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ここ10年~20年の間でしょうか、 デニム地やデニム柄のアイテムってものすごく増えたと感じませんか?
世代的に、「デニム=ジーパンもしくはジージャン」と連想してしまいますが、今ではファッションのみならず小物やインテリア、それこそ壁紙にまでデニム調のデザインが豊富にあるそうです。
そんな馴染み深いデニムですが、いつ、何のために生まれたのかご存知でしょうか。
フランスの南部に位置する都市ニーム 古代ローマ帝国の遺産が多く残る、歴史の深い街です。
ニームでは17世紀頃から絹の織物産業が盛んになり、そこで生まれた綿織物はニーム地方の織物を意味する「セルジュ・ドゥ・ニーム」と呼ばれていました。 英語圏で取引されるようになってから、「デ・ニーム」と前半部分のみ短縮され、やがて「デニム」に変化していったと言われています。
18世紀になると海外へ輸出されるようになり、イタリアのジェノアに渡ります。 船乗り達が穿く丈夫なズボンとして着用され、その姿を見た人が彼らの衣服を「ジェンズ」もしくは「ジェノイーズ」と称し、これが「ジーンズ」へと変化したという説や、ジェノアを意味するフランス語「Gene(ジェーヌ)」が変化したという説があります。
私たちが聞きなれているデニムやジーンズという言葉の語源はヨーロッパにあったのですね。
しかしながらこの段階ではまだ私たちが想像するジーンズにはなっていないのです。
19世紀半ば、アメリカ ネバダ州で仕立屋を営んでいたヤコブ・デイビスは、生計を立てるために様々な依頼を受けていました。 一人の客から「丈夫なパンツを作ってほしい」という依頼を受けたヤコブは、別の依頼で製作していた馬具に使用するリベット(金属鋲)が目に入り、キャンバス生地の縫い目とポケット部分にリベットを打ち込んだパンツを作製し納品します。
150余年経った今では世界中で親しまれるファッションとなったジーンズの原型が作られた偉大な出来事ですが、ヤコブにとってそれは数ある依頼のひとつをこなしただけであり、大した手法とも思っていませんでした。 ところが、リベットパンツの耐久性は評判を呼び、次々と注文が舞い込み始め、ついには生産が追い付かなくなるまでになります。
そして次第にその成功を妬む者が現れだしたことをきっかけに、リベットパンツのアイデアを守ろうと特許取得を決意したヤコブでしたが、出願に掛かる費用は一人では到底捻出することができないほど高かった為、生地の仕入元であるリーバイ・ストラウス&カンパニーのリーバイ・ストラウスに、「費用を折半してくれた際には権利の半分を譲る」という提案内容の手紙を宛て、協力を仰ぎます。
その提案に対しリーバイが即座に許諾したことで、なんとか申請までこぎ着けますが、リベットを打ち込むという技術はすでに革靴などで使用されていた為、あっけなく棄却されてしまいます。 約10カ月の間、何度も申請内容を精査し続けた結果、「ポケット開口部の補強リベット」という特許を取得することができたのでした。
申請が棄却され続けている間、それでもリベット付きパンツの可能性を確信していたリーバイは、サンフランシスコにテーラーショップを開き、ヤコブをリーバイ・ストラウス&カンパニーに迎え入れます。 ヤコブは仕立屋になる前に様々な事業で失敗し繰り返した過去があり、リベット付きパンツでやっと成功を掴めると思った矢先に高額な特許申請を繰り返すという厳しい状況であった為、安定した会社で社員として働くことを選んだのでしょう。 特許取得後、需要が伸び続けたリベット付きパンツを大量生産するために、リーバイはリーバイ・ストラウス社初の工場を建設するのですが、ヤコブは生産監督者としてその工場を任され、残りの人生をそこで勤め上げました。
ちなみに、リーバイ・ストラウス&カンパニーという正式名称だとあまりピンとこない方もいると思いますが、Levi‘sといえばお分かりですよね。 リーバイはLevi’sの創業者。 ヤコブはこの世にジーンズを生み出し、Levi‘s初の工場長となった人物だったのです。
そしてさらに、 ヤコブの孫の名前はベン・デイビス...
勘のいい方はお気づきでしょう。 そうです。 後に「BEN DAVIS」を立ち上げるベン・デイビスの祖父でもあったのです。
もし仮にヤコブが個人で特許を取り、成功を収めていたら、Levi‘sはこれほどまでに大きくなっていなかったかも知れませんし、BEN DAVISはそのブランドすら存在しなかった可能性もあると思うと、感慨深いものがありますね。
ヤコブがリーバイに協力を仰いだ際、当時すでに織物の卸売りで成功を収めていたリーバイが即座に出資することを決断した理由は何だったのでしょうか。
それは当時のアメリカ カリフォルニア州で起きたゴールドラッシュが浅からぬ影響を及ぼしていそうです。
ことの発端はカリフォルニア州サクラメントで土地開拓をしていた作業員が金を発見たことから始まります。 「カリフォルニアで金が採れる!!」という話は瞬く間に広がり、アメリカ全土や海外から30万人以上もの人が一攫千金を夢見て集まりました。
今日までに数百億ドルにもなる金が発見されていますが、莫大な富を得た者は極少数で、ほとんどの者は来た時と変わらない資産のまま帰ることになったそうですが、本当に儲かったのはゴールドラッシュに集まった人々に物資やサービスを提供したサプライヤーの方だったと言われています。
リーバイはそういった需要に早くから目をつけ、作業員のテントや荷馬車の幌を作るために必要なキャンバス帆布を販売していたが、ヤコブからの手紙が届いたのはちょうどその頃だった。 金の採掘では常に土と水にさらされ、作業着はすぐにボロボロになってしまっていた為、ヤコブのアイデアやノウハウを用い、丈夫なワークウェアを販売した際の需要は「テントや幌とは比較にならない!!」と、ただならぬお金のにおいを感じ即決したのではないでしょうか。
そういった背景があったことでトントン拍子に話が進み、丈夫なワークウェアを作る条件は整いましたが、作業で使うには汚れが目立ちすぎるという問題がありました。
その対策として、インド産の青の染料であるインディゴブルーを使い、泥汚れがいちばん目立ちにくい濃紺に染色しました。 当時、インディゴブルーには防虫効果に加え、採掘者たちにとって最大の恐怖であったガラガラ蛇を追い払う効果があると信じられており、機能だけでなくその色が爆発的に売れることに理由となったそうです。
こうしてリーバイは実際の金を掘り当てずとも富を得ることとなったのです。
デニム・ジーンズという名前の由来、インディゴブルーである理由 色々分かってきましたが、ジーパンって何なんでしょう。
実は、よくわからないんです(笑)
・「ジーンズ」+「パンツ」の和製英語 ・G.I.(アメリカの軍人の俗称)が穿いていたパンツだから ・jeansのJを取り、Jパンと名付けようとしたが、元の発音に近いGを当てた と諸説あるそうです。
「馴染み深いデニム」という言葉からスタートしましたが、調べてみると馴染んでいたのは「インディゴブルーの綾織り生地」であり、デニムやジーンズというものに対する知識は全く持っていませんでした。
ジーンズが生まれてからそれほど長い年月は経っていないけど、ヴィンテージジーンズの定義ってなんだ? その他のジーンズブランドはどれくらいの歴史があるんだろう? 50〇、XX、赤耳...
なんてことも気になってきますね。。。
以上、最後までお読みくださいましてありがとうございました。
ここ10年~20年の間でしょうか、
デニム地やデニム柄のアイテムってものすごく増えたと感じませんか?
世代的に、「デニム=ジーパンもしくはジージャン」と連想してしまいますが、今ではファッションのみならず小物やインテリア、それこそ壁紙にまでデニム調のデザインが豊富にあるそうです。
そんな馴染み深いデニムですが、いつ、何のために生まれたのかご存知でしょうか。
目次
デニムが生まれたのはフランス?!
フランスの南部に位置する都市ニーム
古代ローマ帝国の遺産が多く残る、歴史の深い街です。
ニームでは17世紀頃から絹の織物産業が盛んになり、そこで生まれた綿織物はニーム地方の織物を意味する「セルジュ・ドゥ・ニーム」と呼ばれていました。
英語圏で取引されるようになってから、「デ・ニーム」と前半部分のみ短縮され、やがて「デニム」に変化していったと言われています。
18世紀になると海外へ輸出されるようになり、イタリアのジェノアに渡ります。
船乗り達が穿く丈夫なズボンとして着用され、その姿を見た人が彼らの衣服を「ジェンズ」もしくは「ジェノイーズ」と称し、これが「ジーンズ」へと変化したという説や、ジェノアを意味するフランス語「Gene(ジェーヌ)」が変化したという説があります。
私たちが聞きなれているデニムやジーンズという言葉の語源はヨーロッパにあったのですね。
しかしながらこの段階ではまだ私たちが想像するジーンズにはなっていないのです。
ジーンズは偶然から生まれた?
19世紀半ば、アメリカ ネバダ州で仕立屋を営んでいたヤコブ・デイビスは、生計を立てるために様々な依頼を受けていました。
一人の客から「丈夫なパンツを作ってほしい」という依頼を受けたヤコブは、別の依頼で製作していた馬具に使用するリベット(金属鋲)が目に入り、キャンバス生地の縫い目とポケット部分にリベットを打ち込んだパンツを作製し納品します。
150余年経った今では世界中で親しまれるファッションとなったジーンズの原型が作られた偉大な出来事ですが、ヤコブにとってそれは数ある依頼のひとつをこなしただけであり、大した手法とも思っていませんでした。
ところが、リベットパンツの耐久性は評判を呼び、次々と注文が舞い込み始め、ついには生産が追い付かなくなるまでになります。
そして次第にその成功を妬む者が現れだしたことをきっかけに、リベットパンツのアイデアを守ろうと特許取得を決意したヤコブでしたが、出願に掛かる費用は一人では到底捻出することができないほど高かった為、生地の仕入元であるリーバイ・ストラウス&カンパニーのリーバイ・ストラウスに、「費用を折半してくれた際には権利の半分を譲る」という提案内容の手紙を宛て、協力を仰ぎます。
その提案に対しリーバイが即座に許諾したことで、なんとか申請までこぎ着けますが、リベットを打ち込むという技術はすでに革靴などで使用されていた為、あっけなく棄却されてしまいます。
約10カ月の間、何度も申請内容を精査し続けた結果、「ポケット開口部の補強リベット」という特許を取得することができたのでした。
ヤコブとリーバイ
申請が棄却され続けている間、それでもリベット付きパンツの可能性を確信していたリーバイは、サンフランシスコにテーラーショップを開き、ヤコブをリーバイ・ストラウス&カンパニーに迎え入れます。
ヤコブは仕立屋になる前に様々な事業で失敗し繰り返した過去があり、リベット付きパンツでやっと成功を掴めると思った矢先に高額な特許申請を繰り返すという厳しい状況であった為、安定した会社で社員として働くことを選んだのでしょう。
特許取得後、需要が伸び続けたリベット付きパンツを大量生産するために、リーバイはリーバイ・ストラウス社初の工場を建設するのですが、ヤコブは生産監督者としてその工場を任され、残りの人生をそこで勤め上げました。
ちなみに、リーバイ・ストラウス&カンパニーという正式名称だとあまりピンとこない方もいると思いますが、Levi‘sといえばお分かりですよね。
リーバイはLevi’sの創業者。
ヤコブはこの世にジーンズを生み出し、Levi‘s初の工場長となった人物だったのです。
そしてさらに、
ヤコブの孫の名前はベン・デイビス...
勘のいい方はお気づきでしょう。
そうです。
後に「BEN DAVIS」を立ち上げるベン・デイビスの祖父でもあったのです。
もし仮にヤコブが個人で特許を取り、成功を収めていたら、Levi‘sはこれほどまでに大きくなっていなかったかも知れませんし、BEN DAVISはそのブランドすら存在しなかった可能性もあると思うと、感慨深いものがありますね。
耐久性の高いワークウェアが求められた理由
ヤコブがリーバイに協力を仰いだ際、当時すでに織物の卸売りで成功を収めていたリーバイが即座に出資することを決断した理由は何だったのでしょうか。
それは当時のアメリカ カリフォルニア州で起きたゴールドラッシュが浅からぬ影響を及ぼしていそうです。
ことの発端はカリフォルニア州サクラメントで土地開拓をしていた作業員が金を発見たことから始まります。
「カリフォルニアで金が採れる!!」という話は瞬く間に広がり、アメリカ全土や海外から30万人以上もの人が一攫千金を夢見て集まりました。
今日までに数百億ドルにもなる金が発見されていますが、莫大な富を得た者は極少数で、ほとんどの者は来た時と変わらない資産のまま帰ることになったそうですが、本当に儲かったのはゴールドラッシュに集まった人々に物資やサービスを提供したサプライヤーの方だったと言われています。
リーバイはそういった需要に早くから目をつけ、作業員のテントや荷馬車の幌を作るために必要なキャンバス帆布を販売していたが、ヤコブからの手紙が届いたのはちょうどその頃だった。
金の採掘では常に土と水にさらされ、作業着はすぐにボロボロになってしまっていた為、ヤコブのアイデアやノウハウを用い、丈夫なワークウェアを販売した際の需要は「テントや幌とは比較にならない!!」と、ただならぬお金のにおいを感じ即決したのではないでしょうか。
そういった背景があったことでトントン拍子に話が進み、丈夫なワークウェアを作る条件は整いましたが、作業で使うには汚れが目立ちすぎるという問題がありました。
その対策として、インド産の青の染料であるインディゴブルーを使い、泥汚れがいちばん目立ちにくい濃紺に染色しました。
当時、インディゴブルーには防虫効果に加え、採掘者たちにとって最大の恐怖であったガラガラ蛇を追い払う効果があると信じられており、機能だけでなくその色が爆発的に売れることに理由となったそうです。
こうしてリーバイは実際の金を掘り当てずとも富を得ることとなったのです。
結局、ジーパンってなんなん?
デニム・ジーンズという名前の由来、インディゴブルーである理由
色々分かってきましたが、ジーパンって何なんでしょう。
実は、よくわからないんです(笑)
・「ジーンズ」+「パンツ」の和製英語
・G.I.(アメリカの軍人の俗称)が穿いていたパンツだから
・jeansのJを取り、Jパンと名付けようとしたが、元の発音に近いGを当てた
と諸説あるそうです。
「馴染み深いデニム」という言葉からスタートしましたが、調べてみると馴染んでいたのは「インディゴブルーの綾織り生地」であり、デニムやジーンズというものに対する知識は全く持っていませんでした。
ジーンズが生まれてからそれほど長い年月は経っていないけど、ヴィンテージジーンズの定義ってなんだ?
その他のジーンズブランドはどれくらいの歴史があるんだろう?
50〇、XX、赤耳...
なんてことも気になってきますね。。。
以上、最後までお読みくださいましてありがとうございました。