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これは、1981年に入社したチャイハネのレジェンドが語る、 チャイハネの知られざるノンフィクションドラマである。
Vol,1はこちらから レジェンド・オブ・チャイハネ一覧はこちらから
仕事で海外へ行けるならと、先の事など何も考えず「チャイハネ」に入って1年目にBOSSに連れて行ってもらった香港は、嬉しくて刺激的な出張になりました。
なにしろ貧乏旅行でしか知らない海外だったのですから、HOTELはホットシャワーが出て、フカフカのベット、朝から食べ放題のビュッフェ。 なんてリッチなんだろう!感動です。
翌年はBOSSとネパールへ行きました。BOSSは初めてのネパールで、私は3回目でしたので、カトマンズの飛行場に着いた途端に知り合いの客引きと再会します。
「Hello ! my friend マコト! 今回もGoodなチープなHOTEL 紹介するよ。 Please follow me ! 」 「 NO!NO! This time with my Boss. I came ビジネス トリップ!」
「オレは出世したんだ。今までのオレとは違うんだ!」と言わんばかりに、胸を張って客引きを振り切り、タクシーでいざ、街中へ。
案の定、ホテルは5つ星。全て体験したことの無かった王宮HOTELです。 ヤモリやダニは1匹もいません。なにしろカトマンズは一泊120円のホテルしか知らなかったのですから。 落差、ハンパない!
BOSSには飛行場で「高級なHOTELじゃなくてもネパールは平和な国で、安いホテルでも安全です。」と説明しましたが、結構BOSSは慎重派で、初めての国は一流ホテルに泊まることが多かったようです。
到着したのが遅かったので仕事は明日からです。 BOSSから「酒でも飲むか?」と外へ繰り出すと思いきや、ホテルからウイスキーをボトルで頼むほどリッチな振る舞いで更にビックリ!
ちょうどフルムーンだったので、町中お祭り騒ぎ。 夜の街へ行きたくてウズウズしてたので「ちょっとタバコ買いに行ってきます。」と出掛けようとしたら「よしオレも行くか!」と付いてきます。まだまだ私を信用してないのか、1人で行かせてはくれません。 社会復帰を果たし、マジメに生きていこうとしてる青年は、信用を取り戻すまで時間が掛かるようです。
翌日は朝からはカトマンズの街を案内します。 「いやあ、ネパールだ、また来ちゃったよう。マコトが感にたえないような声を出してカトマンズの空気を吸い込んだ。」 ニューロードからダルバール広場に行き、フリックストリートへ。ここに「ヒッピーバス」が停まっていたんだ。懐かしい町並みです。
* このフレーズは「フォークロアー世界への旅」進藤幸彦 著18.ヒマラヤの哀歌と山唄 の冒頭につながります。 (フォークロアー世界への旅についてはVol.1へ)
まずはサンプルを買いまくって、小売相場をチェックします。値引き交渉は得意です。 以前のカトマンズより街中が賑わってます。タメル地区はこんな拓けてなかったし、ダルバール近辺に続いて新しい観光地帯が広がったようです。車も増えたようで、5年経つと随分と変わるものだと、国が総力をあげて観光に力を入れ始めた時期だったのでしょう、街中が綺麗になったようです。 (1983年頃で、『地球の歩き方』のインド・ネパールが初版された年です。初版はすごく薄っぺらくて情報が少なかったです。)
そしてネパールからインドです。 デリーのコンノートンにあるホテルに着いてビックリです。 以前、貧乏旅行中に40度を超えたメチャクチャ暑い日に、このホテルのプールにこっそり忍び込んで泳いでいたら、大男のターバンを巻いたホテルマンに追かけられたことがありました。
あの時の髭のターバン男が、まだHOTELの入口に立っています。 堂々と泊まることができ、優越感に浸りました。
タイランドもボスと二人でした。北のチェンマイには行った事がなかったので新鮮です。 まだ現物の商品を買って、そのまま日本で売れる珍しい山岳民族の民芸品が沢山あります。
折角タイに来たのだから南の島の「コサムイ」や「ピーピー島」へ行きたかったのですが、当然仕事になりませんので断念。そんなこと提案したらBOSSに怒られます。 そのかわりバンコックの夜は、通い慣れたチャイナタウンやディープなダウンタウンを案内したらBOSSは大喜びでした。
BOSSとは鞄持ちとして、インドネシアのジャカルタ、中国の広州、韓国、サンフランシスコ、メキシコ、ガテマラ、ペルー、ボリビアと初めて行く国へ同行することになり一生忘れられない宝物となりました。
出張から帰国すると、大きなトランクケースの中は商品で一杯詰まっています。 まだ羽田国際空港でしたので、横浜のYCATへリムジンバスで帰ると真っ先にトランクの中から商品を出して値段を付けて、すぐにお店に並べます。どんなに疲れていても全て買ってきた商品をお店に出すまでが出張です。 「家に着くまでが遠足です」と同じ。
遠くはるばる重たい思いで担いできた商品を、お客さんが目をキラキラしながら買って頂けると、なんともいえない嬉しさが込み上げてきます。
何度か出張に行ってBOSSが一流のHOTELに泊り、一流のレストランで食事をする訳が分りました。
毎日、慣れない異国で朝から晩まで歩き回り疲れた身体を休め、明日から回復して動けるように、お腹を壊さないよう清潔なレストランで食事をします。 当然、携帯電話がない時代ですから、メーカーさんとの連絡もとれませんので部屋に電話が無いホテルは有り得ません。
日本から来たバイヤーという事で足元を見られないように一流ホテルに泊まる事も大事なビジネスの駆け引きです。 スペイン語圏の中南米では通訳を雇い確実に、効率良く仕事をこなしていきます。 (中南米は英語が通じないのには、びっくりです。)
帰国してから商品が分るように、夜はホテルの部屋でその日に買った商品の値段と個数をマジックで大きく紙に書いてフィルムカメラで一緒に写るように商品ごとに撮ります。
バリ島に行った時です。クタビーチの小さなお店で、ラタン椅子を仕入れたのですが数量が足りなかったので、前金を支払って日本へ送るよう指示して帰ってきました。 しかし、いつまで待っても商品が届きません。BOSSは人を信用しすぎるところがあります。 丁度、休暇を利用してバリ島へ旅行に行く時でした。
「マコト!ちょうどいい、チケット代を出すから、例の店に行ってどうなっているのか催促してきてくれ。ついでに買付代も渡すから何か商品を買ってこい。」 のんびり休暇を楽しみたかったのですがチケット代を出してくれる条件で 「了解です。任せてください!」と調子良い返事をして出発しました。
早速、その店に行ったところ、お母さんが1人で店番していました。 「日本から来た。息子さんにお金を渡して送るよう注文したのに届いてない、どうしたんだ?」 「おー、息子はもう居ない。大金が入ったので引っ越してどこか行ってしまった。」 騙された事が判明し、お母さんに事情を話しても、どうする事もできません。
こうなったら「お店にある商品を代金分、片っ端から貰っていくぞ!」と金目の商品を日本に送り、事なきを得ました。 チケット代を出してもらった分、ちゃんと働かないとBOSSに申し訳ないと必死な解決案でした。
ある日ニットのセーターを持った青年が「チャイハネ」に来店しました。 初対面なのに、なぜか同類の臭いがします。
「ネパールで仕入れてきたセーターです。買ってください。」 「ゴメンなさい。ネパールのセーターは既にオリジナルデザインで直輸入しているので申し訳ない。」とお断りしました。当時はよくアジアから買ってきたと言って売りにくる若者が結構いました。
数ヵ月後、毎週火曜日の朝、「シルクロード舞踏館」でのミーティングの日でした。 スタッフが輪になって、きょうこさんが売上を発表している時でした。
いきなり扉が開いて「今日からお世話になります。宜しくお願いします。」 と遅刻したにも拘らず、元気良くスーツを着た新人が入って来ました。 そうです、あの時の青年です。
きょうこさんは「なんだよ、人が発表してる時に、図々しいなぁ」と小声でぼやいています。 彼はその日からきょうこさんから「ズー」と命名され、チャイハネメンバーとして仲間入りになりました。
ZOOはアジアはもちろん、中南米など世界中を旅したバックパッカーで、ネパールで結婚式を挙げたほどの強者(つわもの)です。 英語はもちろん、スペイン語やヒンズー語など語学堪能で、海外出張のエキスパートです。 今では民芸商品本部の本部長となり、偉くなり誰もZOOとは呼んでいませんが、きょうこさんが居れば、今でも呼んでいたでしょう!(・o・)ゞ
ZOOとはインドやタイ、中南米まで一緒に出張に行き、BOSSとは違った楽しさがあり、計画的に計算された出張で、大変に心強く頼もしかったです。 思い出すと色々な出来事があり、ニヤけてしまいます。
新卒第一号で入社したデザイナーの「もとぴ」とも、よくインド・ネパール・タイあたりに出張に行っていました。
余談ですが私は学校を卒業後、某大手石油会社に就職しました。 成田国際空港はまだ無く、この会社は羽田国際空港でジェット燃料を管理し給油する会社でした。
私の配属は国際線担当の給油1課でした。 ボーイング747ジャンボ機でしたら行き先によって違いますが3万ガロン以上入ります。 (1ガロン=3.8リットル 3万ガロン⇒114,000リットル)
1チーム4名で、大きなフィルターとホースを積んだトラック2台で飛行機の両翼の下に止まります。静電気防止のため、綿の白いツナギにアポロキャップをかぶり安全靴を履いて、INのホースをピット(地面にあるジェット燃料が出てくるパイプ)にセットしてOUTのホースは飛行機の翼の下にあるタンクにセットします。 両翼2本づつ4本のホースで凄い圧力で給油がはじまります。
その間は異常が無いかフィルター車の回りや飛行機の翼を監視します。 新人の仕事は何ガロン入ったか伝票作成と、給油中に1リットルビンに燃料サンプルを採ります。雨の日は水が入らないよう万全の注意を払い、もし給油した飛行機が墜落でもしたら真っ先にサンプル燃料をチェックされてしまいます。 (ジェット燃料は灯油によく似て無色透明です。)
給油時間は1時間掛かり、その間に機内食や乗客の荷物が届き、次にパイロットとスチュワーデスが機内に乗り込み(今はキャビンアデンダントとか言うらしい)、最後にバスに乗った乗客が乗り込み、出発です。
毎日、色々な各国の発着便を見ているうちに、 「この飛行機に乗ってどこか遠くへ行ってみたいなぁ」と憧れてきます。
そして2年後、とうとう我慢できなくなり退社してインド、ネパールへ放浪の旅へ。 気付いたら5年後には「チャイハネ」に勤めていました。
人生ってホント、分らないものですね!
おあとがよろしいようで....
つづく
Vol,1はこちらから 連載一覧はこちらから
1981年に3番目に入社したチャイハネの社員。 チャイハネPart1(本店)の二代目店長を経て、営業本部長に就任。 その後定年を迎え、引き続き現役で本部で働き続けて40年。 自分を一言で表すと……、ハッピー・マコト! かな。
これは、1981年に入社した
チャイハネのレジェンドが語る、
チャイハネの知られざる
ノンフィクションドラマである。
Vol,1はこちらから
レジェンド・オブ・チャイハネ一覧はこちらから
仕事で海外へ行けるならと、先の事など何も考えず「チャイハネ」に入って1年目にBOSSに連れて行ってもらった香港は、嬉しくて刺激的な出張になりました。
なにしろ貧乏旅行でしか知らない海外だったのですから、HOTELはホットシャワーが出て、フカフカのベット、朝から食べ放題のビュッフェ。
なんてリッチなんだろう!感動です。
翌年はBOSSとネパールへ行きました。BOSSは初めてのネパールで、私は3回目でしたので、カトマンズの飛行場に着いた途端に知り合いの客引きと再会します。
「Hello ! my friend マコト!
今回もGoodなチープなHOTEL 紹介するよ。 Please follow me ! 」
「 NO!NO! This time with my Boss. I came ビジネス トリップ!」
「オレは出世したんだ。今までのオレとは違うんだ!」と言わんばかりに、胸を張って客引きを振り切り、タクシーでいざ、街中へ。
案の定、ホテルは5つ星。全て体験したことの無かった王宮HOTELです。
ヤモリやダニは1匹もいません。なにしろカトマンズは一泊120円のホテルしか知らなかったのですから。
落差、ハンパない!
BOSSには飛行場で「高級なHOTELじゃなくてもネパールは平和な国で、安いホテルでも安全です。」と説明しましたが、結構BOSSは慎重派で、初めての国は一流ホテルに泊まることが多かったようです。
到着したのが遅かったので仕事は明日からです。
BOSSから「酒でも飲むか?」と外へ繰り出すと思いきや、ホテルからウイスキーをボトルで頼むほどリッチな振る舞いで更にビックリ!
ちょうどフルムーンだったので、町中お祭り騒ぎ。
夜の街へ行きたくてウズウズしてたので「ちょっとタバコ買いに行ってきます。」と出掛けようとしたら「よしオレも行くか!」と付いてきます。まだまだ私を信用してないのか、1人で行かせてはくれません。
社会復帰を果たし、マジメに生きていこうとしてる青年は、信用を取り戻すまで時間が掛かるようです。
翌日は朝からはカトマンズの街を案内します。
「いやあ、ネパールだ、また来ちゃったよう。マコトが感にたえないような声を出してカトマンズの空気を吸い込んだ。」
ニューロードからダルバール広場に行き、フリックストリートへ。ここに「ヒッピーバス」が停まっていたんだ。懐かしい町並みです。
* このフレーズは「フォークロアー世界への旅」進藤幸彦 著18.ヒマラヤの哀歌と山唄 の冒頭につながります。 (フォークロアー世界への旅についてはVol.1へ)
まずはサンプルを買いまくって、小売相場をチェックします。値引き交渉は得意です。
以前のカトマンズより街中が賑わってます。タメル地区はこんな拓けてなかったし、ダルバール近辺に続いて新しい観光地帯が広がったようです。車も増えたようで、5年経つと随分と変わるものだと、国が総力をあげて観光に力を入れ始めた時期だったのでしょう、街中が綺麗になったようです。
(1983年頃で、『地球の歩き方』のインド・ネパールが初版された年です。初版はすごく薄っぺらくて情報が少なかったです。)
そしてネパールからインドです。
デリーのコンノートンにあるホテルに着いてビックリです。
以前、貧乏旅行中に40度を超えたメチャクチャ暑い日に、このホテルのプールにこっそり忍び込んで泳いでいたら、大男のターバンを巻いたホテルマンに追かけられたことがありました。
あの時の髭のターバン男が、まだHOTELの入口に立っています。
堂々と泊まることができ、優越感に浸りました。
タイランドもボスと二人でした。北のチェンマイには行った事がなかったので新鮮です。
まだ現物の商品を買って、そのまま日本で売れる珍しい山岳民族の民芸品が沢山あります。
折角タイに来たのだから南の島の「コサムイ」や「ピーピー島」へ行きたかったのですが、当然仕事になりませんので断念。そんなこと提案したらBOSSに怒られます。
そのかわりバンコックの夜は、通い慣れたチャイナタウンやディープなダウンタウンを案内したらBOSSは大喜びでした。
BOSSとは鞄持ちとして、インドネシアのジャカルタ、中国の広州、韓国、サンフランシスコ、メキシコ、ガテマラ、ペルー、ボリビアと初めて行く国へ同行することになり一生忘れられない宝物となりました。
出張から帰国すると、大きなトランクケースの中は商品で一杯詰まっています。
まだ羽田国際空港でしたので、横浜のYCATへリムジンバスで帰ると真っ先にトランクの中から商品を出して値段を付けて、すぐにお店に並べます。どんなに疲れていても全て買ってきた商品をお店に出すまでが出張です。 「家に着くまでが遠足です」と同じ。
遠くはるばる重たい思いで担いできた商品を、お客さんが目をキラキラしながら買って頂けると、なんともいえない嬉しさが込み上げてきます。
何度か出張に行ってBOSSが一流のHOTELに泊り、一流のレストランで食事をする訳が分りました。
毎日、慣れない異国で朝から晩まで歩き回り疲れた身体を休め、明日から回復して動けるように、お腹を壊さないよう清潔なレストランで食事をします。
当然、携帯電話がない時代ですから、メーカーさんとの連絡もとれませんので部屋に電話が無いホテルは有り得ません。
日本から来たバイヤーという事で足元を見られないように一流ホテルに泊まる事も大事なビジネスの駆け引きです。
スペイン語圏の中南米では通訳を雇い確実に、効率良く仕事をこなしていきます。
(中南米は英語が通じないのには、びっくりです。)
帰国してから商品が分るように、夜はホテルの部屋でその日に買った商品の値段と個数をマジックで大きく紙に書いてフィルムカメラで一緒に写るように商品ごとに撮ります。
バリ島に行った時です。クタビーチの小さなお店で、ラタン椅子を仕入れたのですが数量が足りなかったので、前金を支払って日本へ送るよう指示して帰ってきました。
しかし、いつまで待っても商品が届きません。BOSSは人を信用しすぎるところがあります。
丁度、休暇を利用してバリ島へ旅行に行く時でした。
「マコト!ちょうどいい、チケット代を出すから、例の店に行ってどうなっているのか催促してきてくれ。ついでに買付代も渡すから何か商品を買ってこい。」
のんびり休暇を楽しみたかったのですがチケット代を出してくれる条件で
「了解です。任せてください!」と調子良い返事をして出発しました。
早速、その店に行ったところ、お母さんが1人で店番していました。
「日本から来た。息子さんにお金を渡して送るよう注文したのに届いてない、どうしたんだ?」
「おー、息子はもう居ない。大金が入ったので引っ越してどこか行ってしまった。」
騙された事が判明し、お母さんに事情を話しても、どうする事もできません。
こうなったら「お店にある商品を代金分、片っ端から貰っていくぞ!」と金目の商品を日本に送り、事なきを得ました。
チケット代を出してもらった分、ちゃんと働かないとBOSSに申し訳ないと必死な解決案でした。
ある日ニットのセーターを持った青年が「チャイハネ」に来店しました。
初対面なのに、なぜか同類の臭いがします。
「ネパールで仕入れてきたセーターです。買ってください。」
「ゴメンなさい。ネパールのセーターは既にオリジナルデザインで直輸入しているので申し訳ない。」とお断りしました。当時はよくアジアから買ってきたと言って売りにくる若者が結構いました。
数ヵ月後、毎週火曜日の朝、「シルクロード舞踏館」でのミーティングの日でした。
スタッフが輪になって、きょうこさんが売上を発表している時でした。
いきなり扉が開いて「今日からお世話になります。宜しくお願いします。」
と遅刻したにも拘らず、元気良くスーツを着た新人が入って来ました。
そうです、あの時の青年です。
きょうこさんは「なんだよ、人が発表してる時に、図々しいなぁ」と小声でぼやいています。
彼はその日からきょうこさんから「ズー」と命名され、チャイハネメンバーとして仲間入りになりました。
ZOOはアジアはもちろん、中南米など世界中を旅したバックパッカーで、ネパールで結婚式を挙げたほどの強者(つわもの)です。
英語はもちろん、スペイン語やヒンズー語など語学堪能で、海外出張のエキスパートです。
今では民芸商品本部の本部長となり、偉くなり誰もZOOとは呼んでいませんが、きょうこさんが居れば、今でも呼んでいたでしょう!(・o・)ゞ
ZOOとはインドやタイ、中南米まで一緒に出張に行き、BOSSとは違った楽しさがあり、計画的に計算された出張で、大変に心強く頼もしかったです。
思い出すと色々な出来事があり、ニヤけてしまいます。
新卒第一号で入社したデザイナーの「もとぴ」とも、よくインド・ネパール・タイあたりに出張に行っていました。
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余談ですが私は学校を卒業後、某大手石油会社に就職しました。
成田国際空港はまだ無く、この会社は羽田国際空港でジェット燃料を管理し給油する会社でした。
私の配属は国際線担当の給油1課でした。
ボーイング747ジャンボ機でしたら行き先によって違いますが3万ガロン以上入ります。
(1ガロン=3.8リットル 3万ガロン⇒114,000リットル)
1チーム4名で、大きなフィルターとホースを積んだトラック2台で飛行機の両翼の下に止まります。静電気防止のため、綿の白いツナギにアポロキャップをかぶり安全靴を履いて、INのホースをピット(地面にあるジェット燃料が出てくるパイプ)にセットしてOUTのホースは飛行機の翼の下にあるタンクにセットします。
両翼2本づつ4本のホースで凄い圧力で給油がはじまります。
その間は異常が無いかフィルター車の回りや飛行機の翼を監視します。
新人の仕事は何ガロン入ったか伝票作成と、給油中に1リットルビンに燃料サンプルを採ります。雨の日は水が入らないよう万全の注意を払い、もし給油した飛行機が墜落でもしたら真っ先にサンプル燃料をチェックされてしまいます。
(ジェット燃料は灯油によく似て無色透明です。)
給油時間は1時間掛かり、その間に機内食や乗客の荷物が届き、次にパイロットとスチュワーデスが機内に乗り込み(今はキャビンアデンダントとか言うらしい)、最後にバスに乗った乗客が乗り込み、出発です。
毎日、色々な各国の発着便を見ているうちに、
「この飛行機に乗ってどこか遠くへ行ってみたいなぁ」と憧れてきます。
そして2年後、とうとう我慢できなくなり退社してインド、ネパールへ放浪の旅へ。
気付いたら5年後には「チャイハネ」に勤めていました。
人生ってホント、分らないものですね!
おあとがよろしいようで....
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筆者プロフィール:マコト
1981年に3番目に入社したチャイハネの社員。
チャイハネPart1(本店)の二代目店長を経て、営業本部長に就任。
その後定年を迎え、引き続き現役で本部で働き続けて40年。
自分を一言で表すと……、ハッピー・マコト! かな。