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民芸にはいろんな顔があります。 どの顔を思い浮かべながら話しを聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
バックナンバーは こちら から
カルカッタのやわらかい山羊革細工は、国際的に知られた民芸だ。 財布各種やカバンなどカラフルに加工して全世界に輸入されている。
私たちは高山とともに、市内にまだたくさん残っている、植民地時代に造られた古ぼけたビルのひとつをたずねた。
薄暗い一室を作業場にしたそのメーカーでは五、六人の年寄りたちが働いているだけだった。
鉄の鋳型やら、大小さまざまな白っぽい山羊の革やら、型押しした模様にペン先のように細い革で彩色する人たちが見えた。 白髪とベンガルの白いはかま、ドーティを着た社長も八十歳前後である。
ベンガル出身で昔のことを自慢げに、そして懐かしげに話した。
「二十年も前になるね、日本にも、ヨーロッパにもアメリカにもどんどん送っていたね。 もちろんインド国内にもね。作っても間に合わなかった」
今は、飽きられてすっかり下火になったという。 国内の需要が細々と続いているだけだそうだ。
しかし高山が白髪の老人をさえぎった。
「いや、ランドさん、日本の関係者によるとそうじゃないんだって。 デザインを変えたやつが出てきて相変わらず売れてるそうですよ。」
山羊革細工の企画に熱心に取り組んできたスタッフの一人も大きくうなずいた。
一九七〇年の大阪万博頃から売られていた札入れ・二つ折札入れ・コインパースの三点セットは日本中に普及していたが、最近はその絵が変わってきた。 それに形だっていつまでも決まりきった三点セットでもあるまい。
ラシドのところがあまりにも全盛時代の商品にとらわれて、いつの間にか遅れてきてしまったのではないか。 働いている人たちにも若いのがいないではないか。 息子も含めて、若い連中は斜陽産業には興味がないんだ。
とラシドは肩を落とした。
しかし、私たちが次々と新しいデザインの試作品を取り出して、色やサイズのチェックを始めると彼も立ち上がった。 愛らしいポシェットなどに、かなり気を引かれたようだった。
高山がベンガル語で追い打ちをかけた。
「なにしろ、あなたのところは規模は小さいけど老舗で、どこよりも仕事がていねいで確実だと聞いているから。」
ラシドはプライドを刺激されて、「二十年もやってきたからな」と、満足そうにつぶやいた。
翌日には息子もやって来て、久しぶりの輸出話につき合った。 ラシド尾張り切りぶりは相当なものだった。 昔とった杵柄という自信が、体中にみなぎってきたらしい。
フルメンバーでサンプルを作り直すと約束した。 帰りの道々、高山が調べてきたことを解説した。
「もともと、カルカッタの産業というわけじゃないんです。ここから二百キロくらい離れたシャンティニケタンで、ノーベル文学賞の詩人タゴールがヨーロッパで習得してきた技術を、地域の職人に教えたのが始まりだそうです。 それから、ここのおじいちゃんたちが若い時分に、シャンティニケタンまでならいにいったらしいですよ」
「特定カーストの仕事というわけじゃないんですか」
「一般には最下層のカースト、ハリジャンの仕事ですけど、最近は外の人も加わります」
ラシドと高山は喧嘩もしながら、話をまとめていった。
オーダーが決まった頃には二人は兄弟おように親しみ、契約の日には彼と息子とは、クルタとドーティーで正装して来た。 ラシドは右手を高山の肩にまわし、もの言わぬ感謝を示しているようだった。
「これを機会に、また売れるようになれば良いが」
一瞬不安げに言ったラシドを見て、すかさずスタッフが「売れますよ、きっと!」と元気づけた。 彼女にとっても企画担当になってから三年目の勝負どころであり、初めての現地オーダーだったから必死だった。
仕事は双方の熱気のぶつかり合いだ。
新年にぴったりの干支小銭入れ。 職人が一点ずつ革に型押しをし、色付けをして作っています。 今年の干支を選べば、運気UPにも!
ぬくもり溢れるインドの伝統を感じるポーチ。 ミニポーチからウォレットまで、用途に合わせたチョイスが可能。 ぬくもり溢れるインドの伝統を、ご自身の手の中でご体感ください。
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
第一刷 一九九二年九月
民芸にはいろんな顔があります。
どの顔を思い浮かべながら話しを聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
バックナンバーは こちら から
世界民芸曼陀羅 インド編
11 山羊革細工 ~ 再起を図るタゴールの欧州みやげ ~
カルカッタのやわらかい山羊革細工は、国際的に知られた民芸だ。
財布各種やカバンなどカラフルに加工して全世界に輸入されている。
私たちは高山とともに、市内にまだたくさん残っている、植民地時代に造られた古ぼけたビルのひとつをたずねた。
薄暗い一室を作業場にしたそのメーカーでは五、六人の年寄りたちが働いているだけだった。
鉄の鋳型やら、大小さまざまな白っぽい山羊の革やら、型押しした模様にペン先のように細い革で彩色する人たちが見えた。
白髪とベンガルの白いはかま、ドーティを着た社長も八十歳前後である。
ベンガル出身で昔のことを自慢げに、そして懐かしげに話した。
「二十年も前になるね、日本にも、ヨーロッパにもアメリカにもどんどん送っていたね。
もちろんインド国内にもね。作っても間に合わなかった」
今は、飽きられてすっかり下火になったという。
国内の需要が細々と続いているだけだそうだ。
しかし高山が白髪の老人をさえぎった。
「いや、ランドさん、日本の関係者によるとそうじゃないんだって。
デザインを変えたやつが出てきて相変わらず売れてるそうですよ。」
山羊革細工の企画に熱心に取り組んできたスタッフの一人も大きくうなずいた。
一九七〇年の大阪万博頃から売られていた札入れ・二つ折札入れ・コインパースの三点セットは日本中に普及していたが、最近はその絵が変わってきた。
それに形だっていつまでも決まりきった三点セットでもあるまい。
ラシドのところがあまりにも全盛時代の商品にとらわれて、いつの間にか遅れてきてしまったのではないか。
働いている人たちにも若いのがいないではないか。
息子も含めて、若い連中は斜陽産業には興味がないんだ。
とラシドは肩を落とした。
しかし、私たちが次々と新しいデザインの試作品を取り出して、色やサイズのチェックを始めると彼も立ち上がった。
愛らしいポシェットなどに、かなり気を引かれたようだった。
高山がベンガル語で追い打ちをかけた。
「なにしろ、あなたのところは規模は小さいけど老舗で、どこよりも仕事がていねいで確実だと聞いているから。」
ラシドはプライドを刺激されて、「二十年もやってきたからな」と、満足そうにつぶやいた。
翌日には息子もやって来て、久しぶりの輸出話につき合った。
ラシド尾張り切りぶりは相当なものだった。
昔とった杵柄という自信が、体中にみなぎってきたらしい。
フルメンバーでサンプルを作り直すと約束した。 帰りの道々、高山が調べてきたことを解説した。
「もともと、カルカッタの産業というわけじゃないんです。ここから二百キロくらい離れたシャンティニケタンで、ノーベル文学賞の詩人タゴールがヨーロッパで習得してきた技術を、地域の職人に教えたのが始まりだそうです。
それから、ここのおじいちゃんたちが若い時分に、シャンティニケタンまでならいにいったらしいですよ」
「特定カーストの仕事というわけじゃないんですか」
「一般には最下層のカースト、ハリジャンの仕事ですけど、最近は外の人も加わります」
ラシドと高山は喧嘩もしながら、話をまとめていった。
オーダーが決まった頃には二人は兄弟おように親しみ、契約の日には彼と息子とは、クルタとドーティーで正装して来た。
ラシドは右手を高山の肩にまわし、もの言わぬ感謝を示しているようだった。
「これを機会に、また売れるようになれば良いが」
一瞬不安げに言ったラシドを見て、すかさずスタッフが「売れますよ、きっと!」と元気づけた。
彼女にとっても企画担当になってから三年目の勝負どころであり、初めての現地オーダーだったから必死だった。
仕事は双方の熱気のぶつかり合いだ。
新年にぴったりの干支小銭入れ。
職人が一点ずつ革に型押しをし、色付けをして作っています。
今年の干支を選べば、運気UPにも!
ぬくもり溢れるインドの伝統を感じるポーチ。
ミニポーチからウォレットまで、用途に合わせたチョイスが可能。
ぬくもり溢れるインドの伝統を、ご自身の手の中でご体感ください。
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
第一刷 一九九二年九月