、使用しているミシンが『横振りミシン』という特殊なミシンだったからです。
『横振りミシン』は針が前後ではなく左右に動き、熟練の職人でなければ操作することができないミシンでした。
倭物やカヤのカヤジャン『浮世絵スーベニアジャケット』
日本人が培ってきた伝統の息づかいを感じとり、現代のライフスタイルに活かすご提案をつづけている倭物やカヤ。
現在、伝統といわれているものも、かつては革新的に生み出されたものでした。
倭物やカヤは、作り手とともに生み出した逸品を皆様にお届けしています!
『浮世絵スーベニアジャケット』
浮世絵から飛び出してきたかのような大胆な虎・うさぎ・獅子がジャケットの前後にそれぞれ刺繍されている『浮世絵スーベニアジャケット』商品です。
日本刺繍の歴史『スーベニアジャケット』最大の魅力
ここまで『スーベニアジャケット』について説明してきました。
『スーベニアジャケット』の魅力は、なんといっても見事な刺繍の一言に尽きると思います。
そこで、日本の刺繍について、概略を確認しておきましょう。
刺繍の日本伝来
日本の刺繍は、5世紀の初めごろ、インドから中国を経由して伝えられた『繍仏(しゅうぶつ)』が起源だといわれています。
『繍仏』とは、仏画を刺繍で表現する技法で、推古天皇の時代に盛んに作られていました。
また、奈良時代から平安時代にかけて中国に派遣されていた遣唐使が、中国から多くの刺繍を持ち帰り、日本における刺繍の発展に貢献したということです。
日本を代表する4種類の刺繍
日本の刺繍は、生産地によって呼び方が異なります。
代表的な刺繍は、京都では京繍(きょうぬい)、金沢では加賀繍(かがぬい)、東京では江戸繍(えどぬい)や江戸刺繍と呼ばれていて、どれも見た目の豪華さや緻密さを追求しています。
代表的なものは、着物や帯・日本人形などです。
また、京繍と加賀繍については、経済産業省が認定する伝統工芸に指定されています。
それらに対し、刺し子と呼ばれる種類もあります。
刺し子は、装飾性は求めず、糸で縫うことにより着物や生地の耐久性や保温性を高めることを目的にしていて、東北地方に多いということです。
装飾性を求めてはいないものの、幾何学的な模様になることが多く、結果的に実用性と美しさを兼ね備えているといわれています。
世界の刺繍
刺繍の歴史は古く、正確な起源は不明なのですが、エジプトのピラミッドからも刺繍された布が発見されているので、相当なものですね。
世界へ多様性をもって広がっていくにあたり、インド・中国・ヨーロッパの国々が大きな役割を果たしたといわれています。
ここでは、中国とヨーロッパの刺繍について、概略を紹介しておきましょう。
中国の刺繍
中国の刺繍は、刺繍におけるルーツの一つとされていて、約3000年の歴史があるということです。
元々は、君主や高位高官の衣服に身分を表わすために施されたようですが、次第に工芸品・美術品・日用品としても活躍の幅を広げていきます。
日本でも放送された中国の宮廷時代劇『瓔珞(えいらく)』では、刺繍女官だったヒロインが紆余曲折を経て皇帝の妃になりますが、刺繍をする専門の部署があり、宮中の需要に対応するため大勢の刺繍女官が働いていました。
ドラマなので美化されている部分もあると思いますが、中国における刺繍の立ち位置が理解できる番組です。
その中国には、四大刺繍と呼ばれているものがあります。
蘇州の『蘇繍(そしゅう)』・広州の『粤繍(えつしゅう)』・湖南の『湘繍(しょうしゅう)』・四川の『蜀繍(しょくしゅう)』です。
中でも『蘇繍』は最も古い歴史をもっていて、宋王朝・明王朝・清王朝と時代を経るに従って広く普及し、最大の特長は両面に刺繍を施すため、表からも裏からも糸の結び目が見えないようになっています。
緻密で品のよい仕上がりは『東方の真珠』として有名です。
ヨーロッパの刺繍
ヨーロッパにおける刺繍の位置づけは、文化・芸術です。
エジプトからイタリアに伝わった刺繍は、イタリアからヨーロッパ各地に広がっていきます。
最初は、中国と同様に身分の高い人たちの衣服に刺繍が施され、キリスト教の教会でも儀式などの雰囲気作りに華麗な刺繍が重宝されるようになりました。
ヨーロッパにおける刺繡の代表格は『フランス刺繍』でしょう。
『刺繍』は、フランス女性のたしなみとされ、刺繍の基本とされています。
17世紀になると、刺繍は衣服だけでなく、宮廷などの豪華絢爛な装飾品としての役割も担うようになりました。
あのベルサイユ宮殿も、数多くの刺繍で飾られています。
18世紀になり、ヨーロッパ各国における王政が衰退していくと、宮廷を装飾するような豪華な刺繍は衰え、一般市民のあいだに簡素な刺繍が普及しました。
やがて、刺繍は各国の民族衣装にも施されるようになります。
アルプスの少女ハイジが着ていた『ディアンドル』という民族衣装に使われる『スイス刺繍』やノルウェーの『ハーダンガー刺繍』が代表例です。
世界に誇る日本発祥の『スーベニアジャケット』!
日本では『スカジャン』と呼ばれる『スーベニアジャケット』は、アメリカ兵には大好評でしたが、あまりにも刺繍が勇まし過ぎて、日本では評価する人が少ない時期もありました。
現在は、価値観が多様化し、日本でもしっかりと評価され、ヴィンテージものには数十万円の値段が提示されることも珍しくありません。
始めに外国人が評価し、国内で追認されるという典型的なパターンの一つですね。
日本発祥の洋服『スーベニアジャケット』そして、素晴らしい刺繍の技術、日本が世界に誇れるものは、まだまだありそうです。
倭物やカヤは、そういう情報をこれからも発信していきます。