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メキシコシティから車で約1時間。そこには「神々の都市」と呼ばれた古代都市の遺跡が広がっています。1987年に世界遺産に登録されたテオティワカンは、謎に包まれた歴史と壮大なピラミッドで世界中の旅行者を魅了し続けているのです。
この記事では、テオティワカンの基本情報から見どころ、滅亡の謎、そして実際に訪れる際の観光情報まで詳しくご紹介していきます。
メキシコを代表する古代遺跡テオティワカン。その名前の由来や世界遺産としての価値について、まずは基本的な情報を押さえておきましょう。
紀元前後から約700年にわたって繁栄したこの都市は、当時のアメリカ大陸で最大規模を誇り、最盛期には12万人以上もの人々が暮らしていたと考えられています。エジプトのピラミッドにも匹敵する巨大建造物が残る、メソアメリカ文明を代表する遺跡なのです。
テオティワカンは、メキシコの首都メキシコシティから北東へ約50キロメートルに位置する古代都市遺跡です。紀元前2世紀頃から人々が定住し始め、紀元1世紀頃には本格的な都市として発展。4世紀から6世紀にかけて最盛期を迎え、当時の世界でも有数の大都市に成長しました。
遺跡の総面積は約83平方キロメートルにも及び、その中心部には高さ65メートルを超える巨大なピラミッドや、幅40メートル以上の大通りが整然と配置されています。 碁盤目状に設計された街路、川の流れさえ人工的に変えて都市計画に組み込むなど、現代にも通じる高度な都市計画が実現されていたことがわかっています。
しかし7世紀頃、この繁栄を誇った都市は突如として放棄されました。なぜ滅んだのか、誰がこの都市を築いたのか、多くの謎が今も解明されていません。
「テオティワカン」という名前は、アステカ人(メシカ人)がつけたものです。12〜13世紀頃、すでに廃墟となっていたこの都市を発見したアステカ人は、あまりの壮大さに驚き、ナワトル語で「神々が生まれた場所」あるいは「神々の都市」を意味する「テオティワカン」と名付けました。
アステカの創世神話によれば、この地で神々が集い、太陽と月を生み出す儀式が行われたとされています。2柱の神が聖なる炎に身を投じ、その自己犠牲によって空に太陽と月が現れた——という伝説が語り継がれてきました。ただし、都市が繁栄していた当時、住民たちがこの地を何と呼んでいたのかは判明していません。マヤの碑文には「プフ(葦の地)」という記述が見られ、これがテオティワカンを指すのではないかとも考えられています。
テオティワカンは1987年、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。文化遺産の基準6項目のうち5項目が適用されるという、極めて高い評価を受けています。
太陽のピラミッドをはじめとする建造物群は、人類の創造的才能を示す傑作とされました。碁盤目状に設計された街路、川の流れさえ変えて組み込んだ都市計画は、現代にも通じる高度な技術力の証拠です。また、テオティワカン文明の影響はメキシコ中央部からユカタン半島、グアテマラにまで広がり、後のマヤやアステカ文明の形成に大きく寄与しました。アステカ時代にも巡礼地として崇められ続けた精神的価値も、世界遺産としての評価を高めています。
テオティワカン遺跡を訪れたら、ぜひ押さえておきたいスポットをご紹介します。
テオティワカン最大の建造物が、太陽のピラミッドです。底面は一辺約222〜225メートルのほぼ正方形で、現在の高さは約65メートル。体積は約100万立方メートルに達し、エジプトのピラミッドにも匹敵する規模です。2世紀初頭にかけて建造され、メソアメリカ特有の「タルー・タブレロ様式」で作られています。斜面状の土台(タルー)の上に垂直の壁面パネル(タブレロ)を乗せる段々構造で、かつては朱色を基調とした彩色が施されていました。
2013年の調査では、ピラミッド頂上から火の神「ウェウェテオトル」の石像が出土。また、ピラミッドの真下には東西に伸びる自然の洞窟が存在し、創世神話や地下世界への入口と関連づける説もあります。なお、現在は遺跡保全のため登頂禁止となっています。
遺跡の北端に位置する月のピラミッドは、高さ約43メートルとテオティワカン第二の規模。死者の大通りの正面に堂々と鎮座し、背後のセロ・ゴード山の稜線と美しく調和するように築かれています。建造は2世紀頃に始まり、西暦250〜300年頃に現在の規模に。7層にわたって増築された点が興味深く、内部の各層からは生贄供犠の痕跡や副葬品が発見されています。
2020年以降、保存対策で登頂が禁止されていましたが、2025年5月に第1段目(47段)まで限定で再開されました。頂上には登れないものの、ここからの眺望でも十分に遺跡全体のパノラマを楽しめます。
テオティワカン遺跡を南北に貫く全長約2〜4キロメートル、幅40〜60メートルの巨大な大通りです。北端の月のピラミッド前広場から南のシウダデラ(城塞)まで一直線に延びています。「死者の大通り」という名前は、後世のアステカ人が大通り沿いの小型基壇を墓標と見誤り「ミカオトリ(死者の道)」と名付けたという説があります。実際には宗教儀式の場や貴族の建物跡だったと考えられています。計画都市テオティワカンでは、この大通りが基準線となり、都市全体が碁盤目状に区画されていました。
シウダデラ(城塞)と呼ばれる南側の大規模な広場内にあるのが、ケツァルコアトルの神殿です。6段の小型ピラミッドで高さは約20メートル強。芸術的価値と考古学的重要性で際立つ存在です。最大の見どころは、ファサード全面に施された精巧な彫刻。羽毛の蛇の頭部と雨の神トラロックが交互に彫り出され、かつては赤・青・緑に彩られていました。1980年代の発掘では100体以上の人骨も発見されています。さらに2003年には、神殿の真下に全長約100メートルの地下トンネルが発見されました。1,800年以上密封されていた空間からは、翡翠の人形やジャガーの骨、そして2015年には大量の液体水銀も出土。水銀は冥界の川を表現したのではないかと考えられ、考古学界に大きな衝撃を与えました。
壮大な建造物を生み出したテオティワカン文明は、どのような社会だったのでしょうか。
テオティワカンは、当時のアメリカ大陸で最大規模の都市でした。最盛期の推定人口は12万5千人以上、一説では20万人近くに達したともいわれています。6世紀頃の世界では第6位の規模だったとする推定もあります。市域は20〜36平方キロメートルにも及び、2,000棟を超える集合住宅が立ち並んでいました。特筆すべきは、オアハカ地方やメキシコ湾岸、マヤ地域など異なる文化を持つ人々が集団で暮らした「多文化のコスモポリス」だったこと。繁栄の基盤となったのは、近郊で産出される黒曜石と広域交易ネットワークでした。
テオティワカンは、宗教を軸とした社会だったと考えられています。壮大なピラミッドや神殿は宗教儀礼の中心であり、人々の精神的な拠り所でもありました。遺跡から出土する壁画や彫刻からは、主要な神格が浮かび上がっています。豊穣や大地を司る「大女神」、農業と密接に関わる雨の神「トラロック」、戦争や支配者カルトと結びついた「羽毛の蛇(ケツァルコアトル)」などです。
テオティワカンでは、人や動物を神々に捧げる生贄の儀式も行われていました。神殿の建設時や特別な祭祀の際に生贄が伴い、その痕跡が各所で発見されています。
テオティワカン文明最大の謎のひとつが、「誰がこの都市を治めていたのか」という点です。
興味深いことに、テオティワカンからは古代マヤのような王の肖像や即位の碑文が見つかっていません。このことから、単一の王が存在せず、集団指導体制(寡頭制もしくは評議会制)だったのではないかという説が唱えられてきました。
一方で、ケツァルコアトル神殿の豪奢さや大量の生贄は、強力な権威者の存在も示唆しています。文字記録がほとんど残されていないため、支配体制の実態は今も謎に包まれています。
最盛期には20万人近くが暮らした巨大都市テオティワカン。しかし6世紀中頃から急速に衰退し、8世紀初め頃にはほぼ放棄されてしまいました。なぜ繁栄は突然終わりを迎えたのでしょうか。
最も有力視されている説のひとつが、内乱による崩壊です。西暦550年頃、テオティワカンの都市中心部では、主要な建造物が意図的に焼き払われた跡が発見されています。火災の痕跡は特に支配層の居住区や神殿に集中しており、統治者層を標的にしたクーデターや反乱が起きた可能性が高いと考えられています。
気候変動や環境要因を重視する説も有力です。研究によれば、西暦500年頃からメキシコ中央高原では降水量が大きく下回る乾燥期が続いたとされています。特に西暦535〜536年には、火山噴火に伴う極端な寒冷化が起こり、食糧生産が打撃を受けた可能性が指摘されています。
出典:Long dry spell doomed Mexican city 1,000 years ago | Research UC Berkeley
社会不安の蓄積が都市崩壊につながったという見方もあります。支配層と被支配層の格差拡大、権力層内部での対立激化などが重なったと考えられています。また、2024年に発表された最新研究では、テオティワカンの三大ピラミッドに深刻な地震の痕跡が確認されました。紀元100年から600年の間に5回の巨大地震が発生したと推定されています。おそらく干ばつ、地震、内乱といった複合的な要因が重なり合い、テオティワカンは徐々に衰退の道をたどったのでしょう。
出典:5 catastrophic megathrust earthquakes led to the demise of the pre-Aztec city of Teotihuacan, new study suggests | Live Science
テオティワカン遺跡を訪れるなら、ぜひ立ち寄りたい周辺スポットもあわせてご紹介します。遺跡エリア内には出土品を展示する博物館があり、ピラミッドを見た後に訪れると、テオティワカン文明への理解がいっそう深まるでしょう。時間に余裕があれば、遺跡外のスポットにも足を延ばしてみてください。
太陽のピラミッドのすぐ脇にあるのが、テオティワカン遺跡博物館(シティオ博物館)です。遺跡から発掘された土偶や石器、土器、そして生贄の骨なども展示されており、考古学に興味がある方には特におすすめ。都市全体を再現したミニチュア模型もあり、当時の規模を実感できます。
ピラミッド観光とあわせて訪れると、テオティワカン文明への理解がより深まります。
テオティワカン遺跡の近くにあるテーマパーク型の文化施設です。伝統的なテマスカル(スチームバス)体験やワークショップが楽しめ、天然の洞窟システムの上に位置するユニークな立地も見どころ。
遺跡とは違った角度からメキシコ文化に触れたい方におすすめのスポットです。
テオティワカン遺跡への行き方や、観光を楽しむためのポイントをご紹介します。メキシコシティから日帰りで訪れることができ、アクセスも比較的簡単。ただし広大な遺跡を快適に巡るためには、事前の準備と情報収集が大切です。ベストシーズンや注意点も押さえて、充実した遺跡観光を楽しみましょう。
日本からテオティワカンへは、まずメキシコシティを目指します。成田からメキシコシティ国際空港までは、直行便(ANA)で約12〜14時間です。メキシコシティからテオティワカン遺跡へは、主に3つの方法があります。
初めての方は、ガイドの解説を聞きながら効率よく回れる現地ツアーがおすすめです。
テオティワカン観光は年間を通じて可能ですが、季節によって特徴が異なります。
春分の日のイベントは、メキシコ各地の古代遺跡で開催される伝統行事です。テオティワカンでも毎年多くの人が太陽のピラミッドに集まり、両手を広げて太陽のエネルギーを受け取る儀式が行われます。
テオティワカン遺跡の開場時間は午前8時から午後5時まで。入場料は約80〜95ペソ(約600〜700円)です。遺跡には出入り口が3か所あり、効率よく回るなら南から北へ進むルートがおすすめ。ケツァルコアトルの神殿→太陽のピラミッド→月のピラミッドの順に巡り、最後に3番門から出て帰る流れです。手軽に観光するなら半日、博物館もじっくり見たい方は丸1日確保しておくと安心です。
テオティワカン遺跡を快適に楽しむために、以下の点を押さえておきましょう。
しっかり準備をして、古代文明の壮大さを存分に味わってください。
※交通費や入場料は変動する場合があります。事前に最新情報をご確認ください。
テオティワカンは、今からおよそ1500年以上前に繁栄したにもかかわらず、現代の私たちに強烈な印象と謎を投げかけてきます。巨大なピラミッドや整然とした都市遺構は古代人の叡智とスケールの大きさを物語り、壁画や出土品は彼らの精神世界と美意識を今に伝えているのです。
誰がこの都市を築いたのか、なぜ突然滅んだのか——多くの謎が今も解明されていません。だからこそ、訪れる人それぞれが自分なりの想像力を働かせ、古代に思いを馳せることができるのでしょう。
世界遺産として守られるテオティワカンは、メキシコと世界の宝です。年間100万人以上がこの地を訪れ、古代文明の壮大さに心打たれています。メキシコ旅行を計画中の方は、ぜひ「神々の都市」に足を運んでみてください。
ピラミッドに昇る朝日、広場に吹き抜ける風——それらはきっと、忘れがたい記憶となることでしょう。
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メキシコシティから車で約1時間。そこには「神々の都市」と呼ばれた古代都市の遺跡が広がっています。
1987年に世界遺産に登録されたテオティワカンは、謎に包まれた歴史と壮大なピラミッドで世界中の旅行者を魅了し続けているのです。
この記事では、テオティワカンの基本情報から見どころ、滅亡の謎、そして実際に訪れる際の観光情報まで詳しくご紹介していきます。
目次
テオティワカンの基本情報
メキシコを代表する古代遺跡テオティワカン。
その名前の由来や世界遺産としての価値について、まずは基本的な情報を押さえておきましょう。
紀元前後から約700年にわたって繁栄したこの都市は、当時のアメリカ大陸で最大規模を誇り、最盛期には12万人以上もの人々が暮らしていたと考えられています。
エジプトのピラミッドにも匹敵する巨大建造物が残る、メソアメリカ文明を代表する遺跡なのです。
テオティワカンとは
テオティワカンは、メキシコの首都メキシコシティから北東へ約50キロメートルに位置する古代都市遺跡です。
紀元前2世紀頃から人々が定住し始め、紀元1世紀頃には本格的な都市として発展。4世紀から6世紀にかけて最盛期を迎え、当時の世界でも有数の大都市に成長しました。
遺跡の総面積は約83平方キロメートルにも及び、その中心部には高さ65メートルを超える巨大なピラミッドや、幅40メートル以上の大通りが整然と配置されています。
碁盤目状に設計された街路、川の流れさえ人工的に変えて都市計画に組み込むなど、現代にも通じる高度な都市計画が実現されていたことがわかっています。
しかし7世紀頃、この繁栄を誇った都市は突如として放棄されました。
なぜ滅んだのか、誰がこの都市を築いたのか、多くの謎が今も解明されていません。
名前の意味
「テオティワカン」という名前は、アステカ人(メシカ人)がつけたものです。
12〜13世紀頃、すでに廃墟となっていたこの都市を発見したアステカ人は、あまりの壮大さに驚き、ナワトル語で「神々が生まれた場所」あるいは「神々の都市」を意味する「テオティワカン」と名付けました。
アステカの創世神話によれば、この地で神々が集い、太陽と月を生み出す儀式が行われたとされています。
2柱の神が聖なる炎に身を投じ、その自己犠牲によって空に太陽と月が現れた——という伝説が語り継がれてきました。
ただし、都市が繁栄していた当時、住民たちがこの地を何と呼んでいたのかは判明していません。
マヤの碑文には「プフ(葦の地)」という記述が見られ、これがテオティワカンを指すのではないかとも考えられています。
なぜ世界遺産に選ばれたのか
テオティワカンは1987年、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
文化遺産の基準6項目のうち5項目が適用されるという、極めて高い評価を受けています。
太陽のピラミッドをはじめとする建造物群は、人類の創造的才能を示す傑作とされました。碁盤目状に設計された街路、川の流れさえ変えて組み込んだ都市計画は、現代にも通じる高度な技術力の証拠です。
また、テオティワカン文明の影響はメキシコ中央部からユカタン半島、グアテマラにまで広がり、後のマヤやアステカ文明の形成に大きく寄与しました。
アステカ時代にも巡礼地として崇められ続けた精神的価値も、世界遺産としての評価を高めています。
テオティワカンの見どころ
テオティワカン遺跡を訪れたら、ぜひ押さえておきたいスポットをご紹介します。
太陽のピラミッド
テオティワカン最大の建造物が、太陽のピラミッドです。
底面は一辺約222〜225メートルのほぼ正方形で、現在の高さは約65メートル。体積は約100万立方メートルに達し、エジプトのピラミッドにも匹敵する規模です。
2世紀初頭にかけて建造され、メソアメリカ特有の「タルー・タブレロ様式」で作られています。
斜面状の土台(タルー)の上に垂直の壁面パネル(タブレロ)を乗せる段々構造で、かつては朱色を基調とした彩色が施されていました。
2013年の調査では、ピラミッド頂上から火の神「ウェウェテオトル」の石像が出土。
また、ピラミッドの真下には東西に伸びる自然の洞窟が存在し、創世神話や地下世界への入口と関連づける説もあります。なお、現在は遺跡保全のため登頂禁止となっています。
月のピラミッド
遺跡の北端に位置する月のピラミッドは、高さ約43メートルとテオティワカン第二の規模。
死者の大通りの正面に堂々と鎮座し、背後のセロ・ゴード山の稜線と美しく調和するように築かれています。
建造は2世紀頃に始まり、西暦250〜300年頃に現在の規模に。7層にわたって増築された点が興味深く、内部の各層からは生贄供犠の痕跡や副葬品が発見されています。
2020年以降、保存対策で登頂が禁止されていましたが、2025年5月に第1段目(47段)まで限定で再開されました。頂上には登れないものの、ここからの眺望でも十分に遺跡全体のパノラマを楽しめます。
死者の大通り
テオティワカン遺跡を南北に貫く全長約2〜4キロメートル、幅40〜60メートルの巨大な大通りです。
北端の月のピラミッド前広場から南のシウダデラ(城塞)まで一直線に延びています。
「死者の大通り」という名前は、後世のアステカ人が大通り沿いの小型基壇を墓標と見誤り「ミカオトリ(死者の道)」と名付けたという説があります。
実際には宗教儀式の場や貴族の建物跡だったと考えられています。
計画都市テオティワカンでは、この大通りが基準線となり、都市全体が碁盤目状に区画されていました。
ケツァルコアトルの神殿
シウダデラ(城塞)と呼ばれる南側の大規模な広場内にあるのが、ケツァルコアトルの神殿です。
6段の小型ピラミッドで高さは約20メートル強。芸術的価値と考古学的重要性で際立つ存在です。
最大の見どころは、ファサード全面に施された精巧な彫刻。
羽毛の蛇の頭部と雨の神トラロックが交互に彫り出され、かつては赤・青・緑に彩られていました。1980年代の発掘では100体以上の人骨も発見されています。
さらに2003年には、神殿の真下に全長約100メートルの地下トンネルが発見されました。
1,800年以上密封されていた空間からは、翡翠の人形やジャガーの骨、そして2015年には大量の液体水銀も出土。水銀は冥界の川を表現したのではないかと考えられ、考古学界に大きな衝撃を与えました。
テオティワカン文明の特徴
壮大な建造物を生み出したテオティワカン文明は、どのような社会だったのでしょうか。
巨大な都市
テオティワカンは、当時のアメリカ大陸で最大規模の都市でした。
最盛期の推定人口は12万5千人以上、一説では20万人近くに達したともいわれています。6世紀頃の世界では第6位の規模だったとする推定もあります。
市域は20〜36平方キロメートルにも及び、2,000棟を超える集合住宅が立ち並んでいました。
特筆すべきは、オアハカ地方やメキシコ湾岸、マヤ地域など異なる文化を持つ人々が集団で暮らした「多文化のコスモポリス」だったこと。繁栄の基盤となったのは、近郊で産出される黒曜石と広域交易ネットワークでした。
宗教中心の社会
テオティワカンは、宗教を軸とした社会だったと考えられています。壮大なピラミッドや神殿は宗教儀礼の中心であり、人々の精神的な拠り所でもありました。
遺跡から出土する壁画や彫刻からは、主要な神格が浮かび上がっています。
豊穣や大地を司る「大女神」、農業と密接に関わる雨の神「トラロック」、戦争や支配者カルトと結びついた「羽毛の蛇(ケツァルコアトル)」などです。
テオティワカンでは、人や動物を神々に捧げる生贄の儀式も行われていました。神殿の建設時や特別な祭祀の際に生贄が伴い、その痕跡が各所で発見されています。
支配者不在の謎
テオティワカン文明最大の謎のひとつが、「誰がこの都市を治めていたのか」という点です。
興味深いことに、テオティワカンからは古代マヤのような王の肖像や即位の碑文が見つかっていません。
このことから、単一の王が存在せず、集団指導体制(寡頭制もしくは評議会制)だったのではないかという説が唱えられてきました。
一方で、ケツァルコアトル神殿の豪奢さや大量の生贄は、強力な権威者の存在も示唆しています。文字記録がほとんど残されていないため、支配体制の実態は今も謎に包まれています。
テオティワカンはなぜ滅びた?
最盛期には20万人近くが暮らした巨大都市テオティワカン。
しかし6世紀中頃から急速に衰退し、8世紀初め頃にはほぼ放棄されてしまいました。なぜ繁栄は突然終わりを迎えたのでしょうか。
内乱説
最も有力視されている説のひとつが、内乱による崩壊です。
西暦550年頃、テオティワカンの都市中心部では、主要な建造物が意図的に焼き払われた跡が発見されています。火災の痕跡は特に支配層の居住区や神殿に集中しており、統治者層を標的にしたクーデターや反乱が起きた可能性が高いと考えられています。
干ばつ説
気候変動や環境要因を重視する説も有力です。
研究によれば、西暦500年頃からメキシコ中央高原では降水量が大きく下回る乾燥期が続いたとされています。特に西暦535〜536年には、火山噴火に伴う極端な寒冷化が起こり、食糧生産が打撃を受けた可能性が指摘されています。
出典:Long dry spell doomed Mexican city 1,000 years ago | Research UC Berkeley
社会不安説
社会不安の蓄積が都市崩壊につながったという見方もあります。
支配層と被支配層の格差拡大、権力層内部での対立激化などが重なったと考えられています。
また、2024年に発表された最新研究では、テオティワカンの三大ピラミッドに深刻な地震の痕跡が確認されました。紀元100年から600年の間に5回の巨大地震が発生したと推定されています。
おそらく干ばつ、地震、内乱といった複合的な要因が重なり合い、テオティワカンは徐々に衰退の道をたどったのでしょう。
出典:5 catastrophic megathrust earthquakes led to the demise of the pre-Aztec city of Teotihuacan, new study suggests | Live Science
テオティワカン周辺のおすすめスポット
テオティワカン遺跡を訪れるなら、ぜひ立ち寄りたい周辺スポットもあわせてご紹介します。
遺跡エリア内には出土品を展示する博物館があり、ピラミッドを見た後に訪れると、テオティワカン文明への理解がいっそう深まるでしょう。
時間に余裕があれば、遺跡外のスポットにも足を延ばしてみてください。
テオティワカン遺跡博物館
太陽のピラミッドのすぐ脇にあるのが、テオティワカン遺跡博物館(シティオ博物館)です。
遺跡から発掘された土偶や石器、土器、そして生贄の骨なども展示されており、考古学に興味がある方には特におすすめ。都市全体を再現したミニチュア模型もあり、当時の規模を実感できます。
ピラミッド観光とあわせて訪れると、テオティワカン文明への理解がより深まります。
テマティコ・トラロカン公園
テオティワカン遺跡の近くにあるテーマパーク型の文化施設です。伝統的なテマスカル(スチームバス)体験やワークショップが楽しめ、天然の洞窟システムの上に位置するユニークな立地も見どころ。
遺跡とは違った角度からメキシコ文化に触れたい方におすすめのスポットです。
テオティワカンを観光しよう
テオティワカン遺跡への行き方や、観光を楽しむためのポイントをご紹介します。
メキシコシティから日帰りで訪れることができ、アクセスも比較的簡単。ただし広大な遺跡を快適に巡るためには、事前の準備と情報収集が大切です。ベストシーズンや注意点も押さえて、充実した遺跡観光を楽しみましょう。
日本からテオティワカンへの行き方
日本からテオティワカンへは、まずメキシコシティを目指します。成田からメキシコシティ国際空港までは、直行便(ANA)で約12〜14時間です。
メキシコシティからテオティワカン遺跡へは、主に3つの方法があります。
北バスターミナルから直通
効率よく回れる
交通事情に慣れた方向け
初めての方は、ガイドの解説を聞きながら効率よく回れる現地ツアーがおすすめです。
観光におすすめの季節は?
テオティワカン観光は年間を通じて可能ですが、季節によって特徴が異なります。
(11月〜4月)
(5月〜10月)
9〜10月はハリケーンに注意
(3月20〜21日頃)
数千人が白い服で集まる
ゆっくり見学したい方は避けた方が無難
春分の日のイベントは、メキシコ各地の古代遺跡で開催される伝統行事です。テオティワカンでも毎年多くの人が太陽のピラミッドに集まり、両手を広げて太陽のエネルギーを受け取る儀式が行われます。
見学方法・所要時間
テオティワカン遺跡の開場時間は午前8時から午後5時まで。入場料は約80〜95ペソ(約600〜700円)です。
遺跡には出入り口が3か所あり、効率よく回るなら南から北へ進むルートがおすすめ。
ケツァルコアトルの神殿→太陽のピラミッド→月のピラミッドの順に巡り、最後に3番門から出て帰る流れです。手軽に観光するなら半日、博物館もじっくり見たい方は丸1日確保しておくと安心です。
観光の注意点
テオティワカン遺跡を快適に楽しむために、以下の点を押さえておきましょう。
無断登頂は約2万ペソ(約13万円)の罰金
しっかり準備をして、古代文明の壮大さを存分に味わってください。
※交通費や入場料は変動する場合があります。事前に最新情報をご確認ください。
古代ロマンあふれるテオティワカンで神秘の歴史に触れよう
テオティワカンは、今からおよそ1500年以上前に繁栄したにもかかわらず、現代の私たちに強烈な印象と謎を投げかけてきます。
巨大なピラミッドや整然とした都市遺構は古代人の叡智とスケールの大きさを物語り、壁画や出土品は彼らの精神世界と美意識を今に伝えているのです。
誰がこの都市を築いたのか、なぜ突然滅んだのか——多くの謎が今も解明されていません。だからこそ、訪れる人それぞれが自分なりの想像力を働かせ、古代に思いを馳せることができるのでしょう。
世界遺産として守られるテオティワカンは、メキシコと世界の宝です。
年間100万人以上がこの地を訪れ、古代文明の壮大さに心打たれています。メキシコ旅行を計画中の方は、ぜひ「神々の都市」に足を運んでみてください。
ピラミッドに昇る朝日、広場に吹き抜ける風——それらはきっと、忘れがたい記憶となることでしょう。
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