掲載日:2025.09.04

古代世界の七不思議とは?ギザのピラミッドをはじめ神秘的な歴史の旅へお連れします♪【まとめ一覧あり】

みなさんは、「古代世界の七不思議」を知っていますか?
なんとなく名前は聞いたことがあるという方、今回はじめて聞いたという方など、人によってさまざまだと思います。

このコラムでは、古代世界の七不思議の定義や選定基準、7つである理由、七不思議それぞれの歴史や消失理由などをわかりやすくていねいに解説します。

雑学や都市伝説がお好きな方、世界の七不思議が何かを知りたい方、選出されている場所がなぜ世界の「不思議」なのかその理由を知りたい方などは、ぜひ最後まで読んで参考にしてみてくださいね。

目次

「世界の七不思議」の定義とは?

そもそも、「世界の七不思議」とは何でしょうか?
「世界の七不思議」は、古代の人々が北アフリカや中東、南ヨーロッパに造った驚異的な7つの建造物のことを指します。
一般的には、紀元前2世紀に古代ギリシャの発明家・数学者・著作家であったフィロン(紀元前260年~紀元前180年)という人物が書いた「世界七つの景観」のなかで取り上げた、古代の地中海地方に存在していた七つの大きな建造物が世界の七不思議の定義とされています。
旅をすることが好きだったフィロンによる、ガイドブックのようなもの、とイメージするとわかりやすいでしょう。

世界七不思議の選定基準|なぜ7つ?

世界七不思議に選ばれる基準については、明確にはわかっていません。
当時として規模が大きかったことや、芸術的な意味合いとしてもすばらしい建造物であったことなどが理由として挙げられます。
ほかにも、他国の人々に対して、ギリシャのすばらしさを伝えたり、ギリシャ人に対する畏怖の念を与えたりすることが目的だったとも考えられています。
さらに、当時のアレキサンダー大王が治めていた帝国の巨大さ・偉大さをアピールするため、といった政治的目的もあったというのが有力な説です。

また、なぜ「7つ」なのかについては、当時、古代ギリシャにおいて「7」という数字は完全性などを表す聖なる数字として特別な意味を持っていたためだと考えられています。

【一覧】世界の七不思議まとめ

世界の七不思議の名称、国名・場所、完成時期、現在の状態についての一覧は以下のとおりです。
ぜひそれぞれを比較して見てみてくださいね。

名称 国名・場所 完成時期 現在の状態
ギザの大ピラミッド エジプト・ギザ 紀元前2560年ごろ 現存
バビロンの空中庭園 イラク・バグダッドの郊外 紀元前600年ごろ 消失(消失時期:紀元前538年ごろと推定されています)
エフェソスのアルテミス神殿 トルコ・西海岸 紀元前700年ごろ 消失(消失時期:紀元前356年頃に放火によって消失。再度巨大神殿が建設されたが、紀元前263年に敵の侵攻で破壊)
オリンピアのゼウス像 ギリシャ 紀元前435年ごろ 消失(消失時期:5世紀ごろと推定されています)
ハリカルナッソスのマウソロス霊廟 トルコ・ボドルム 紀元前350年ごろ 消失(消失時期:度重なる地震でダメージを受け、1404年には土台だけが残る。15世紀に聖ヨハネ騎士団の侵略により消失)
ロードス島の巨像 ギリシャ・エーゲ海南東部のロードス島 紀元前300年ごろ 消失(消失時期:紀元前226年の地震、および654年ごろの敵の征服で消失)
アレクサンドリアの大灯台 エジプト・アレクサンドリア湾岸のファロス島 紀元前350年ごろ 消失(消失時期:796年に半壊。1303年、1323年の地震で完全に崩壊)

世界の七不思議①エジプト/
ギザの大ピラミッド

世界の七不思議①エジプト/ギザの大ピラミッド

1つめの世界の七不思議は、世界的にも有名なエジプトの「ギザの大ピラミッド」です。
エジプトのカイロ近郊のギザに造られた「クフ王のピラミッド」のことを指します。ギザの砂漠には3基のピラミッド(ギザの三大ピラミッド)があり、そのうちの1基がクフ王のピラミッドです。

ギザの大ピラミッドの歴史

エジプト古王朝時代の第4王朝のファラオで、当時絶大な権力を誇っていたと言われています。ピラミッドは彼の墓とされており、紀元前2560年頃に約20年の歳月を費やして作られました。
ピラミッドの大きさは、完成時の高さが146m(現在は138m)、底辺は230m、勾配は51.5度。
ピラミッド建築のなかでも特に優れた石積みの技術を誇り、最も大きなものとされています。

ギザの大ピラミッドが世界の七不思議である理由

七不思議である理由は、建築方法の謎や、クフ王のミイラがここから発見されていないという謎が残るから。1839年、イギリス軍人のハワード・ヴァイスによってこのピラミッドが発見されたのですが、ミイラはなかったものの、重量を軽減するために造られたとされる「重量軽減の間」にクフ王の名前があったことから、クフ王のピラミッドだと結論付けたのです。

ギザの大ピラミッドは唯一現存する世界の七不思議

ギザの大ピラミッドは、唯一現存する世界の七不思議であり、歴史や当時の様子などを今に伝える重要な建造物です。ただし、残念ながら表面はほとんど喪失してしまっています。
なお、メンフィスとその墓地遺跡のひとつとして、世界遺産に登録されています。
世界遺産としても有名で人気の観光名所ですよね

世界の七不思議②イラク/
バビロンの空中庭園

世界の七不思議②イラク/バビロンの空中庭園 (出典)ウィキメディア・コモンズ
不明Unknown author, Public domain

バビロンの空中庭園は、七不思議のなかでも特に謎に包まれた建造物です。古代メソポタミアのバビロン(現在のイラク・バグダッドの郊外)にあったと言われています。

バビロンの空中庭園の歴史

紀元前600年ごろに、新バビロニア帝国の王であったネブカドネザル2世が造ったと言われています。建造の理由は、彼の王妃が自然豊かなメディア王国出身であり、故郷を恋しがった彼女をなぐさめるためだったそうです。王妃の故郷に似せるため、滝や密集した植生を持つ巨大な階段状の庭園を造りました。
庭園は高台に造られたことから、まるで空中に浮かぶように見えたと考えられています。

バビロンの空中庭園が世界の七不思議である理由

バビロンの空中庭園は、研究者たちのあいだでも、その存在があったかどうか、議論が続いています。文書として記録が残っておらず、また庭園の跡が発見されたこともないことから、七不思議のひとつに数えられています。
また、庭園にどうやって水を引いたのかもわかっていないのです。

考古学の調査でも、はっきりと空中庭園だと識別できる遺構は見つかっていません。謎に対する説明は諸説ありますが、一説によれば、古代の著述家たちがバビロンの空中庭園の場所を間違えて記してしまい、実際はバビロンではなくメソポタミアの「ニネヴェ」に造られたのではないかとも考えられています。

バビロンの空中庭園の消失理由

そもそも存在自体がはっきりとわかっていないため、消失の経緯についても謎が残ります。一説によれば、紀元前538年、アケメネス朝ペルシアの侵攻により破壊されたと考えられています。

世界の七不思議③トルコ/
エフェソスのアルテミス神殿

世界の七不思議③トルコ/エフェソスのアルテミス神殿 (出典)ウィキメディア・コモンズ経由
Hendrik van Cleve (III) (c. 1525–1590/95),
Public domain

紀元前7世紀から紀元後3世紀にかけてエフェソス(現在のトルコ西部)にあった、月の女神・アルテミスを奉った総大理石の神殿です。

エフェソスのアルテミス神殿の歴史

紀元前700年ごろ、建築家ケルシプロンと彼の息子メタゲネスによって設計と建築が行われました。地震が多い地域だったことから、彼らはまず地下に踏み潰した木炭を敷き、さらに羊毛を敷いてしっかりとした土台を築いたそうです。神殿は、その後約400年間にわたり、この地に存在しつづけました。
完成した神殿には、商人・王・観光客が訪れ、アルテミス崇拝が根付いていきました。また、多くの人々が身の安全のために逃げこむ避難所としての役割も担っていたと言います。

エフェソスのアルテミス神殿が世界の七不思議である理由

「総大理石」という造りからも想像できるとおり、古代の著述家たちは、神殿の美しさを称える文章を残しており、当時は非常に壮麗な建造物だったことがうかがえます。

こうした建物としての価値に加え、多くの礼拝者を惹きつけたこと、アレキサンダー大王の帝国の巨大さを強調したことなども、七不思議に数えられる理由です。

エフェソスのアルテミス神殿の消失理由

残念ながら、現在は原形をとどめていません。初期の神殿は紀元前356年ごろ、放火によって消失。紀元前323年、改めて大きな神殿が作られましたが、こちらも紀元前263年に敵の侵攻を受けて壊れてしまいます。その後、川から土砂が流れ込み、完全に埋まってしまいました。

世界の七不思議④ギリシャ/
オリンピアのゼウス像

世界の七不思議④ギリシャ/オリンピアのゼウス像 (出典)ウィキメディア・コモンズ
カトルメール・ド・カンシー, Public domain

古代ギリシアの都市オリンピアに、ギリシア神話の主神であるゼウスをまつったゼウス神殿が建造され、その奥に造られたのが、全長12mにもおよぶ巨大なゼウス像です。

オリンピアのゼウス像の歴史

紀元前435年ごろ、有力な彫刻家・ペイディアスによって造られました。金や象牙、黒檀や宝石で装飾された荘厳な像は、古代オリンピックにおいて、競技に参加した多くの選手やスポーツ愛好家によって崇拝されました。

オリンピアのゼウス像が世界の七不思議である理由

ゼウス「神殿」ではなく、ゼウス「像」が七不思議に選ばれていることが注目すべき点でしょう。
神殿も壮大であったことが想像できますが、ゼウス像はさらに大きな存在感を放っていたようです。紀元前2世紀ごろのローマの将軍は、マケドニア征服の際にこの像を見かけ、あまりの神々しさに強い畏敬の念を感じたそうです。また、座像でありながら像の頭が天井につきそうだったことから、古代ギリシアの作家・ストラボンは「ゼウスが立ち上がれば神殿の屋根が外れそうだと思わせる」と記録に残しています。

オリンピアのゼウス像の消失理由

ゼウス像は現在残っていませんが、消失の時期については明確にわかっていません。
一説によれば、4世紀末にローマ帝国の国教がキリスト教になり、古代ギリシアの宗教が迫害されていたことから、5世紀ごろに異教徒によって破壊された(または焼かれてしまった)のではないかと考えられています。

世界の七不思議⑤トルコ/
ハリカルナッソスのマウソロス霊廟

世界の七不思議⑤トルコ/ハリカルナッソスのマウソロス霊廟 (出典)ウィキメディア・コモンズ
Ferdinand Knab, Public domain

現在のトルコ・ボドルムあたり、アナトリア半島南西部のカリア国を支配したヘカトムノス朝の首都、ハリカルナッソスに建造された霊廟です。

ハリカルナッソスのマウソロス霊廟の歴史

紀元前350年ごろ、カリア国を治めていたマウソロスと妻・アルテミシアをまつるために造られました。建造には、スコパスやブリュアクシス、レオカレス、ティモテオスなどの有名な彫刻家が携わりました。
敵の侵攻や海賊の襲撃が町を襲った際にも、霊廟は被害を受けずに残っていました。建築から1600年間ほど残っていたのは、とてもすごいことですよね。

ハリカルナッソスのマウソロス霊廟が世界の七不思議である理由

霊廟の高さは43mほどで、上部に63本の柱で支えられたピラミッド型のドームがあったこと、美しい彫刻が施されていたことなど、建築としての美しさ、荘厳さが評価され七不思議に選ばれています。

ハリカルナッソスのマウソロス霊廟の消失理由

もともと地震の多かった地域であり、度重なる地震でダメージを受け、1404年には霊廟の土台だけが残りました。その後、15世紀に聖ヨハネ騎士団の侵略を受け、彼らが霊廟の遺跡を新しい城の建築に使ったことで、完全に消失してしまいました。

世界の七不思議⑥ギリシャ/
ロードス島の巨像

世界の七不思議⑥ギリシャ/ロードス島の巨像 (出典) ウィキメディア・コモンズ
ヨハン・フィッシャー・フォン・エルラッハ, Public domain
ギリシャ・エーゲ海南東部に浮かぶロードス島にある巨大な像です。
太陽神ヘリオスの像なのですが、その大きさが印象的なことから、「巨像(コロッソス)」と呼ばれていました。

ロードス島の巨像の歴史

紀元前305年~304年にかけて、エーゲ海南東部のロードス島は、ディアドコイ戦争におけるロドス包囲戦で勝利しました。勝利を祝って紀元前3世紀に建設されたのがこの巨像です。

彫刻家カレスがリーダーとなり建造が進められましたが、地域の住民も協力したと言われています。まずは15mほどの台座から造られ、そのうえに35mほどの像が造られました。そのため、全体としては50mにもおよぶ大きさだったのです。

ロードス島の巨像が世界の七不思議である理由

フィロンは「人によってつくられた像として世界最大にして完全な形をしている」と大絶賛し、この巨象を世界七不思議に選んでいます。
大きさだけでなく、さまざまな工夫が施されていた点も理由でしょう。たとえば、像は港の入口をまたぐように足を開いて立っており、その下を敵の船が通ったときに攻撃することができました。また、右手に煮えた油や鉛が入った炎(器)を持っており、的の船に対して容器が傾き、その船をめがけて油や鉛が落とされる仕組みになっていました。

ロードス島の巨像の消失理由

紀元前226年に大きな地震が襲い、像は倒壊してしまいます。再建が検討されたものの、人々は神に似せた像を造ったことが神の怒りに触れたと考えて、再建を拒否しました。
その後、残骸が残りましたが、654年ごろにイスラム帝国ウマイヤ朝に征服され、完全に消失してしまいました。

世界の七不思議⑦エジプト/
アレクサンドリアの大灯台

世界の七不思議⑦エジプト/アレクサンドリアの大灯台 (出典)ウィキメディア・コモンズ
ファン・ヘームスケルク, Public domain

エジプトのアレクサンドリアの港の入口にあるファロス島に造られたのがアレクサンドリアの大灯台です。大灯台という名前のとおり、高さ122~134mにおよぶ巨大な灯台でした。

アレクサンドリアの大灯台の歴史

紀元前350年ごろ、当時のアレクサンドリアは平坦な土地であり、航海や入港の際に目印となるものがありませんでした。そこで、権力者・プトレマイオス1世が、目印として大きな灯台を造ることを命じました。なお、実際に灯台が完成したのはプトレマイオス2世のころでした。その建設には、12~15年かかったとされています。

アレクサンドリアの大灯台が世界の七不思議である理由

巨大な灯台は、当時、ギザのピラミッドに次いで大きな建造物だったといいます。灯台の光は50km離れた場所からも確認できたようで、いかに大きかったのかがわかりますね。
また、戦争中には、鏡を使って太陽光を反射し、敵の船をめがけて照射して船が海岸に到達する前に燃やすことができたといいます。
このように、大きさや役割の大きさ、敵に与える影響などが、七不思議に選ばれた理由と考えられるでしょう。

アレクサンドリアの大灯台の消失理由

796年に地震が発生し、灯台は半壊。一部残り続けたものの、1303年、1323年の地震で完全に崩壊してしまいました。ただし、謎は今でも残っており、戦いで敵に破壊された説や、東ローマの宣教師によって破壊されたという説もあります。

個性あふれる世界七不思議の魅力を楽しもう

ご紹介した古代世界の七不思議は、それぞれに個性があり、惹かれてしまう魅力がありましたね。ギザの大ピラミッドなど、名前は聞いたことがあるけれど、歴史や七不思議である理由などは、意外と知らなかったという方も多いのではないでしょうか。
古代世界の七不思議は、消失してしまっているものがほとんどのため、実物を見ることは難しいですが、もし近くに旅行に行く機会があれば、建造物の歴史や古代の神秘に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。


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