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みなさんは、「阿波おどり」と聞いてどのようなことを思い浮かべますか? 鮮やかな衣装や元気の良いかけ声をイメージする方もいるでしょうし、「名前は聞いたことがあるけれど、そもそも阿波おどりってなに?」という方もいるかもしれません。
そこで、今回のコラムでは、阿波おどりの特徴や由来、歴史、魅力などをわかりやすく解説していきます。また、あわせて2024年の阿波おどりの開催スケジュールや場所などについてもご紹介します。
このコラムを読んで、阿波おどりの魅力をたっぷりと味わいましょう♪
阿波おどりは、徳島県が誇る伝統芸能で、踊りの種類としては「盆踊り」にあたります。全国でも有名な踊りで、秋田県の西馬音内の盆踊り、岐阜県の郡上おどりとともに「三大盆踊り」のひとつに数えられます。
さらに、高知県の「よさこい祭り」と愛媛県の「新居浜太鼓祭り」とならぶ「四国三大祭り」のひとつでもあります。
阿波おどりは夏の風物詩ともなっており、参加者である踊り子だけでなく、国内・国外から集まった観光客など、かかわる人々の心を躍らせるイベントになっています。
阿波おどりは、約400年前にはじまったと考えられています。阿波国(現在の徳島県)で生まれたおどりですが、起源については大きくわけて3つの説があります。
1つめは、築城起源説です。1587年(天正15年)に、蜂須賀家政(はちすかいえまさ:戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名で、徳島藩祖となった人物です)によって徳島城が築城されたとき、お祝いの行事として城下の人々が踊ったおどりが阿波おどりのはじまりという考え方です。
2つめは、風流おどりが起源という説です。阿波踊りの特色である「組おどり」が、能楽の源流である「風流」の影響を強く受けているという考え方です。『三好記』という書物の中に、1578年(天正6年)に風流おどりを開催したという記録があり、ここから阿波おどりに発展したと考えられています。
3つめは、盆踊り起源説です。旧暦7月に行われた盆踊りが発展して阿波おどりになったという考え方です。
阿波おどりの歴史は、民衆がつむいでいきました。江戸時代のはじめには現在の阿波おどりの原型ができていたといわれています。また、江戸時代には人々が阿波おどりに熱狂するあまり、徳島藩から何度も踊りの禁止令が出されました。
明治~大正時代にかけては、文明開化の影響もあり、阿波おどりにバイオリンが使われたことも。また、昭和時代にかけては、ラジオなどをとおして阿波おどりが日本全国に知られるようになりました。
阿波おどりにはさまざまな魅力がありますが、「連(れん)」は阿波おどりを語る上で欠かせません。連とは、おどりを踊る一団・グループのこと。地域住民の一般連、伝統ある有名連、学生たちで構成される学生連など多様な連があります。それぞれの連の演舞や衣装、演奏を楽しむことができます。
また、おどりを盛り上げる元気な「かけ声」も大きな魅力のひとつ。かけ声には、長い歌詞を持つ「囃し言葉」「踊り唄」などさまざまなものがあります。「踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という有名なフレーズも、囃し言葉のひとつです。
阿波踊りの有名なかけ声には、ほかにも「ヤットサー」や「エライヤッチャ」などがあります。「ヤットサー」とは、名古屋弁の「やっとかめ(久しぶり)」にも通じる表現で、「ひさしぶり、元気だった?」という意味。 このかけ声がかかったら「あ、ヤット、ヤット」と返すのがお決まりです。「エライヤッチャ」とは、関西弁の「えらいこっちゃ」に似たニュアンスがあり、「大変なことだが平気だぞ」という活気づけや、気合いを入れる意味があります。
阿波おどりの踊り方には、三大流派があります。 「のんき調」は古くからの伝統を持つ「のんき連」から生まれた踊りです。 背筋を伸ばして腰を落とし、つま先を立てて足を運びます。明るく親しみやすい雰囲気が特徴です。
「娯茶平調」は、350人もの連員を持つ大きな「娯茶平連」から生まれた踊りです。お囃子がゆったりとしていることが特徴で、男踊りは地を這うように腰を低く落とし、すり足で進んでいきます。
「阿呆調」は東京の「江戸っ子連」と姉妹連である「阿呆連」から生まれた踊りです。大胆でリズミカルな踊りが特徴です。
また、上記で述べた「男踊り」のほかに「女踊り」もあります。 男踊りがダイナミックな踊りをするのに対し、女踊りは上品でしなやかな動きが特徴です。 また、男踊りは浴衣またははっぴ+足袋というスタイルが一般的で、女踊りは浴衣を着て編み笠をかぶり、足元は下駄を履くというのが一般的です。
ちなみに、男踊りでは団扇や提灯を持って踊ることもあります。
ここまで阿波おどりの特徴や由来・歴史、魅力などをご紹介してきて、「私も阿波おどりを見て見たい!」と思った方も多いのではないでしょうか。
ここからは、2024年の阿波おどりの開催スケジュールを詳しくご紹介していきたいと思います!
2024年の阿波おどりは、8月11日(日)から15日(木)までの5日間にわたって開催されます。もちろん個人ですべて手配して会場まで行くのも良いですが、阿波おどりを見に行くのが初めて、という方にはさまざまなツアーもあるので、そちらに参加するのもおすすめです。 東京・大阪・福岡など主要都市から出発するものや、添乗員さんが同行するものなどがありますので、気になる方はチェックしてみてくださいね。
ちなみに、あらかじめ連に加入していなくても、「にわか連(阿波おどり当日に結成される連)」という連であれば、個人またはグループで誰でも飛び入り参加できます。
なお、あらかじめ連に加入している踊り子たちは、阿波おどりのために1年間かけて踊りを練習するんだとか。
2024年の阿波おどりは、主に徳島市の中心部で開催されます。 阿波おどりが見られる演舞場は有料のもの・無料のものがあります。
有料演舞場は「市役所前演舞場」「藍場濱演舞場」「紺屋町演舞場」「南内町演舞場」の4か所、無料演舞場は「新町橋演舞場」と「両国本町演舞場」の2か所です。
なお、阿波おどりの期間中は交通規制がかかるため、早めに会場に着くことをおすすめします。 また、毎年阿波おどりには国内・国外から約130万人の人が集まります。 踊り子も約10万人いますので、会場は人の熱気で大盛り上がりします。
お子さまと一緒に阿波おどりを見に行くという場合は、安全面に配慮し、迷子にならないように気をつけてくださいね。
このコラムでは、徳島県が誇る伝統芸能のひとつ・阿波おどりについて、その概要や由来・歴史、特徴や魅力などをご紹介しました。
ユニークなかけ声があったり、「連」によって異なる衣装や演奏があることもわかりましたね。 また、ひとことで「阿波おどり」といっても、踊り方には流派があるということも、おもしろい新たな発見だったのではないでしょうか。
このコラムを読んで「私も阿波おどりを見てみたい!」と思った方は、ぜひ夏の旅行に徳島県を選んでみてはいかがでしょうか?
みなさんは、「阿波おどり」と聞いてどのようなことを思い浮かべますか?
鮮やかな衣装や元気の良いかけ声をイメージする方もいるでしょうし、「名前は聞いたことがあるけれど、そもそも阿波おどりってなに?」という方もいるかもしれません。
そこで、今回のコラムでは、阿波おどりの特徴や由来、歴史、魅力などをわかりやすく解説していきます。また、あわせて2024年の阿波おどりの開催スケジュールや場所などについてもご紹介します。
このコラムを読んで、阿波おどりの魅力をたっぷりと味わいましょう♪
目次
阿波おどりについて知ろう
阿波おどりは、徳島県が誇る伝統芸能で、踊りの種類としては「盆踊り」にあたります。全国でも有名な踊りで、秋田県の西馬音内の盆踊り、岐阜県の郡上おどりとともに「三大盆踊り」のひとつに数えられます。
さらに、高知県の「よさこい祭り」と愛媛県の「新居浜太鼓祭り」とならぶ「四国三大祭り」のひとつでもあります。
阿波おどりは夏の風物詩ともなっており、参加者である踊り子だけでなく、国内・国外から集まった観光客など、かかわる人々の心を躍らせるイベントになっています。
阿波おどりの由来と歴史
阿波おどりは、約400年前にはじまったと考えられています。阿波国(現在の徳島県)で生まれたおどりですが、起源については大きくわけて3つの説があります。
1つめは、築城起源説です。1587年(天正15年)に、蜂須賀家政(はちすかいえまさ:戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名で、徳島藩祖となった人物です)によって徳島城が築城されたとき、お祝いの行事として城下の人々が踊ったおどりが阿波おどりのはじまりという考え方です。
2つめは、風流おどりが起源という説です。阿波踊りの特色である「組おどり」が、能楽の源流である「風流」の影響を強く受けているという考え方です。『三好記』という書物の中に、1578年(天正6年)に風流おどりを開催したという記録があり、ここから阿波おどりに発展したと考えられています。
3つめは、盆踊り起源説です。旧暦7月に行われた盆踊りが発展して阿波おどりになったという考え方です。
阿波おどりの歴史は、民衆がつむいでいきました。江戸時代のはじめには現在の阿波おどりの原型ができていたといわれています。また、江戸時代には人々が阿波おどりに熱狂するあまり、徳島藩から何度も踊りの禁止令が出されました。
明治~大正時代にかけては、文明開化の影響もあり、阿波おどりにバイオリンが使われたことも。また、昭和時代にかけては、ラジオなどをとおして阿波おどりが日本全国に知られるようになりました。
阿波おどりの魅力
阿波おどりにはさまざまな魅力がありますが、「連(れん)」は阿波おどりを語る上で欠かせません。連とは、おどりを踊る一団・グループのこと。地域住民の一般連、伝統ある有名連、学生たちで構成される学生連など多様な連があります。それぞれの連の演舞や衣装、演奏を楽しむことができます。
また、おどりを盛り上げる元気な「かけ声」も大きな魅力のひとつ。かけ声には、長い歌詞を持つ「囃し言葉」「踊り唄」などさまざまなものがあります。「踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という有名なフレーズも、囃し言葉のひとつです。
阿波踊りの有名なかけ声には、ほかにも「ヤットサー」や「エライヤッチャ」などがあります。「ヤットサー」とは、名古屋弁の「やっとかめ(久しぶり)」にも通じる表現で、「ひさしぶり、元気だった?」という意味。
このかけ声がかかったら「あ、ヤット、ヤット」と返すのがお決まりです。「エライヤッチャ」とは、関西弁の「えらいこっちゃ」に似たニュアンスがあり、「大変なことだが平気だぞ」という活気づけや、気合いを入れる意味があります。
阿波おどりの踊り方
阿波おどりの踊り方には、三大流派があります。
「のんき調」は古くからの伝統を持つ「のんき連」から生まれた踊りです。
背筋を伸ばして腰を落とし、つま先を立てて足を運びます。明るく親しみやすい雰囲気が特徴です。
「娯茶平調」は、350人もの連員を持つ大きな「娯茶平連」から生まれた踊りです。お囃子がゆったりとしていることが特徴で、男踊りは地を這うように腰を低く落とし、すり足で進んでいきます。
「阿呆調」は東京の「江戸っ子連」と姉妹連である「阿呆連」から生まれた踊りです。大胆でリズミカルな踊りが特徴です。
また、上記で述べた「男踊り」のほかに「女踊り」もあります。
男踊りがダイナミックな踊りをするのに対し、女踊りは上品でしなやかな動きが特徴です。
また、男踊りは浴衣またははっぴ+足袋というスタイルが一般的で、女踊りは浴衣を着て編み笠をかぶり、足元は下駄を履くというのが一般的です。
ちなみに、男踊りでは団扇や提灯を持って踊ることもあります。
2024年阿波おどりの開催スケジュールは?
ここまで阿波おどりの特徴や由来・歴史、魅力などをご紹介してきて、「私も阿波おどりを見て見たい!」と思った方も多いのではないでしょうか。
ここからは、2024年の阿波おどりの開催スケジュールを詳しくご紹介していきたいと思います!
2024年の阿波おどりは、8月11日(日)から15日(木)までの5日間にわたって開催されます。もちろん個人ですべて手配して会場まで行くのも良いですが、阿波おどりを見に行くのが初めて、という方にはさまざまなツアーもあるので、そちらに参加するのもおすすめです。
東京・大阪・福岡など主要都市から出発するものや、添乗員さんが同行するものなどがありますので、気になる方はチェックしてみてくださいね。
ちなみに、あらかじめ連に加入していなくても、「にわか連(阿波おどり当日に結成される連)」という連であれば、個人またはグループで誰でも飛び入り参加できます。
なお、あらかじめ連に加入している踊り子たちは、阿波おどりのために1年間かけて踊りを練習するんだとか。
2024阿波おどりの開催会場は?
2024年の阿波おどりは、主に徳島市の中心部で開催されます。
阿波おどりが見られる演舞場は有料のもの・無料のものがあります。
有料演舞場は「市役所前演舞場」「藍場濱演舞場」「紺屋町演舞場」「南内町演舞場」の4か所、無料演舞場は「新町橋演舞場」と「両国本町演舞場」の2か所です。
なお、阿波おどりの期間中は交通規制がかかるため、早めに会場に着くことをおすすめします。
また、毎年阿波おどりには国内・国外から約130万人の人が集まります。
踊り子も約10万人いますので、会場は人の熱気で大盛り上がりします。
お子さまと一緒に阿波おどりを見に行くという場合は、安全面に配慮し、迷子にならないように気をつけてくださいね。
熱気あふれる阿波おどりを、ぜひ会場で楽しもう
このコラムでは、徳島県が誇る伝統芸能のひとつ・阿波おどりについて、その概要や由来・歴史、特徴や魅力などをご紹介しました。
ユニークなかけ声があったり、「連」によって異なる衣装や演奏があることもわかりましたね。
また、ひとことで「阿波おどり」といっても、踊り方には流派があるということも、おもしろい新たな発見だったのではないでしょうか。
このコラムを読んで「私も阿波おどりを見てみたい!」と思った方は、ぜひ夏の旅行に徳島県を選んでみてはいかがでしょうか?