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はじめまして!私は 昭 アンクール 山本 チブ と言います。 インド名のアンクール・チブと日本名の山本 昭が合わさってフルネームになるんです。
とても長い名前だと思いませんか?名前を書き終える頃には、“ペンのインクが切れる”と冗談”を言うことがあります。 でも、20年前までは私の名前は山本昭(アンクル・チブ)これが私の名前でした。 名前にカッコがあるなんておかしな話ですよね。 20年前、正式に名前を変更し、カッコを削除した時、とてもうれしかったのを覚えています。
私は1976年にインド人の父と日本人の母の間に生まれました。私の母は仕事で日本を訪れた父と出会い、結婚をしてインドに住むようになってから50年になろうとしています。 でも、ヒンディー語は馴染まず、辛いものが食べられず、インドのフルーツの王様であるマンゴーに対してはアレルギーがあります。
私が子供の頃、家での共通言語は英語でした。母は私に日本語で話しかけていました。たぶん日本語も教えてくれていたのだと思います。 でも、インドでは日本語を話す人がほとんどいませんでした。 母の使う日本語は私にはとても煩わしく、私からの返事はほとんど英語でした。でも、今思えば私は当時、とても恥ずかしがり屋で、なるべく目立たないようにする為に友達や隣近所にも日本語を聞かれたくなかったのだと思います。
私が日本語を話すと知っている学校の友達は、この言葉を日本語で何て言うの?と、わざと恥ずかしい言葉を聞いてきます。私が知る限りこの言葉は日本にはありません。しかし、この質問に答えられない私を見て友達は楽しむのです。 これは若者の間に共通する一種の言語テストで、おかげで私もこの言葉に対しては多くの言語を学びました。
私と父の会話は基本的に英語です。父は私と英語で話すことを好みました。もちろん時と場合によってはヒンディー語が混ざったりもします。 その場合、本当に自然に言語が移りかわります。英語からヒンディー語へ、そしてヒンディー語から英語へ。 これはインド人としての感覚的なものかもしれません。そこに理由はなく私が使いやすいと思う言語を自動的に選択しているようなのです。
私が日本語を学習するようになったのはもっとずっと後のことでした。 そして今では、母の日本語に日本語で返事ができます。
インドの主要言語は17言語があります。これは方言ではありません。文法含め言葉そのものが違っています。 この17言語の内、私は英語とヒンディー語が話せます。英語も主要言語として含まれています。 その証拠にインドの紙幣の表には英語とヒンディー語の表記があり、裏には15の言語で表記がされています。私はこの15言語は話すことも読むことも書くこともできません。
もし、インドを車で旅した場合、200㎞ごとに言葉が変わっていきます。 言葉の変化が少ない場合もありまが、距離を進めば進むほどその違いは大きなものになって行きます。その為、小さい地域の中にたくさんの言葉が存在するという点で、インドはよくヨーロッパの言語の多さと比較されます。
そんなインドの中でも大きく3つの言語が主要と言われています。
一つは北インドで話されるヒンディー語。インドの国語と言ってもいいでしょう。 一つはタミル語。インドの南部全域で使われています。ヒンディー語がインドの公用語と発表された時、タミル語を話す人々からたくさんの反対に遭いました。 そしてもう一つが英語。これは都市部でしか使用されていません。私は時々南インドへ行くのですが生まれ育った国であるにも関わらず自分が外国人であると感じさせられます。ルピーが使えること、滞在にVisaが必要ないことでここはインドだと認識できます。
インドでは全ての教科を英語で教えているところは少なくありません。私もそういった学校で勉強し、私にとっても英語が一番使い易いと思っています。
私の妻は日本人です。偶然にも母と同じ静岡県出身です。私には3人の息子がいます。
- 山本チブ ヴィール武流(タケル)7歳 - 山本チブ アーディ大豪(ダイゴ)12歳 - 山本チブ ジャイ蓮14歳
私と妻は日本語で会話をします。妻は子供たちとも日本語で話します。子供たちもそれに日本語で答えます。私は子供たちに英語で話しかけます。子供たちも英語で答えます。子供たちが友達と話す時は英語とヒンディー語が混ざります。彼らは買い物したり、公共の乗り物を使用する時はヒンディー語を使っています。
彼らは言葉を覚えるのと同時に、誰にどの言葉を使うのか覚えて行きました。それは家族だけでなく外部の人たちに対してもです。自然に誰に何語を使うか判断しています。 日本人に対して日本語を使うのは比較的簡単です。相手がインド人の場合でも英語とヒンディー語を使い分けています。それは国籍という観点だけではなく服装や癖、動き等から瞬時に判断していると私は考えています。
日本語を話すインド人やヒンディー語を話す日本人が家に来ることがあります。その時、彼らの目は大きく見開き驚きを隠せません。 彼らにとってそれはとても不自然であり、そこに何か大きなトリックが隠されているような気持ちを与えるようです。
家で何かおかしなことがあったり、冗談を言っている時の息子たちはとても面白いです。 例えば夕飯の時、妻が面白いことを言います。それを英語で私に伝えようと説明するのですが、アメリカンジョークが日本人にとって面白くないのと同じで、英語で説明、翻訳した時点でそれは全く面白くないものになってしまいます。でも、それを一生懸命笑いながら説明する様子が冗談よりも面白いです。
息子たちが学校へ通う歳になった時、妻はリュックサックの代わりにランドセルを持たせたいと言いました。インドの学校ではランドセルを使いません。映画の中でみる学生のようにリュックサックや手持ちの鞄を使います。 私は子供たちがハルクやスパイダーマンの鞄と比べられて、学校で笑いものにされるのではないかと心配しました。
学校が始まって少ししてから、私はランドセルを使うことに問題がないか尋ねました。するとランドセルは“のび太くん”のようだと他の子どもたちが欲しがり、とても人気だと言うのです。ドラえもんの人気はすごい!と思いました。
日本の学生と比べるとインドの学生は運動量が不足しています。その為、長男が6歳の時、学校のあと空手教室に通わせることにしました。 他の国ではわかりませんがインドでは空手の師範が数字を日本語で数えます。“一、二、三、四……”他にも日本語を要所要所で使っています。
空手を始めて数週間経った頃、息子が空手を辞めたいと言い出しました。その理由は“空手の先生の日本語が間違っている”からでした。家族で相談をして空手を続けるようにしました。
数日後息子を迎えに行くと空手が終わるのが少し遅く、よく見ると6歳の息子と空手の師範が深刻そうに話をしていました。 終わってから“先生と何を話していたの?”と聞くと“正しい日本語の発音で数をかぞえれるように先生に教えてたの。”と。8年経った今も息子は空手を習い続けています。
人の性格は話す言葉で変わると思いますか?私はヒンディー語で話す時は攻撃的になると言われます。 日本語で話す時が一番落ち着いていて、英語で話す時が一番表現が豊かなんだと思います。だから、話す言葉で性格が変わると思いますがそれは変なのでしょうか。
私はよく何語で夢をみているのか聞かれます。うーーーんとすごくよく考えてから登場人物によるかな?と答えます。 日本人が出てくれば日本語、インド人が出てくればヒンディー語、と考えるとバイリンガルな夢もみていると思います。
夢と同じくらいよく聞かれるのが、何語で物事を考えるか。ということ。 例えばこの文章は英語で考えてから日本語に訳しています。2重の作業になりとても大変そうですが、実はとてもスムーズに考えを移行しています。
軽い話でこの話を終わりたいと思います。
先日昔からの友達に会いました。 彼女が“一番ストレスを感じる言語はどれか”と聞いてきたので、自然な流れで“英語は一番自分に慣れ親しんでいる言葉だと思うから、多分日本語かな。”と答えると彼女は“奥さんと何語で話すの?”と私は焦りながら答えました“……日本語”と。
1976年にインド人の父と日本人の母の間に生まれ、日本人の妻と、3人の息子たちとインドで生活している。 英語と日本語とヒンディー語を使い分けているトリリンガル。
はじめまして!私は 昭 アンクール 山本 チブ と言います。
インド名のアンクール・チブと日本名の山本 昭が合わさってフルネームになるんです。
とても長い名前だと思いませんか?名前を書き終える頃には、“ペンのインクが切れる”と冗談”を言うことがあります。
でも、20年前までは私の名前は山本昭(アンクル・チブ)これが私の名前でした。 名前にカッコがあるなんておかしな話ですよね。
20年前、正式に名前を変更し、カッコを削除した時、とてもうれしかったのを覚えています。
私は1976年にインド人の父と日本人の母の間に生まれました。私の母は仕事で日本を訪れた父と出会い、結婚をしてインドに住むようになってから50年になろうとしています。
でも、ヒンディー語は馴染まず、辛いものが食べられず、インドのフルーツの王様であるマンゴーに対してはアレルギーがあります。
私が子供の頃、家での共通言語は英語でした。母は私に日本語で話しかけていました。たぶん日本語も教えてくれていたのだと思います。
でも、インドでは日本語を話す人がほとんどいませんでした。
母の使う日本語は私にはとても煩わしく、私からの返事はほとんど英語でした。でも、今思えば私は当時、とても恥ずかしがり屋で、なるべく目立たないようにする為に友達や隣近所にも日本語を聞かれたくなかったのだと思います。
私が日本語を話すと知っている学校の友達は、この言葉を日本語で何て言うの?と、わざと恥ずかしい言葉を聞いてきます。私が知る限りこの言葉は日本にはありません。しかし、この質問に答えられない私を見て友達は楽しむのです。
これは若者の間に共通する一種の言語テストで、おかげで私もこの言葉に対しては多くの言語を学びました。
私と父の会話は基本的に英語です。父は私と英語で話すことを好みました。もちろん時と場合によってはヒンディー語が混ざったりもします。
その場合、本当に自然に言語が移りかわります。英語からヒンディー語へ、そしてヒンディー語から英語へ。
これはインド人としての感覚的なものかもしれません。そこに理由はなく私が使いやすいと思う言語を自動的に選択しているようなのです。
私が日本語を学習するようになったのはもっとずっと後のことでした。
そして今では、母の日本語に日本語で返事ができます。
インドの主要言語は17言語があります。これは方言ではありません。文法含め言葉そのものが違っています。
この17言語の内、私は英語とヒンディー語が話せます。英語も主要言語として含まれています。
その証拠にインドの紙幣の表には英語とヒンディー語の表記があり、裏には15の言語で表記がされています。私はこの15言語は話すことも読むことも書くこともできません。
もし、インドを車で旅した場合、200㎞ごとに言葉が変わっていきます。
言葉の変化が少ない場合もありまが、距離を進めば進むほどその違いは大きなものになって行きます。その為、小さい地域の中にたくさんの言葉が存在するという点で、インドはよくヨーロッパの言語の多さと比較されます。
そんなインドの中でも大きく3つの言語が主要と言われています。
一つは北インドで話されるヒンディー語。インドの国語と言ってもいいでしょう。
一つはタミル語。インドの南部全域で使われています。ヒンディー語がインドの公用語と発表された時、タミル語を話す人々からたくさんの反対に遭いました。
そしてもう一つが英語。これは都市部でしか使用されていません。私は時々南インドへ行くのですが生まれ育った国であるにも関わらず自分が外国人であると感じさせられます。ルピーが使えること、滞在にVisaが必要ないことでここはインドだと認識できます。
インドでは全ての教科を英語で教えているところは少なくありません。私もそういった学校で勉強し、私にとっても英語が一番使い易いと思っています。
私の妻は日本人です。偶然にも母と同じ静岡県出身です。私には3人の息子がいます。
- 山本チブ ヴィール武流(タケル)7歳
- 山本チブ アーディ大豪(ダイゴ)12歳
- 山本チブ ジャイ蓮14歳
私と妻は日本語で会話をします。妻は子供たちとも日本語で話します。子供たちもそれに日本語で答えます。私は子供たちに英語で話しかけます。子供たちも英語で答えます。子供たちが友達と話す時は英語とヒンディー語が混ざります。彼らは買い物したり、公共の乗り物を使用する時はヒンディー語を使っています。
彼らは言葉を覚えるのと同時に、誰にどの言葉を使うのか覚えて行きました。それは家族だけでなく外部の人たちに対してもです。自然に誰に何語を使うか判断しています。
日本人に対して日本語を使うのは比較的簡単です。相手がインド人の場合でも英語とヒンディー語を使い分けています。それは国籍という観点だけではなく服装や癖、動き等から瞬時に判断していると私は考えています。
日本語を話すインド人やヒンディー語を話す日本人が家に来ることがあります。その時、彼らの目は大きく見開き驚きを隠せません。
彼らにとってそれはとても不自然であり、そこに何か大きなトリックが隠されているような気持ちを与えるようです。
家で何かおかしなことがあったり、冗談を言っている時の息子たちはとても面白いです。
例えば夕飯の時、妻が面白いことを言います。それを英語で私に伝えようと説明するのですが、アメリカンジョークが日本人にとって面白くないのと同じで、英語で説明、翻訳した時点でそれは全く面白くないものになってしまいます。でも、それを一生懸命笑いながら説明する様子が冗談よりも面白いです。
息子たちが学校へ通う歳になった時、妻はリュックサックの代わりにランドセルを持たせたいと言いました。インドの学校ではランドセルを使いません。映画の中でみる学生のようにリュックサックや手持ちの鞄を使います。
私は子供たちがハルクやスパイダーマンの鞄と比べられて、学校で笑いものにされるのではないかと心配しました。
学校が始まって少ししてから、私はランドセルを使うことに問題がないか尋ねました。するとランドセルは“のび太くん”のようだと他の子どもたちが欲しがり、とても人気だと言うのです。ドラえもんの人気はすごい!と思いました。
日本の学生と比べるとインドの学生は運動量が不足しています。その為、長男が6歳の時、学校のあと空手教室に通わせることにしました。
他の国ではわかりませんがインドでは空手の師範が数字を日本語で数えます。“一、二、三、四……”他にも日本語を要所要所で使っています。
空手を始めて数週間経った頃、息子が空手を辞めたいと言い出しました。その理由は“空手の先生の日本語が間違っている”からでした。家族で相談をして空手を続けるようにしました。
数日後息子を迎えに行くと空手が終わるのが少し遅く、よく見ると6歳の息子と空手の師範が深刻そうに話をしていました。
終わってから“先生と何を話していたの?”と聞くと“正しい日本語の発音で数をかぞえれるように先生に教えてたの。”と。8年経った今も息子は空手を習い続けています。
人の性格は話す言葉で変わると思いますか?私はヒンディー語で話す時は攻撃的になると言われます。
日本語で話す時が一番落ち着いていて、英語で話す時が一番表現が豊かなんだと思います。だから、話す言葉で性格が変わると思いますがそれは変なのでしょうか。
私はよく何語で夢をみているのか聞かれます。うーーーんとすごくよく考えてから登場人物によるかな?と答えます。
日本人が出てくれば日本語、インド人が出てくればヒンディー語、と考えるとバイリンガルな夢もみていると思います。
夢と同じくらいよく聞かれるのが、何語で物事を考えるか。ということ。
例えばこの文章は英語で考えてから日本語に訳しています。2重の作業になりとても大変そうですが、実はとてもスムーズに考えを移行しています。
軽い話でこの話を終わりたいと思います。
先日昔からの友達に会いました。
彼女が“一番ストレスを感じる言語はどれか”と聞いてきたので、自然な流れで“英語は一番自分に慣れ親しんでいる言葉だと思うから、多分日本語かな。”と答えると彼女は“奥さんと何語で話すの?”と私は焦りながら答えました“……日本語”と。
筆者プロフィール:
昭 アンクール 山本 チブ
1976年にインド人の父と日本人の母の間に生まれ、日本人の妻と、3人の息子たちとインドで生活している。
英語と日本語とヒンディー語を使い分けているトリリンガル。