ガラン写本の2ページ。後にガランの『千夜一夜物語』に掲載される物語が収められている。 See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
1704年、フランスの東洋学者アントワーヌ・ガランが、シリアから持ち帰ったアラビア語の写本をフランス語に翻訳し、『千一夜(Les Mille et Une Nuits)』として出版しました。これが、ヨーロッパに『千夜一夜物語』が紹介された最初の瞬間です。 しかし、ガランが使用した写本には282夜分の物語しか収録されておらず、結末もありませんでした。「千一夜」という題名なのに、千に満たない……この事実に驚いたガランたち、ヨーロッパの翻訳者や学者たちは、残りの物語を探し求めはじめました。
1706年にイギリスで英語版が出版された際、『The Arabian Nights' Entertainment(アラビアンナイト・エンターテイメント)』という題名が付けられました。この英語名が、世界に広がったというわけです。 日本では、1875年(明治8年)に初めて翻訳された際に、『暴夜物語』(訳:永峰秀樹)というタイトルが付けられました。千夜一夜物語のタイトルとして、「アラビア」を「暴夜(アラビヤ)」という当て字で表現しているところ、個人的には舌を巻いて唸りました。
『千夜一夜物語』のことを、どのくらいご存じでしょうか。
『アラビアンナイト』と聞けばピンとくる方が多いかもしれません。そして、即座に「アラジン!」と答える人も少なくないのでは?
実はそれ、半分正解で半分不正解なんです。
よく知っているようで知らない『千夜一夜物語』。まずは、その成り立ちから覗いてみることにしましょう。
目次
千夜一夜物語とは?砂漠と交易路が生んだ物語の宝庫
千年よりもっと昔々のお話
夜の帳が降り、砂漠の空に月が浮かぶ頃
バグダードの宮殿では「物語」がはじまるのでした——
アラビアの民話から世界文学へ
この物語の源流をたどると、遥か3世紀から7世紀のサーサーン朝ペルシアの時代に辿り着きます。当時、中世ペルシア語で『ハザール・アフサーナ(千の物語)』と呼ばれた説話集がありました。それは、ペルシアやインド、ギリシアなど各地の民話が混ざり合ったものでした。
やがて8世紀後半、イスラーム帝国のアッバース朝時代を迎えると、新都バグダードでこれらの物語がアラビア語に翻訳されます。商人たちが行き交うシルクロードを渡って、物語もまた旅をしました。ペルシアの神秘、インドの知恵、ギリシアの論理——異なる文化の要素が溶け合い、9世紀頃には『千夜一夜物語』の原型が誕生したと言われています。
ところでこの物語、「ひとりの作者」によって書かれたものではない、ということをご存じでしょうか。
実は、語り部から語り部へ、写本から写本へ、何世紀にもわたって受け継がれ、変化し続けた集合的な創作物、それが『千夜一夜物語』なのです。だから、バグダードの市井の人々の暮らしから実在した権力者まで、多彩な人物が物語を彩っています。
原典と翻訳で姿を変えた物語
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1704年、フランスの東洋学者アントワーヌ・ガランが、シリアから持ち帰ったアラビア語の写本をフランス語に翻訳し、『千一夜(Les Mille et Une Nuits)』として出版しました。これが、ヨーロッパに『千夜一夜物語』が紹介された最初の瞬間です。
しかし、ガランが使用した写本には282夜分の物語しか収録されておらず、結末もありませんでした。「千一夜」という題名なのに、千に満たない……この事実に驚いたガランたち、ヨーロッパの翻訳者や学者たちは、残りの物語を探し求めはじめました。
そしてそこから19世紀にかけて、中東で聞き取った新たな物語が次々と追加されていきました。実は、私たちがよく知る有名な物語の多くは、元のアラビア語写本にはなく、後から加えられたものなのですが……それは後ほど語るといたしましょう。
現在、『千夜一夜物語』には複数の版が存在します。フランス語のガラン版やマルドリュス版、英語のバートン版、アラビア語のカルカッタ第二版——それぞれの版によって、収録された物語や結末が異なっているのですが、これは、物語を求めて中東とヨーロッパを行き来した人々が手を加え、姿を変え続けてきた結果。いわば、東洋と西洋が共に創り上げた「翻訳文化の産物」と言えるでしょう。
千夜一夜物語が与えた影響
18世紀から19世紀のヨーロッパで、『千夜一夜物語』は旋風を巻き起こしました。
ゲーテ、ディケンズ、エドガー・アラン・ポー、オスカー・ワイルドなどなど、錚々たる作家たちが、この物語の「枠物語」という構造に魅了されました。物語の中に別の物語が入れ子状に語られていく形式は、ボッカッチョの『デカメロン』やチョーサーの『カンタベリー物語』といった中世ヨーロッパ文学にも見られますが、『千夜一夜物語』は、この技法をさらに洗練させ、ロマン主義や幻想文学の源流となったのです。
音楽の世界でも、その影響は色濃く見られ、リムスキー=コルサコフが作曲した交響組曲『シェヘラザード』は、まさにこの物語から着想を得た傑作。オリエンタルな旋律が、聴く者を遥かアラビアの世界へと誘います。やがて、バレエなど舞台芸術にも波及していき、そして現代——ディズニーの『アラジン』をはじめ、映画、アニメ、ゲームなど、ポップカルチャーの中にも『千夜一夜物語』は息づいているのです。
語りの中に語りがある構造、メタフィクションの手法——これらは今なお、世界中の物語作家たちにインスピレーションを与え続けています。
千夜一夜物語のあらすじ
それでは、この壮大な物語集の大枠組みとなっている、シェヘラザードと王の物語へご案内いたしましょう。
シェヘラザードが語る連鎖の物語
昔々、サーサーン朝ペルシアにシャハリヤールという王がいました。
ある時、王は妻が何人もの奴隷と不貞をはたらいていることを知ってしまいます。愛していた妻と奴隷たちの裏切りに深く傷ついた王は、彼ら全員の首をはねて殺し、側近である大臣にこう命じました。
「毎夜、ひとりずつ、都の処女を連れて来るように」
なんと王は、次々に新しい妃を迎え、一夜を共にした翌朝には殺す、という暴挙を繰り返すようになってしまったのです。こうして、国からは若い娘がいなくなっていきました。
大臣は怯えました。なぜなら彼には二人の娘がいたからです。自分の娘を王のもとへ行かせることはどうしても避けたい。しかし、長女シェヘラザードはこう言います。
「王様のもとへまいります」
父の反対を押し切り、王のもとへ嫁ぐことを決意した彼女には、ある計画があったのです。
初夜、王と床を共にした後、シェヘラザードは、夜が明ける前に妹のドゥニヤザードに別れを告げたいと、王に乞います。同席を許されたドゥニヤザードが言います。
「お姉様、楽しいお話を聞かせて」
実は、これは姉妹で打ち合わせていたことでした。
シェヘラザードは物語を語り始めます。そして話が佳境に入ったところで——
「今宵はここまで。続きは、また明日」
と、物語をやめるのでした。
続きが気になる王は、この新たな妻の処刑を延期し、次の夜を待ちました。こうして、夜ごとに物語が語られ、シェヘラザードの命は繋がれていったのです。
そして千と一夜が過ぎた日、王の心は、怒りや悲しみから解放されていました。シェヘラザードの紡ぐ物語の登場人物たちと共に、冒険をしたり、間一髪で危機を逃れたり、魔法の呪文を唱えたりするうち、人間の弱さや美しさ、愛や裏切り、知恵や愚かさを知り、そして、許しを知ったのでしょう。
シェヘラザードは正式な妃として迎え入れられ、恐ろしい処刑の掟は廃されたといいます。
なぜ"夜ごと"に語る必要があったのか
シェヘラザードにとって、夜明けは死刑執行を意味しました。語り続けることだけが、命を繋ぐ唯一の手段だったのです。
彼女が用いたのは「引き」の技法。話が最も盛り上がったところでやめ、「続きは明日」と約束する。この手法は、現代のテレビドラマや連載小説でも使われていますが、シェヘラザードにとっては文字通り、生存をかけた戦略でした。
つまり、『千夜一夜物語』における物語とは、単なる娯楽ではなく、知性と機転を武器に、暴君の心を変えようとした女性の戦いの記録なのです。語ることで生き延び、語ることで世界を変える。これこそが、『千夜一夜物語』の本質といえるでしょう。
代表的な物語
それでは、シェヘラザードが千夜にわたって語った物語の中から、誰もが一度は触れたことがあるであろう、有名なエピソードを覗いてみましょう。
実はこれらの物語、先にも少し触れたように、後から追加されたものなのです。
アラジンと魔法のランプ
ランプをこすれば現れる魔人、空飛ぶ絨毯、魔法使いとの対決、貧しい青年が王女と結ばれる結末——この夢のような物語は、元のアラビア語写本には存在しませんでした。
1709年、フランスの翻訳者ガランが、シリアのアレッポで出会ったキリスト教徒から聞いた物語として追加したものだそうです。そしてなんと、原作の舞台が「中国」だということには驚きです。シャハリヤール王の王朝は、インドや中国をも支配下に置いていたという大胆な設定になっていますから、まぁ、おかしくはないのですが……現代の私たちには、やはり違和感がありますよね。しかし中国は、遥か東方の異国。当時のアラビアの人々にとっては「エキゾチックな国」であり、だからこそ、アラジンの物語が生まれたのだと想像すると、ロマンを感じます。
後世に加えられたにもかかわらず、『アラジンと魔法のランプ』は東洋幻想の象徴として、世界中で愛される物語となりました。
アリ・ババと四十人の盗賊
「開けゴマ!」
この有名な呪文で知られる物語もまた、ガランによって後から追加されたものです。
貧しいけど正直な木こりアリ・ババは、盗賊団が呪文を唱えて洞窟の扉を開き、財宝を隠しているところを目撃。そして盗賊団が去った後、例の呪文を使って財宝を手にするアリ・ババ——
さて、この物語でスポットライトを浴びるのは、横取りで金持ちになったアリ・ババではなく、彼に仕える女奴隷モルギアナではないでしょうか。まず、彼女は、財宝を取り返しに来た盗賊たちを煮えたぎる油で退治します。そして次に訪ねてきた商人が、変装した盗賊の頭領だと見破り撃退。見事、危険を回避したのでした。機転と勇気で主人の命を救った彼女は、アリ・ババの息子と結婚し、幸せに暮らしましたとさ。
知恵が勝利を導く——この構造は、『千夜一夜物語』全体に通じるテーマでもあります。
シンドバッドの冒険
船乗りシンドバッドの7回にわたる航海は、『千夜一夜物語』の中でも異彩を放つ冒険譚です。この物語もまた、元の写本とは別系統で伝わっていたものが、後から組み込まれたと考えられています。
第1の航海では、島だと思った場所が実は巨大なクジラの背中で、海に投げ出されますが、運よく別の島へ漂着し、最終的には富を得て帰還。第2の航海では、伝説の怪鳥ロック鳥の足にしがみついて危機を脱出。第3の航海では、人食い猿と大蛇に襲われ、仲間たちが次々と喰われる中、これまた間一髪で逃げ切りました。
何度も死の淵に立たされながら、そのたび、知恵と運で生き延びるシンドバッド。彼の物語は、当時の交易が盛んだった時代の世界観を色濃く反映しているように感じます。インド洋を渡る商人たちが抱いた冒険への憧れと恐れ、未知の土地への好奇心。それらがすべて、この物語には詰まっているようです。
千夜一夜物語は、本当は大人向けだった!?
さて、『アラジン』や『シンドバッド』を、子どもの頃に読んだという方も多いでしょう。しかし、原典の『千夜一夜物語』は、決して子ども向けの童話集などではありません。
覚えていますか?物語の冒頭から衝撃的だったことを——王の妻が奴隷と不倫し、それを目撃した王が彼らを処刑する。さらに、王の弟の妻も20人の奴隷と肉体関係を持っていたという描写もあります。
『船乗りシンドバッド』でも、原典では残虐な描写がしばしば。巨人が船員を丸焼きにして食べる場面や、井戸に投げ込まれ窮地に追いやられたシンドバッドが、生き延びるために、人を殺害し食料を奪うという凄惨な場面もあります。
また、『王女と猿』という物語では、女性が猿と肉体関係を結ぶという衝撃的な展開が描かれ、『セット・ゾバイダの現行犯』では、王妃の浮気疑惑を巡る際どいエピソードが語られます。
しかし18世紀以降、ヨーロッパで翻訳される過程で、こうした残酷な描写や性的な表現は徐々に削除され、「童話化」されていきました。
現代の私たちが知る『千夜一夜物語』の多くは、子ども向けに再編集されたものなのです。しかし原典には、これでもかと言わんばかりに『大人の世界』が描かれていたのです。
千夜一夜物語のエキゾチックで妖艶な世界観
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これ一枚でオリエンタルな空間に
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よくある疑問で読み解く千夜一夜
いかがでしょう?千夜一夜物語の旅をここまで続けてみて、知らないことが多かったのではないでしょうか。慣れ親しんでいたようで、知らないことだらけの『千夜一夜物語』。ここで、ふと、いくつかの疑問が浮かびませんでしたか?
本当に千一夜分の話数があるのか?
冒頭の方でもお話ししたように、ガランが翻訳に使用したアラビア語写本には、282夜分(およそ35話)しか収録されておらず、結末もありませんでした。1984年に発表されたムフシン・マフディーによる校訂版でも、271夜分とされています。
実は「千」という数字は、象徴的なものという見解が強いようです。正確な話数を示すものではなく、「無数」「終わりがない」ことを意味する表現。アラビア語で「1000」という数字は、しばしば「とても多い」という意味で使われるのだとか。だから、シェヘラザードが語った日数が文字通り「1000日」だったのか、はたまた「とても長い年月」という意味なのかは、不確かなところです。
しかし、19世紀のヨーロッパの学者たちが、題名通りに千一夜分の物語を揃えようと努力したことは事実であり、ロマンに溢れていることに変わりはありません。
なぜ1001なのか?
アラビア語の原題『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』を直訳すると、「千夜と一夜」となります。
最初期のペルシア語版は『ハザール・アフサーナ(千の物語)』と呼ばれていましたが、9世紀にアラビア語に翻訳された際、『千の夜の物語の書』となり、12世紀頃までには『千一夜』という題名になっていたことがわかっています。
この「千一夜」という表現は、終わらない物語の象徴ではないかと想像してしまうのは、私だけでしょうか。シェヘラザードが千夜を語り、そして千一夜目も語り続ける——永遠に続く物語への憧れが、あるいは願いが、このタイトルに込められているように感じるのです。
アラビアンナイトとの違いは?
結論から言えば、『千夜一夜物語』と『アラビアンナイト』は同じ作品の異なる呼び方です。
1706年にイギリスで英語版が出版された際、『The Arabian Nights' Entertainment(アラビアンナイト・エンターテイメント)』という題名が付けられました。この英語名が、世界に広がったというわけです。
日本では、1875年(明治8年)に初めて翻訳された際に、『暴夜物語』(訳:永峰秀樹)というタイトルが付けられました。千夜一夜物語のタイトルとして、「アラビア」を「暴夜(アラビヤ)」という当て字で表現しているところ、個人的には舌を巻いて唸りました。
しかし結局、『千夜一夜物語』『千一夜物語』『アラビアンナイト』という3つの名称が定着し、現在に至ります。
命で紡いだ千の夜——今も生き続ける物語の力
『千夜一夜物語』は、ペルシアで生まれ、バグダードで育まれ、ヨーロッパで花開き、世界中で愛されるようになりました。様々な文化の交差点で生まれたこの物語集は、まさに人類の共有財産といえるのではないでしょうか。
シェヘラザードが語り始めたその夜から、千年以上が経ちました。しかし、物語は終わっていません。今この瞬間も、世界のどこかで読まれ、語られ、新たに生まれています。
彼女の物語には、暴君をも変える力があった——忘れぬよう、語り継いでいきたいですね。
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