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長い年月を経て、不死身のからだと特別な妖力を身につけた狐がいるといいます。それが、九尾の狐。
この九尾の狐、アジアを中心に幾つかの国の神話に登場しています。めでたいことをもたらす瑞獣であるとも不吉な存在であるとも、また妖怪であるともいわれ、その物語も時代と国によってさまざま。
中国、インド、日本と時代を渡って、最後はこの日本で巨大な岩に姿を変えたと伝わります。近年、その岩が真っ二つに割れているのが見つかったというニュースが世間を騒がせました。もしや、九尾の狐が解き放たれたのでは…。
さあ、古の時代から人々を混乱に陥れてきた、九尾の狐の物語をはじめましょう。
日本だけでなく、アジアを中心に広く知られる九尾の狐。一体どんな存在なのでしょうか?
九尾の狐は、中国を起源とする伝説上の生き物とされ、九尾狐(きゅうびこ)や九尾狐狸(きゅうびこり)とも呼ばれます。
古くは、中国最古の地理書『山海経(せんがいきょう)』にその名が記されています。この『山海経』ですが、今でいうところの地理書とは少し趣が違うよう。中国各地、またその周辺国の動物や植物についての情報のほか、それぞれの地域に伝わる伝説上の生き物などについても、あたかも実在しているかのように詳しく記述されているのです。
九尾の狐については、こう記されています。「九つの尾を持つ狐のような獣がいる。鳴き声は幼子のようで、人を食う。この獣を食べた者は邪気を払うことができる」
また、日本の平安時代に編まれた『延喜式』には、瑞祥(めでたい兆し)の項に九尾の狐の名があります。「神獣なり。その形赤色、あるいはいわく白色、音嬰児の如し」(神獣である。姿は赤色あるいは白色、泣く声は幼子のようである)
中国では時代によって、鳳凰や麒麟と同じように泰平の世に現れる瑞獣として記され、子孫繁栄の象徴とされることもあったようです。また日本でも、かつては神の使い、めでたい存在として扱われていました。
それが時代を経て、次第に人々を惑わす邪悪な存在へと変わっていくのです。
その名のとおり、9本の尾をもつ狐。
狐は長い年月生きるうち、次第に特別な力を蓄えていくのだそう。そして、身についたその力が増すごとに、はじめは一本だった尾は次第に裂け、増えていくといいます。
九は最高の数字。中国では縁起のよい数字とされています。強力な力を身につけた最上位の狐こそ、九尾の狐というわけです。
また「金毛白面の妖狐」と表され、その体を覆う毛は金色に輝き、顔の部分だけは白い毛が生えるともいわれます。
長い年月を生き、次第に不思議な力を身につけていくという九尾の狐。その能力こそ、伝説の妖怪ともいわれる所以。いったいどんな能力を持つのでしょうか。
3〜4世紀に中国西晋で編まれた博物誌『玄中記』には、狐は
50年生きると女性に姿を変えることができるようになり、100年生きると美しい女性や巫女、また男性に化けて女性と交わり千里眼を持つようになり、人を誑(たぶら)かしたり毒害したりする1000年生きると、天に通じる天狐となる
と記されます。
九尾の狐は中国、インド、そして日本でも、それはそれは美しい女性に姿を変え、時の権力者の寵愛を一身に受けました。
また、中国から日本に渡る際には、その姿を少女に変えて船に乗ったともいわれています。そして、最後には大きな岩に姿を変えたのです。
100年生きた狐が持つようになるという千里眼。
千里眼とはその名のとおり、非常に離れた場所のことでも見通せ、まだ起きていない未来のことを知ることができる力のこと。さらには、人の心の奥底までも見透かせる力だといいます。
美しい女性に化けてその懐に入ると、九尾の狐は怪しげな力で人々の心をも操ったようです。古代中国では、九尾の狐に騙された王が人々に重税を課し、残酷な処刑を繰り返して、ついには国が滅びたと伝わります。またインド神話に登場する聡明な王子に近づいて、人々を惨殺させたという逸話も。その美しさと心を惑わす不思議な力で、人々の判断を誤らせるのです。
1000年以上生きたとされる九尾の狐。紀元前11世紀古代中国の殷に現れ、その700年後にインド、そしてまた中国に。さらに平安時代末期の日本に姿を見せたとされます。
いったい、幾千年生きていることになるのでしょうか。まさに不死身、不老不死の力を手に入れた結果、このように時代も国も超えた伝説の妖怪となったのです。
もともと伝説の発祥は中国だとされる九尾の狐。その存在は日本にも伝わり、とても有名な物語が生まれました。
この物語は、御伽草子や謡曲、歌舞伎、そして浮世絵などのさまざまな形で取り入れられ、今も広く語り継がれています。
時代は平安の末、鳥羽上皇に仕える中に非常に美しい下女がいた。白く滑らかな肌、紅をささずとも赤い唇。その美しさは匂い立つようで、鳥羽上皇の寵愛もそれはそれは厚く、「化粧前(けしょうのまえ)」と呼び、片時もそばから離さなかった。
化粧前は年のころが20あまりにもかかわらず、大変に賢く、広く深くどんなことでも知っている。何を聞いても、どんな難しい問題でも、澱みなくスラスラと答えるのだった。
御所の清涼殿で詩歌管弦の遊びがあった時のこと。鳥羽上皇は化粧前を連れて御簾に入った。
そのとき、急に強い風が吹いたかと思うと、すべての灯りが消え、あたりは真っ暗に。ただ化粧前の御簾からは煌々と光が漏れている。なんとも不思議なことに、化粧前が光を放っているのだった。
人々は恐れ慄き、上皇は「不思議なことがあるものだ、化粧前は仏か菩薩の化身に違いない」。御簾を上げると、辺りは昼間よりも明るくなったという。
それからこの化粧前は、玉のように輝く「玉藻前」と呼ばれるようになった。鳥羽上皇はそんな玉藻前をそら恐ろしくは思いながらも、惹かれるのは止められず、ついには契りを交わす。
しかし、それからというもの、次第に鳥羽上皇は臥せるようになり、病は日に日に重くなっていく。
典薬頭(てんやくのかみ=医薬・診療を担当する長)によると、これは邪気が原因の病であるという。そこで陰陽師安倍泰成に占わせたところ、すぐに高僧たちが呼び寄せられ大がかりな祈祷が始まった。
それでも一向に快方に向かわない。業を煮やした公卿たちが再び泰成を呼ぶと、じつは病の原因は玉藻前であるという。玉藻前の正体は下野国(しもつけのくに)の那須野に住む齢800の狐。この玉藻前を遠ざけさえすれば、上皇の病はよくなるというのだ。
しかし、上皇はそのような話を信じようとはしない。そこで泰成が機転をきかせ、「泰山府君(たいざんふくん=中国泰山の神)」の祀りを行い、その御幣(祭祀に用いる道具)を玉藻前に持たせることした。
祀りが始まり、祭文が読まれる途中、玉藻前はさっと弊を振ったかと思うと、その姿はかき消えてしまったのだった。
鳥羽上皇の元から姿を消した九尾の狐。
下野国那須野(現在の栃木県那須町あたり)に逃げ込み、都から追ってきた上総介・三浦介の二人によって討伐されたと伝わります。
そしてその九尾の狐が姿を変えたとされるのが、巨大な岩。この岩は瘴気を放ち、空を飛ぶ小鳥や近付く小動物、また人間まであらゆる生き物の命を奪ったといいます。
それから200年余り、その話を聞きつけこの岩を鎮めにやってきた那須堺村の泉渓寺住職、源翁(げんのう)和尚。一心に経を唱えて槌を振り下ろすと、岩は三つに砕けて飛び散り、そのうちの一つがこの地に留まったとされます。
それが、茶臼岳の斜面にある「殺生石」。現在でもこのあたり一帯は、硫黄の匂いが立ち込め、草木も生えない岩場が続く荒涼とした風景が広がります。
毎年5月、狐の魂を鎮めるために行われている御神火祭(ごじんかさい)。夜、松明を持った参加者が那須温泉神社から殺生石に向かいます。そして金色のかつらに白装束、狐の面をつけた太鼓奏者が焚き火の前で太鼓を打ち鳴らすのです。
2022年3月、この殺生石が真っ二つに割れているのが確認され、さまざまな憶測が飛び交いました。
そして、これを受け那須町観光協会によって急遽慰霊祭ならびに平和祈願祭が執り行われたのです。
日本で殺生石となった九尾の狐。発祥の地とされる中国を中心にアジアには数々の伝説が残ります。
古代中国殷の最後の王、紂王(ちゅうおう)。紂王を誑かし、王朝を滅亡に追いやったとされるのが、絶世の美女妲己です。
この妲己こそ、密かに王の妾を食い殺し、その体を乗っ取った九尾の狐。
妲己は、人々が苦しみながら処刑されるさまを見て笑い転げて喜び、そして紂王はそんな妲己のために世にも恐ろしい処刑を次々に執行するのでした。
また、紂王と妲己の暮らしぶりは贅の限りを尽くしたもの。そんな様子から生まれたのが、酒池肉林という言葉です。酒で満たされた池、庭の木々にまるで林のように大量に吊るされた干し肉、そこに大勢の裸の男女を集めて戯れさせ、紂王や妲己も宴を楽しんだとされています。
そんな紂王の暴虐非道な行いは、やがて国を衰退させ、殷王朝はついに周の武王により滅ぼされるのです。紂王は自殺し、妲己も捕えられ、武王に首をはねられたと伝わります。
その紂王の殷を滅ぼした周にも、九尾の狐は現れました。武王から数えて12代後の幽王の時代です。
幽王の二番目の妃であった褒姒は目を見張るほどの美しさでしたが、笑ったことがありません。幽王はなんとか褒姒を笑わせようと試みますが、笑ってはくれませんでした。
それがある時のこと、急報の烽火(のろし)が誤って上がったことがありました。馳せ参じた諸侯たち、誤りであったことを知らず何事だ何事だと、みな狼狽える様子を見て、褒姒は大笑い。
その様子を見た幽王は、褒姒を笑わせたいがためだけに度々烽火を上げるようになります。
何事もないのにその度に集められる諸侯たちはたまりません。王への忠誠心は次第に薄れ、やがて本当に変事が起きた際の烽火には誰も集まりませんでした。そして、また幽王も命を落としたといいます。
ここから、九尾の狐はさらに若藻という名の少女に姿を変えて、奈良時代、吉備真備(きびのまきび)の遣唐使船に乗り込んで、日本に渡ったとも伝わります。
じつは九尾の狐は、殷が滅びたあと周の時代に現れる前に、インドにも姿を見せています。
殷が滅びてから700年後。天竺の耶竭陀国の伝説の王とされる班足太子にも、九尾の狐が近づいたといわれています。
こちらも絶世の美女と呼ばれる華陽夫人。班足王子をそそのかし、小国の王、千人の首を差し出すよう班足太子に懇願したと伝わります。
ある日、庭に寝ていた狐を見つけた班足太子。弓矢で射させますが、じつはそれが常は華陽婦人に化けていた九尾の狐。
傷を負った華陽夫人を診た伝説の名医耆婆(ぎば)は、脈からそれが狐であると見抜きます。正体がバレた九尾の狐は、雲を呼んで雨を降らし、稲妻に乗って空へと消えました。
韓国では、クミホと呼ばれる九尾の狐。このクミホには、他の国々に現れる九尾の狐と違い、本物の人間になりたいと願っている、という特徴があります。
かつては、人間になるために美しい少女に姿を変えて男性に近づき命や精気を奪う、また1000人の肝臓を食べるという、邪悪な存在とされてきました。
この九尾の狐、韓国では現代でもよく知られた存在。というのも、悪者とされていたクミホでしたが、次第に本物の人間になりたいと願う健気で親しみのあるキャラクターとして受け入れられるようになってきました。
『九尾の狐と危険な同居』や『九尾狐伝〜不滅の愛〜』など、人間になりたい九尾の狐と、人間が恋に落ちるファンタジーロマンスとして、ドラマの題材にも多く使われ、クミホは若者にも広く受け入れられる存在となっています。
中国、インド、日本に次々と現れた九尾の狐。
印象的なのは、美しい女性に姿を変えた九尾の狐が時の権力者を惑わし、その失墜を楽しんでいるかのようなそんな物語の数々です。
とくに4000年の歴史ともいわれ長い歴史を持つ中国は、頻繁に王朝が変わり、制度が変わり、そのたびに人々の暮らしも変化してきました。
そんな中で、古い時代の王たちは、美しい女にうつつを抜かし政治を疎かにしていたために滅びたのだ、という物語を背負わされたのかもしれません。
そして、不思議な力を持つとされどんな姿にも変幻自在な九尾の狐は、絶世の美女として、滅びた王を惑わすのにもってこいの存在だったのでしょう。
中国から伝わった物語は、周辺の国々でその土地の歴史や文化と相まって、また新しい物語として伝えられていったのです。
国を越え、時間を超えて人々が忘れたころに美しい姿で現れる九尾の狐。とても恐ろしくもなぜか人々を惹きつけ、その物語は幾千年も語り継がれています。
じつは、長く生きた狐。1000年生きて天に通じた狐は、人をばかすことがなくなる、ともいわれているのです。
幾千年、じつはそろそろ悪役にも飽きがきてはいませんか。ここらで、その類まれなるお力で、平和で穏やかな世界を連れてくるめでたい瑞獣というお役目いかがでしょうか、九尾の狐さん。
真っ二つに割れた殺生石。そろそろ、九尾の狐の新しい物語がまた始まる、そんな予兆なのかもしれませんよ。
本三大妖怪って何者?▼
犬の妖怪にはどんなものがいる?▼
長い年月を経て、不死身のからだと特別な妖力を身につけた狐がいるといいます。
それが、九尾の狐。
この九尾の狐、アジアを中心に幾つかの国の神話に登場しています。
めでたいことをもたらす瑞獣であるとも不吉な存在であるとも、また妖怪であるともいわれ、その物語も時代と国によってさまざま。
中国、インド、日本と時代を渡って、最後はこの日本で巨大な岩に姿を変えたと伝わります。
近年、その岩が真っ二つに割れているのが見つかったというニュースが世間を騒がせました。もしや、九尾の狐が解き放たれたのでは…。
さあ、古の時代から人々を混乱に陥れてきた、九尾の狐の物語をはじめましょう。
目次
九尾の狐とは?
日本だけでなく、アジアを中心に広く知られる九尾の狐。
一体どんな存在なのでしょうか?
九尾の狐とはどんな存在?
九尾の狐は、中国を起源とする伝説上の生き物とされ、九尾狐(きゅうびこ)や九尾狐狸(きゅうびこり)とも呼ばれます。
古くは、中国最古の地理書『山海経(せんがいきょう)』にその名が記されています。
この『山海経』ですが、今でいうところの地理書とは少し趣が違うよう。
中国各地、またその周辺国の動物や植物についての情報のほか、それぞれの地域に伝わる伝説上の生き物などについても、あたかも実在しているかのように詳しく記述されているのです。
九尾の狐については、こう記されています。
「九つの尾を持つ狐のような獣がいる。鳴き声は幼子のようで、人を食う。この獣を食べた者は邪気を払うことができる」
また、日本の平安時代に編まれた『延喜式』には、瑞祥(めでたい兆し)の項に九尾の狐の名があります。
「神獣なり。その形赤色、あるいはいわく白色、音嬰児の如し」
(神獣である。姿は赤色あるいは白色、泣く声は幼子のようである)
中国では時代によって、鳳凰や麒麟と同じように泰平の世に現れる瑞獣として記され、子孫繁栄の象徴とされることもあったようです。
また日本でも、かつては神の使い、めでたい存在として扱われていました。
それが時代を経て、次第に人々を惑わす邪悪な存在へと変わっていくのです。
九尾の狐の姿は?
その名のとおり、9本の尾をもつ狐。
狐は長い年月生きるうち、次第に特別な力を蓄えていくのだそう。
そして、身についたその力が増すごとに、はじめは一本だった尾は次第に裂け、増えていくといいます。
九は最高の数字。中国では縁起のよい数字とされています。
強力な力を身につけた最上位の狐こそ、九尾の狐というわけです。
また「金毛白面の妖狐」と表され、その体を覆う毛は金色に輝き、顔の部分だけは白い毛が生えるともいわれます。
九尾の狐が持つ能力とは?
長い年月を生き、次第に不思議な力を身につけていくという九尾の狐。
その能力こそ、伝説の妖怪ともいわれる所以。
いったいどんな能力を持つのでしょうか。
姿を自在に変える力
玉藻前。鳥山石燕著『今昔画図続百鬼』より。その姿の後ろには狐の尾が見える。
著作権表示:Toriyama Sekien (鳥山石燕, Japanese, *1712, †1788), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
3〜4世紀に中国西晋で編まれた博物誌『玄中記』には、狐は
50年生きると女性に姿を変えることができるようになり、
100年生きると美しい女性や巫女、また男性に化けて女性と交わり千里眼を持つようになり、人を誑(たぶら)かしたり毒害したりする
1000年生きると、天に通じる天狐となる
と記されます。
九尾の狐は中国、インド、そして日本でも、それはそれは美しい女性に姿を変え、時の権力者の寵愛を一身に受けました。
また、中国から日本に渡る際には、その姿を少女に変えて船に乗ったともいわれています。
そして、最後には大きな岩に姿を変えたのです。
すべてを見通す千里眼
100年生きた狐が持つようになるという千里眼。
千里眼とはその名のとおり、非常に離れた場所のことでも見通せ、まだ起きていない未来のことを知ることができる力のこと。
さらには、人の心の奥底までも見透かせる力だといいます。
人の心も操る幻術
美しい女性に化けてその懐に入ると、九尾の狐は怪しげな力で人々の心をも操ったようです。
古代中国では、九尾の狐に騙された王が人々に重税を課し、残酷な処刑を繰り返して、ついには国が滅びたと伝わります。
またインド神話に登場する聡明な王子に近づいて、人々を惨殺させたという逸話も。
その美しさと心を惑わす不思議な力で、人々の判断を誤らせるのです。
不老不死・再生の力
1000年以上生きたとされる九尾の狐。
紀元前11世紀古代中国の殷に現れ、その700年後にインド、そしてまた中国に。さらに平安時代末期の日本に姿を見せたとされます。
いったい、幾千年生きていることになるのでしょうか。
まさに不死身、不老不死の力を手に入れた結果、このように時代も国も超えた伝説の妖怪となったのです。
日本に伝わる九尾の狐伝説
もともと伝説の発祥は中国だとされる九尾の狐。
その存在は日本にも伝わり、とても有名な物語が生まれました。
この物語は、御伽草子や謡曲、歌舞伎、そして浮世絵などのさまざまな形で取り入れられ、今も広く語り継がれています。
鳥羽上皇に寵愛された玉藻前(たまものまえ)の物語
玉藻前。楊洲周延画「東錦昼夜競」明治19年(1886年)より
著作権者表示:Toyohara Chikanobu (1838 - 1912), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
時代は平安の末、鳥羽上皇に仕える中に非常に美しい下女がいた。
白く滑らかな肌、紅をささずとも赤い唇。
その美しさは匂い立つようで、鳥羽上皇の寵愛もそれはそれは厚く、「化粧前(けしょうのまえ)」と呼び、片時もそばから離さなかった。
化粧前は年のころが20あまりにもかかわらず、大変に賢く、広く深くどんなことでも知っている。何を聞いても、どんな難しい問題でも、澱みなくスラスラと答えるのだった。
御所の清涼殿で詩歌管弦の遊びがあった時のこと。
鳥羽上皇は化粧前を連れて御簾に入った。
そのとき、急に強い風が吹いたかと思うと、すべての灯りが消え、あたりは真っ暗に。
ただ化粧前の御簾からは煌々と光が漏れている。
なんとも不思議なことに、化粧前が光を放っているのだった。
人々は恐れ慄き、上皇は「不思議なことがあるものだ、化粧前は仏か菩薩の化身に違いない」。
御簾を上げると、辺りは昼間よりも明るくなったという。
それからこの化粧前は、玉のように輝く「玉藻前」と呼ばれるようになった。
鳥羽上皇はそんな玉藻前をそら恐ろしくは思いながらも、惹かれるのは止められず、ついには契りを交わす。
しかし、それからというもの、次第に鳥羽上皇は臥せるようになり、病は日に日に重くなっていく。
典薬頭(てんやくのかみ=医薬・診療を担当する長)によると、これは邪気が原因の病であるという。
そこで陰陽師安倍泰成に占わせたところ、すぐに高僧たちが呼び寄せられ大がかりな祈祷が始まった。
それでも一向に快方に向かわない。業を煮やした公卿たちが再び泰成を呼ぶと、じつは病の原因は玉藻前であるという。
玉藻前の正体は下野国(しもつけのくに)の那須野に住む齢800の狐。この玉藻前を遠ざけさえすれば、上皇の病はよくなるというのだ。
しかし、上皇はそのような話を信じようとはしない。
そこで泰成が機転をきかせ、「泰山府君(たいざんふくん=中国泰山の神)」の祀りを行い、その御幣(祭祀に用いる道具)を玉藻前に持たせることした。
祀りが始まり、祭文が読まれる途中、玉藻前はさっと弊を振ったかと思うと、その姿はかき消えてしまったのだった。
九尾の狐は殺生石になった⁉
鳥羽上皇の元から姿を消した九尾の狐。
下野国那須野(現在の栃木県那須町あたり)に逃げ込み、都から追ってきた上総介・三浦介の二人によって討伐されたと伝わります。
そしてその九尾の狐が姿を変えたとされるのが、巨大な岩。
この岩は瘴気を放ち、空を飛ぶ小鳥や近付く小動物、また人間まであらゆる生き物の命を奪ったといいます。
それから200年余り、その話を聞きつけこの岩を鎮めにやってきた那須堺村の泉渓寺住職、源翁(げんのう)和尚。
一心に経を唱えて槌を振り下ろすと、岩は三つに砕けて飛び散り、そのうちの一つがこの地に留まったとされます。
それが、茶臼岳の斜面にある「殺生石」。
現在でもこのあたり一帯は、硫黄の匂いが立ち込め、草木も生えない岩場が続く荒涼とした風景が広がります。
毎年5月、狐の魂を鎮めるために行われている御神火祭(ごじんかさい)。
夜、松明を持った参加者が那須温泉神社から殺生石に向かいます。
そして金色のかつらに白装束、狐の面をつけた太鼓奏者が焚き火の前で太鼓を打ち鳴らすのです。
2022年3月、この殺生石が真っ二つに割れているのが確認され、さまざまな憶測が飛び交いました。
そして、これを受け那須町観光協会によって急遽慰霊祭ならびに平和祈願祭が執り行われたのです。
アジアにまたがる九尾の狐の神話・伝説
日本で殺生石となった九尾の狐。
発祥の地とされる中国を中心にアジアには数々の伝説が残ります。
傾国の美女、残忍な妲己(だっき)―中国・殷の時代
葛飾北斎画『北斎漫画』より「殷の妲己」。九尾の狐が化けた姿として描かれている。
著作権者表示:Katsushika Hokusai (葛飾北斎, Japanese, †1849), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
古代中国殷の最後の王、紂王(ちゅうおう)。
紂王を誑かし、王朝を滅亡に追いやったとされるのが、絶世の美女妲己です。
この妲己こそ、密かに王の妾を食い殺し、その体を乗っ取った九尾の狐。
妲己は、人々が苦しみながら処刑されるさまを見て笑い転げて喜び、そして紂王はそんな妲己のために世にも恐ろしい処刑を次々に執行するのでした。
また、紂王と妲己の暮らしぶりは贅の限りを尽くしたもの。
そんな様子から生まれたのが、酒池肉林という言葉です。
酒で満たされた池、庭の木々にまるで林のように大量に吊るされた干し肉、そこに大勢の裸の男女を集めて戯れさせ、紂王や妲己も宴を楽しんだとされています。
そんな紂王の暴虐非道な行いは、やがて国を衰退させ、殷王朝はついに周の武王により滅ぼされるのです。
紂王は自殺し、妲己も捕えられ、武王に首をはねられたと伝わります。
亡国の美女、笑わない褒姒(ほうじ)―中国・周の時代
その紂王の殷を滅ぼした周にも、九尾の狐は現れました。
武王から数えて12代後の幽王の時代です。
幽王の二番目の妃であった褒姒は目を見張るほどの美しさでしたが、笑ったことがありません。幽王はなんとか褒姒を笑わせようと試みますが、笑ってはくれませんでした。
それがある時のこと、急報の烽火(のろし)が誤って上がったことがありました。
馳せ参じた諸侯たち、誤りであったことを知らず何事だ何事だと、みな狼狽える様子を見て、褒姒は大笑い。
その様子を見た幽王は、褒姒を笑わせたいがためだけに度々烽火を上げるようになります。
何事もないのにその度に集められる諸侯たちはたまりません。
王への忠誠心は次第に薄れ、やがて本当に変事が起きた際の烽火には誰も集まりませんでした。
そして、また幽王も命を落としたといいます。
ここから、九尾の狐はさらに若藻という名の少女に姿を変えて、奈良時代、吉備真備(きびのまきび)の遣唐使船に乗り込んで、日本に渡ったとも伝わります。
絶世の美女、非道な華陽夫人―インド・耶竭陀(マガダ)国
三国妖狐伝 第一斑足王ごてんのだん 葛飾北斎
玉藻前の前身である天竺の華陽夫人が九尾の狐の正体を現し逃走する図
著作権者表示:葛飾北斎, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
じつは九尾の狐は、殷が滅びたあと周の時代に現れる前に、インドにも姿を見せています。
殷が滅びてから700年後。
天竺の耶竭陀国の伝説の王とされる班足太子にも、九尾の狐が近づいたといわれています。
こちらも絶世の美女と呼ばれる華陽夫人。
班足王子をそそのかし、小国の王、千人の首を差し出すよう班足太子に懇願したと伝わります。
ある日、庭に寝ていた狐を見つけた班足太子。弓矢で射させますが、じつはそれが常は華陽婦人に化けていた九尾の狐。
傷を負った華陽夫人を診た伝説の名医耆婆(ぎば)は、脈からそれが狐であると見抜きます。
正体がバレた九尾の狐は、雲を呼んで雨を降らし、稲妻に乗って空へと消えました。
人間になりたい九尾狐(クミホ)―韓国
韓国では、クミホと呼ばれる九尾の狐。
このクミホには、他の国々に現れる九尾の狐と違い、本物の人間になりたいと願っている、という特徴があります。
かつては、人間になるために美しい少女に姿を変えて男性に近づき命や精気を奪う、また1000人の肝臓を食べるという、邪悪な存在とされてきました。
この九尾の狐、韓国では現代でもよく知られた存在。
というのも、悪者とされていたクミホでしたが、次第に本物の人間になりたいと願う健気で親しみのあるキャラクターとして受け入れられるようになってきました。
『九尾の狐と危険な同居』や『九尾狐伝〜不滅の愛〜』など、人間になりたい九尾の狐と、人間が恋に落ちるファンタジーロマンスとして、ドラマの題材にも多く使われ、クミホは若者にも広く受け入れられる存在となっています。
九尾の狐は物語の中でどんな役割を持つ?
中国、インド、日本に次々と現れた九尾の狐。
印象的なのは、美しい女性に姿を変えた九尾の狐が時の権力者を惑わし、その失墜を楽しんでいるかのようなそんな物語の数々です。
とくに4000年の歴史ともいわれ長い歴史を持つ中国は、頻繁に王朝が変わり、制度が変わり、そのたびに人々の暮らしも変化してきました。
そんな中で、古い時代の王たちは、美しい女にうつつを抜かし政治を疎かにしていたために滅びたのだ、という物語を背負わされたのかもしれません。
そして、不思議な力を持つとされどんな姿にも変幻自在な九尾の狐は、絶世の美女として、滅びた王を惑わすのにもってこいの存在だったのでしょう。
中国から伝わった物語は、周辺の国々でその土地の歴史や文化と相まって、また新しい物語として伝えられていったのです。
そしてまた、新しい伝説
国を越え、時間を超えて人々が忘れたころに美しい姿で現れる九尾の狐。
とても恐ろしくもなぜか人々を惹きつけ、その物語は幾千年も語り継がれています。
じつは、長く生きた狐。
1000年生きて天に通じた狐は、人をばかすことがなくなる、ともいわれているのです。
幾千年、じつはそろそろ悪役にも飽きがきてはいませんか。
ここらで、その類まれなるお力で、平和で穏やかな世界を連れてくるめでたい瑞獣というお役目いかがでしょうか、九尾の狐さん。
真っ二つに割れた殺生石。
そろそろ、九尾の狐の新しい物語がまた始まる、そんな予兆なのかもしれませんよ。
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