ラーメン屋を改装した「チャイハネPart-1」が鉄骨3階建てに大変身!ビフォー、アフター!

これは、1981年に入社した
チャイハネのレジェンドが語る、
チャイハネの知られざる
ノンフィクションドラマである。

Vol,1はこちらから
レジェンド・オブ・チャイハネ一覧はこちらから

ラーメン屋の前は船具問屋だったようで、船や漁網を格納している船小屋のイメージ通りにボートを店頭の上に飾る事になりました。

最初のボートは金沢八景の運河で50m先に沈んでいたボートを、BOSSがパンツ1枚になってロープを引っ掛けて持ってきたと聞きました。凄いパワーです!
数年後に腐ってしまったので「どこか探して持って来い!」とBOSSからの命令で、2代目のボートは多摩川の上流に探しに行って土手に干してあったボート2隻を見つけ所有者を突きとめて、譲り受けてきました。(結構、大変な仕事でした。)

そして3代目のボートは葉山の知り合いに貸しボート屋を紹介してもらい、使ってないボートを安く買ってきました。今のボートは木製のボートが無く、全てグラスファイバーで雰囲気がありませんが仕方有りません。今は何代目でしょうか、「チャイハネ」といえばボートが飾ってあるイメージは今でも変わりありません。

BOSSから元町から来ても山下公園から来ても「チャイハネ」が目立つような、何か良い案はないか?と問われ、みんなは色々と考えました。

「 看板をド派手なネオンにしたら 」
「 でかいスピーカーを外に向けて大音量でレゲエを流す 」
「 朝から店頭に1人交代で立って、大声で客引きをする 」 などなど・・・

「よし!真っ赤な旗を道路に突き出し目立たそう!それもミラーが付いてキラキラ光るやつだ!」
頭にそびえたつ、インドの赤いミラーワークの旗もボート同様に40年前から欠かさず途切れる事なく今も続いています。

インドのミラーワークという伝統技法の赤い旗
インドのミラーワークという伝統技法の赤い旗

最初の旗は長い棒を拾ってきて釘で赤い旗を打ち付けて斜めに突き出して設置しました。
2階の大家さんに許可をもらい屋根に登り、旗の棒を針金でくくり付けてる時に、蜂の巣があり、背中2ヶ所を挿されてしまいました。

頭にきた私は10cmぐらいあった蜂の巣を退治して「BOSSこれが2階の屋根にあって、刺されてしまいました。」と報告すると、ひょいと蜂の巣を取り上げて
「う~む、300円だな」とシールの値札を付けて売場に並べました。

この話は誰も信用してくれないのですが本当の話です。

気が付いたら蜂の巣は無くなっていたので売れたかどうかは今だ、定かではありません。

左から、ラーメン屋⇒チャイハネ(旧小屋)⇒3階建て赤い旗、ボートが設置されている当時の画像
左から、ラーメン屋⇒チャイハネ(旧小屋)⇒3階建て
赤い旗、ボートが設置されている当時の画像

1985年12月 船小屋「チャイハネ」は建物の老朽化のために、やむなく解体、改築することになり、西域倉庫「チャイハネ」鉄骨3階建てが完成ました。

あのラーメン屋から船小屋「チャイハネ」になってから7年間。
私は5年間居ましたが、この5年間を振り返ると、とても貴重な時間でした。と、言うよりメチャクチャ何でも許される時期で、今想うと「チャイハネ」の原点だったのかもしれません。
(なんか、お香の匂いがして薄暗く、何を売っているのだろう? 蜂の巣も売っちゃうぐらい不気味な、楽しいお店でした!)その頃の様子はこちら▼
Vol.2「マコトが見ていた40年前の中華街の南門シルクロード」

大家さんから設計を全面的に任せると言われ、BOSSは初めて店舗のデザインを1から携わる事になりました。設計事務所の所長さんとも念入りな打合せがあり、かなりの構想があったようです。「フークロア世界への旅」の最後に記されています。

「フォークロア世界への旅」進藤幸彦 著
発行所 毎日新聞社
19.鎮魂、そして蘇り

「西域倉庫」チャイハネの映像がやっと明確に見えてきた。

ベランダを西域風に張り出させた屋根には、ホンコン経由で取り寄せる中国のもっとも素朴な民家の瓦を使い、イスラムのアーチがベランダの窓を仕切り、見上げると中国の木造の寺院でよく使われる格子がベランダを取り巻く。

床には、漢字のスローガンとインド・ネパールの古いモチーフを落書きして、何とか汚くしょう。
内装はネパールの門前町の木造建築の持つ、狭苦しい人懐かしさをテーマにして、その上芝居の舞台もつけ加えよう。
ボートや、やぐら組みはそのままにして、全体が、「船」の旅情をかもしだしている今の雰囲気は大事に残すことにしよう。

壁画の落書き画像とBOSSが描く様子
壁画の落書き画像とBOSSが描く様子

新築のチャイハネは1階が店舗、2階の半分が店舗で、奥の半分は事務所としてスタートしました。3階には大家さん一家が、引続き住んでいます。

2階の半分のお店は当時、アリさんというトルコ人に任せ、絨毯やカッパー(銅製品)、食器(チャイカップ等)、タイル、ナザルボンジュなど、今では色々な所で目にしますが当時は珍しかったものばかりでした。

私は営業部と店長を掛け持ちする決心をし、卸しの仕事が忙しくなったこともあり、きょうこさんは営業部へ異動です。
きょうこさんについてはこちら→Vol.4 「1981年頃の「チャイハネPart1」初代店長 きょうこさん」

「西域倉庫チャイハネ」の2階の屋根に命がけで貢献した思い出があります。

瓦はBOSSが拘った中国の瓦をわざわざ取寄せました。
古い建物のように、かもしだそうと、「草が生えるようにムシロに土を入れて屋根に並べてみてくれ。その内、雑草とか生えるだろう。」と。急斜面な屋根で滑ったら命はありません。

なんとか、瓦を割らないように命綱を付けてムシロを1個づつ、横1列に恐々並べました。
しかし一向に草が生えてきません。数年後、雨で土が流れ、まったく無駄な作業に終り、ガッカリです!

屋根画像
屋根画像

今までの古い船小屋チャイハネに比べるとずいぶん広くなったと思ったのは最初だけで、5年後には2階の半分にかまえた事務所を引っ越し、1階2階がフルの店舗になり、それでも、どんどん海外からの商品が増え続け、1992年に3階の大家さんに引っ越してもらい、1階から3階まで全フロアー1棟の「チャイハネ」が誕生しました。

そして、チャイハネ35周年の2013年に大規模リニューアル!
ネパールのブッタアイをドカーンと全面に、ネパール大使館から大使を招待してメディア向け内覧会として、盛大にオープニングセレモニーを行いました。

ブッダアイが2階についたチャイハネPart1(本店)店頭にて。メディア向け内覧会の様子
ブッダアイが2階についたチャイハネPart1(本店)店頭にて。
メディア向け内覧会の様子
その後、2018年チャイハネ40周年のとき。
その後、2018年チャイハネ40周年のとき。
草生えた

そして、2022年現在。2階の屋根には念願の草が生えています。
「失敗は成功のもと」と言いますが、専門の業者さんにお願いして完璧な見栄えとなりました。(あの命がけ作業はなんだったんだ!)

そして今、コロナ渦を乗越え、2022年7月15日、「チャイハネPart-3」と同時再リニューアルオープンしました!

チャイハネPart-1(2022.7月現在)※店内のリニューアルがメイン
チャイハネPart-1(2022.7月現在)※店内のリニューアルがメイン

「チャイハネPart-1」の前にある「チャイティーカフェ」も同時リニューアルオープンです。1階から3階までのイートインと物販店が誕生して進化した「チャイハネPart-3」の完成です。

チャイハネPart3(2022.7月現在)
チャイハネPart3(2022.7月現在)

PS:
「チャイハネ」スタッフに入社の動機を聞くと、「子供の頃、お父さんとお母さんに連れられたチャイハネが印象に残っていて」と親子代々、歴史が重ねられています。
お爺ちゃんもお婆ちゃんも3代一緒で楽しめる「チャイハネ」です。
(いつのまにか、私は孫が3人いるお爺ちゃんになりました。)

どんな時代になっても「チャイハネ」は永久に不滅です。

「フォークロア世界への旅」進藤幸彦 著

「旅のはじめに」より

伝統の弱い国から次々に国有のフォークロアが崩れていき、次第に忘れ去られていく。
民芸品は美術品としてミュージアムに入れて保存しておくこともできるかもしれない。
しかし、その民芸品を生み出した民族、フォークロアはそうはいかない。それは精神にかかわるものだからだ。今のうちだ。今のうちによく見ておいて大切なもの、どうしても忘れてはならないものを見極めたい。
(中略)
急がなければならない。忘れ去るには重すぎる、世界のフォークロアのさまざまな見聞を何とかしてみんなにも伝えたい。また自分なりに、私がそれらをどう現実に生かそうとしたかも聞いてもらいたい。
私にその力があろうとなかろうと、もうその時はきたのだ。

マコト

Vol,1はこちらから
連載一覧はこちらから

マコトさんのプロフィール画像

筆者プロフィール:マコト

1981年に3番目に入社したチャイハネの社員。
チャイハネPart1(本店)の二代目店長を経て、営業本部長に就任。
その後定年を迎え、引き続き現役で本部で働き続けて40年。
自分を一言で表すと……、ハッピー・マコト! かな。


  • Twitter
  • Facebook
  • LINE