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この記事の連載一覧はこちらから: 地方創生〜鯨の町おこし
和紙作家の堀木エリ子さんにメールを送ることにした。
お祭りの山車(だし)を和紙で製作して欲しい旨を、つらつらと書き連ねていった。父の遺志に叶い、かつ呼子の町の方々から喜んでいただける曳山は、堀木エリ子さんにしか作れない。すでにそんな思いになっていた。 しかし著名な方で、まだ一度しかあったことのない方だし、いきなり意気投合できるイメージがあるわけがない。しかし、まずは動かないことには何も分からない。腹をくくって思い切って送信してみた。
その日のうちに返ってきた堀木エリ子さんからのメールには、立体和紙で曳山を作ることの必然性に疑問を投げかける内容が書かれていた。きちんと考えないといけない、と。至極ごもっともで、堀木さんの言葉に対して明解に返せる言葉が全然出てこなかった。 とはいえ、あきらめるわけにはいかない。出来ることをやるのだ。私が出来ることは、とにかく会って話す、アポをとることだけであった。「とにかく話を聞いてほしい」と。
それから1ヵ月が経ち、2021年の正月が明けた真冬の寒い日のこと。堀木さんのオフィスのある京都へ新幹線で向かっていた。
晴天で澄んだ空に映える富士山を眺めながら、「どうやったら説得できるのだろう?」あらゆる角度で考えた。なぜだろう?堀木さんの他に選択肢はないと思い詰めてる自分がいた。であるのに、何もアイデアが湧かない。自分の中が空っぽのまま、堀木さんのオフィスに着いてしまったのだ。
堀木さんのオフィスに着くと、まずは社員の女性の方にショールームに案内された。 堀木さんの和紙は建築で使える革新的なもので、特異な巨大さや耐久性、その芸術性、それぞれの特性がショールームで紹介していただける。立体的に漉いた和紙のオブジェも見ることができた。あまりに素晴らしく興味深かったので、食い入るように説明を聞いてしまって、もう堀木さんを説得する言葉を考える隙間がなかった。ほんとうに空っぽのまま堀木さんとの話し合いの場についてしまったのだ。メールと同じ内容を投げかけられたら、何も答えられないだろう。これは、まずい。
堀木さんと数カ月ぶりにお会いして向かい合った。堀木さんはスラッとした長身で、全身から品良くみなぎるパワーというか、研ぎ澄まされた空気を発する方で、一緒にいて心が明るくなれる。 私はとにかく、なぜ和紙でなければいけないのか、堀木さんのお力が必要なのかを、ちゃんと説明しようと意気込んだ。
説明をしながら、あれ?と思った。お相手にやる気になっていただけねばならない。逆風もしくは無風状態から、とにかく前向きの風を起こさねばならない。そういう場合は、こちらの言葉に対するお相手の反応を表情から読み取りながら、反応が良くなければアプローチの角度を変えて臨み、またその反応を読み取って、を繰り返すものだ。 しかし堀木さんの表情からは前向きな反応しか読み取れないのだ。私の説得以前に、すでに意欲的な風が吹いてる?
私の話が終わると、堀木さんは微笑みながら、和紙の精神性を語ってくれた。 例えば祝儀袋や熨斗紙(のしがみ)は、不浄とされているお金などを白い和紙で包み込んで浄化する、という考え方があって、神事や祭事にも白い和紙はかかせない。お祭りに引かれる曳山の素材として和紙はぴったりである、と。堀木さんの製作意欲を感じる言葉をたくさんいただいて、とても嬉しい思いになった。
堀木さんがおっしゃるには、ちょうどご親族で家系調査をしていたところ、江戸時代にご先祖様とゆかりのあった三重県四日市で新たなお祭りが生まれていて、今もそのお祭りが続いているのだ、という。なんと、それが鯨にまつわるお祭り、だというのだ。 それもあり鯨の山車(だし)製作に取り組もう、と思ったという。そして私と京都で会う前には鯨のデザインイメージが見えてきたというのだ。
私は感動と嬉しさとともに、本当に不思議な心持ちになった。 鯨の製作依頼と、ご先祖様の話が重なるって、そんな偶然があるものだろうか? そもそも私と堀木エリ子さんが、この2ヵ月前に縁が繋がってこのような展開になっていく。そんな偶然があるものだろうか?
まだまだ不思議は続いた。 堀木さんが意欲的になってくれたことで、次は呼子代表の八幡さんと私の母の同意を得る必要があった。その2週間後に2人を京都に招いたのだが、堀木さんの作品をショールームで見て、そして堀木さんの人間性にも接して、2人とも是非ということになってくれた。
その場で私の母が興味津々のようで、いろいろ堀木さんに話を聞いていた。実は私の姉も和紙の修行をして、今は辞めてしまったが和紙職人であったこともあり、母は堀木さんの経歴に興味を持ったのだ。母から歓声があがった。 なんと、姉が修行していた福井県の老舗の和紙工房で、堀木さんも修行していたのだ。しかも同時期に。なので共通の知り合いの名前が出てくる。そうそうないレベルの縁である。
私はありえない縁の連鎖に、頭が焼かれたようにボーっとしてしまった。こんなことがあっていいのだろうか?
ふと日本の風習や思想に精通している知り合いから聞いていた言葉が頭をよぎった。 「偶然のように感じることも、大きな運命のうねりの一部であり、偶然のようで必然。それを昔の人は、神仕組み、と言ったんだ。」 特に、お祭りとかご神事に関わること周辺では、不思議な偶然がたくさん起こる、と聞いていた。それは大きな必然の歯車に人が動かされていく仕組みなのであり、その意志に逆らうところには厳然たる逆風と不遇が舞い起こり、意志に沿った行動には追い風のように縁が繋がっていく、と言う。
まさに鯨で祭りを興そうというこの活動そのものが、縁を引き寄せていってるのだろうか?否、大きな運命のうねりが、縁をはりめぐらせ、この活動をも産みだしているのかもしれない。そう考えないと説明がつかない、と渦中にいる自分は感じていた。
何にせよ進展があったとはいえ、まだ何事も成していない段階なので、浮つくわけにはいかない。気を引き締めていかねばらならないのだ。事を成した時にはじめて、この不思議の何かしらが証明されるのだから。
ルーブル美術館にも展示された立体漉き和紙の作品が京都のホテルにある。 ネットでこの写真を見て鯨も作れるのではと思ったのだ。
~次号:曳山製作と奉納
前回の記事: 遺志を継承、曳山を製作する 地方創生〜鯨の町おこしを最初から読む: 地方創生〜鯨の町おこしvol.1
アミナコレクション創業者 進藤幸彦の次男坊。2010年に社長に就任。 1975年生まれ。自然と歴史と文化、それを巡る旅が好き。
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地方創生〜鯨の町おこし
和紙作家の堀木エリ子さんにメールを送ることにした。
お祭りの山車(だし)を和紙で製作して欲しい旨を、つらつらと書き連ねていった。父の遺志に叶い、かつ呼子の町の方々から喜んでいただける曳山は、堀木エリ子さんにしか作れない。すでにそんな思いになっていた。
しかし著名な方で、まだ一度しかあったことのない方だし、いきなり意気投合できるイメージがあるわけがない。しかし、まずは動かないことには何も分からない。腹をくくって思い切って送信してみた。
その日のうちに返ってきた堀木エリ子さんからのメールには、立体和紙で曳山を作ることの必然性に疑問を投げかける内容が書かれていた。きちんと考えないといけない、と。至極ごもっともで、堀木さんの言葉に対して明解に返せる言葉が全然出てこなかった。
とはいえ、あきらめるわけにはいかない。出来ることをやるのだ。私が出来ることは、とにかく会って話す、アポをとることだけであった。「とにかく話を聞いてほしい」と。
それから1ヵ月が経ち、2021年の正月が明けた真冬の寒い日のこと。堀木さんのオフィスのある京都へ新幹線で向かっていた。
晴天で澄んだ空に映える富士山を眺めながら、「どうやったら説得できるのだろう?」あらゆる角度で考えた。なぜだろう?堀木さんの他に選択肢はないと思い詰めてる自分がいた。であるのに、何もアイデアが湧かない。自分の中が空っぽのまま、堀木さんのオフィスに着いてしまったのだ。
堀木さんのオフィスに着くと、まずは社員の女性の方にショールームに案内された。
堀木さんの和紙は建築で使える革新的なもので、特異な巨大さや耐久性、その芸術性、それぞれの特性がショールームで紹介していただける。立体的に漉いた和紙のオブジェも見ることができた。あまりに素晴らしく興味深かったので、食い入るように説明を聞いてしまって、もう堀木さんを説得する言葉を考える隙間がなかった。ほんとうに空っぽのまま堀木さんとの話し合いの場についてしまったのだ。メールと同じ内容を投げかけられたら、何も答えられないだろう。これは、まずい。
堀木さんと数カ月ぶりにお会いして向かい合った。堀木さんはスラッとした長身で、全身から品良くみなぎるパワーというか、研ぎ澄まされた空気を発する方で、一緒にいて心が明るくなれる。
私はとにかく、なぜ和紙でなければいけないのか、堀木さんのお力が必要なのかを、ちゃんと説明しようと意気込んだ。
説明をしながら、あれ?と思った。お相手にやる気になっていただけねばならない。逆風もしくは無風状態から、とにかく前向きの風を起こさねばならない。そういう場合は、こちらの言葉に対するお相手の反応を表情から読み取りながら、反応が良くなければアプローチの角度を変えて臨み、またその反応を読み取って、を繰り返すものだ。
しかし堀木さんの表情からは前向きな反応しか読み取れないのだ。私の説得以前に、すでに意欲的な風が吹いてる?
私の話が終わると、堀木さんは微笑みながら、和紙の精神性を語ってくれた。
例えば祝儀袋や熨斗紙(のしがみ)は、不浄とされているお金などを白い和紙で包み込んで浄化する、という考え方があって、神事や祭事にも白い和紙はかかせない。お祭りに引かれる曳山の素材として和紙はぴったりである、と。堀木さんの製作意欲を感じる言葉をたくさんいただいて、とても嬉しい思いになった。
堀木さんがおっしゃるには、ちょうどご親族で家系調査をしていたところ、江戸時代にご先祖様とゆかりのあった三重県四日市で新たなお祭りが生まれていて、今もそのお祭りが続いているのだ、という。なんと、それが鯨にまつわるお祭り、だというのだ。
それもあり鯨の山車(だし)製作に取り組もう、と思ったという。そして私と京都で会う前には鯨のデザインイメージが見えてきたというのだ。
私は感動と嬉しさとともに、本当に不思議な心持ちになった。
鯨の製作依頼と、ご先祖様の話が重なるって、そんな偶然があるものだろうか?
そもそも私と堀木エリ子さんが、この2ヵ月前に縁が繋がってこのような展開になっていく。そんな偶然があるものだろうか?
まだまだ不思議は続いた。
堀木さんが意欲的になってくれたことで、次は呼子代表の八幡さんと私の母の同意を得る必要があった。その2週間後に2人を京都に招いたのだが、堀木さんの作品をショールームで見て、そして堀木さんの人間性にも接して、2人とも是非ということになってくれた。
その場で私の母が興味津々のようで、いろいろ堀木さんに話を聞いていた。実は私の姉も和紙の修行をして、今は辞めてしまったが和紙職人であったこともあり、母は堀木さんの経歴に興味を持ったのだ。母から歓声があがった。
なんと、姉が修行していた福井県の老舗の和紙工房で、堀木さんも修行していたのだ。しかも同時期に。なので共通の知り合いの名前が出てくる。そうそうないレベルの縁である。
私はありえない縁の連鎖に、頭が焼かれたようにボーっとしてしまった。こんなことがあっていいのだろうか?
ふと日本の風習や思想に精通している知り合いから聞いていた言葉が頭をよぎった。
「偶然のように感じることも、大きな運命のうねりの一部であり、偶然のようで必然。それを昔の人は、神仕組み、と言ったんだ。」
特に、お祭りとかご神事に関わること周辺では、不思議な偶然がたくさん起こる、と聞いていた。それは大きな必然の歯車に人が動かされていく仕組みなのであり、その意志に逆らうところには厳然たる逆風と不遇が舞い起こり、意志に沿った行動には追い風のように縁が繋がっていく、と言う。
まさに鯨で祭りを興そうというこの活動そのものが、縁を引き寄せていってるのだろうか?否、大きな運命のうねりが、縁をはりめぐらせ、この活動をも産みだしているのかもしれない。そう考えないと説明がつかない、と渦中にいる自分は感じていた。
何にせよ進展があったとはいえ、まだ何事も成していない段階なので、浮つくわけにはいかない。気を引き締めていかねばらならないのだ。事を成した時にはじめて、この不思議の何かしらが証明されるのだから。
ルーブル美術館にも展示された立体漉き和紙の作品が京都のホテルにある。
ネットでこの写真を見て鯨も作れるのではと思ったのだ。
~次号:曳山製作と奉納
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地方創生〜鯨の町おこしvol.1
筆者プロフィール:進藤さわと
アミナコレクション創業者 進藤幸彦の次男坊。2010年に社長に就任。
1975年生まれ。自然と歴史と文化、それを巡る旅が好き。