「英霊の言乃葉」に注目してみるvol.5

8月15日、終戦の日がまたやってきました。

江戸時代後期からの欧米列強の植民地化により、アフリカや中南米はもちろんアジアも蹂躙され、その脅威に有色人種で唯一立ち向かった日本。数々の国難に対して多くの日本人が身を投げ打って血を流してきました。明治維新を成し遂げ、日清日露戦争、そして先の大戦では300万人規模の死者を出しています。

残念でならないのは、先の大戦で敗戦したことにより、勝者の歴史を押し付けられたこと。大東亜戦争でなく、太平洋戦争になってしまった。戦前にあった日本の魂の多くが大空襲を受け、その荒野にアメリカや近代の価値観が移植されてしまう。なんとか地層に残っていた先人たちのバイタリティーを汲み上げて戦後の経済躍進に繋げたが、地表が不毛の地となれば地下も枯渇していく必然により、国家そのものに活力が失われ世界に埋没しつつあります。

日本の未来を考えるときの一つの視点として。 先の大戦で戦った先人等が、自身の命を捨ててまで、何を守ろうとしていたのか? 命より大事なもの。自然と調和した日本の原風景、自身の命を繋いでくれた先祖や家族、それらを支えてきてくれた、地域の繋がりや歴史文化に裏付けされた精神性。 それらは今、どうなっているのか?日本を台無しにしてきた戦後世代が、そして単にアメリカに洗脳されただけの分際で、戦前を見下すべきではないでしょう。戦前から学び、継承すべきは継承し、そして未来志向で日本のこれからを考える。きれいごとでなくてもいいので、年に1回ぐらいは反芻してみると、日本に生きる意味が立ってくる一助になるでしょう。

英霊が遺族に遺した言葉を届けて結びとします。

 

出発の朝「入隊に際して」

海軍少佐 古川正崇命
神風特別攻撃隊振天隊
昭和二十年五月二十九日
沖縄近海にて戦死
海軍第十三期飛行予備学生
大阪外国語大学
奈良県出身二十四歳

  

二十二年の生
全て個人の力にあらず
母の恩偉大なり
しかもその母の恩の中に
また亡き父の魂魄は宿せり
我が平安の二十二年
祖国の無形の力に依る
今にして国家の危機に殉ぜざれば
我が愛する平和はくることなし
我はこのうへもなく平和を愛するなり
平和を愛するが故に
戦ひの切実を知るや
戦争を憎むが故に
戦争に参加せんとする
我等若き者の純真なる気持を
知る人の多きを祈る
二十二年の生
ただ感謝の一言に尽きる
全ては自然のままに動く
全ては必然なり

永き厚恩を謝す

海軍少尉 荒木一英命
神風特別攻撃隊第八、七生隊
昭和二十年五月十四日
種ヶ島東方海域にて戦死
予科練特乙三期生
新潟県出身十九歳

遺書
父上母上様、永い間有難うございました。
何も言ひ残すことはありません。
ただ、有難うの一言です。
家門の名をけがさぬ死に方をする覚悟です。
叔父上、叔母上様、永き厚恩を謝す。
幼年時代に遊び歩いた田舎道や、叔父上、叔母上のお顔がいよいよ最後の時になり、なつかしく想ひ出されます。
最後まで、笑っていきます。

特攻出撃に際して

海軍少尉 茂木三郎命
神風特別攻擊隊第五神剣隊
昭和二十年五月四日
沖縄周辺にて特攻戦死
予科練乙飛第十八期生
福島県出身十九歳

僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかも知れない。
お母さん、良く顔を見せて下さい。
しかし、僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。
お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。
それが僕の別れのあいさつです。

つつましく

陸軍憲兵軍曹 黑澤次男命
昭和二十一年八月十二日
上海にて殉難死
中央大学法科卒
栃木県出身 三十四歳

野道の路傍に人に踏まれ、人にも見られず咲いてゐる花、それは人目を惹く程美しくはない。そしてあでやかでもない。名なぞももつてゐない野花、つつましく咲いては散り、散つては咲く野花、香りなぞも人の注意を喚起させる程の事はない野花、独り咲いては独り散る野花、なんといぢらしい可愛いつつましい花であらう。私はこんな花に云ひ知れぬ心の惹きつけられるのを覚える。
名もない戦場で誰にも知られず、
天皇陛下万歳を絶唱して死んで行った戦友の事を思ひ出す。報道や宣伝に浮び上った英雄ではない、一無名のインテリ兵士の友を思ふ時、私はこの名もない路傍の野草を思ひ出す。
これでよいのだ。これが最高の美と云はなくて、なにを美と云ふべきか。
匂ひなき清香をかぐ思ひがする。
このつつましきものに無限の涙をそそぐと共に、無限の尊い慟哭を覚えには居られない。

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