人気のキーワード
★隙間時間にコラムを読むならアプリがオススメ★
最初にカカオを農耕に取り入れたとされる中米のメソアメリカ。 儀式や神への捧げものにカカオは重宝され、文化の発展に合わせて役割を増やしていきました。 ヨーロッパに焦点が当てられがちなチョコレートの始まり、その奥にあるオリジンへ迫ります。
カカオの学名テオブロマ・カカオのうち、テオブロマは「テオ」と「ブロマ」に分解できます。 それぞれギリシャ語で「テオ」は神「ブロマ」は食べもの、なぜこれほどに重みのある学名がつけられているのでしょうか?
カカオ(別名:カカオノキ)はアオイ科の常緑樹。 「カカオポッド」と呼ばれるラグビーボールを連想させる形をした実の中にカカオ豆を育みます。 気温も湿度も高い環境をよしとするカカオは、どこでも栽培できるわけではありません。 栽培に好ましいエリアは帯状で「カカオベルト」と名付けられています。
カカオ栽培が始まったのは紀元前2000年で食用というよりは儀式や神への捧げものに使用する目的で育てられました。 重みのある学名はこの史実に由来します。 後の時代に建国されるアステカ帝国でも「価値が高いもの」として扱われました。
アステカ神話に登場するケツァルコアトルは文化や農耕の神で、彼らにカカオを授けたとされています。 後世に登場した文化レベルの高い民族の神話によって価値が強化されたと言えるでしょう。
アステカ帝国はスペインの征服者コルテスの率いる軍の侵略によって滅ぼされます。 かたや馬と鉄砲で武装したスペイン兵、かたや弓矢が関の山であるアステカ兵。 武力差は歴然ながら帝国の抵抗は苛烈を極め、戦争3ヶ月にも及んだのだとか。 勇猛果敢な兵士が集う巨大湖上都市「テノチティトラン」において、どのような文化が形成されていたのでしょうか?
テノチティトランが築かれたのはテスココ湖の上。 湖を埋め立てて領土を広げ続け、1519年時点で約13㎢に達していたようです。 スペイン人を驚かせたのは、都の自国では見られない見事な区画整理。 都の中心に貴族の邸宅・大神殿・宮殿を構え、街は東西南北で規則的に分けられていました。 洪水に備えた堤防を築き、水路を張り巡らせ、一家に一艇のカヌーがある様はまさに水上都市。 武器の近代化はスペインに及びませんでしたが、土木技術は目を見張るものがあったと言えるでしょう。
アステカ帝国の皇帝は、太陽神ウイツィロポチトリの最高祭司を兼任していました。 彼らの信仰した太陽の唯一の栄養分とされたのが人間の生き血。 生きた人間から心臓を抜き取り、太陽へ捧げる人身御供が日常的に必要とされました。 もちろん、帝国の人々を生贄にするわけにはいきません。 国力の低下と国民の不満を招いてしまいます。 捧げものを怠れば太陽が滅ぶという恐怖から捕虜を獲得し続け、その心臓で人身御供を続けていました。 染みついた習慣による臨戦態勢の常態化がスペインに対する3ヶ月もの抵抗を実現したのかもしれません。
アステカ帝国は2つの暦で時の流れを捉えていました。 トナルポワリ(祭式暦)とシウポワリ(太陽暦)2つの暦の初日が同じ日になるのが52年(18980日)に1回です。 彼らはこれを1周期と考え、その周期の度に想像と破壊が繰り返されると信じていました。 宗教にゆかりがある祭式暦と農耕にゆかりがある太陽暦、2つの暦を併用し、独自の大系を構築しています。
備蓄用の食物としてメソアメリカに浸透していたトウモロコシ。 他方、本記事の主役であるカカオは税として、産地から都へ集められていました。 年貢として納められるだけの量を安定して生産できる農耕技術の高さが伺えます。 都に集められたカカオはどのように活用されていたのでしょうか?
メソアメリカ文明の晩期にあたるアステカ帝国では、文化の発展に即したカカオの新たな使い道が見出されました。
スペインの侵略が完了して間もない資料にカカオ豆と様々な物品を一定のレートで交換した履歴が記されています。 流通量が安定していなければ、このようなルールは設定できません。 通貨の役割を担っていたことで価値がより明確になり、偽物を作る者すら現れたとか。 生産量の多さと価値の高さが、これらの史実に裏づけられています。
通貨や交易品など、カカオが文化の発展に適応した複数の側面を併せ持つようになるなか、神の食べ物を口にする者が現れ始めます。 王族や貴族、いわゆる上流階級の人々です。 お金として取り扱われていたカカオを口にする行為は、ある種のステータスだったのでしょう。 すり潰したカカオ・トウモロコシの粉・バニラ・トウガラシなどを混ぜて泡立てたドリンクを薬のように飲んでいました。 ドリンクの名前であるショコラトルはどこか聞きなじみがありますよね。 諸説ありますが、我々のよく知るチョコレートの語源とされています。 和訳すると「苦い水」となるので、甘いチョコレートのイメージとはかけ離れているように感じますね。 血液の象徴であるカカオは力を授けるとされていたので、士気を高揚させる薬として戦士も口にすることが許されていたようです。 スペイン人は彼らのレシピに砂糖を足して、自分たちの好みに合わせました。 ヨーロッパテイストに調整された富の象徴は、現代の我々になじみ深いスイーツの始まりと言えるでしょう。
アステカの言葉でカカオを実らせる樹はカカバクラヒトルでしたが、スペイン本国にはカカップと報告されます。 この報告からさらに音が変わりカカオとして、ヨーロッパ全土に広まりました。 しかし、イギリスでは発音が難しく、ココアと呼ばれるように。 日本はイギリスにならったとされており、両者は同じものを指します。
ココアパウダーで作られたものをホットチョコレートと呼ぶ場合もあり、これらの境界線は曖昧です。 それでもあえて線引きをするならココアバターに着目しましょう。 カカオ豆の半分以上を構成するココアバター。 それを約22%までカットして作られたベースを粉末にしたのがココアです。 他方、チョコレートはカカオマスとカカオバターを併用する影響でココアバターの使用量は多くなります。 前者はさらりとした飲み心地になるのに対し、後者はコクが前面に出るため、味の違いで区分するのがよいでしょう。
ガトーショコラを英訳するとチョコレートケーキになります。 ただし、ショコラはフランスにおいて単にチョコレートを指しているとは限りません。 職人はショコラティエ/ショコラティエールと称され、他とは区別されています。 ショコラは職人の腕次第で変幻自在、同じ言葉で括るのが難しいほどに専門性が高いとされているようです。 フランスのチョコレート愛あふれる国民性が伺えますね。
今では多くの人が口にする機会のあるカカオ。 その始まりには血気盛んな民族から信仰を集めた神の物語がありました。 文化が発展しても神聖は色あせず、新たな価値が人間によって与えられ、その地位は確固たるものになっていきます。 しかしながら、口にできたのは時の権力者たちばかり。 戦争の末に渡ったヨーロッパでも、それはしばらく変わりませんでした。 当たり前に食しているものにも、そうなるに至る始まりと歴史があります。 少し立ち止まって調べてみると、思わぬ発見と驚きが待っているかもしれません。
最初にカカオを農耕に取り入れたとされる中米のメソアメリカ。
儀式や神への捧げものにカカオは重宝され、文化の発展に合わせて役割を増やしていきました。
ヨーロッパに焦点が当てられがちなチョコレートの始まり、その奥にあるオリジンへ迫ります。
目次
神の食べ物?学名から覗くカカオ栽培の起こり
カカオの学名テオブロマ・カカオのうち、テオブロマは「テオ」と「ブロマ」に分解できます。
それぞれギリシャ語で「テオ」は神「ブロマ」は食べもの、なぜこれほどに重みのある学名がつけられているのでしょうか?
高温多湿の熱帯を好むカカオ
カカオ(別名:カカオノキ)はアオイ科の常緑樹。
「カカオポッド」と呼ばれるラグビーボールを連想させる形をした実の中にカカオ豆を育みます。
気温も湿度も高い環境をよしとするカカオは、どこでも栽培できるわけではありません。
栽培に好ましいエリアは帯状で「カカオベルト」と名付けられています。
人類のカカオ栽培は中米のメソアメリカで始まった
カカオ栽培が始まったのは紀元前2000年で食用というよりは儀式や神への捧げものに使用する目的で育てられました。
重みのある学名はこの史実に由来します。
後の時代に建国されるアステカ帝国でも「価値が高いもの」として扱われました。
神様の贈り物?カカオはケツァルコアトルによって人間に授けられた
ラウド写本に描かれている。 著者不明著者不明 , パブリックドメイン, via Wikimedia Commons
アステカ神話に登場するケツァルコアトルは文化や農耕の神で、彼らにカカオを授けたとされています。
後世に登場した文化レベルの高い民族の神話によって価値が強化されたと言えるでしょう。
敵国スペインを驚かせた巨大湖上都市を有するアステカ帝国
アステカ帝国はスペインの征服者コルテスの率いる軍の侵略によって滅ぼされます。
かたや馬と鉄砲で武装したスペイン兵、かたや弓矢が関の山であるアステカ兵。
武力差は歴然ながら帝国の抵抗は苛烈を極め、戦争3ヶ月にも及んだのだとか。
勇猛果敢な兵士が集う巨大湖上都市「テノチティトラン」において、どのような文化が形成されていたのでしょうか?
ヨーロッパの大都市に肩を並べるアステカ帝国の都テノチティトラン
Photo: Jen Wilton . Creative Commons BY-NC 2.0 (cropped).
テノチティトランが築かれたのはテスココ湖の上。
湖を埋め立てて領土を広げ続け、1519年時点で約13㎢に達していたようです。
スペイン人を驚かせたのは、都の自国では見られない見事な区画整理。
都の中心に貴族の邸宅・大神殿・宮殿を構え、街は東西南北で規則的に分けられていました。
洪水に備えた堤防を築き、水路を張り巡らせ、一家に一艇のカヌーがある様はまさに水上都市。
武器の近代化はスペインに及びませんでしたが、土木技術は目を見張るものがあったと言えるでしょう。
心臓を生きたまま抜き取る!?信仰心ゆえに戦い続けたアステカ帝国
アステカ帝国の皇帝は、太陽神ウイツィロポチトリの最高祭司を兼任していました。
彼らの信仰した太陽の唯一の栄養分とされたのが人間の生き血。
生きた人間から心臓を抜き取り、太陽へ捧げる人身御供が日常的に必要とされました。
もちろん、帝国の人々を生贄にするわけにはいきません。
国力の低下と国民の不満を招いてしまいます。
捧げものを怠れば太陽が滅ぶという恐怖から捕虜を獲得し続け、その心臓で人身御供を続けていました。
染みついた習慣による臨戦態勢の常態化がスペインに対する3ヶ月もの抵抗を実現したのかもしれません。
2つの暦を用いたアステカ帝国の年代観
アステカ帝国は2つの暦で時の流れを捉えていました。
トナルポワリ(祭式暦)とシウポワリ(太陽暦)2つの暦の初日が同じ日になるのが52年(18980日)に1回です。
彼らはこれを1周期と考え、その周期の度に想像と破壊が繰り返されると信じていました。
宗教にゆかりがある祭式暦と農耕にゆかりがある太陽暦、2つの暦を併用し、独自の大系を構築しています。
アステカ帝国の税制度と周辺地域の農耕技術
備蓄用の食物としてメソアメリカに浸透していたトウモロコシ。
他方、本記事の主役であるカカオは税として、産地から都へ集められていました。
年貢として納められるだけの量を安定して生産できる農耕技術の高さが伺えます。
都に集められたカカオはどのように活用されていたのでしょうか?
文化の発展したアステカ帝国で登場する新たな価値観
メソアメリカ文明の晩期にあたるアステカ帝国では、文化の発展に即したカカオの新たな使い道が見出されました。
カカオ豆で回せ経済!通貨としての活用
スペインの侵略が完了して間もない資料にカカオ豆と様々な物品を一定のレートで交換した履歴が記されています。
流通量が安定していなければ、このようなルールは設定できません。
通貨の役割を担っていたことで価値がより明確になり、偽物を作る者すら現れたとか。
生産量の多さと価値の高さが、これらの史実に裏づけられています。
通貨をドリンクに? ステータスは苦い水
通貨や交易品など、カカオが文化の発展に適応した複数の側面を併せ持つようになるなか、神の食べ物を口にする者が現れ始めます。
王族や貴族、いわゆる上流階級の人々です。
お金として取り扱われていたカカオを口にする行為は、ある種のステータスだったのでしょう。
すり潰したカカオ・トウモロコシの粉・バニラ・トウガラシなどを混ぜて泡立てたドリンクを薬のように飲んでいました。
ドリンクの名前であるショコラトルはどこか聞きなじみがありますよね。
諸説ありますが、我々のよく知るチョコレートの語源とされています。
和訳すると「苦い水」となるので、甘いチョコレートのイメージとはかけ離れているように感じますね。
血液の象徴であるカカオは力を授けるとされていたので、士気を高揚させる薬として戦士も口にすることが許されていたようです。
スペイン人は彼らのレシピに砂糖を足して、自分たちの好みに合わせました。
ヨーロッパテイストに調整された富の象徴は、現代の我々になじみ深いスイーツの始まりと言えるでしょう。
国や文化で変わる呼び名と味
報告はカカップ?国境を越えて生まれる呼び名の多様性
アステカの言葉でカカオを実らせる樹はカカバクラヒトルでしたが、スペイン本国にはカカップと報告されます。
この報告からさらに音が変わりカカオとして、ヨーロッパ全土に広まりました。
しかし、イギリスでは発音が難しく、ココアと呼ばれるように。
日本はイギリスにならったとされており、両者は同じものを指します。
ココアとホットチョコレート、含有量に見る味の違い
ココアパウダーで作られたものをホットチョコレートと呼ぶ場合もあり、これらの境界線は曖昧です。
それでもあえて線引きをするならココアバターに着目しましょう。
カカオ豆の半分以上を構成するココアバター。
それを約22%までカットして作られたベースを粉末にしたのがココアです。
他方、チョコレートはカカオマスとカカオバターを併用する影響でココアバターの使用量は多くなります。
前者はさらりとした飲み心地になるのに対し、後者はコクが前面に出るため、味の違いで区分するのがよいでしょう。
ショコラとチョコレート、フランス語と英語で変わる表現
ガトーショコラを英訳するとチョコレートケーキになります。
ただし、ショコラはフランスにおいて単にチョコレートを指しているとは限りません。
職人はショコラティエ/ショコラティエールと称され、他とは区別されています。
ショコラは職人の腕次第で変幻自在、同じ言葉で括るのが難しいほどに専門性が高いとされているようです。
フランスのチョコレート愛あふれる国民性が伺えますね。
神聖な始まりの物語と文化発展の裏で権力の象徴になった歴史を併せ持つカカオ
今では多くの人が口にする機会のあるカカオ。
その始まりには血気盛んな民族から信仰を集めた神の物語がありました。
文化が発展しても神聖は色あせず、新たな価値が人間によって与えられ、その地位は確固たるものになっていきます。
しかしながら、口にできたのは時の権力者たちばかり。
戦争の末に渡ったヨーロッパでも、それはしばらく変わりませんでした。
当たり前に食しているものにも、そうなるに至る始まりと歴史があります。
少し立ち止まって調べてみると、思わぬ発見と驚きが待っているかもしれません。