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BOSS(アミナコレクション創業者)が、オリジナルデザインの商品開発に夢中だった1989年頃、雑貨デザイナーの玲子を連れてネパールに滞在していました。ニューロードのクリスタルホテルというクラシックなホテルがお気に入りです。 ホムという勉強熱心で誠実な青年がそのホテルで働いていました。山村出身の彼は、自分で稼ぎながらカトマンズの学校に通っているそうです。
ここからの30年間はダイジェストで! 出張に同行していた玲子がカトマンズ留学を決意→ホムとの再会→留学期間後、ホムと玲子は結婚を決意→ホム来日。
日本語を勉強しながら、ボスの経営するチャイハネでアルバイト→建築学を学ぶために大学に進学~勉強熱心な彼はその後も学び続け~現在は大学の建築学部教授!
筆者は彼らとカトマンズ留学時代からの付き合いです、90年代前半のチャイハネアルバイト時代も一緒でした。 休憩時間にも熱心に漢字の勉強をするホムさん。最初の頃は余裕で教えていましたが、どんどん難易度が上がっていき、数ヵ月後には 「上原さん、この漢字は何と読みますか?」 と聞かれるのが怖くなっていました。
そんなホムさんと久しぶりに再会したのは2017年春。他界したボスのお別れ会でした。 ネパール大震災から二年後の事です。Pray for Nepal projectの活動について伝えると、ホムさん自身も積極的に支援活動をしてきたとの事。 世界中から支援を集め、実家があるサッレ村の崩壊した校舎再建が進んでいました。
その出会いからPray for Nepal 支援地としてのサッレ村を考え始めました。 災害支援というのは支援を受ける現地側との連携、そして信頼関係がとても大切です。ホムさんが日本にいて家族が現地にいる、連携と信頼の条件が整っています。現地の状況を把握する為、私自身も数ヶ月後にサッレ村を訪れました。
サッレ村にはマイラサムハという女性のグループがありました。 社会的に弱い立場である女性達が団結しお互いを支えあい、女性達の意見を地域の政治に反映させる為の組織です。出産時の助け合いはもちろん、夫に暴力を受けても誰にも言えなかった主婦を守ったり、他の村のマイラサムハと連携して女性の生活、地位向上を訴えたり…その活動は真剣で広範囲に及びます。
村長やマイラサムハとの話し合いに参加し、活動の重要性も十分に理解する事が出来ました。 その数ヶ月後、マイラサムハの活動拠点を震災で崩れた小さな校舎の跡地に建設するプロジェクトがスタートする事になります。 ただ、私自身が現地で即決できる規模の話ではないので、「帰国後に社長にしっかり提案するよ、連絡するからそれまで待っていてね!」と言い残し、マイラサムハの熱意をしっかりと背負って帰国しました。
その数日後に帰国。その頃にはサッレ村から数枚の写真が送られてきました。 「良いお知らせを自分達で整地しながら待っています!」 とのメッセージ入りです。 この後押しもあり、社内の合意を得る事が出来ました。雨期明けの2018年秋に着工です。
現地から送られてきた建設中の様子です。 レンガ作りの建物は窓が少なく室内が暗い事が多いです。その為に、屋根に工夫をして太陽光を取り込めるようにしてもらいました。 長い雨季の間も気持ち良い外気の中で過ごせるように、軒先を長く作るように依頼もしました。
2019年5月、二回目のサッレ村訪問。郡長参加の完成式の様子です。 マイラサムハも大喜び! 学校のすぐ上に位置し、村のどこからも徒歩15分以内で集まることが出来る好立地です。
――BOSS HOME―― ホムさんが名付けてくれました。理由は三つ。
皆様のサポートによるPray for Nepal Projectは、このBOSS HOMEと、前回報告したWater Line Projectで約5年間の活動を終えました。 皆様からのご支援、本当にありがとうございました。
現在も進行中のネパール支援については次回以降また報告します。 20年以上続いている支援もあれば、今回のサッレ村訪問から生まれた新たな支援もあります。 お楽しみに!
Pray for Nepalについては知りたい方におすすめ▼
40 years with Nepal Vol.2 BOSS初ネパール旅~Pray for Nepal 2015~前編
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英語を学びにネパールへ!無計画こころの奮闘記
元バックパッカー・現商品本部長 1989入社 履歴書に書いた海外渡航歴が決め手で採用される。 その後、世界の生産地を駆け巡って33年。 そろそろ…またバックパッカーに戻りたいと思っている。
目次
ネパールで青年と出会う、そして再会したら大学の教授になっていた
BOSS(アミナコレクション創業者)が、オリジナルデザインの商品開発に夢中だった1989年頃、雑貨デザイナーの玲子を連れてネパールに滞在していました。ニューロードのクリスタルホテルというクラシックなホテルがお気に入りです。
ホムという勉強熱心で誠実な青年がそのホテルで働いていました。山村出身の彼は、自分で稼ぎながらカトマンズの学校に通っているそうです。
ここからの30年間はダイジェストで!
出張に同行していた玲子がカトマンズ留学を決意→ホムとの再会→留学期間後、ホムと玲子は結婚を決意→ホム来日。
日本語を勉強しながら、ボスの経営するチャイハネでアルバイト→建築学を学ぶために大学に進学~勉強熱心な彼はその後も学び続け~現在は大学の建築学部教授!
筆者は彼らとカトマンズ留学時代からの付き合いです、90年代前半のチャイハネアルバイト時代も一緒でした。
休憩時間にも熱心に漢字の勉強をするホムさん。最初の頃は余裕で教えていましたが、どんどん難易度が上がっていき、数ヵ月後には
「上原さん、この漢字は何と読みますか?」
と聞かれるのが怖くなっていました。
そんなホムさんと久しぶりに再会したのは2017年春。他界したボスのお別れ会でした。
ネパール大震災から二年後の事です。Pray for Nepal projectの活動について伝えると、ホムさん自身も積極的に支援活動をしてきたとの事。
世界中から支援を集め、実家があるサッレ村の崩壊した校舎再建が進んでいました。
ホム教授の実家のあるサッレ村でもネパール大地震の被害が・・・・・・
その出会いからPray for Nepal 支援地としてのサッレ村を考え始めました。
災害支援というのは支援を受ける現地側との連携、そして信頼関係がとても大切です。ホムさんが日本にいて家族が現地にいる、連携と信頼の条件が整っています。現地の状況を把握する為、私自身も数ヶ月後にサッレ村を訪れました。
サッレ村にはマイラサムハという女性のグループがありました。
社会的に弱い立場である女性達が団結しお互いを支えあい、女性達の意見を地域の政治に反映させる為の組織です。出産時の助け合いはもちろん、夫に暴力を受けても誰にも言えなかった主婦を守ったり、他の村のマイラサムハと連携して女性の生活、地位向上を訴えたり…その活動は真剣で広範囲に及びます。
村長やマイラサムハとの話し合いに参加し、活動の重要性も十分に理解する事が出来ました。
その数ヶ月後、マイラサムハの活動拠点を震災で崩れた小さな校舎の跡地に建設するプロジェクトがスタートする事になります。
ただ、私自身が現地で即決できる規模の話ではないので、「帰国後に社長にしっかり提案するよ、連絡するからそれまで待っていてね!」と言い残し、マイラサムハの熱意をしっかりと背負って帰国しました。
その数日後に帰国。その頃にはサッレ村から数枚の写真が送られてきました。
「良いお知らせを自分達で整地しながら待っています!」
とのメッセージ入りです。
この後押しもあり、社内の合意を得る事が出来ました。雨期明けの2018年秋に着工です。
マイラサムハ(女性グループ)の活動拠点を建設開始
現地から送られてきた建設中の様子です。
レンガ作りの建物は窓が少なく室内が暗い事が多いです。その為に、屋根に工夫をして太陽光を取り込めるようにしてもらいました。
長い雨季の間も気持ち良い外気の中で過ごせるように、軒先を長く作るように依頼もしました。
完成式とみんなの笑顔、BOSS HOMEに込めた思い
2019年5月、二回目のサッレ村訪問。郡長参加の完成式の様子です。
マイラサムハも大喜び!
学校のすぐ上に位置し、村のどこからも徒歩15分以内で集まることが出来る好立地です。
――BOSS HOME――
ホムさんが名付けてくれました。理由は三つ。
皆様のサポートによるPray for Nepal Projectは、このBOSS HOMEと、前回報告したWater Line Projectで約5年間の活動を終えました。
皆様からのご支援、本当にありがとうございました。
現在も進行中のネパール支援については次回以降また報告します。
20年以上続いている支援もあれば、今回のサッレ村訪問から生まれた新たな支援もあります。
お楽しみに!
Pray for Nepalについては知りたい方におすすめ▼
40 years with Nepal Vol.2 BOSS初ネパール旅~Pray for Nepal 2015~前編
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筆者プロフィール:上原 伸郎(うえはら しんろー)
元バックパッカー・現商品本部長
1989入社
履歴書に書いた海外渡航歴が決め手で採用される。
その後、世界の生産地を駆け巡って33年。
そろそろ…またバックパッカーに戻りたいと思っている。