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メキシコと聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか? サボテン、タコス、死者の日・・・といったところでしょうか。
では、メキシコで有名な女性画家のことは知っていますか? 彼女の名は「フリーダ・カーロ」。
私がフリーダを知ったきっかけは、大学で受けたスペイン語の授業です。授業では、スペイン語圏の国の偉人たちについて紹介されていたことがあり、その中にフリーダも含まれていました。
中でも彼女は、事故で35回以上の手術を繰り返したり、結婚生活が上手くいかなかったりと、苦しい人生を送った人物として紹介されていました。その一方で、授業プリントに載っていた彼女の写真や自画像には、弱々しさがなかったのが印象的でした。 きっと自分らしさを貫いた女性なのだろう、と感じました。
今回は、フリーダ・カーロのアートや、彼女の人生についてご紹介します!
フリーダ・カーロ(1907-54)は、20世紀のメキシコを代表する画家です。 生涯にわたって、数多くの自画像を描き続けたことで知られています。
フリーダの自画像をぱっと見たときに目を引くのが、眉の描き方。彼女が描いた自分自身の眉は、濃く、つながっているのが印象的です。はっきりとした彼女の眉から、意思の強さが感じられます!
彼女の自画像をもっと近くで見てみましょう。フリーダの顔に、うっすらと髭が生えているのがわかるでしょうか。女性の自画像ではなかなか見られない特徴だと思います。 いかに彼女が、自分をありのままに描こうとしていたかが伝わってきますね。
フリーダ・カーロが描いた自画像の注目ポイントは、顔だけではありません。 視点を変えて彼女のよそおいを見てみましょう。絵の中で彼女が身にまとう民俗衣装には、濃い色、鮮やかな色がふんだんに用いられています。
フリーダは、普段からメキシコの民俗衣装を好んで着ていました。民俗衣装のデザインは作品によって全く異なり、メキシコ民俗衣装がバラエティ豊かであることを教えてくれます。 フリーダは衣装の模様を細かく描いており、首飾りの色の濃淡も工夫されています。
顔を見ると、「強い」「激しい」といった印象を受ける彼女の自画像。 しかしフリーダが描いた民俗衣装からは、彼女の繊細さや美へのこだわりも感じます。
フリーダの自画像には、動物がいることもしばしば。 彼女とともにいる動物は、サル、オウム、犬などで、すべてペットとして飼っていたものです。
中でも「猿のいる自画像(1938)」はフリーダの代表作です。 メキシコ神話における猿は欲望の象徴とされていますが、フリーダの隣で正面を見つめるサルは何を感じているのでしょうか。
フリーダの作品の中には、グロテスクなものもあります。 彼女は人生で味わった様々な苦痛も、アートでそのまま表現しているのです。
「2人のフリーダ(1939)」「折れた背骨(1944)」などの作品には、つらい出来事に傷ついた自分の姿が描かれています。釘で刺された身体や露出した血管が、なんともいえないリアルさを感じさせます。
しかし傷ついた身体とは裏腹に、彼女の表情はどこか達観しているようにも見えます。 どんなにつらいことがあっても、自分の心が揺るがないようにしていたのかもしれません。
特に「折れた背骨」は、私が初めて見たフリーダの作品であり、最も印象に残った作品でもあります。 フリーダの身体には砕けた柱と無数の釘が突き刺さり、彼女の痛みの大きさを感じさせます。涙を流しながらも表情を崩さない彼女が、痛みにじっと耐えているように見え、目が離せませんでした。
強い表情、華やかな民俗衣装、ともにいる動物。 フリーダの自画像から、彼女の人生や、彼女が何を大切にしていたのかが見えてきますね。
1907年、フリーダ・カーロはメキシコシティの「青い家」で生まれました。 彼女が生まれた家庭は裕福で、幼少期は両親や姉妹、乳母とともに暮らしたといわれています。
フリーダは幼いころから右脚が不自由でした。6歳の時に病気にかかり、右脚の成長が止まったことが原因です。それでも彼女は学業にはげみ、芸術に興味をもつ活発な少女でした。
そんなフリーダに転機がおとずれたのは18歳の時。 通学中に乗っていたバスで事故に遭い、3カ月間寝たきりの生活を送ることになりました。
思うように身体を動かせない日常。 しかしフリーダは、悲しみに明け暮れていたわけではありません。事故の痛みと日々の退屈を紛らわすために、本格的に絵を描くようになったのです。
寝たきりのフリーダは、ひたすら絵を描き続けました。 中でも彼女がよく描いていたのは自画像。1日の大半を自分と向き合っていたからこそ、自分の姿や感情を自画像としてあらわすようになったのでしょう。
フリーダが取り組んだのは、自画像を描くことだけではありません。 コルセットに装飾をほどこしたり、自分の身体に民俗衣装を合わせてアレンジしたり・・・。身体が不自由でも、つねにアートを追求していたのです。
そして事故から3年後、フリーダはメキシコの有名画家ディエゴ・リベラに出会いました。 フリーダの作品を見たディエゴは、彼女の才能に衝撃を受けます。
フリーダとディエゴの仲はその後急接近し、1929年に結婚。 翌年、2人はメキシコからアメリカへと拠点を移しました。
しかしフリーダの結婚は、周囲からあまり歓迎されませんでした。 夫のディエゴには離婚歴があり、フリーダより21歳年上だったからだといわれています。
フリーダはディエゴとの子どもを授かりますが、2度の流産を繰り返します。あの時の事故の後遺症が原因でした。
流産に母親の死も重なり、フリーダは苦しい時期を過ごしました。 彼女はこの頃の苦悩を「私の誕生(1932)」「ヘンリー・フォード病院(1932)」などの作品で、力強く描写しました。
彼女の苦痛はまだ続きました。
1933年にメキシコに戻ったフリーダとディエゴ。 浮気癖のあった夫のディエゴは、フリーダの妹とも関係をもってしまったのです。 フリーダは深くショックを受け、2人は別居。逆にフリーダも、アメリカの芸術家イサム・ノグチや、ロシアの革命家トロツキーらと関係をもち、奔放な恋愛をするようになりました。
フリーダの代表作「ちょっとした刺し傷(1935)」では、当時の彼女の心境があらわれています。 「あなたにとってはちょっとした刺し傷でも、私はあなたに深く傷つけられたのよ!」とディエゴに伝えたかったのでしょうか。
1930年代後半になると、フリーダの作品は世界で認められるようになります。 フリーダが画家として活躍するにつれディエゴとの溝も深まり、1939年に離婚。フリーダは生家である青い家に戻りました。
離婚後のフリーダは、ますますアートに打ちこみました。 この頃に描いた自画像「二人のフリーダ(1939)」はフリーダの最高傑作とされ、現在はメキシコ近代美術館に収められています。
自分のアートが認められ、トップレベルの画家として自立したフリーダは、1940年にディエゴと再婚。今度は別れることはありませんでした。 1954年にフリーダが47歳で亡くなるまで、2人は青い家で生涯をともにしました。
フリーダの健康状態は年々悪化し、晩年は脚の痛みに苦しみました。 そんな中でも「ディエゴと私(1944)」「折れた背骨(1944)」「傷ついた鹿(1946)」など、フリーダは個性の強い作品を残しています。
つらい出来事が続き、「壮絶」「波乱万丈」といわれるフリーダ・カーロの人生。 しかし何があろうと、彼女は表現をやめず、むしろ強い感情を自画像に込め続けました。
フリーダは生前、こんな言葉を残しています。 「私は夢なんて描いたことはない。私は自分自身の現実を描いているだけ。」
フリーダ・カーロのアートは、さまざまな経験を経た彼女の人生そのものをあらわしているのです。
フリーダ・カーロが生まれ、暮らした「青い家」。 メキシコシティにあるその家は、現在は「フリーダ・カーロ博物館」として公開されています。メキシコシティの南部コヨアカン地区にあり、最寄り駅のコヨアカンからは徒歩20分ほどです。
外から博物館を見ると、その名の通り青色が目に飛び込んできます。中庭からは、植物の緑と青い建物の鮮やかなコントラストが美しく見えます。 外観の美しさからも、アートに人生をささげた彼女らしさがあらわれていますね!
中に入ると、彼女の描いた絵と不思議なオブジェが出迎えてくれます。青い家の中には、彼女が描いた自画像のほか、夫ディエゴ・リベラの作品も。 当時のものと思われる、メキシコらしいデザインの家具やインテリア、キッチン用品も展示されていますよ。
青い家には、彼女が事故で寝たきりになったときに使っていたベッドもあります。 アトリエには絵の具や筆、車椅子も。 「ここで絵を描いていたのか」「このベッドで彼女は何を思っていたのだろう?」 さまざまな想像がふくらみますね。
中庭をはさんで隣の建物には、メキシコの民俗衣装や、フリーダが身につけていたコルセットが展示されています。ていねいな刺繍がほどこされた民俗衣装のドレスは、暗い照明に照らされることで存在感を増していて、美しいです。
ミュージアムショップでは、フリーダに関する本や、彼女の自画像をモチーフにしたポストカードが販売されています。
青い家での暮らしの面影を映し出している、フリーダ・カーロ博物館。 もし自分がフリーダだったら・・・。 もし青い家に自分が住んでいたら・・・。 青い家は、私たちのそんなイメージをふくらませる博物館となっています。 ぜひ足を運んでみてください!
強い生きざまと、独特な自画像が魅力的なフリーダ・カーロ。そんな彼女のアートを、身近に感じてみませんか?チャイハネ”フリーダ・カーロ”のウェアは、カジュアルなデザインで、普段着におすすめです!
「カルーナメンズトップスM」「カルーナメンズトップスL」はピンク、ターコイズ、ホワイトの3色展開のトレーナーです。 左胸には、「Te amo mucho」と書かれたスペイン語の言葉が。 これは日本語で「あなたをとても愛している」という意味です。 背面には、民俗衣装を着たフリーダ・カーロが、植物や動物とともにプリントされています。
ゆったりとした着心地なので、おうちでのリラックスタイムに着るのもおすすめ。 デザインもカラーも、ユニセックス感覚で着ることができます。
「カルーナトップス」「カルーナフードメンズトップス」は、先ほどご紹介したトップスのフードが付いているタイプです。こちらもピンク、ホワイト、ターコイズと、鮮やかで気分のあがる色展開となっています。 前ポケットも付いており、アクティブなシーンでも活躍しそうなパーカーです。 裏起毛素材なので、寒くて縮こまりがちな季節のおでかけにもぴったり。背中にプリントされたフリーダに包まれているような暖かさを感じられます。
ここまで、フリーダ・カーロの生きざまやアートについてご紹介しました。 つねに自分と向き合い、ひとつのことを極め続けた彼女の姿から、共感する部分や学びたい部分があったのではないでしょうか。
強く、思い通りに自分を表現したフリーダ・カーロ。 フリーダがモチーフのウェアを着て、彼女のパワーを借りてみては?
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メキシコと聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?
サボテン、タコス、死者の日・・・といったところでしょうか。
では、メキシコで有名な女性画家のことは知っていますか?
彼女の名は「フリーダ・カーロ」。
私がフリーダを知ったきっかけは、大学で受けたスペイン語の授業です。授業では、スペイン語圏の国の偉人たちについて紹介されていたことがあり、その中にフリーダも含まれていました。
中でも彼女は、事故で35回以上の手術を繰り返したり、結婚生活が上手くいかなかったりと、苦しい人生を送った人物として紹介されていました。その一方で、授業プリントに載っていた彼女の写真や自画像には、弱々しさがなかったのが印象的でした。
きっと自分らしさを貫いた女性なのだろう、と感じました。
今回は、フリーダ・カーロのアートや、彼女の人生についてご紹介します!
目次
フリーダ・カーロが描く自画像
圧倒的なオーラを放つ「顔」
フリーダ・カーロ(1907-54)は、20世紀のメキシコを代表する画家です。
生涯にわたって、数多くの自画像を描き続けたことで知られています。
フリーダの自画像をぱっと見たときに目を引くのが、眉の描き方。彼女が描いた自分自身の眉は、濃く、つながっているのが印象的です。はっきりとした彼女の眉から、意思の強さが感じられます!
彼女の自画像をもっと近くで見てみましょう。フリーダの顔に、うっすらと髭が生えているのがわかるでしょうか。女性の自画像ではなかなか見られない特徴だと思います。
いかに彼女が、自分をありのままに描こうとしていたかが伝わってきますね。
メキシコの民俗衣装をまとって
フリーダ・カーロが描いた自画像の注目ポイントは、顔だけではありません。
視点を変えて彼女のよそおいを見てみましょう。絵の中で彼女が身にまとう民俗衣装には、濃い色、鮮やかな色がふんだんに用いられています。
フリーダは、普段からメキシコの民俗衣装を好んで着ていました。民俗衣装のデザインは作品によって全く異なり、メキシコ民俗衣装がバラエティ豊かであることを教えてくれます。
フリーダは衣装の模様を細かく描いており、首飾りの色の濃淡も工夫されています。
顔を見ると、「強い」「激しい」といった印象を受ける彼女の自画像。
しかしフリーダが描いた民俗衣装からは、彼女の繊細さや美へのこだわりも感じます。
愛する動物とともに
フリーダの自画像には、動物がいることもしばしば。
彼女とともにいる動物は、サル、オウム、犬などで、すべてペットとして飼っていたものです。
中でも「猿のいる自画像(1938)」はフリーダの代表作です。
メキシコ神話における猿は欲望の象徴とされていますが、フリーダの隣で正面を見つめるサルは何を感じているのでしょうか。
時にはグロテスクな描写も…!
フリーダの作品の中には、グロテスクなものもあります。
彼女は人生で味わった様々な苦痛も、アートでそのまま表現しているのです。
「2人のフリーダ(1939)」「折れた背骨(1944)」などの作品には、つらい出来事に傷ついた自分の姿が描かれています。釘で刺された身体や露出した血管が、なんともいえないリアルさを感じさせます。
しかし傷ついた身体とは裏腹に、彼女の表情はどこか達観しているようにも見えます。
どんなにつらいことがあっても、自分の心が揺るがないようにしていたのかもしれません。
特に「折れた背骨」は、私が初めて見たフリーダの作品であり、最も印象に残った作品でもあります。
フリーダの身体には砕けた柱と無数の釘が突き刺さり、彼女の痛みの大きさを感じさせます。涙を流しながらも表情を崩さない彼女が、痛みにじっと耐えているように見え、目が離せませんでした。
強い表情、華やかな民俗衣装、ともにいる動物。
フリーダの自画像から、彼女の人生や、彼女が何を大切にしていたのかが見えてきますね。
フリーダ・カーロの人生は波乱万丈!?
壮絶な少女時代
1907年、フリーダ・カーロはメキシコシティの「青い家」で生まれました。
彼女が生まれた家庭は裕福で、幼少期は両親や姉妹、乳母とともに暮らしたといわれています。
フリーダは幼いころから右脚が不自由でした。6歳の時に病気にかかり、右脚の成長が止まったことが原因です。それでも彼女は学業にはげみ、芸術に興味をもつ活発な少女でした。
そんなフリーダに転機がおとずれたのは18歳の時。
通学中に乗っていたバスで事故に遭い、3カ月間寝たきりの生活を送ることになりました。
思うように身体を動かせない日常。
しかしフリーダは、悲しみに明け暮れていたわけではありません。事故の痛みと日々の退屈を紛らわすために、本格的に絵を描くようになったのです。
本格的な画家をめざして
寝たきりのフリーダは、ひたすら絵を描き続けました。
中でも彼女がよく描いていたのは自画像。1日の大半を自分と向き合っていたからこそ、自分の姿や感情を自画像としてあらわすようになったのでしょう。
フリーダが取り組んだのは、自画像を描くことだけではありません。
コルセットに装飾をほどこしたり、自分の身体に民俗衣装を合わせてアレンジしたり・・・。身体が不自由でも、つねにアートを追求していたのです。
そして事故から3年後、フリーダはメキシコの有名画家ディエゴ・リベラに出会いました。
フリーダの作品を見たディエゴは、彼女の才能に衝撃を受けます。
愛と執着、そして別れ
フリーダとディエゴの仲はその後急接近し、1929年に結婚。
翌年、2人はメキシコからアメリカへと拠点を移しました。
しかしフリーダの結婚は、周囲からあまり歓迎されませんでした。
夫のディエゴには離婚歴があり、フリーダより21歳年上だったからだといわれています。
フリーダはディエゴとの子どもを授かりますが、2度の流産を繰り返します。あの時の事故の後遺症が原因でした。
流産に母親の死も重なり、フリーダは苦しい時期を過ごしました。
彼女はこの頃の苦悩を「私の誕生(1932)」「ヘンリー・フォード病院(1932)」などの作品で、力強く描写しました。
彼女の苦痛はまだ続きました。
1933年にメキシコに戻ったフリーダとディエゴ。
浮気癖のあった夫のディエゴは、フリーダの妹とも関係をもってしまったのです。
フリーダは深くショックを受け、2人は別居。逆にフリーダも、アメリカの芸術家イサム・ノグチや、ロシアの革命家トロツキーらと関係をもち、奔放な恋愛をするようになりました。
フリーダの代表作「ちょっとした刺し傷(1935)」では、当時の彼女の心境があらわれています。
「あなたにとってはちょっとした刺し傷でも、私はあなたに深く傷つけられたのよ!」とディエゴに伝えたかったのでしょうか。
アートにささげた人生
1930年代後半になると、フリーダの作品は世界で認められるようになります。
フリーダが画家として活躍するにつれディエゴとの溝も深まり、1939年に離婚。フリーダは生家である青い家に戻りました。
離婚後のフリーダは、ますますアートに打ちこみました。
この頃に描いた自画像「二人のフリーダ(1939)」はフリーダの最高傑作とされ、現在はメキシコ近代美術館に収められています。
自分のアートが認められ、トップレベルの画家として自立したフリーダは、1940年にディエゴと再婚。今度は別れることはありませんでした。
1954年にフリーダが47歳で亡くなるまで、2人は青い家で生涯をともにしました。
フリーダの健康状態は年々悪化し、晩年は脚の痛みに苦しみました。
そんな中でも「ディエゴと私(1944)」「折れた背骨(1944)」「傷ついた鹿(1946)」など、フリーダは個性の強い作品を残しています。
つらい出来事が続き、「壮絶」「波乱万丈」といわれるフリーダ・カーロの人生。
しかし何があろうと、彼女は表現をやめず、むしろ強い感情を自画像に込め続けました。
フリーダは生前、こんな言葉を残しています。
「私は夢なんて描いたことはない。私は自分自身の現実を描いているだけ。」
フリーダ・カーロのアートは、さまざまな経験を経た彼女の人生そのものをあらわしているのです。
生家「青い家」はフリーダ・カーロ博物館に
フリーダ・カーロが生まれ、暮らした「青い家」。
メキシコシティにあるその家は、現在は「フリーダ・カーロ博物館」として公開されています。メキシコシティの南部コヨアカン地区にあり、最寄り駅のコヨアカンからは徒歩20分ほどです。
外から博物館を見ると、その名の通り青色が目に飛び込んできます。中庭からは、植物の緑と青い建物の鮮やかなコントラストが美しく見えます。
外観の美しさからも、アートに人生をささげた彼女らしさがあらわれていますね!
中に入ると、彼女の描いた絵と不思議なオブジェが出迎えてくれます。青い家の中には、彼女が描いた自画像のほか、夫ディエゴ・リベラの作品も。
当時のものと思われる、メキシコらしいデザインの家具やインテリア、キッチン用品も展示されていますよ。
青い家には、彼女が事故で寝たきりになったときに使っていたベッドもあります。
アトリエには絵の具や筆、車椅子も。
「ここで絵を描いていたのか」「このベッドで彼女は何を思っていたのだろう?」
さまざまな想像がふくらみますね。
中庭をはさんで隣の建物には、メキシコの民俗衣装や、フリーダが身につけていたコルセットが展示されています。ていねいな刺繍がほどこされた民俗衣装のドレスは、暗い照明に照らされることで存在感を増していて、美しいです。
ミュージアムショップでは、フリーダに関する本や、彼女の自画像をモチーフにしたポストカードが販売されています。
青い家での暮らしの面影を映し出している、フリーダ・カーロ博物館。
もし自分がフリーダだったら・・・。
もし青い家に自分が住んでいたら・・・。
青い家は、私たちのそんなイメージをふくらませる博物館となっています。
ぜひ足を運んでみてください!
チャイハネからフリーダ・カーロのウェアが!
強い生きざまと、独特な自画像が魅力的なフリーダ・カーロ。そんな彼女のアートを、身近に感じてみませんか?チャイハネ”フリーダ・カーロ”のウェアは、カジュアルなデザインで、普段着におすすめです!
「カルーナメンズトップスM」「カルーナメンズトップスL」はピンク、ターコイズ、ホワイトの3色展開のトレーナーです。
左胸には、「Te amo mucho」と書かれたスペイン語の言葉が。
これは日本語で「あなたをとても愛している」という意味です。
背面には、民俗衣装を着たフリーダ・カーロが、植物や動物とともにプリントされています。
ゆったりとした着心地なので、おうちでのリラックスタイムに着るのもおすすめ。
デザインもカラーも、ユニセックス感覚で着ることができます。
「カルーナトップス」「カルーナフードメンズトップス」は、先ほどご紹介したトップスのフードが付いているタイプです。こちらもピンク、ホワイト、ターコイズと、鮮やかで気分のあがる色展開となっています。
前ポケットも付いており、アクティブなシーンでも活躍しそうなパーカーです。
裏起毛素材なので、寒くて縮こまりがちな季節のおでかけにもぴったり。背中にプリントされたフリーダに包まれているような暖かさを感じられます。
ここまで、フリーダ・カーロの生きざまやアートについてご紹介しました。
つねに自分と向き合い、ひとつのことを極め続けた彼女の姿から、共感する部分や学びたい部分があったのではないでしょうか。
強く、思い通りに自分を表現したフリーダ・カーロ。
フリーダがモチーフのウェアを着て、彼女のパワーを借りてみては?
象は幸運の象徴らしい?気になる方はこちら▼
象にまつわるエトセトラ
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