掲載日:2023.03.06

【神社百選】氷上神社

神社dada
●御祭神
リクコタ 理訓許段(スサノオノカミ)
トナコシ 登奈孝志(クシイナタヒメノカミ)
キヌタテ 衣太手(アマテラスオオミカミ)
●創 建
不詳
都より左遷されてきた大江千里。光考天皇仁和2年(西暦886年)氷上山に参拝。帰京を祈願とあり、このときには既に存在していた。

蝦夷(えぞ)と言われた先住民はアイヌ語を使っていた。いつしか稲作を学び租庸調(そようちょう)を納めた民は和語を話して和人となり、嫌がる人は追われてこれまでと同様、北へ北へと逃げた。

氷上山は陸前高田の町の背後にそびえて漁師たちの座標になる山。ふもとの神社の本殿前からは水と砂金が出る。砂金の出たところに建てたのか。金は鉄と共に蝦夷地の特産だった。氷上山の西のふもとの玉山からは金が大量に出て平泉の建築におおいに貢献した。

神社絵馬 白石隆一 画(注1)
神社絵馬 白石隆一 画
絵の下の松原は七万本の松が育っていたが、大震災の大津波で一本だけが残り陸前高田市の町も壊滅状態となった。上は氷上山で左から西の峰、中の峰、東の峰。

氷上神社はアイヌの神々を祀っている日本で唯一の神社である。ヒカミ神社はヒタカミがなまった言葉と言う説がある。

ヒタカミ(日高見)とは縄文時代から東日本に存在した豊かな国でヲシテ文献(※)などでは既定の事実として、その名を伝えているが、蝦夷との関係などが明確ではない。北上の地名もヒタカミの変化だと言う。大船渡の尾崎神社もリクコタ神社と言われ、そこの御神宝にはアイヌの木製の「削りかけ」、イナウが木箱に大事に保管されている。また唐桑半島の突端にある御崎神社は別名日高見神社であった。現在は御崎神社に変っている。

(※)ヲシテは漢字渡来以前の日本の縄文以来と言われる古代文字で書かれた文献

アイヌの人々がイナウを使うのは神社神道の「削りかけ(削り花)」を思わせるが、アイヌは常設の社は持たない。ただ祭祀のとき特定の場所にイナウを削って、地面にさし並べて神に捧げる。

柳などの木の枝を切って逆さにナイフで表面を削り花のように木皮を逆立てて棒の模様にする。先端に男は特定のサインを持って彫り付け、父子代々伝えていく。尾崎神社の御神宝のイナウは古形の鳥を模した形の彫り方をしており、訪れた梅原猛氏も貴重な物だと感心したと言う。

理訓古段明神を祀る大船渡尾崎神社御神宝のアイヌのイナウ
理訓古段(りくこた)明神を祀る大船渡尾崎神社御神宝のアイヌのイナウ

氷上神社がアイヌゆかりの神社のせいか不思議な事があり、寛延七年(1750)ある僧が銅仏三体、木造仏三体を山頂に奉納しようと人夫(にんぶ)を雇って登山した。しかし大雨が篠を突くように降り出し、地震もおきて山が鳴動した。人夫は恐れおののき、仏像を置いたまま逃げてしまった。

寄り合いを持って話し合った結果、今までこの山には一度も仏像をもって上がった事など無かったので神が怒ったのだろうと仏像を上げる事は中止と決まった。

この日、氷上山は大荒れにあれ、立ち木も倒れたが、仏像を取り下げた頃から風雨収まり、快晴となった。不思議な事にこの嵐は氷上山だけの事で他は晴れていたので「氷上山大騒擾(そうじょう)」という。
確かにアイヌの神であれば、和の神との習合だけでも苦しかったろう。

その24年後には気仙郡内で疫病が蔓延し数百人の死亡者が出た。藩は宮司に命じ郡内の総代、肝入りなど代表者を数千人集めて、氷上山頂上の祈祷ヶ原において大祈祷祭を実施、病気は鎮静した。

本殿
本殿

現在、氷上山(875m)の山頂の三つの峰には三神を祀った社が有るが、これは比較的新しいもので、昭和49年に、玉山金山を買い取った三重県の有志の人が古くなった社を見かねて新しい社の寄進を申し出られた。

そこで新しい社を牛で山頂まで運んで建立した。立派な新しい社に落書き等いたずらされないよう、さらに覆いを掛けて厳重に作ったので、全部覆われ外から何も見えなくなった。

しかしこれでは古くからの信仰のあかしが何も見られない。
「なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」と西行法師が伊勢神宮を歌ったことでもわかるように、神社はその信仰の跡の形が大事で遺産として大事に扱うのは当たり前だが人の眼の触れないように隠してしまうのはまた違うと思える。

せめて格子でもつけて外から社殿が見えなければ信仰の伝統も途切れてしまう。宮司と参拝に登った日も団体の壮年グループの登山客が最高峰の東の峰に登っていくのとすれ違ったが、山頂の脇にあるブリキの閉じきった小屋には注意さえ払われるか心もとない。山頂に信仰が生き残っている事を見せなければなるまい。このままでは寄進した人の誠意もむくわれまい。この日は旧暦9月19日で漁師のひとたちが大漁祈願に来る日と聞いていたが、誰も来なかった。小屋の中には昔捧げられた大漁旗が飾ってあったのだが。

山頂の西の宮
山頂の西の宮

アイヌは社を持たない。しかし自然に神を見、祀る事はイナウ一つ取ってみても共通である。今ではそのアイヌの故地にアイヌ語の神名で祀っているただひとつの神社といってもよい。

平安時代に編集された神社目録、延喜式(えんぎしき)には気仙三座としてこのアイヌの三柱の名が出ているが祀っているのは尾崎神社と氷上神社だけで尾崎神社の方では主祭神は「稲倉魂神(うかのみたまのかみ)」といい理訓古段明神の名があるが他の二神はあまり意識されていない。三つの社が明瞭に存在しているのはここ氷上神社のみだろう。

理久古多の 神にささげし
稲穂にも 蝦夷の手振りの
むかし思ほゆ
(尾崎神社神詠)

神社百選一覧はこちらから

『詩でたどる日本神社百選』

進藤彦興著 『詩でたどる日本神社百選』から抜粋


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