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●御祭神 イザナギノミコト(ツクバオノオオミカミ) イザナミノミコト(ツクバメノオオミカミ)
●創 建 不詳 〒300ー4352 茨城県つくば市筑波
関東地方の住民にとって筑波(つくば)山は東の地平線を飾る山。西の富士山と向かい合って親しまれている。おまけに高くは無いが乳房形の双峰で目を引きつける。この対照的な二つの山は伝説の種にもなっている。
常陸風土記によれば、昔々ミオヤノカミが関東を巡行なさったとき富士山の麓(ふもと)で日が暮れかかり、一夜の宿を乞われたところ富士の神は「今宵は新にいなめまつり嘗祭(収穫祭)でお泊めできません」と断られた。そこでミオヤノカミは怒って「お前が住む山は一年中寒く人々が飲食物を供えることも無いだろう」と罵った。
次に筑波山に登りまた宿を乞われた。筑波の神は「新嘗祭をやっていますが他ならぬミオヤノカミのお頼みです。お泊まりください」といって御馳走を出して歓待した。ミオヤノカミは喜んで「人々はこの山に集い祝い、飲食物は豊かであるだろう。千年も万年も永遠に遊楽が続くことだろう」とことほがれた。
そのとおりこの山は人々の集まり楽しむ山になった。歌垣は若い男女が集まって歌を掛け合い、春の到来を愛で、同時に農作物の豊作を祈って予祝する行事であった。万葉集の中に見られる、今は日本では見られなくなった往時のカガイの後をたどってみる。まず現在のカガイ跡地と言われる、「ブジョが原」は今「筑波ふれあいの里」と呼ばれ、中心に高橋虫麻呂の歌碑が立っている。
【歌】 『筑波嶺(つくばね)に登りてカガイせし日に作れる歌』
鷲(わし)のすむ 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)のその津の上に 率(あども)ひて をとめ をとこの 行き集(つど)い かがう かがいに 人妻(ひとづま)に われもまじわらむ わが妻に 人も言問(ことと)へ この山を うしはく神の 昔より 禁(いさ)めぬ わざぞ 今日のみは めぐしも な見そ 言(こと)もとがむな
《反歌》 男神に雲立ち上り 時雨(しぐれ)ふり 濡れとほるとも われ帰らめや
猛禽(もうきん)の鷲(わし)も住む筑波山の夫女(ふじょ)ガ原に集まって 乙女、男が楽しむ歌垣(うたがき)に きょうは 自分も参加して 人妻に交わろう わが妻には他の男も言い寄れ この山をおさめる 神様が昔から許してきたしきたりだ 今日のみは眼をつむって 言葉もとがめるな
《反歌》 男山に雲が涌き 時雨(しぐれ)が降ってきて 濡れそぼっても 私は帰らない
現代語訳のほうがショッキングな気もするが大勢は未婚の男女の知り合うチャンスだったのだろう。常陸風土記には坂(足柄峠)から東の男女、春は花の咲けるとき、秋は木の葉の色づくとき、手を取り合って、飲食を持ち、馬に乗り、あるいは徒歩で登り、遊び、憩えり。その歌にいわくとあり以下二首。
●筑波嶺(つくばね)に会わんと言いし子は誰(た)が言(こと)聞けばか み寝(ね)会わずけむ【常陸風土記】 和訳:筑波山で会おうと約束した子は誰の言うことを聞いたのか逢ってはくれなかった
●筑波嶺に いおりて 妻なしに わが寝む夜は はや明けぬかも【常陸風土記】 和訳:筑波山のカガイに相手となる人もいないまま一人で寝る夜は早く明けて欲しい
●筑波嶺の さ百合の花の夜床(よどこ)にも 愛(いと)しけ妹(いも)ぞ 昼も愛(いと)しけ【万葉集】 和訳:筑波山のカガイで合った恋人は夜の百合の花の床でも可愛かったが昼も可愛いい
このようにして筑波山神社は男女の恋の神様のように受け取られてきた。筑波山は典型的な神奈備山で御神体が男体山(なんたいさん)(筑波男大神=イザナギノミコト)と女体山(にょたいさん)(筑波女大神=イザナミノミコト)に分かれて各頂上に本殿があり、したがって麓には拝殿のみがある。春と秋に例大祭「御座替祭(おざがわりさい)」が行なわれ、それぞれの神の衣替えのため、氏子たちが御輿(みこし)を担いで上の両御本殿に登拝する。春季は四月一日、秋季は十一月一日である。社前の赤い御神橋(ごしんきょう)はこの時のみ使用され、一般参詣客も上ることが許される。
進藤彦興著、 『詩でたどる日本神社百選』 から抜粋
●御祭神
イザナギノミコト(ツクバオノオオミカミ)
イザナミノミコト(ツクバメノオオミカミ)
●創 建
不詳
〒300ー4352 茨城県つくば市筑波
関東地方の住民にとって筑波(つくば)山は東の地平線を飾る山。西の富士山と向かい合って親しまれている。おまけに高くは無いが乳房形の双峰で目を引きつける。この対照的な二つの山は伝説の種にもなっている。
常陸風土記によれば、昔々ミオヤノカミが関東を巡行なさったとき富士山の麓(ふもと)で日が暮れかかり、一夜の宿を乞われたところ富士の神は「今宵は新にいなめまつり嘗祭(収穫祭)でお泊めできません」と断られた。そこでミオヤノカミは怒って「お前が住む山は一年中寒く人々が飲食物を供えることも無いだろう」と罵った。
次に筑波山に登りまた宿を乞われた。筑波の神は「新嘗祭をやっていますが他ならぬミオヤノカミのお頼みです。お泊まりください」といって御馳走を出して歓待した。ミオヤノカミは喜んで「人々はこの山に集い祝い、飲食物は豊かであるだろう。千年も万年も永遠に遊楽が続くことだろう」とことほがれた。
そのとおりこの山は人々の集まり楽しむ山になった。歌垣は若い男女が集まって歌を掛け合い、春の到来を愛で、同時に農作物の豊作を祈って予祝する行事であった。万葉集の中に見られる、今は日本では見られなくなった往時のカガイの後をたどってみる。まず現在のカガイ跡地と言われる、「ブジョが原」は今「筑波ふれあいの里」と呼ばれ、中心に高橋虫麻呂の歌碑が立っている。
【歌】
『筑波嶺(つくばね)に登りてカガイせし日に作れる歌』
鷲(わし)のすむ 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)のその津の上に 率(あども)ひて をとめ をとこの 行き集(つど)い かがう かがいに 人妻(ひとづま)に われもまじわらむ わが妻に 人も言問(ことと)へ この山を うしはく神の 昔より 禁(いさ)めぬ わざぞ 今日のみは めぐしも な見そ 言(こと)もとがむな
《反歌》
男神に雲立ち上り 時雨(しぐれ)ふり 濡れとほるとも われ帰らめや
猛禽(もうきん)の鷲(わし)も住む筑波山の夫女(ふじょ)ガ原に集まって 乙女、男が楽しむ歌垣(うたがき)に きょうは 自分も参加して 人妻に交わろう わが妻には他の男も言い寄れ この山をおさめる 神様が昔から許してきたしきたりだ 今日のみは眼をつむって 言葉もとがめるな
《反歌》
男山に雲が涌き 時雨(しぐれ)が降ってきて 濡れそぼっても 私は帰らない
現代語訳のほうがショッキングな気もするが大勢は未婚の男女の知り合うチャンスだったのだろう。常陸風土記には坂(足柄峠)から東の男女、春は花の咲けるとき、秋は木の葉の色づくとき、手を取り合って、飲食を持ち、馬に乗り、あるいは徒歩で登り、遊び、憩えり。その歌にいわくとあり以下二首。
●筑波嶺(つくばね)に会わんと言いし子は誰(た)が言(こと)聞けばか み寝(ね)会わずけむ【常陸風土記】
和訳:筑波山で会おうと約束した子は誰の言うことを聞いたのか逢ってはくれなかった
●筑波嶺に いおりて 妻なしに わが寝む夜は はや明けぬかも【常陸風土記】
和訳:筑波山のカガイに相手となる人もいないまま一人で寝る夜は早く明けて欲しい
●筑波嶺の さ百合の花の夜床(よどこ)にも 愛(いと)しけ妹(いも)ぞ 昼も愛(いと)しけ【万葉集】
和訳:筑波山のカガイで合った恋人は夜の百合の花の床でも可愛かったが昼も可愛いい
このようにして筑波山神社は男女の恋の神様のように受け取られてきた。筑波山は典型的な神奈備山で御神体が男体山(なんたいさん)(筑波男大神=イザナギノミコト)と女体山(にょたいさん)(筑波女大神=イザナミノミコト)に分かれて各頂上に本殿があり、したがって麓には拝殿のみがある。春と秋に例大祭「御座替祭(おざがわりさい)」が行なわれ、それぞれの神の衣替えのため、氏子たちが御輿(みこし)を担いで上の両御本殿に登拝する。春季は四月一日、秋季は十一月一日である。社前の赤い御神橋(ごしんきょう)はこの時のみ使用され、一般参詣客も上ることが許される。
進藤彦興著、 『詩でたどる日本神社百選』 から抜粋