【神社百選】玉前神社

●御祭神
タマヨリヒメノミコト

●創 建
不詳
〒299ー4301 千葉県長生郡一宮町一宮


今では有名になった「上総裸(かずさはだか)祭り」の夜、浜から帰ってきた神輿(みこし)が安堵(あんど)して最後に三回巡る本殿回りの大事な小道。この道を「はだしの道」として、十年前当時の堀川宮司が靴ばかりを履いているお客に、境内の重要な地面をもっとじかに感じて欲しいと設置した。

玉前(たまさき)神社の御祭神タマヨリヒメノミコトは姉のトヨタマヒメノミコトとヤマサチヒコの子、ウガヤフキアエズノミコトの養育を任せられ、その子が成人するとその嫁さんになるという数奇な生き方をした。神武天皇はその二人の間に生まれたと言うから近親結婚の代表みたいなものである。

そして玉前神社の行事でもっとも重要な十二社祭りは「上総裸(かずさはだか)祭り」と言われこの神社の出自を教えてくれる。すなわちこの祭りに登場する十二社とは六つの神社から出される十二の御輿の事だが、すべて神武天皇にかかわる祖父、祖母、実母や実父、兄弟を祀っている。神武一族の神々と言ってよい。

おそらく神武東征のおりかその後、東北進出のさきがけとして、神武ゆかりの集団がこの上総地方に植民し、一年一度集結して氏素性(うじすじょう)を確認しあったものだろう。

九月十三日の十二社祭りはその関係神社六社が大集合して、大宮と若宮の二台ずつ御輿を海岸に出して砂浜を走る。上半身裸の若い男達は漁業の盛んだった戦前はふんどし姿だった。最近は胸から下を白で固め、ショートパンツの女性も加わって、御幣を背中に乗せた神馬(かみのうま)をはじめ七頭も参加してこの疾走に加わっている。

ゴールの集合地点は鳥居の立った釣ケ崎(つりがさき)というところである。この先陣争いが昔はひんぱんに集団乱闘に発展したらしい。そのため六神社の顔ぶれも一部移動があったようだ。平成十八年の祭りは千二百年記念祭として往時の参加チームにも声を掛け盛大な規模になった。

隣町の鵜羽(うば)神社から祭りは始まる。この神社の祭神は玉前神社の祭神の夫の両親に当たる、ヤマサチヒコとトヨタマヒメノミコトで、その二つの御輿をタマヨリヒメノミコトの玉前神社に運び込み「御魂合わせ」することから始まる。これを玉前神社では「お迎え祭り」と呼んでいる。そうして祭り自体の口火を切る役目を果たしながらその御輿(みこし)は早々と引き上げてしまう。

古代の人々は海からやってくる石に霊の力を感じていたらしい。九十九里浜の周囲では白玉伝説が多く、この神社も昔、塩汲みの翁(おきな)がいてある朝海辺で汐(しお)を汲んでいると東風(こち)が吹いてきて波間には十二個の光る玉が現れた。家に持ち帰ったところ、夜にはますます明るく光るので、あわてて玉前神社に奉納したと言う。

あるいは一宮の五兵衛という男に夢のお告げがあり、次の朝海に出ると東風(こち)が吹いて光る錦の袋が流れてきた。中を見ると光る石の玉が十二個あった。そこで神社を立てて、その石を奉納した。ここから十二社の起源とつながったのだろうか。

また赤玉は太陽をあらわし、日の神の子、ウガヤフキアエズノミコトのこと、白玉は月を表し、月の神霊、タマヨリヒメノミコとのことであるともいう。


赤玉は緒さえ光れど 白玉の 君が装いし 尊くありけり
(白玉の月の神霊、タマヨリヒメノミコトあなたは生まれたばかりの朝日の神霊、ウガヤフキアエズノミコトを抱き、衣が赤く映えて美しい)


ここから巫女(みこ)の赤と白の衣装が生まれたともいう。この神社の境内には千葉県の木、イヌマキが二十本あまり群生して二十m 以上の樹高を見せている。また珍しい、なんじゃもんじゃの木(イスの木)も赤肌を見せて鳥居の側に枝を広げ、子宝子授けイチョウ、ザクロ、ケヤキ、クスノキ、シイノキ、サクラなども境内に茂っている。

またこの神社では毎年夏の満月の夜を選び、近くの海辺で雅楽(ががく)会の演奏を砂浜で催している。これは奈良の春日大社で雅楽を修めた現宮司が二十年前に移住してきてから若い人たちに呼びかけて始めたもので、今や名物行事として地元に定着している。


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