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出羽三山神社の合祭殿は羽黒山の聖地、鏡池の前に建っている。月山神社を中心に右に出羽神社、左に湯殿山神社の額が外拝殿の上に掲げられている。その前の池には蓮(コウホネ)が繁茂しているが、神社の火事の時には煙が池を通って由良の湊まで行き八人の乙女の現れた断崖に出てきたと言われる。
三神の中心は月読之命(ツクヨミノミコト)を祀る月山と言う事になる。 月読之命は黄泉の国に通ずることから、月山への尾根沿いの道は急な登りは少ないが、なだらかに延々と続く死者の道ともされ、現在をあらわす羽黒山から過去の死の道をたどり、月山神社から谷沿いに湯殿山神社の褐色の温泉岩に降りて、その産湯に触れ、再生する蘇りの道といわれる。
湯殿山は語る無かれ、聞くなかれと禁制されている。カメラも御法度。
羽黒山から月山に登る道は通常、樹林の道を三里、草原の道を三里、岩原の道を三里といわれ、合計九里(約36km)の計算になるが実際にはもっと少なく御田ヶ原の八合目までは月山道路という山岳道路が出来ているので登山は最後の5km強である。
かつては出羽神社の下の宿坊から歩き出していたので大変な時間の短縮だ。昭和四十三年に多大な犠牲を払って地元の建設業者によってバス道路が開通した。八合目から月山頂上までは通常は三時間くらいで登頂する。
しかし我々の場合は大変な試練に有った。一歩も前に進めない状態にぶつかった。
強風にあおられて命からがら畳石を降りてきた壮年の登山者はこの山に慣れた様子だったが「いつもの倍六時間かかった」とつぶやいた。
翌日、神職にこの話をすると「ああ、それは何か障りが有る人がいたんでしょうね。神様は時々そういうことをなさる。畳石のところは天候の良い日でも一番風が強いところで、昨日の雨風なら通れなかったでしょうね」と言われた。
羽黒修験というのは熊野とならんで高名で今でも秋冬、季節ごとに峰入り修行を欠かさない。秋には八月二六日から九月一日まで七日間、行者の一行が白い山伏姿に身をかため先達に連れられて修行するのである。
秋の峰入りは明治まで羽黒山寂光寺が主導していたが、明治以降は出羽三山神社と荒沢寺がそれぞれ行っている。この秋の峰入りは荒沢寺が百人、出羽三山神社の峰入りは百六十人の規模で参加者が集まり、年々増えて人気が高まっているという。
過去にはここ、羽黒山の修験者こそが南無阿弥陀仏の念仏踊りを芸能と共に東北の農民に教えた。岩手県に伝わる有名な鬼剣舞も元々は大同三年(808年)にこの寂光寺で教えられたと伝えられている。
宿泊は羽黒山神社の斎館になった。祭りと重なり近くの宿坊は満員とのことで神社が手配してくれていた。そこの建物は古いがっしりした木造で、翌朝辞する時には石段を歩いて長屋門をくぐる趣きの深い建物だった。
神社百選一覧はこちらから
進藤彦興著 『詩でたどる日本神社百選』から抜粋
出羽三山神社の合祭殿は羽黒山の聖地、鏡池の前に建っている。月山神社を中心に右に出羽神社、左に湯殿山神社の額が外拝殿の上に掲げられている。その前の池には蓮(コウホネ)が繁茂しているが、神社の火事の時には煙が池を通って由良の湊まで行き八人の乙女の現れた断崖に出てきたと言われる。
三神の中心は月読之命(ツクヨミノミコト)を祀る月山と言う事になる。
月読之命は黄泉の国に通ずることから、月山への尾根沿いの道は急な登りは少ないが、なだらかに延々と続く死者の道ともされ、現在をあらわす羽黒山から過去の死の道をたどり、月山神社から谷沿いに湯殿山神社の褐色の温泉岩に降りて、その産湯に触れ、再生する蘇りの道といわれる。
湯殿山は語る無かれ、聞くなかれと禁制されている。カメラも御法度。
羽黒山から月山に登る道は通常、樹林の道を三里、草原の道を三里、岩原の道を三里といわれ、合計九里(約36km)の計算になるが実際にはもっと少なく御田ヶ原の八合目までは月山道路という山岳道路が出来ているので登山は最後の5km強である。
かつては出羽神社の下の宿坊から歩き出していたので大変な時間の短縮だ。昭和四十三年に多大な犠牲を払って地元の建設業者によってバス道路が開通した。八合目から月山頂上までは通常は三時間くらいで登頂する。
しかし我々の場合は大変な試練に有った。一歩も前に進めない状態にぶつかった。
強風にあおられて命からがら畳石を降りてきた壮年の登山者はこの山に慣れた様子だったが「いつもの倍六時間かかった」とつぶやいた。
翌日、神職にこの話をすると「ああ、それは何か障りが有る人がいたんでしょうね。神様は時々そういうことをなさる。畳石のところは天候の良い日でも一番風が強いところで、昨日の雨風なら通れなかったでしょうね」と言われた。
羽黒修験というのは熊野とならんで高名で今でも秋冬、季節ごとに峰入り修行を欠かさない。秋には八月二六日から九月一日まで七日間、行者の一行が白い山伏姿に身をかため先達に連れられて修行するのである。
秋の峰入りは明治まで羽黒山寂光寺が主導していたが、明治以降は出羽三山神社と荒沢寺がそれぞれ行っている。この秋の峰入りは荒沢寺が百人、出羽三山神社の峰入りは百六十人の規模で参加者が集まり、年々増えて人気が高まっているという。
過去にはここ、羽黒山の修験者こそが南無阿弥陀仏の念仏踊りを芸能と共に東北の農民に教えた。岩手県に伝わる有名な鬼剣舞も元々は大同三年(808年)にこの寂光寺で教えられたと伝えられている。
宿泊は羽黒山神社の斎館になった。祭りと重なり近くの宿坊は満員とのことで神社が手配してくれていた。そこの建物は古いがっしりした木造で、翌朝辞する時には石段を歩いて長屋門をくぐる趣きの深い建物だった。
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進藤彦興著 『詩でたどる日本神社百選』から抜粋