人気のキーワード
★隙間時間にコラムを読むならアプリがオススメ★
人魚。魚の尾、豊かな長い髪の若く美しい姿。
いや、日本に伝わる人魚は、どうやらそんなイメージとはちょっと違うようです。日本の人魚は妖怪とされ、語り継がれる姿はなんだか少しグロテスク。現れると嵐や戦乱の前兆であるとされる一方で、その肉には不老長寿の力があるともいわれます。
語られる時代や地域によって、吉兆であるとも凶兆であるともいわれる不思議な存在。日本各地に受け継がれる、人魚の伝説に迫ります。
日本に伝わる人魚は、人間の頭部と魚の尾を持ち、不思議な力を持つ妖怪や霊獣として扱われてきました。日本最古といわれる歴史書にも登場しています。
人魚の出現は不吉であるとされ、人魚が網に掛かると、嵐が来たり戦乱が起こったりする兆しともされます。傷つけることはタブー、漁網にかかってもそのまま帰すことが漁師のしきたりでした。
一方で、その姿を見ただけで寿命は延び、幸運がもたらされるのだとも。
その肉には不老不死の力、骨には止血や解毒の薬効があると記された書物も数多く残されているのです。
さまざまな資料に残る記述をみると、日本の人魚の姿はどうも美しいとはほど遠そう。ちょっと奇怪、グロテスクな姿だったのでは?と想像してしまいます。
人魚についての最古の記録は、なんと奈良時代に完成した『日本書紀』。この日本最古とされる歴史書に、2件の人魚らしき目撃談が残されています。
一つは、近江国(現在の滋賀県)の蒲生川に、人間のような生き物が住んでいる、という報告。もう一つは、摂津国(現在の大阪府)の堀江、水路に仕掛けた網に、魚でも人間でもないものが入ったが、「なんと名づけてよいかわからない」というもの。
「人魚」という言葉が初めて登場するのは、平安時代中期に編まれた辞書『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』のようです。中国の文献を参考にした解説が記されています。「人魚は、身体は魚、顔は人である。子どもが泣くような声である」
さらに鎌倉時代の説話集『古今著聞集』には、伊勢国(現在の三重県)で網にかかった人魚について、頭は人によく似ているが、歯はまるで魚のよう、口が猿のように突き出ており、身体は魚の形をしている。また、人がそばに寄ると叫び、人間のように涙を流した、とされています。
その姿、なんだか想像しただけでぞっとしてしまいますね。
人魚のイメージは、やはりアンデルセン童話の『人魚姫』やディズニー映画に登場するような美しい人魚でしょうか。
そんな西洋の人魚はどんな存在として語られているのでしょう。
美しい姿で描かれることの多い西洋の人魚。水の神や精霊として描かれますが、じつは恐ろしい存在でもあるとされています。
若く美しい姿で、通りかかる船に近づき、船乗りを誘惑して海底へと引きずり込んだり、嵐を起こしたり。
また、ギリシャ神話に登場する半人半鳥の怪物「セイレーン」が、人魚の起源だという説もあります。セイレーンは、その美しい歌声で船乗りたちを魅了し、船を沈めてしまうという怪物です。
西洋の人魚は、上半身は若く美しい女性、下半身は魚の尾を持つ姿で、魅力的に描かれるのが一般的。
金色や赤色の長くて豊かな髪をしており、手鏡や櫛を手にしていることもあります。美しく描かれる人魚は、快楽や誘惑の象徴ともされているのです。
人魚の姿は、伝承される地域によってもさまざまで、男性の人魚もいたり、上半身は魚で下半身が人間だったりということもあります。
じつは数多く語り継がれている、日本の人魚伝説。アイヌ民話のアイヌソッキや津波を警告した沖縄の人魚、北から南までさまざまな物語が今も残されています。
全国に残るのが八百比丘尼の物語。「はっぴゃくびくに」や「やおびくに」と読みます。
これは、福井県小浜の長者、高橋権太夫の逸話。あるとき権太夫の乗る船が漂流し、とある島に流れ着きます。そこの宮殿で篤くもてなされた権太夫。ご馳走に出されたのが、人魚の肉でした。
権太夫はその肉を、土産に持ち帰ります。人魚の肉は口にすると不老不死の力を得ると伝わるもの。そうとは知らず、権太夫の娘はその肉を口にしてしまったのです。
娘はいつまでたっても、若く美しいまま。やがて結婚した夫たちに先立たれ、子どもも孫もみな亡くなっていくのに、この娘は死なないどころか、老いもしない。周りの人々もそんな娘を恐れて、しだいに離れていきました。
そんな孤独な人生を儚んだ娘は、髪を下ろし「比丘尼」となって、木を植えたり橋を掛けたり人助けをしながら日本各地を巡りました。
そして小浜に戻ると洞窟に籠り、深い瞑想に入ったまま亡くなったと伝わります。その時、娘は800歳になっていました。
この八百比丘尼の伝説。福井県小浜市をはじめ、全国各地20を超える都道府県に残ります。
人魚の肉が供されたのは、竜宮城だったり、庚申講(こうしんこう=庚申の日に、人々が集まり夜通し神仏を祀って飲食したりする行事)だったり、さまざま。
また西日本を中心に、娘は千年生きたとする「千年比丘尼」の物語が伝わる地域もあります。
近江国、現在の滋賀県八幡市安土町の観音正寺に伝わるのが、聖徳太子にまつわる人魚の伝説です。
1400年ほど前、推古天皇の時代のこと。近江国を遍歴していた聖徳太子は、琵琶湖の湖面に浮かび上がった人魚に出会います。
その人魚が言うことに、自分は前世で漁師だった。必要以上に魚を獲り、売れ残った分は捨ててしまう、殺生を繰り返していたところ、それが祟って人魚の姿となってしまった。どうか繖山(きぬがさざん)に寺を建て、成仏させてほしいというのです。
それを聞いた聖徳太子は、自ら千手観音を彫り、堂塔を建立します。
ようやく成仏できた人魚が聖徳太子の夢枕に立ち、自分は浜辺に打ち上げられたことを告げると、聖徳太子はその死骸を寺に収めさせました。
この観音正寺には、「人魚のミイラ」が伝わっていましたが、1993年の火事で焼失しています。
私たちの生活を一変させた新型コロナウイルスの流行。その中で、注目されたのがアマビエの存在でした。
アマビエは、江戸時代後期の1846年、肥後国(現在の熊本県)に現れたとされる予言獣。
毎夜海の中で光るものがあり、役人が赴いたところアマビエが現れてこう告げたといいます。
「向こう6年のあいだ、諸国は豊作となるであろう。しかし同時に病が流行る。私の姿を描き写したものを早々に人々に見せよ」
江戸に届いたアマビエの報告から瓦版が刷られ、売り歩かれたとされています。
瓦版に添えられた絵は、その時の役人が描いた姿の写しだとか。半人半魚の姿、長い髪にくちばし、三つの魚の尾が描かれた、私たちにもお馴染みのあのアマビエです。
じつはこのアマビエのルーツとされているのが、神社姫という人魚。江戸時代後期の医師加藤曳尾庵(かとうえびあん)の随筆『我衣(わがころも)』に記された予言獣です。
1819年(文政2年)4月18日、肥前国(現在の長崎県および佐賀県)のとある浜辺に、全長二丈(約6m)あまりという、巨大な生き物が現れました。
長い髪に二本の角が生えた頭部、胴は魚で腹は紅く、尾は3つ股に分かれ鋭い剣のようだといいます。
「我は龍宮よりの使者、神社姫である。向こう7年は豊作に恵まれるが、そのあと虎狼痢(コレラ)という疫病が流行する。我の姿を写した絵を見れば難を逃れ、さらに長寿を得るだろう」こう告げて海に帰っていったのです。
日本各地に伝わる人魚の正体は、波間に現れた海獣や大型の魚だったのでは、ともいわれています。
深海魚リュウグウノツカイ、その名もまた神秘的ですよね。外洋の深海に生息しており発見されることはごく稀で、現れると天変地異などの前兆ではないかと話題になります。そんなところもまるで人魚のよう。
最大8mにもなるという身体、ヒレに入るスジが紅色をしていることから、神社姫とはリュウグウノツカイだったのではないかとも。
また淡水にも棲むとされる人魚、その正体はオオサンショウウオだという説が中国の地理書『山海経』にも登場します。
4本の足でゆったりと動く大きな大きな暗褐色の姿は、ほかのどんな生き物とも違って見えたかもしれません。
私たちと同じ肺呼吸のアシカやアザラシ。水中では鼻の穴をピタッと閉じていて、海上に頭を出して呼吸します。波間に見えるその頭、そして海中をなめらかに泳ぐ姿が、人魚と見間違えられたという説です。
かつて日本近海には固有種である日本アシカが生息していましたが、1970年代の目撃情報を最後に、絶滅したと考えられています。
世界でも人魚の正体といわれているのが、ジュゴンやマナティなどの海牛類です。
現在では、沖縄のみで目撃されているジュゴン。南西諸島近海には、古くから多くのジュゴンが生息していたとされています。
遺跡から発掘される骨などから、伊勢湾などにも漂流してきたのではないかともいわれているのです。
このジュゴンは胸ビレの脇に乳首があり、子どもを脇に抱え授乳する人間のようなその姿から、人魚の正体だとされたのだとも。
その肉は非常に美味だといわれ、かつては不老不死の効能があるともされていました。
「人魚のミイラ」とされるものは、日本各地、寺社などに秘宝として伝わっています。
近年、岡山県の圓珠院に眠る「人魚のミイラ」が、倉敷芸術科学大学の研究チームによってはじめて科学的に分析されました。
書付には「人魚干物」。江戸時代、高知沖で魚網にかかり大阪に運ばれ売られていたものだとあります。
CT撮影や電子顕微鏡による観察、DNA分析が行われました。その結果、頭は造形物、腕や肩、首などにはフグ科の魚類の皮が使用され、魚体部分はニベ科の魚の皮、歯は肉食性の魚類のものだと判明。そして内部には、布や紙、綿が詰められているとわかりました。
非常に精巧に作られていたとされる人魚のミイラ。どうやら江戸時代には、人魚のミイラを作る職人もいたようです。
江戸時代後期、日本に滞在したシーボルトらも日本からこの人魚のミイラを自国に持ち帰っていました。現在もオランダ、ライデン国立民族学博物館には、当時の人魚のミイラが保管されています。
これほどまでに、長く、そして大切に語り継がれる人魚。そこには日本人の暮らしに根付いた理由があります。
日本は島国。この国を取り囲む海は、私たちの暮らしに欠かせないものであると同時に恐ろしく、脅威となるものでもありました。
人の力が及ばない自然の大いなる力、人間が踏み込めない領域に暮らすものとして、人魚は現れます。日本人の海や水に対する畏怖、畏敬の念が人魚の物語に織り込まれているのです。
その肉を食べれば、永遠の命が得られる。また、骨には病を治す力が宿るとされる。
どの時代も、人間にとって永遠のテーマである「死」や「老い」。
人とも魚ともつかぬこの不思議な存在が、その答えをくれるのではないか、そんな淡い期待を抱いているのかもしれません。
海や川の神の使いであったともされ、人々の暮らしに根付いた民間信仰の対象でもありました。
今日も海が穏やかであるように、豊漁であるように。そして無病息災、不老不死を祈る対象でもありました。
私たち人間には手の届かない世界に暮らす人魚は、神様にも近い神聖な存在であったのです。
日本で語り継がれてきた人魚。やっぱり西洋の美しい人魚とはちょっと違いました。その姿形だけではなくて。
私たちに警告を与え、心の拠りどころとなり、その土地の暮らしに根付いて祈りの対象ともなってきました。
日本らしい、日本ならではの人魚。
でも、もし出会うのなら、どちらかといえば美しい人魚でしょうか。グロテスクな日本の人魚に出会ったら、思わず腰を抜かしてしまいそうです。
人魚。
魚の尾、豊かな長い髪の若く美しい姿。
いや、日本に伝わる人魚は、どうやらそんなイメージとはちょっと違うようです。
日本の人魚は妖怪とされ、語り継がれる姿はなんだか少しグロテスク。
現れると嵐や戦乱の前兆であるとされる一方で、その肉には不老長寿の力があるともいわれます。
語られる時代や地域によって、吉兆であるとも凶兆であるともいわれる不思議な存在。
日本各地に受け継がれる、人魚の伝説に迫ります。
目次
日本に伝わる人魚とは?
日本に伝わる人魚は、人間の頭部と魚の尾を持ち、不思議な力を持つ妖怪や霊獣として扱われてきました。
日本最古といわれる歴史書にも登場しています。
日本の人魚ってどんな存在?
画像引用:Wikimedia Commons
所蔵:早稲田大学演劇博物館
人魚の出現は不吉であるとされ、人魚が網に掛かると、嵐が来たり戦乱が起こったりする兆しともされます。
傷つけることはタブー、漁網にかかってもそのまま帰すことが漁師のしきたりでした。
一方で、その姿を見ただけで寿命は延び、幸運がもたらされるのだとも。
その肉には不老不死の力、骨には止血や解毒の薬効があると記された書物も数多く残されているのです。
文献に残された人魚の姿とは?
さまざまな資料に残る記述をみると、日本の人魚の姿はどうも美しいとはほど遠そう。
ちょっと奇怪、グロテスクな姿だったのでは?と想像してしまいます。
人魚についての最古の記録は、なんと奈良時代に完成した『日本書紀』。
この日本最古とされる歴史書に、2件の人魚らしき目撃談が残されています。
一つは、近江国(現在の滋賀県)の蒲生川に、人間のような生き物が住んでいる、という報告。
もう一つは、摂津国(現在の大阪府)の堀江、水路に仕掛けた網に、魚でも人間でもないものが入ったが、「なんと名づけてよいかわからない」というもの。
「人魚」という言葉が初めて登場するのは、平安時代中期に編まれた辞書『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』のようです。
中国の文献を参考にした解説が記されています。
「人魚は、身体は魚、顔は人である。子どもが泣くような声である」
さらに鎌倉時代の説話集『古今著聞集』には、伊勢国(現在の三重県)で網にかかった人魚について、頭は人によく似ているが、歯はまるで魚のよう、口が猿のように突き出ており、身体は魚の形をしている。また、人がそばに寄ると叫び、人間のように涙を流した、とされています。
その姿、なんだか想像しただけでぞっとしてしまいますね。
西洋の人魚とは?どこが違う?
人魚のイメージは、やはりアンデルセン童話の『人魚姫』やディズニー映画に登場するような美しい人魚でしょうか。
そんな西洋の人魚はどんな存在として語られているのでしょう。
西洋の人魚はどんな存在?
美しい姿で描かれることの多い西洋の人魚。
水の神や精霊として描かれますが、じつは恐ろしい存在でもあるとされています。
若く美しい姿で、通りかかる船に近づき、船乗りを誘惑して海底へと引きずり込んだり、嵐を起こしたり。
また、ギリシャ神話に登場する半人半鳥の怪物「セイレーン」が、人魚の起源だという説もあります。
セイレーンは、その美しい歌声で船乗りたちを魅了し、船を沈めてしまうという怪物です。
西洋の人魚はどんな姿?
西洋の人魚は、上半身は若く美しい女性、下半身は魚の尾を持つ姿で、魅力的に描かれるのが一般的。
金色や赤色の長くて豊かな髪をしており、手鏡や櫛を手にしていることもあります。
美しく描かれる人魚は、快楽や誘惑の象徴ともされているのです。
人魚の姿は、伝承される地域によってもさまざまで、男性の人魚もいたり、上半身は魚で下半身が人間だったりということもあります。
日本で有名な人魚伝説
画像引用:Wikimedia Commons
作者:葛飾北斎
じつは数多く語り継がれている、日本の人魚伝説。
アイヌ民話のアイヌソッキや津波を警告した沖縄の人魚、北から南までさまざまな物語が今も残されています。
800歳まで生きた?八百比丘尼伝説
全国に残るのが八百比丘尼の物語。「はっぴゃくびくに」や「やおびくに」と読みます。
これは、福井県小浜の長者、高橋権太夫の逸話。
あるとき権太夫の乗る船が漂流し、とある島に流れ着きます。
そこの宮殿で篤くもてなされた権太夫。ご馳走に出されたのが、人魚の肉でした。
権太夫はその肉を、土産に持ち帰ります。
人魚の肉は口にすると不老不死の力を得ると伝わるもの。
そうとは知らず、権太夫の娘はその肉を口にしてしまったのです。
娘はいつまでたっても、若く美しいまま。
やがて結婚した夫たちに先立たれ、子どもも孫もみな亡くなっていくのに、この娘は死なないどころか、老いもしない。
周りの人々もそんな娘を恐れて、しだいに離れていきました。
そんな孤独な人生を儚んだ娘は、髪を下ろし「比丘尼」となって、木を植えたり橋を掛けたり人助けをしながら日本各地を巡りました。
そして小浜に戻ると洞窟に籠り、深い瞑想に入ったまま亡くなったと伝わります。
その時、娘は800歳になっていました。
この八百比丘尼の伝説。
福井県小浜市をはじめ、全国各地20を超える都道府県に残ります。
人魚の肉が供されたのは、竜宮城だったり、庚申講(こうしんこう=庚申の日に、人々が集まり夜通し神仏を祀って飲食したりする行事)だったり、さまざま。
また西日本を中心に、娘は千年生きたとする「千年比丘尼」の物語が伝わる地域もあります。
聖徳太子が人魚のために建立した観音正寺
画像引用:Wikimedia Commons
ソース:国立国会図書館
近江国、現在の滋賀県八幡市安土町の観音正寺に伝わるのが、聖徳太子にまつわる人魚の伝説です。
1400年ほど前、推古天皇の時代のこと。
近江国を遍歴していた聖徳太子は、琵琶湖の湖面に浮かび上がった人魚に出会います。
その人魚が言うことに、
自分は前世で漁師だった。必要以上に魚を獲り、売れ残った分は捨ててしまう、殺生を繰り返していたところ、それが祟って人魚の姿となってしまった。
どうか繖山(きぬがさざん)に寺を建て、成仏させてほしいというのです。
それを聞いた聖徳太子は、自ら千手観音を彫り、堂塔を建立します。
ようやく成仏できた人魚が聖徳太子の夢枕に立ち、自分は浜辺に打ち上げられたことを告げると、聖徳太子はその死骸を寺に収めさせました。
この観音正寺には、「人魚のミイラ」が伝わっていましたが、1993年の火事で焼失しています。
アマビエのルーツ?疫病を予言した神社姫伝説
Photograph courtesy of the Main Library, Kyoto University – Amabie
画像引用:京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
私たちの生活を一変させた新型コロナウイルスの流行。
その中で、注目されたのがアマビエの存在でした。
アマビエは、江戸時代後期の1846年、肥後国(現在の熊本県)に現れたとされる予言獣。
毎夜海の中で光るものがあり、役人が赴いたところアマビエが現れてこう告げたといいます。
「向こう6年のあいだ、諸国は豊作となるであろう。しかし同時に病が流行る。私の姿を描き写したものを早々に人々に見せよ」
江戸に届いたアマビエの報告から瓦版が刷られ、売り歩かれたとされています。
瓦版に添えられた絵は、その時の役人が描いた姿の写しだとか。
半人半魚の姿、長い髪にくちばし、三つの魚の尾が描かれた、私たちにもお馴染みのあのアマビエです。
じつはこのアマビエのルーツとされているのが、神社姫という人魚。
江戸時代後期の医師加藤曳尾庵(かとうえびあん)の随筆『我衣(わがころも)』に記された予言獣です。
1819年(文政2年)4月18日、肥前国(現在の長崎県および佐賀県)のとある浜辺に、全長二丈(約6m)あまりという、巨大な生き物が現れました。
長い髪に二本の角が生えた頭部、胴は魚で腹は紅く、尾は3つ股に分かれ鋭い剣のようだといいます。
「我は龍宮よりの使者、神社姫である。向こう7年は豊作に恵まれるが、そのあと虎狼痢(コレラ)という疫病が流行する。我の姿を写した絵を見れば難を逃れ、さらに長寿を得るだろう」
こう告げて海に帰っていったのです。
人魚の正体とは?
日本各地に伝わる人魚の正体は、波間に現れた海獣や大型の魚だったのでは、ともいわれています。
大型の魚類説
深海魚リュウグウノツカイ、その名もまた神秘的ですよね。
外洋の深海に生息しており発見されることはごく稀で、現れると天変地異などの前兆ではないかと話題になります。そんなところもまるで人魚のよう。
最大8mにもなるという身体、ヒレに入るスジが紅色をしていることから、神社姫とはリュウグウノツカイだったのではないかとも。
また淡水にも棲むとされる人魚、その正体はオオサンショウウオだという説が中国の地理書『山海経』にも登場します。
4本の足でゆったりと動く大きな大きな暗褐色の姿は、ほかのどんな生き物とも違って見えたかもしれません。
アシカやアザラシなどの海獣類説
私たちと同じ肺呼吸のアシカやアザラシ。
水中では鼻の穴をピタッと閉じていて、海上に頭を出して呼吸します。
波間に見えるその頭、そして海中をなめらかに泳ぐ姿が、人魚と見間違えられたという説です。
かつて日本近海には固有種である日本アシカが生息していましたが、1970年代の目撃情報を最後に、絶滅したと考えられています。
ジュゴンなど海牛類説
世界でも人魚の正体といわれているのが、ジュゴンやマナティなどの海牛類です。
現在では、沖縄のみで目撃されているジュゴン。
南西諸島近海には、古くから多くのジュゴンが生息していたとされています。
遺跡から発掘される骨などから、伊勢湾などにも漂流してきたのではないかともいわれているのです。
このジュゴンは胸ビレの脇に乳首があり、子どもを脇に抱え授乳する人間のようなその姿から、人魚の正体だとされたのだとも。
その肉は非常に美味だといわれ、かつては不老不死の効能があるともされていました。
全国に残る人魚のミイラは本物なのか⁉
画像引用:Wikimedia Commons
作者:毛利梅園
「人魚のミイラ」とされるものは、日本各地、寺社などに秘宝として伝わっています。
近年、岡山県の圓珠院に眠る「人魚のミイラ」が、倉敷芸術科学大学の研究チームによってはじめて科学的に分析されました。
書付には「人魚干物」。
江戸時代、高知沖で魚網にかかり大阪に運ばれ売られていたものだとあります。
CT撮影や電子顕微鏡による観察、DNA分析が行われました。
その結果、頭は造形物、腕や肩、首などにはフグ科の魚類の皮が使用され、魚体部分はニベ科の魚の皮、歯は肉食性の魚類のものだと判明。
そして内部には、布や紙、綿が詰められているとわかりました。
非常に精巧に作られていたとされる人魚のミイラ。
どうやら江戸時代には、人魚のミイラを作る職人もいたようです。
江戸時代後期、日本に滞在したシーボルトらも日本からこの人魚のミイラを自国に持ち帰っていました。
現在もオランダ、ライデン国立民族学博物館には、当時の人魚のミイラが保管されています。
人魚伝説が語り継がれる理由とは?
これほどまでに、長く、そして大切に語り継がれる人魚。
そこには日本人の暮らしに根付いた理由があります。
海の恐ろしさを伝える存在
日本は島国。
この国を取り囲む海は、私たちの暮らしに欠かせないものであると同時に恐ろしく、脅威となるものでもありました。
人の力が及ばない自然の大いなる力、人間が踏み込めない領域に暮らすものとして、人魚は現れます。
日本人の海や水に対する畏怖、畏敬の念が人魚の物語に織り込まれているのです。
不老長寿や無病息災への憧れ
その肉を食べれば、永遠の命が得られる。
また、骨には病を治す力が宿るとされる。
どの時代も、人間にとって永遠のテーマである「死」や「老い」。
人とも魚ともつかぬこの不思議な存在が、その答えをくれるのではないか、そんな淡い期待を抱いているのかもしれません。
信仰との結びつき
海や川の神の使いであったともされ、人々の暮らしに根付いた民間信仰の対象でもありました。
今日も海が穏やかであるように、豊漁であるように。
そして無病息災、不老不死を祈る対象でもありました。
私たち人間には手の届かない世界に暮らす人魚は、神様にも近い神聖な存在であったのです。
日本ならではの人魚の姿
日本で語り継がれてきた人魚。
やっぱり西洋の美しい人魚とはちょっと違いました。その姿形だけではなくて。
私たちに警告を与え、心の拠りどころとなり、その土地の暮らしに根付いて祈りの対象ともなってきました。
日本らしい、日本ならではの人魚。
でも、もし出会うのなら、どちらかといえば美しい人魚でしょうか。
グロテスクな日本の人魚に出会ったら、思わず腰を抜かしてしまいそうです。
関連記事