【神社百選】箱根神宮


神社dada
●御祭神
箱根大神
ニニギノミコト・コノハナサクヤヒメ
ヒコホホデミノミコト
●創 建
天平宝字元年(西暦757年)
〒250ー0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根
【神社百選】箱根001

箱根神社の本殿向かって右の位置に九頭龍神社の新宮がある。平成十一年(二〇〇〇)に湖畔から分祀したもの。旧社は湖の奥「九頭龍の森」の敷地内にあった。新宮の建立で便利になったせいか、縁結びに良いと参拝客が大幅に増えた。

天平宝字元年(七五七年)神仏習合の神宮寺を各地に建てていた萬巻上人は連日連夜の読経をして毒龍と対決した。

「上人が発する霊波は、まともに毒龍の脳波を直撃し、必死の祈りは、楔のように打ち込まれた。萬巻上人の読経が功を奏したのか、怒涛逆巻き、天地も覆さんばかりの暴龍が、ものすごい勢いで天空に舞い上がり、上人を目掛けたけれども、もんどりうってひっくり返った。のた打ち回ってもがき苦しみ、なおも暴れたけれども、やがて心も根も尽き果てたのか、さかさまに湖の奥底深く沈潜して行く」(注)そうして龍は湖の逆さ杉というあたりにすがたを隠したという。

その後、上人は村の人達の献身的な協力で立派な神社を建てたという。

【神社百選】箱根002

上人の伝説以前の話としては元宮のある駒ケ岳が無視できない。駒ケ岳の山容自体、箱型の特異な形をしており、現在はロープウエーで七分で登れるようになっている。元宮は西武グループの奉納によるものである。その前には「馬降石」という磐座のような岩があり、注連縄が廻っている。この岩には上に幾つかの穴があり、そこには水が貯まっていてどんな日照りでも枯れることが無いと言われている。

ここに祀られていたのはアメノミナカヌシノカミ、タカミムスビノカミ、カミムスビノカミと言う造化三神である。萬巻上人がここに来る前は聖占仙人、利行仙人、玄利仙人など仙人が駒ケ岳の西にそびえる神山を御神体山とし駒ケ岳、湖を崇める祭祀を行っていたといわれる。しかし千三百メートルを越える寒冷で不毛な土地でどうやって暮らしていたか想像もつかない。

記紀以前の神話を伝えるヲシテ文献ではアヤと呼ばれる各章の二四番目に箱根の事が出てくる。其れによると第九代のアマテルと言う天皇、これは縄文時代の晩期と思われる時期(今から三千年前)、別名アメノオシホミミが自分の寿命を悟り、二人の子に「民を自分の物と思ってはならない。民は国の元であり、民を成り立たせているのは田である。アマカミは民のためのアマカミである」と教え、自分を箱根に葬るよう遺言した。

箱根神社の現在地にはその墓地と伝えられる土地も伝説も残っていない。

ただ萬巻上人の墓地のみ裏山の国道脇の鳥居の側に眠っている。

【神社百選】箱根003

現在、芦ノ湖の龍神伝説の名残として、八月一日の例祭の宵宮祭りとして、三十一日湖水祭が行われる。九頭龍神社の神前に、御供(ごく=三升三合三勺の赤飯)とお神酒と塩を献じて、祝詞を奏して神楽を舞い、祈願をこめた後、御供を唐櫃に収めて、奉持し行列して湖畔へ。御供船、楽船(演奏)、お伴船の順で桟橋から進発する。

しかし湖上の大鳥居から先は宮司が一人で御供船で湖心に向かい、逆さ杉のあたりで御供を献納する。宮司は精進潔斎し、忌み篭りして奉仕し、お炊きあげを新調のお櫃に入れて用意する。いっさい他の人の手は借りず不浄のさわりが有ってはいけないと、他人がうかがい見ることも禁じられている。宮司にとっては天候の悪い時など霧に閉じ込められたりして方角もわからなくなり、恐怖に駆られることもある修行のような行事だそうだ。

【神社百選】箱根005

久頭龍の なぞ秘めしか
紺碧の 色底ふかき 芦ノ湖の水

江戸初期に作られた「すみれ庵」には色んな和歌の碑が立っている。

すみれ摘みとはあらねども
一夜寝て
あくる箱根の別れこそあれ
(近衛信尹)

山路来て なにやらゆかし すみれ草
(芭蕉)

たまくしげ 箱根のみうみ
けけれあれや ふた国かけて
なかにたゆたふ
※「けけれ」は「心」の意  (源 実朝)

『詩でたどる日本神社百選』

進藤彦興著 『詩でたどる日本神社百選』から抜粋





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